越美晴 少数派の新音楽環境
古いレールは錆びてるから、新しい道が作られるいいチャンスだと思う。
収録 :細野晴臣 「音楽少年漂流記」 新潮文庫 1988年刊
掲載 :「朝日ジャーナル」 朝日新聞社 1987年刊
子どもが活躍してる日本
細野 「いま、いちばん好きなミュージシャンは誰ですか」
越 「マイケル・ジャクソン……。スタイルいいしね。
何よりも粋な感じが残っているから貴重な存在だと思います」
細野 「越さんにとって粋とはどういうことですか」
越 「自分で自分をコントロールして作品を発表していけること。
作品をつくるときには、少しがまんしなくちゃいけないでしょ。
出せばラクになるんだけど、それは人に向けて出してはいけないものだと思うんです。
アーティストって二通りいますよね」
細野 「発散するタイプと抑制するタイプとね。労働者が汗をかいているような、
ブルース・スプリングスティーンみたいなタイプがいまもてはやされてるけど、
マイケル・ジャクソンは、もとをたどればフレッド・アステアとかジーン・ケリーとか、
ああいうコントロールされた抑制派だよね」
越 「私はフレッド・アステア、大好き。いつも最良の部分だけを表に出してくる。
どんな激しいステップもクールに踊ってみせるでしょ。一種のダンディズムを感じるなあ。
あんまり素敵でタップを習い始めてしまったからね」
細野 「アステアは全身の芸でしょう。マイケル・ジャクソンも全身の動きだよね。
日本で欠けてるのは全身の芸、全身の動きですよ。音楽でも全身の音楽が欠けている。
いまの日本の芸はアップの芸でね。越さんも、全身の芸を見ないと伝わってこない。
それは動きなんですよ」
越 「ステージでのおかしな動きのことを言ってるんですか」
細野 「そうです」
越 「日本の音楽界はむずかしいと思う。やっぱり特殊でしょ」
細野 「子どもが活躍している国だからね」
越 「テレビやビデオだから、子ども使うほうがかわいいですよね。
でも、32インチのテレビにアップになれば、顕微鏡のようなもんでしょ。
ふだん見えないシワも見えてくる」
細野 「それを乗り越えていくにはどうしたらいいんですか」
越 「整形かしらね(笑い)」
細野 「マイケル・ジャクソンね。そういう手があったか(笑い)」
越 「でもね、年をとるというのは、女の子にとって、すごく残酷なことなんです。
いい歌を歌うとか、いい年のとり方をするとか、いろいろ言うけど、やっぱり表皮の
美しさには勝てないところがあると思うの。私はそれをすごく感じる。それは、テレビだけですけどね」
細野 「でも、ぼくが見てる越さんは、それ以上に音楽が好きだという印象がある」
越 「音楽は好きですね。それに私、ミュージシャンにはめずらしく、お稽古好きなんです。
「お稽古好きのみーちゃん」ってよく言われる(笑い)。もともと歌は習ったんじゃないんですけど、
ダンスのレッスンを続けていたりしていて、習うことがすごく好きなんですよね。
細野さんはいないでしょ、先生が」
細野 「ぼくは幸か不幸か、先生いないんだよね。最近、カヤグムの先生ができたんだけど……。
それで、音楽への情熱が越さん自身をかなり救っていると思う。見てると気迫を感じることがあるんです。
いまの音楽界はその気迫が非常に少ない。音楽を健全な方向に持っていくような探求心、冒険心が
越さんには見受けられるんですけどね」
越 「結局は、音楽を通していろいろな事を考えてしまいますね。年齢のことも考える。
しかし、やっぱり考えてない」
細野 「すごく若く見えますね。子どものように見えますよ。ところが以前の写真なんかを見ると、
非常に大人っぽく見える。幼児退行症のような印象を受けるんだけど(笑い)。そういうことを
音楽の中に表現していかないんですか」
越 「やりたい気持ちは、半分くらいあります」
細野 「ぼくはそれをぜひリクエストしたいね。ところで、越さんがNHKの夕方のテレビで、
ピアノ弾いて跳びはねていたのは何年前ですか」
越 「あれは七年ぐらい前。一年間ほどやってました」
いわゆるアイドルのころ
細野 「いわゆるアイドルでしたよね。そのころ、自分ではどういう意識だったの?」
