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| まえがき: この本は、「ごくわずかに普通の人と違う脳を持つ」というのが、本人にとってはどんなものかという物語だ。最近の基準では、私は自閉症スペクトラムに属し、知能や言語の遅れを伴わないアスペルガー症候群寄りということになっているけれど、その診断がついたのは三十代半ばになってからだった。それまでの私は、単に非常に風変わりで奇妙な人間、時に厄介で迷惑な人間だと思われてきた。幼い頃から自分がどこか他の人々と違うという違和感は常に持っていたものの、具体的にどこが違うのか、それはなぜなのかについては、ずっと謎のままだった。 自閉症スペクトラムというのは、脳のつくりや働きが生まれつき普通の人と違うために、周囲の世界のとらえ方、感覚や思考のパターンなどが普通とは異なっている人々をさしている。簡単に言えば、普通の人とは別の世界に住み、異なる文化を持っている。重度の自閉症から部分的な要素を持つ人までを含めて、自閉圏の人々には共通する特徴があるため、最近ではスペクトラム=連続体、というとらえ方をするようになった。その特徴とは、対人関係の困難、コミュニケーションの困難、限られた対象への反復的で常同的な興味、活動、行動があることの三つだとされている。こうした人々は、学校でもクラスから浮き上がって孤立していたり、他人の気持ちがわからず一人よがりに振る舞ってしまったり、自分の熱中している趣味に強いこだわりを持ち、一方的にその話題をしゃべり続けたり、といった態度をしばしば見せて周囲を戸惑わせる。もちろん、脳のつくりも働きも人によって違うので、奇妙な行動の種類も程度も現れ方も、実際は人によってさまざまに異なっている。 ハンディが脳という見えない部分にあり、しかも私のように「軽度」とされる場合は、外見上特異な点があまり目立たない。そのため、世界のとらえ方そのものが他の人々とは違っているという根本的な原因よりも、表面的に現れる不具合、例えば突飛な行動で人のひんしゅくを買うとか、人と会話がかみ合わないとか、失礼な言動をして人を怒らせてしまうといったマイナスの現象だけが注目されてしまい、単なる人格や性格の問題と取られてしまうことが多い。実際には、見えている世界そのものが違い、感覚も思考も異なっているので、何とか周囲に合わせてあまり目立たずにいる状態そのものが、相当な努力の成果なのだけれど、そうした困難さが理解されることは、残念ながらあまりない。 最近では私のような人も小児期や学童期に診断がつくようになってきたそうだが、それでも脳のちょっとした不具合から起こる奇妙な振る舞いはやはり一般には理解されにくいものらしく、社会性の習得や認知、対人コミュニケーションに障害があると説明しても、そんなのは親のしつけや本人の努力の問題なのに、診断を言い訳にしているだけ、と言われて終わってしまうことも多いと聞いている。けれどもちろん、世界をまるで違った風にとらえているという生まれ持っての脳の特徴は、しつけや努力で変えられるものではない。 私の場合、三十代半ばになってようやく診断にたどりつくまでは、脳に機能的な問題が存在することなど誰も想像さえしなかったから、言い訳の余地は全くなかった。私は人の表情や言外の意図を読むことができず、場の雰囲気を感じることもできない。他人の微妙な表現がわからないというのは、周囲に配慮したデリケートで適切な表現の仕方が学べないことでもある。そのため、私は対人関係や社会適応の面でたびたび問題を起こしてきたのだが、そうやって「世の中」で失敗するたびに、人格そのものを疑われ、性格の悪さを指摘され、自分を否定され続けてきた。 私は今でも、度重なる挫折でひどくもろく壊れやすくなってしまった内面の自尊心と、拒絶や否定から自分を守るために身につけた、タフで時に攻撃的な外面とのバランスを、うまく取ることができないでいる。私にとって「世の中」のすべては「不安や恐怖をもたらすもの」と「辛うじて不安を感じさせないもの」の二種類しかないように感じられ、心は常にその間で不安定に揺れ動いている。