南方熊楠略年譜
南方熊楠の名前を知ったのは、
3,4年前、本屋で見つけた「猫楠」という水木しげるのマンガ文庫でした。
しばらくその名前はすっかり忘れていたのだけど、
最近、作家の京極夏彦が選んだ水木しげるの短編集を買いました。
その中に「てんぎゃん(註:天狗さんという意味)」という熊楠にまつわる短編を読み、
ふっと「みなかたくまぐす」の名前を思い出したのです。
時をほぼ同じくし、わたしの父ロシナンテが、
和歌山県出身の作家神坂次郎(こうさかじろう)が書いた、
南方熊楠を題に取った小説を読んでいて、たまたま食卓で話に登ったのです。
父「おい、南方熊楠って知ってるか?」
私「うん、少しだけね」
南方熊楠は、植物学者(粘菌研究)として名が通っていますが、
実際は非常に幅広い学問の分野に興味を持ち、
探求を続けた明治時代の在野の学問人です。
慶応から、明治に年号がかわる少し前に、和歌山の金物商の次男として生まれ、
第二次大戦勃発から21日後に74歳の生涯を閉じた南方熊楠。
簡単に年譜を追ってみます。
●誕生〜渡米まで●
1867年に和歌山(紀伊国)和歌山城下は橋丁(はしちょう)生まれ、
1883年和歌山中学を卒業し、東京神田は共立学校(大学予備校)に入学。
翌年東京大学予備門ノ入試に合格、9月入学。
1885年、代数の試験で落第点を取り、留年。
年明けて2月、脳内の異常に伴う頭痛などを理由に予備門退学、和歌山に帰る。
同年、12月横浜から渡米
(もちろん船旅・18日間を要した・金物屋時代は貧乏だったが、商売が軌道に乗り、
この頃は西日本では2番目に金持ちの金貸しとして南方家は成功していた)。
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●アメリカからイギリスへ●
1887年、サンフランシスコ到着、パシフィック・ビジネス・カレッジ(商科大学)入学。
そこを退学し、同年8月ミシガン州ランシング州立農科大学入学、翌年12月退学。
1888年、親友(一説には、熊楠のプラトニックラブの対象だったといわれる)羽山繁太郎病死。
1891年、5月フロリダ州ジャクソンヴィル、8月キーウェスト島、
9月(当時スペイン領)キューバで菌類・緑藻などを採集し、翌年8月ニューヨークへ向かう。
1892年、8月8日父弥右衛門死去。ニューヨークから1週間をかけて、渡英(リヴァプールへ)。
1893年、横浜正金銀行ロンドン支店長中井芳楠の紹介で、
大英博物館のフランクス館長およびリードに会う。
10月、自然科学雑誌「Nature」に最初の論文「極東の星座」掲載。
同月末、真言宗僧侶・土宜法竜(ときほうりゅう)と知り合い、
仏教に関する問答を中心に文通をはじめる。
1896年、母すみ死去。
1897年、大英博物館ダグラスの紹介で、当時清の革命団体・興中会を率いていた
孫文(スンウェン)と知り合い、交友を深める。
11月、大英博物館内で英人を殴打し、1か月の入館停止となる。
翌1898年、再度の乱暴を理由に大英博物館から追放される。
1899年「Notes & Queries」に初投稿、掲載。1933年までに300余の文章が掲載される。
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●帰国後の研究生活●
1900年、金銭的な理由で、ロンドン港より乗船、14年ぶりに帰国。
1901年、来日した孫文と和歌山で再会。植物採集に没頭の日々をおくる。
1903年7月、英訳「方丈記」(鴨長明作)完成(発表は1905年)。
1906年、親友喜多幅武三郎(きたはばたけさぶろう)の世話で
宮司の娘、田村松枝と結婚。翌年6月長男熊弥誕生。
1910年、明治政府の神社合祀政策に反対し、
県の夏期講習会閉会式に乱入したとして、警察に17日間拘留される。
1911年、当時貴族院書記館長の柳田国男
(やなぎたくにお・日本民俗学の父と言われる)と文通がはじまる。
11月、長女文枝誕生。
1913年、柳田国男が突然会いに来る。
1916年、転居し、翌年自宅の柿の木から新種の粘菌Minakatella
longifilaを発見。
1921年、南方植物研究所の設立を企図し、翌年資金集めの為に上京。
1925年、旧制高校受験の為に高知に行った長男熊弥が精神に異常をきたし、入院。
熊弥は1960年に亡くなるまで、同地で療養生活を送る。
同時に療養費が家計を圧迫。資金不足もあり、研究所の設立を断念する。
1926年、熊弥療養費充当のため、「南方閑話」「南方随筆」「続南方随筆」の著書3冊を発行。
同年11月、摂政宮裕仁(のちの昭和天皇)に粘菌標本を進献(献上)。
1929年、昭和天皇(天皇は植物学者であった)を神島に迎え、軍艦長門艦上で、進講
(授業)し、粘菌標本を再度進献。
1931年、岩田準一と男色をテーマに文通をはじめる(1941年まで)
1932年、昭和天皇に3度目の粘菌標本進献。
1941年、12月29日、享年74で死去。
いろいろと長たらしく、熊楠について語るよりも、この年譜が何か伝えるもの
があるだろうと思い、「南方熊楠 森羅万象を見つめた少年」(岩波ジュニア新書
268 飯倉照平著)巻末の略年譜を参考に、まとめてみました。
この譜から分かるのは、山あり谷ありでも当時留学するほど家庭が裕福だったこと。
アメリカとは性が合わなく、奇人の国イギリスに渡り、そこでもアカデミックなシステムからは
外れた部分で学問をつづけたこと。帰国してからも(年を取っても)、
けんかっぱやい学問人らしからぬ部分があり、驚異的な植物の採集・研究生活に没頭し、
在野の学問人として名誉や金を求めず一生を終えたこと、でしょうか。
熊楠に関してはさまざまな書籍が刊行されています。
このページを読んで、熊楠に興味を覚えた方は、
なにか1冊手にとってみるのも一興かと、思います。
2001年2月22日 ウツボカズラ
おすすめの1冊
「南方熊楠 森羅万象を見つめた少年」(岩波ジュニア新書268 飯倉照平著):分かりやすいです。入門編。
「猫楠」(角川ソフィア文庫 水木しげる著):マンガです。おもしろおかしく熊楠をお知りになりたい方に。