越 「私は昔から、ことごとく自意識に欠けるんですね。自意識がすごく強そうに見えて、実はない。
そのころというのは、ほら、いい時期じゃないですか。十九とか二十とかって、若くてかわいくて、
それだけでひとつの魅力みたいな時期でしょ。それを私は利用できませんでしたね(笑い)。
惜しいなといつも思うんですけどね。とにかくボ―ッとしてて、なんかよくわからないの。
アイドルだと思われてることすらわからなくて、何が起きてもほんとうにわからなかった」
細野 「どうなってるんですか(笑い)」
越 「自分がテレビに出てるんだということがよくわからないんですね」
細野 「それがある時期、突然変わったわけですね。実を言うと、ぼくは越さんを知らなかったんです。
印象がないんですよね。越さんは、YMOというのを知ってました?」
越 「はい」
細野 「どう思ってました?」
越 「カッコいい」
細野 「そのころ越さんがつくってた音楽とYMOの音楽はずいぶん違いますよね。
何か共通点、ありました?」
越 「それまでピアノで曲を書いてたんですけど、すごくつまらなくなたの。
「シンガー・ソングライター」という言葉も、「ニューミュージック」という言葉もすごく嫌いで、
詞の世界も恋愛の歌とか個人的な感情が多いでしょ。それをむき出しにするのが耐えられなかったですね」
細野 「最初、『ラブ・ステップ』という曲がヒットしたと思うんだけど、あとで詞を読むと、かなり大人の歌ですね」
越 「でもあれは、子どもの発想。中学生ぐらいからシャンソンが好きだったから、フランスの詩とかを
中心に読んだりしてたんです。その影響。人生を悟った感じが好きだったんですね。恋愛をするとか
恋をするとかいうんじゃなくて、「人生だ」という表現が好きだったんです」
細野 「でも、クサい感じがしますね(笑い)」
越 「シャンソンの世界は、たとえば女の人が恋を失って、人生をさめて見てる歌とか、
とても多いんです。そういうのカッコいいなと思ってたんですね、十代のころは」
細野 「普通、シンガー・ソングライターというのは、わりと現実の日常生活を素材にして歌にするでしょう。
ところが、越さんは最初からフィクションですよね。文学的な世界を表現しようと思ってたんですか」
越 「そうです。そこで初めて無理が出てきてしまったんですね」
細野 「理解されなかったということ?」
越 「そう」
細野 「ぼくから見ると、誤解されてる印象があるんです。本人みずからが生んできた誤解だと思うんだけど、
いまだにその誤解を解いてない。昔の、ピアノ弾きながら跳びはねてたイメージが強いわけでしょう」
越 「いろいろな人にもう必ず言われる。何年か前までは、そのたびにすごく悔しかったのね」
細野 「なぜ悔しいんですか。知っててもらうというのは、すごくいいことじゃないですか」
越 「変化しないことも、すごく変化していくことも、両方とも面白いんだけど、私はどんどん変わっていくタイプの
人間だと思うんですね。人ってどうして何年も前のことをしっかり覚えているのでしょう。私には不思議なんです。
たとえば、細野さんが髪の毛長かったという印象は全然ないわけでしょ、多くの人に」
細野 「昔の写真だすとびっくりする」
越 「そういう印象が私には全然ないじゃない?最初に成功した形をいつまでも人は覚えてるんです」
細野 「ぼくの場合はYMOのテクノカットですよ」
越 「よかったですよね。それまでにすごくたくさんの時間があって。私は、子どものころでボーッとしてて、
普通にかわいいんじゃなくて、なんか変だったんです」
細野 「つくられたというか、頭でっかちという感じがする」
越 「つくられているようで、つくられてなかったの。ヘアスタイルもヘアメイクもなんにもなくて、
自分でつくった曲を出して、そのままテレビに出なさいと言われて出ちゃっただけで。
歌謡界のアイドルは、きちっとつくられてから出ていくでしょ。そこが全然違いますね」
細野 「非常に無防備ですよね。そのボーッとしてた時期から、
いまのように意識が少しはっきりしてきた時期というのは、いつごろだったんですか」