不安がつのると防衛本能が働いて攻撃的になり、それが怒りへ、さらにひどくなるとパニックへとエスカレートしてしまう。最近やっとこうした自分の心の動きが自覚できるようになり、より良い対処のしかたを身につけようと努力している。私にとって診断がついたことの最大の利点は、色々な専門書や研究事例を参考にして、自分のハンディをうまくカバーし、トラブルを避けて、「世の中」ともっと上手に関わっていく方法を工夫できるようになったことだ。 私は少し変わった脳を持ち、そのために普通の人とは違った異星人(エイリアン)マインドを持っている。私のような人は世界中にいるが、色々な民族や文化が混在する社会の中では、何が普通かという基準もかなり幅広いし、普通から外れるのが悪いことだという発想もあまりない。そういう多様な生き方が受け入れられる社会では、私のような異質な人も、より適応しやすいのではないかと思う。少なくとも私自身が色々な国を旅した経験では、多様性のある社会では日本より気楽に振舞うことができた。一方で私にとって、母国であるはずの日本はかなり生きにくい場所だ。「日本人とはこうあるべき」という社会の暗黙の基準に、自分がどうにも当てはまらないからだ。 日本生まれの日本育ちにも関わらず、自分を取り巻く日本人と日本社会は、私にとって常に謎でいっぱいだった。周囲の人々が自然に身につけて共有している日本的な感性、常識、慣習、言わずもがなの決まりごとなどが私には理解できず、周囲の日本人に質問しても「あなた自身が日本人なのだから、当然わかっているはず」という思い込みから、詳しく言葉で説明してもらう機会がなかったからだ。私は言葉で説明されなかった多くのことを理解しそこなったまま大人になり、必死で「日本人のふり」をし続けることになってしまった。 この本はそんな異星人(エイリアン)の人生の物語だ。私は自分が今も理解し切れないでいる日本人に、異星人(エイリアン)マインドの内側から見た風景がどんなものか、感じてもらいたいと思ってこれを書いた。同じ日本人に見えてもこんな異質な存在もいるのだということ、また、たとえ異星人(エイリアン)であっても、「世の中」と関わり、社会の一員として生きていきたいという希望を持って、自分なりに努力し、懸命に試行錯誤しているのだということを知っていただければと思う。 異星人(エイリアン)には何も特別な同情は必要ないが、別の世界に住み、異なる文化を持っているのだということを考えに入れ、外国人=異邦人(エイリアン)と同じように、日本的な「普通」や「常識」は通用しない相手、一種の異文化圏の人と思って接していただければありがたい。脳そのものが微妙に異なっているのだから、完全に理解することは難しいし、また、そんな必要もない。ただ、お互いの違いをありのままに尊重し、認めあって共存していくことができれば、日本も異星人(エイリアン)にとってずいぶん生きやすい社会になっていくだろうと思う。多様な個性が活かせる社会は、どんな人にとっても、より彩り豊かで生き生きしたものになるはずだ。 この本を書くにあたっては色々な資料や記録を参照し、専門家の助言も受けたが、もしも間違った点があれば、すべて私自身の責任だ。事実関係は私の覚えているままを率直に書いた。他の人の記憶と矛盾する点もあるかもしれないけれど、記憶とは本来そういうものだし、故意に歪めたりはしていない。また、この本に登場するどの人物に対しても、非難や中傷をする意図は一切ない。 最後に、異星人(エイリアン)といっても人は皆それぞれに個性があり、脳の特徴もさまざまなので、この本はあくまで私の場合の話にすぎないということを、心に留めて読んでいただければ幸いだと思う。 |
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| もくじ: 第1章 地球に生まれる 第2章 ここはどこ? ”外”の世界と初めての遭遇 第3章 私の居場所はどこに? 第4章 挫折 第5章 地球人と暮らす 第6章 立ち直りに向う日々 |
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