
これらは私がTRPGを経験した際に感じたいくつかの「鉄則」、或いは座右の銘として意識するに至った事柄を、端的に表現した用例の数々である。
……とは言っても、まだまだ数は出揃っていない。
コーナーを創るために記憶を掻き回して即興詩を作ったところで、どうせ矛盾や自己欺瞞に満ちているのだ。
ならば、「言行録を書く」と決めたその日から思い付いた事を、徒然なるままに書き記していこう。
できうる限り、諸兄のプレイスタイルにとって良き肥料となる言葉を探すことにする。
『投じるなら鋭峰の礫石より河岸の玉石を用いよ』
風雪に晒され続けた高山の岩石は鋭く尖り、如何にも投げつけるに相応しいように見えるが、ひとたび堅い鎧に当たれば脆く砕けて役に立たず、また形に癖があるせいで投手の願う通りに飛んでくれない。だから結局は弱兵に怪我を負わせるのが関の山である。
それに対して、一見穏やかな川の流れに身を浸し続けた玉石は、川の外からでは伺い知ることのできない数多くの試練を経て今の形になったのであるから、堅さも重みも強兵を打ち倒すに十分な力を持っている。
人もそれと同じで、他人との摩擦や軋轢を拒絶し続けて自分を孤高の極みに追い詰めても、結局は磨り減って先細りするばかりであり、重みも厚みも増すどころか失っていく一方である。他人を寄せ付けない、如何にもな虚仮威しの外観を磨くばかりで、本当のストレスやプレッシャーに対する経験はちっとも養われていない事に気付く結果となるだろう。
一方、同じ境遇の存在の中に紛れ、それでも自分の「形」を留めようと努力し続けた人間は、凪ぎも濁流も経験し、やがて人格にも力量にも丸みを帯びて厚みと重みを増し、恒久的なストレスにも動じない円熟した人格を養うことができる。
本当に優れた人材を求めるならば、排他的な修練の末に先鋭化した剃刀のような人物より、多くの人々と同じ苦難に接してなお打ち勝ってきた、一見凡庸な経験者を求めるのがよい、という意味。
ちなみに神父の創作である。念のため。
『どんなヘタレでも、女を作れば漢になる』たとえ能力や普段の行いがどうであろうと、ヒロインとのドラマを経験すれば主人公を目指す明確な向上意識に芽生える、という意味。
『偉大な業績を残した者だけが英雄と呼ばれる。
だが、主人公はこれからそれを成せばいい』
設定に拘りすぎず、プレイそのものを楽しめ、という意味。
転じて、GMはPCが将来の英雄である事を強く認識しなければならない。
『他人が見て楽しめない一人芝居を自分だけが楽しむ』
そういう痛快なケツの穴が、昨今やたらと増えている。
あとで振り返って惨めになるような独り善がり、自分一人のためにキャンペーンが用意されているかのように自分勝手な設定、そうした無様な自己演出を好むゲーマーほど、その醜悪さに気付いていない。
こうしたヘタレには、改善の余地があるうちに指摘してやった方がいい。
『歩いた後には、必ず足跡が残る』
PCの物語は全て「続き」であり、一話完結型のセッションの連続であっても、それらは全てPCにとって一つの「歴史」である、という意味。
そのセッション限りのNPC、その依頼にしか登場しない敵、その時にしか立ち寄らない村、そうした細切れの演出がPCからリアルを奪い去り、プレイヤーのファンタジィを干上がらせてしまう原因となる。
たとえ一話完結型であっても、PCを持ち越すのであれば「複線」は生きるはずだ。
『最初から熟練する必要はない。
だが、いつかは熟練せねばならない』
誰もが最初は初心者であり、最初から難解なルール、高等なテクニック、複雑なロールプレイをと求める必要はない。
だが、初心者であることに慣れたら、次は上級者への努力を始めなければならない。そうしないと、一定のLvで似たようなシナリオばかりが続き、遂には、どんなシステムも同じように見えてつまらなくなる。
マンネリを避けるには能動的な向上心が不可欠だ、という意味。
『神様も大変だ。好き勝手にでっち上げた世界の言い訳を、
聞かれるたびに考えなければならないのだから』
意外性や独自性ばかりを追い求めて、「なぜそうなったか」を考えずに世界設定やシナリオソースを持ち込むと、必ず苦労するという意味。
これはGMにも言えることだが、何よりクリエイターに対して向けられる言葉。
逆にプレイヤーがPCの設定を作成した際、造物主としての能力を疑われることもある。なんにせよデタラメやでっち上げは危険ということ。
『偉大な魔法使いによる偉業は、ただ魔法の偉大さを世に知らしめるのみであるが、
偉大な戦士の剣によって成された偉業は、彼の名を歴史に刻み付けるだろう』
特殊能力の強さやソレによる成功は、つまるところ特殊能力そのものの功績であって、キャラクターはただ特殊能力をその場に運び届けただけに過ぎない、という辛辣な評価を意味する。事実、剣によって名誉と誠実を示すキャラクターは、棒きれ一本でも弱者を救済し正義を遂行する事ができるが、魔法使いは魔法無しには自らの意志を貫くことすらおぼつかない。
そう言われないよう、世の魔術師はファイアーボールを無節操に投擲することを自慢する前に、学術と哲学によってまず己を磨くべきだろう。
『歴史こそが最も正当な審判である以上、歴史に名を刻まれる者こそが勝者なのだ』
どんな徳を備えた聖人も、歴史に評価されるような行いをしなければ塵芥に等しい、という意味。
如何なる善行を為し得た者も、その栄誉を受ける義務と責任に負けてこれらを放棄すれば、ただ一時「彼は清貧かつ謙虚であった」と評されるのみで、賢者の理想は彼の時代と共に風化して果てるのである。真の英雄、真の聖者とは、自ら為し得た偉業に対する名誉と責務から逃げることなく、偉業を為し得た後々まで自らを以て称えられるべき存在としてあり続ける義務を負う覚悟を示したモノのことを言う。
救国の英雄は玉座にあって臣民を守り導くべきであり、その神聖な義務の放棄こそは怠惰と罵られるべき悪徳である。なぜなら、見返りを求めずに去る似非勇者を民衆は二度三度と求めることになるからだ。
『誇りとは「どのような権利を有しているか」ではない。
「どのような義務を全うしうるか」をこそ誇るべきである』
この言葉の意味が分からない人間は、中等教育に立ち戻り、倫理道徳の授業を真面目に1から受け直すべきだろう。
日本国内のRPGでは、前者を体現したような貴族や為政者ばかりが目に付き、いつしか貴族の誇りとは思い上がった特権階級のエゴに過ぎないという固定観念が定着してしまった。
「崇高な義務を果たす権利」
は、民主主義が登場するまで、彼ら特権階級しか持ち得ないというのに。
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