越 「NHKのレギュラーが終わるころには、ほとんど苦しかったですね。だからデビューして一年ぐらい。
それからはシンセサイザーを買ったり、デモテープをつくったり……。
二枚目のレコード、六年ぐらい前ですけど、シンセサイザーをいっぱい使って、
聴いた感じはすごく無機的で、テクノっぽいかなという感じのレコード出したら、
ファンがいっぺんに離れていったんですね。
そのころはYMOを除いては、ピコピコしてるのが非常に不思議だった時期だから」
細野 「そういうレコード出したんですか」
越 「知らないでしょ。それで周囲も大変になりました」
細野 「スタッフに見放されたわけですか」
越 「まだ見放さないの。このまま好きな音楽をやってしまうのではないかといういらだちですね」
細野 「好きな音楽をやっちゃいけないんですか」
越 「彼らにとってはね。それを趣味の世界という」
新しい音楽環境の予感が
細野 「自分で曲をつくれる、歌えるというのは、自分から行動を起こせるということですよね。
そういう才能が自分にあると確信したのはいつですか」
越 「自分でアレンジするようになってから。デモテープをつくるとき、次から次へとできる不思議な時期が
あったんですね。リズムマシーンを使うのがすごく面白くて、ものすごく世界が広がっちゃったの。
それまではメロディーと詞とピアノだけの世界だったけど、全部の音を組み立てるほうがずっと面白くて」
細野 「全体の音を考えていく人は、女性のミュージシャンでは少ないよね。
もっと内容のほうの表現にこだわっていくでしょう。越さんにとって同世代感覚を持てる人たちは、
たとえば同じ時期にデビューした人たちは、いまどうしてるんですか」
越 「半分くらいやめちゃったと思います。やってる人もいっぱいいるんだけど、ニューミュージックが
カッコ悪くはやってて、いまだに続けてる人は、あのころと表現方法が変わらない人。だから、あのころ
一緒に始めて気持ちが通じる人って、一人もいないんじゃないかな。それに、私のレコード買ったり
コンサートに来てくれる人は、ほんとに新しい人。ここ三年ぐらいのレコードを聴いてとても好きになった
という人ばっかりで、昔から聴いてる人は皆無といっていいんじゃないかな」
細野 「たしかにいま、メディアに乗ってくる情報以外のところで、非常にわかりにくいけど、
何かが起こってるという感じがする。その一部も越美晴という存在もある。
ぼく自身白紙に戻って、何か新しいことができるという漠然とした希望があるんです。
ところが、一般的にはメディアに乗ってこないとそういうことはわかりにくいよね」
越 「でも私、いままでのレコードを売っていくシステムが崩壊しつつあると思ってるわけ。
まずレコードが売れないじゃない?いままで売れてた人だってそんなに売れないでしょ。
だから、自分が表現していく方法も含めて、売っていく方法を変えなきゃいけない時代だと思ってるんですね。
古いレールは錆びてるから、新しい道がつくられるいいチャンスだと思う」
細野 「それは大企業のトップが持っている意見と同じなんだよね」
越 「そうなの? 私は偉いのかな(笑い)。
だけど誰もが、いい音楽を聴きたいし、いいものが見たいと思ってる気持ちは変わらないと思うのね。
たとえば芝居でも、新劇が面白くないじゃない? そしてすごく小さな劇団が面白かったりするでしょ」
細野 「ぼくも小さい劇団は見に行きます。面白いから」
越 「それは商業演劇とはまったく別でしょ。かけてるおカネも全然違うし、収入になるおカネも全然違う。
でもいいんですよね。そっちのほうが情熱があって。いま、そういう時代のような気がするんです。
そんなに目立たなくても、少しずつ続けていって、それで土台をつくっていく時代のような気がする」
細野 「それは直感的にそう思うんですか」
越 「自分でコンサートやっていてわかったところが少しあります」
細野 「たとえば、越さんが今年(一九八七年)出した『echo
de MIHARU』というLP、
あれはほとんどノー・プロモーションだったよね。結局、どれくらい売れたの?」
越 「わりと売れたんです。一万枚くらい売れてしまったんですね、これまでに」
