東海道五十三次・岡崎宿・二十七曲めぐり
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東海道五十三次・岡崎宿・二十七曲めぐり
「岡崎宿」は、本陣や脇本陣、旅籠の数から東海道五十三次の中でも 屈指の規模を誇る宿場町でした。 また、岡崎宿は、「岡崎の二十七曲(にじゅうななまがり)」と呼ばれ、 曲がり角の多い町並みとして有名でした。この二十七曲は、欠町から伝馬通、 材木町から八帖町、矢作橋とつながっており、 現在でも二十七曲を示す碑が町並みにいくつか残っています。

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欠町・二十七曲の碑
二十七曲の出発地点であり、ここにある石碑を見れば東海道 (二十七曲)がどのように市内を通っていたのかがよくわかります。 |
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伝馬町常夜塔
市内に残る最も大きな常夜燈で、火防の神・秋葉大権現へ の信仰の厚さが伝わります。 |
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石の彫刻
岡崎宿伝馬歴史プロムナードには、通りを挟んだ 両歩道に東海道有数の宿場町であった伝馬の歴史を誇る 20期の石彫が並んでいます。 |
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唐弓弦の看板
唐弓弦とは、江戸時代使用されていた綿を打つ道具のこと。 かつての三河木綿の特産地・岡崎の面影を伝えるもので、 現在では看板だけが残っています。 |
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蔵造りの待ち並み

| [場所] |
愛知県岡崎市八帖町界隈 |
| [交通機関] |
名鉄バス安城駅前行板屋口下車 |
| [内容] |
八丁味噌がこの地に創業したのは、矢作川の湧き水が得やすいこと、
矢作川の八丁土場に近かったことからであります。
この土場は岡崎城下への物資の揚陸地であり、
八丁味噌もこの土場を通して原料として必要な大豆や塩などを
手に入れやすかったことにあります。
旧東海道の面影を如実に残す八帖町界隈は、
今でも訪れる人々に往時の情緒を感じさせます。
ことに、苔むした石垣に建つ味噌蔵のつづく町並みは、
旅情を感じさせるに充分な風景です。 |
| [お問合せ] |
電話 0564−23−6216(観光課) |
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矢作橋と日吉丸
 
矢作橋
岡崎宿「二十七曲」の西のはずれにあたる矢作橋は、
江戸時代には、東海道で最長の木橋だったと言われています。
また、豊臣秀吉と蜂須賀小六が
この橋の上で出合ったという伝説も残っています。
| [場所] |
愛知県岡崎市矢作町 |
| [内容] |
矢作橋の西詰めにある高さ4mの石彫「出合之像」があります。
これは諸国を放浪する日吉丸(後の豊臣秀吉)が
矢作橋で寝ていたところを野武士の頭目、蜂須賀小六(正勝)に出会い、
その出会いがやがて秀吉の出世のきっかけとなる墨俣一夜城の成功に結びつき、
野武士の頭目は秀吉の老臣となってついには
大名にも成り上がっていったという伝説を再現したものです。 |
| [お問合せ] |
電話 0564−23−6216(観光課) |
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