墓に唾をかけろ / ボリス・ヴィアン
2003/11/10

 電車の広告で「チャーリーズ・エンジェル」が貼ってあった。あれ、もう随分前に封切は終わったはずなのに、と思って良く見るとどうも早くも登場したDVDの広告らしい。「フルスロットる?」なんてキャッチコピーはパチスロ広告みたいだけど。美女三人を揃える、というのはヒット間違いなしの傑作アイデアだと思う(好色と博打というのはコインの裏と表みたいな関係なのだから)けど実現は難しいかな。
 肝心の「チャーリーズ・エンジェル」は見ていないし、暫くは見る機会もなさそうだが、友人のレポートによると兎に角尻と胸と爆破しかない映画どとのこと。ボン、バン、ボン、ね。結構、結構。それらは不変のものだかし、モードに左右される性質のものでもないのだから、いつ見ても同じだ。場合によっては見なくても良いくらいだ。もっとも劇場版とTVドラマの違いもあろうが、20数年前に放映されていた「チャーリーズ・エンジェル」は今見ると随分と地味なものにかんじるだろうな、とも思う。
 この手の「ボンバンボン」のもう一つ優れた点は下らないイデオロギーやドラマ性を無視することが出来ることだ。映像に隠されたメッセージや台詞一つ一つの背景を類推することなしに進行を眺めていれば良い。ただしこの種の映画は劇薬に等しいから、観過ぎに注意しなければならない。息をつく間もなく刺激が起きるので、こいつに慣れてくると栄養過多で、餌を詰め込まれたガチョウのようになってしまう。ガチョウの肝臓はフォアグラとして珍重されるからまだよいが、腐った人間の脳味噌はそれが生きていても死んでいても何の価値もないことは留意しておかなければならない。
 映画やマンガの世界だとこういった作品は「セックスと暴力」というレッテルを貼られ、不当に排斥されたり糾弾されたりする。しかし、これが文学となると問題作として論議を呼ぶものの、平然と名作選に入っていたりするから不思議だ。ウィリアム・フォークナーの「八月の光」など正にその典型だし、あるいはこの「墓に唾をかけろ」にしても。  今読むと、風俗紊乱と大騒ぎするほどの目を引くものではない。最近のサスペンスものやエロ小説のほうがずっとグロテスクだし、直截的である。暴力的といってもたった三人の人間が殺されるだけだし、エロティックな描写にしても数ページに渡って延々と続くようなものではないし、どちらかというとストレートな表現を避けているようにも見える。この作品が架空の作者による著作として発表されてから半世紀以上経っているが、同様の手段で発表された「四畳半襖の下張」、あるいは同じフランス文学にしてもギヨーム・アポリネールやマルキ・ド・サドの作品に比べるとやや大人しい印象を受ける。ましてや現代のハードボイルド小説などを読みなれた人間にとっては、若干物足りなくすら思えるのではないだろうか。
 しかし、小説というものが想像力を喚起する快楽の一つであるとしたら、やはり僕たちは刺激物を受け取ることにばかり慣れて、肝心の頭脳を働かせて空想する愉しみを、いつのまにか放棄してしまっているのではないかと、不意に慄然となる瞬間もある。

TOPへ
Bookofdreams Topへ