細野 「いまの音楽業界で、ノー・プロモーションで一万枚というのは驚異的だよね」
越 「そうですね。どうしてか、私もよくわかんないんだけど」
細野 「やはり、何か違うことが起こっているという印象を受けるね。いままでと違う流通というか。
つまり、人と人とのミニマムな関係で伝わっていくものが、いま大事だということかな」
越 「そうだと思いますね。いまはまだ商業的に成り立たないんだけど、
いつかそれが商業的に成り立つくらい大きくなれるんだという予感がするんですが……」
細野 「ひと昔前のミュージシャンはそんなこと考えなかったよね。
みんな自分の音楽のことだけ考えてればよかった」
越 「普通の感じがつまんないでしょ、いま」
細野 「普通の感じって?」
越 「コンサートするんでも、スポンサーがついて、ものすごくおカネがあって、いい劇場でやって、
でもつまらなかったという感じなんですよ。私、劇場のことにすごく敏感なんですが、自分がやりたいなと
思う劇場があって、そういう劇場でやってる商業的な催しものが、すごく年をとってしまっている」
細野 「その感じはよくわかります。自分に気に入った劇場を借りられるおカネがあろうとなかろうと……。
ところで、越さんはどうやって生活してるんですか(笑い)」
越 「私は魔法のように生活ができてますね。自分でも不思議なんですけど」
細野 「普通、切羽詰るとスタジオに入ってアレンジやってみたり、
歌謡界でツアーに回ってみたりとかするでしょう。
そこまでして音楽界に食い入っていこうという気持ちはないわけですか」
越 「どっちでもいんです。曲を依頼されれば書くし。
また、曲を書いてみたいなと思う人がいたりもするんだけど、
それ以外はあんまり自分から動こうという気持ちはありません」
細野 「ダンディズムですね。自分を売り込んでいくのが恥ずかしいんでしょう」
越 「できませんね」
細野 「でも、上昇志向がないとダメだよね。それはどう消化してるんですか」
越 「曲を書いたり、ステージを作ることですね」
細野 「自分の作品の中で消化していくわけですね。それは作品の完成度に向かっていくということだね」
越 「はい。自分で面白いと思えないことをしちゃうとガックリきますから」
細野 「ところで、『echo de MIHARU』では、
三〇年代のアメリカとかヨーロッパの音楽を再編成したわけだけど、
次もまたそういうことをやりたいと思いますか」
越 「もちろん。このレコードで私は、歌い手としての意識を初めて持ったんです。
いままでは自分で全体的な音楽をつくって、いちばんあとから歌がくっついてたの。
自分では音を組み立てることのほうに興味があったのね。でも、ただ歌を歌っていくことも、
すごく面白いことのひとつになっちゃったの」
ビート離れと国外脱出
細野 「では、次回のアイデアを聞かせてもらえますか」
越 「次はね、オーケストラとやるの。自分でスコア書いて」
細野 「いままではシンセサイザーでつくってたわけだよね。
それが今度は生のオーケストラを使うということ?」
越 「はい。生のオーケストラでLPを一枚作ってみたい。音楽会をやるときも、
オーケストラと一緒にひとつのステージをつくりたい。ドラムがいて、ベースがいて、
ベースがいて、ギターがいて、というのは飽きてしまった。いまのビートって古いよね」
細野 「オーケストラを使うということは、現代のビートからはずれてるわけだよね。
つまり、越さんはビート離れが始まってるわけね」
越 「六年くらい前にリズムマシーンを買ったころは、すごくカッコいいと思ったわけ。
こんな面白いものはないと思ったんですけどね」
細野 「ロックのビートだよね。ギター、ドラム、ベースが見えてくる音楽に飽きちゃったという感覚は、
実は音楽の歴史にとって大事なことなんです。ぼくが生まれて四十年、ロックンロールが生まれて四十年。
ロックンロールの退潮もよくわかるんです。ロックよ、ご苦労さんという感じがある(笑い)。
金属疲労みたいなものでね。ロックの魔力はもうない」
越 「リズムボックスからずっと流れてても、ビートがない音楽ってあるじゃない?
