
下の三つの文章を読み比べてみて下さい。まず、「三年生になって」は、 A少年が一九九七年四月に、中学三年生になった時に書いて、学校に提出し た作文です。素直に書いていますが、中学三年生にしてみては少し幼いかな、 とも感じます。難しい言葉や熟語は使わず、構文も平易です。作文にしては、 文章も短く、あまり文章を書くのが好きでもなく、得意でもなかったことが覗 えます。 次は「三年生になって」と同時期にA少年が自分の心情を綴った作品 とされる「懲役13年」です。この作品はもちろんA少年が発表したものではな く、A少年の家から発見されたものでもありません。「A少年と仲の悪かった 友人に作品を渡してワープロで打たせた」と警察が主張しているだけです。 この出所不明の作品を警察が無理矢理A少年の作としなければならないと ころを見ると、この作品も「真犯人」と関連があるのでしょうが、その点に ついても明らかにはされていません。この作品と「第ニ挑戦分」とは、アメ リカ映画「プレデター2」の英語のセリフとストーリーにおいて、関連があ るところからして、「真犯人」とのつながりが推察できるのですが・・・。 次は犯人からの「第ニの挑戦分」です。A少年はこの文章を下書きを含め 一時間半位で書いたとされています。実物は筆跡を変えながらもかっちりと 書かれており、とてもそんな短時間で書けるものではありません。しかも、 内容は、自分の気持ちではなく、「想定した犯人」の気持ちになって書いた、 というのです。つまり、作文ではなく、「作品」として書いたことになります。 いずれにしても「三年生になって」の作者が、他の二つの作品の作者と同一 人物であると言うのは、あまりに無理がありすぎると、私たちは思います。 まずは、あなたも読んでみて下さい。 |
「三年生になって」
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| 三年生になり、二年の時とはちがうところが数多くありました。テストの数もふえ、勉強もむずかしく なるんだと思います。二年の時はあまりライフを書くことがなかったのですが、三年になるとほとんど 毎日書かなければならないようです。このクラスはほとんど話した事のある人ばかりですが、中には 話したことがない人も少なくありません。自分から話しかけ、はやくうちとけていきたいと思います。き のう三年になりはじめての日番をしました。日番朝集にも間に合い、その他の仕事もきちんとできまし た。一年の時は忘れ物が多かったのですが、二年になりかなりへりました。だから今年も忘れ物をし ないよう努力していきたいと思います。それに、これまではそうじをダラダラやっていましたが、最近テ キパキとできるようになってきました。今年は、一度も授業をうけたことがない先生も何人かいましたが、 早くなれていきたいと思います。何事にも努力をし、充実した一年間をすごしていきたいと思います。 |
懲役13年 1.いつの世も・・・、同じ事の繰り返しである。 止めようのないものはとめられぬし、 殺せようのないものは殺せない。 時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・ 「魔物」である。 仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い防臭漂う 心の独房の中・・・ 死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、 ゛何"が見えているのであろうか。 俺には、おおよそ予測することすらままならない。 「理解」に苦しまざるをえないのである。 2.魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、 あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせてい るかのように俺を操る。 それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせ るのである。 とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。 こうして俺は追いつめられてゆく。 「自分の中」に・・・ しかし、敗北するわけではない。 行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。 3.大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちで あるが、事実は全くそれに反している。 通常、現実の魔物は、本当に普通な゛彼"の兄弟や両親たち以上に普通に見 えるし、実際、そのように振る舞う。 彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わ せてしまう・・・ ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、 実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、 バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと 俺たちが思いこんでしまうように。 4.今まで生きてきた中で、゛敵"とはほぼ当たり前の存在のように思える。 良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。 しかし最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。 そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。 「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」 5.魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、 気をつけねばならない。 深淵をのぞき込むとき、 その深淵もこちらを見つめているのである。 「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、 俺は真っ直ぐな道を見失い、 暗い森に迷い込んでいた。」 |
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| この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた 人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」 その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。 しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。 最後に一言 この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。 ―――――ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている――――― P・S 頭部の口に銜えさせた手紙の文字が、雨かなにかで滲んで読み取りにくかったようなのでそれと全く同じ内容の手紙も一緒に送る事にしました。 |