聴いても踊り出したい気持ちにならない音楽が、いちばんこわいの。
ダンスしたいと思える曲が、どんどん少なくなってきちゃってるんですよね」
細野 「ビートの壁を打ち破っていく姿勢というのは、まだまだ当たらし過ぎることだよね。
越美晴の中にある精神速度と、いま生きてる社会の速度にズレがあるわけ。
でも、これはある種の啓示で、それを続けることによって、何となくいいことがありそうだね。
自分は大スターになれると思いますか」
越 「それはいつでも思ってることに決めてるの(笑い)」
細野 「外国からファンレターをもらうという話を聞きますけど、
ヨーロッパではレコードが出てるんだよね。どんな内容のファンレターですか」
越 「ドイツとかオランダとかフランスとかロスとかからもらうんだけど、歌い続けてほしいという
手紙がすごく多いんです。ヨーロッパには低い声で上手に歌うシンガーはいっぱいいるけど、
私のように高い音域で歌う人はいないって」
細野 「自分は日本人だという気持ちは、ありますか」
越 「あんまりない。音楽をつくるうえで、日本も外国も関係ないんです。どこでやっても同じだなという感じがある」
細野 「活動の場を外国に持っていくということも考えられるんですか」
越 「そうしてもいいなという気持ちは持ってます。東京はいろいろなことで便利だし住み慣れてるけど、
ほかの国に強烈な魅力があるなら、行ってしまおうと思っています」
細野 「ヨーロッパのレコード会社から非常に熱意のある誘いがあるでしょう」
越 「はい。ドイツとフランスからお話があって、いま検討中なんですが……」
細野 「ぼくは真面目な話、越さんは外国に出ていく人の一人だと思ってるんです。
アイドルから脱落していったのは、日本の音楽の枠から脱出していったということですよ。
日本での枠にはまらないんです。脱出していく方向は、地球に大きさになっていくわけですよ。
ミュージシャンの自由な姿はそこにあると思う。
だから越さんが、二、三年先にどうなってるか、ぼくは非常に興味があるんです。
さて、ここで言葉遊びをします。「森のイメージ・テスト」です。緊張してる?」
越 「すごい緊張してる」
細野 「発声練習でもしてください」
越 「♪トーキョーゼロサーン……(笑い)」
細野 「では、いきます」
森があります。どんな森ですか
越 「美しい、深い、緑の森。ビロードのような」
細野 「家があります。どんな家ですか」
越 「石でできたお城のような家」
細野 「ヨーロッパ風の家ですね。近代的なものではない」
越 「はい。古い」
細野 「なかに人がいますか」
越 「いるんだけど、私がそこに入ったときには姿は見えない」
細野 「そこに寄っていきますか」
越 「もちろんです」
細野 「動物と会います。どんな動物ですか」
越 「リスでしょ。バンビでしょ。それにミッキーマウス」
細野 「ディズニー映画の『白雪姫』みたいに遊ぶんですか」
越 「はい」
細野 「森を歩いていくと、湖に出ます。どんな湖ですか」
越 「きれい。透明。水が動かないという感じの湖」
細野 「大きさはどうですか」
越 「わりと大きいです」
細野 「危険な感じがするんですか」
越 「しない」
細野 「水の中に入っていこうと思いますか」
越 「水には入らない。泳がない。でも、泳ぐことができるくらいきれいな湖」
細野 「向こう岸が見えますか」
越 「ふたつイメージがあるのよ。ひとつは、霧が立ち込めていて見えない。もうひとつは、
とてもはっきり見えている。天候とか時間によって見えたり見えなかったりする」
細野 「いまはどっちですか」
越 「いまは見えるの」
細野 「向こう岸に行くにはどうしたらいいですか」
越 「回るの。湖のまわりを歩いて行く。ボートもあります。でも、歩きます」
細野 「道があるんですか」
越 「はい」
細野 「ラクに向こう岸に行けるんですね」
越 「大きい湖だから、すごく時間はかかる」
細野 「危険はなくて、のんびり歩いて行くわけですね」
越 「はい」
細野 「向こう岸に着くと、鍵が落ちています。どんな鍵ですか」
越 「手のひらぐらいの、真鍮の板がついた鍵」
細野 「その板はどんな意味があるんですか」
越 「たぶんキーホルダー。普通の、部屋を開けるような鍵」
細野 「電子ロックみたいな鍵ですか」
越 「ううん。古いの」
細野 「それを拾いますか」
越 「はい」
細野 「その鍵は何に使うんですか」
越 「あんまり意味がない」
細野 「壁があります。どんな壁ですか」
越 「古い城壁のような壁ですね。でも、見切れちゃうのね。両側が壊れてて」
細野 「それを越えるにはどうしますか」
越 「越えるのはむずかしい。横から行っちゃうのがいちばんラク」
細野 「向こう側に行くと、どうですか」
越 「まったく違う感じ。まず気温が違う。いままでいたところは、とても快適なの。
普通に生活できるの。向こうは冷たい。一瞬寒いの。
それからあとはちょっとわからないけど、瞬間的に冷たい空気を浴びてしまうというか」
細野 「それは気持ちいいことなんですか」
越 「きれい。こわい」
細野 「引き返しますか」
越 「いいえ、どんどん行く」
細野 「これだけなんですけど、越さんとは過去何回かこの遊びをやったことがあるでしょう」
越 「はい。二、三回」
細野 「わりと変わらないんですね。森はいつも美しくて深くてヨーロッパの森を思い出すでしょう。
ビロードという形容詞は、越さんがつくってる曲に近いですよね」
越 「はい」
細野 「非常に固定した観念に思えるのね。こだわっているものがあるという感じがする。
森は世界観をあらわし、家は家庭観をあらわします。家も森と密接につながっていて、
いまの日本の現実とはかけ離れてる感じがします。歌の世界に近いですよね。
動物というのは異性のこと。ところが、リス、バンビというと非常に幼児的ね。
異性=他者というより自己ですよね。自分。ディズニーが好きなんですね」
越 「好き。でも、ミッキーマウスを日常に生活の中まで連れ込もうとは思わない。
そういう好きさじゃないんです。映画の中とかディズニーランドの中にいると、年をとらないで、
かわいくて、幸福な感じがするのね。そういうところの幸福感としてすごく好きなの」
細野 「ディズニーランドに行ってそう思ったんですか」
越 「行ったときに決定的になりましたね」
細野 「非常に子どもっぽいというか」
越 「はい。自分でも子どもっぽいと思います」
細野 「湖は未来観なんだけど、それも固定的ですね。絵のような世界。写真というか。
そこで唯一動いているのが時間なんだけど、
気候、温度、風とか、そういうものが日常の生活の中でどんな位置を占めてるんですか。
音楽作っている自分と、自分を取り巻く環境のギャップは、どのように感じていますか」
越 「あまりそういうことに影響されないような気がしてる」
細野 「雲が流れることとか、そういうことに感受性が開いたと前にどこかで発言していたでしょう。
いま言ったことはそれと違いますよね」
越 「曲を書いたりとか詞を書いたりするのは、全然別なんです。それは昔からそうなんだけど、
書いたりつくったりするのはいちばん好きなんですね。天気は別にして、つくろうと思うとつくってしまうんです。
風がきれいだとか空が美しいとかいうこととはまた別なんですね」
細野 「ということは、いまやってる「森のイメージ・テスト」は、自分の作品のほうの感覚が出てきてるわけですか」
越 「そうですね」
細野 「鍵というのは物質感覚。これも音楽の世界についての話だと思うんだけど、
たとえばレコードをつくっても、結果がどうだろうといいと思ってますか。それとも非常に重要だと思いますか」
越 「結果って?」
細野 「レコードつくった成果ですよ」
越 「つまり、ひとつの商品としての価値ですか。それがあるとラクになりますよね。
でも、あんまり考えないの。考える人ってうまくいっちゃったりするじゃない。
いつか成功するぞと思ってやってる人いるでしょ。でも、それは考えようと思わないし
考えないことですね」
細野 「つまり、売れ行きにはこだわらないということですね。壁もそうです。廃墟、城壁……。
みんな森からずっとつながってるんです。この中で気温だけが唯一異質なものなんですね。
結局、いまの状態が快適であると思ってるんですか。いまの気温が快適という答えがあったけど」
越 「リスやバンビと遊ぶにはちょうどいいと思うけど……」
細野 「でも、そこから飛躍したいと思ってるんでしょう?」
越 「はい、そうですね」
●こし・みはる 1960年東京生まれ。クラシック音楽に囲まれた環境に育ち、
三歳よりピアノを習う。中学時代に聴いた越路吹雪のシャンソンが転機となり、
'78年、オリジナル作品の『ラブ・ステップ』でポップス界にデビュー。以後『BOY
SOPRANO』等、
数枚のアルバムをリリースするが、'87年に発表した『echo
de MIHARU』が好評。
この間、海外でもレコードが発売されている。また、解散した劇団・東京グランギニョルに役者として出演。
このほかエッセーや小説などもこなす。
●ほその・はるおみ 1947年東京生まれ。立教大学社会学部卒。'69年に『エイプリル・フール』で
レコード・デビューして以来、常に日本のポップスの第一線に立ち、はっぴいえんど、ティンパン・アレイ、
YMO等で斬新な音楽活動を展開。内外のアーティストに多大な影響を与えてきた。この間、ユニークな
新人を発掘すると同時に、歌謡界にも数々のヒット曲を提供。'83年には日本作曲大賞を受賞した。
'84年、YMO散開。'85年『銀河鉄道の夜』、'87年『源氏物語』とアニメ映画の音楽を担当。
現在、ジャンルを越えた幅広い活動を続ける一方、久々のソロアルバム制作に入った。
主なLPに『泰安洋行』『はらいそ』『COCHIN MOON』『パラダイス・ヴュー』など多数。
また著書に『地平線の階段』、共著に『観光』『技術の秘儀』などがある。