[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

テクノ・マスター伝説 細野晴臣

聞き手 小川功

ぺヨトル出版 「銀星倶楽部11 特集 テクノ・ポップ」掲載 1989年7月31日発行


―YMOまでは細野さんに対して、はっぴいえんど以降一貫してアメリカン・ミュージック・オンリーのような
印象が強くて、細野さんのファンとしてはヨーロッパの暗い音楽なんか聴いちゃいけないのかなんて
思ってたんです。だから細野さん=アメリカン・ミュージックと思い込んでいた僕達にはYMOはショックでした。
まあその途中にエクゾティック・サウンドがありましたけれども。

細野「エクゾティック・サウンドも今やっとブームなんだよね(笑)。マーティン・デニーが売れたりして。」

―そうですね、10年目にしてやっとという感じですね。ヨーロッパの音楽というかクラフトワークあたりを
お聴きになっていた時期というのは、いつぐらいなんですか。

細野「やっぱり、70年代の終りにアメリカの音楽が僕にはつまんなくなって、聴くべきものもなくなったし、
見えちゃったんですね。その先も、未だに見えたとおりに進んでいて、新しい発見が全然ないんです。
でも、ヨーロッパには古いものから引っ張りだしてくる、なんかの力があるんです。当時はそういうことを
余り考えなかったけれども、ドイツだったらシュトックハウゼンみたいな人とか電子楽器の先端がそこに
発生したり、そこからクラフトワークが出てきたり、そういう奥の深さが刺激的だったんです。アメリカは
けっこう保守的なところで、新しいものが出そうで出ないところなんです。クラフトワークもYMOと同じように、
アメリカでは一部のマニアの手本みたいになってるんです。だから成功しているとは言えませんよね。
クラフトワークを聴いたのは、好きな人に比べたら遅いと思いますよ。たぶん『アウトバーン』からだと思います。」

―最初にああいったテクノのリズムを聴かれたときはショックがあったんですか。

細野「そうねぇ、あった。すごい、あった。」

―コンピュータを使っているというのを知ったのは。

細野「クラフトワークも最初はコンピュータを使ってなかったみたいだけど。」

―そうなんですか。じゃあシンセサイザーを使っていたという感じなんですか。

細野「簡単なシークェンサーのシステムがあったのかな。」

―クラフトワークみたいな音を出してみたいと思われたのは、具体的にいつぐらいなんですか。

細野「以前にスライ&ファミリー・ストーンが『フレッシュ』あたりを前後して、エーストーンのリズム・ボックスを
使ってたんです。アメリカではファンクの連中がリズム・ボックスを使いはじめていて、僕もエーストーンの音が
好きだったから、なんかこう魅かれるものがあったわけね。エーストーンにはマンボとかルンバとかプリセットの
リズムがプログラムされていて、自分では作れないんです。結局それが原体験ですよね、最初のテクノ経験かも
しれない。そういうふうにずっと興味はあったから準備は出来ていたわけです。」

―エーストーンはジャスト・タイムのリズムだったわけですけれども、コンピュータでノリやリズム以外の楽器も
演奏できるということが分かったのはいつぐらいなんですか。

細野「僕はリズム・ボックスしか頭になかったんだけれど、そういうことが急激に起こってきたんです。
冨田勲さんがコンピュータを使いだした頃かな。前後して、松武秀樹さんが脚光を浴びてきたわけです。
冨田さんのコンピュータのオペレーションを全部やっていたという人だから、これはすごい人がやってきたなーと
思いました。そこで初めてMC-8というコンピュータを見て、『ああもう、リズム・ボックスはいらないや』と
思ったんです。」

―MC-8のころクラフトワークと同じノリを使っているというように聞いたんですが。

細野「どういう意味で。」

―4分音符を44のステップに分割して、それを11×4ではなくて11+10+11+12のようにすると同じになる
というような。

細野「ああ、それはクラフトワークを研究したというわけではなくて……。」

―テープでミリ単位の長さを計ったり、ディジタル解析みたいにしたのかと思いました。

細野「そんなことしたことない(笑)。ただ単に肉体感覚でノリを出したかっただけで、ちょうどその前に、
ニューオリンズのファンクとか古いロックンロールやリズム&ブルースのもとになっているリズムが
気持ちよくて、それはブギウギなんですけど。そのブギウギのノリの心髄を自分なりに知ったと思ったんです。
それを一拍子と言ってたんですが、それは肉体でしかつかめないだろうと思っていたんですが、コンピュータで
そのノリを出せるんじゃないかと思って、ズレというのが最初から気になってたんでいろいろズラしてステップ・
タイムを変えたりしてやってみたんです。
それで、一番いいズレというのがステップを1ステップずつ変えていくというものだったんです。
そのことだと思います。」

―それはYMOの他のメンバーも人も一番いいノリだと了解していたんですか。

細野「うん。あのね、みんな生演奏が好きだから、みんなでセッションするでしょ。
その時に一拍子のノリというのをやったんですよ。
それ以前にも一緒にキャラメル・ママをやっていたドラマーの林立夫と一拍子の練習をやってたんです(笑)。
肉体的なノリというのかな。そういうノリを知っていたからやってたんでしょうね。
それがなかったら、きっとコンピュータを使ってなかったと思うけれども。

―今ではそのノリも、安価なリズム・マシンで、例えば58パーセントのノリとかがプリセットされていますね。

細野「そうそう、リン・ドラムなんかもそうですね。あれで、もう充分ですね。ああいうクォンタイズみたいなことが
出来ればそれでそれ以上は追求しないでいいというか(笑)。」

―歌謡曲やアメリカのファンクでも同じような機材を使っていて、それでも日本の音楽は踊れないというのは
なぜなんですか。

細野「それは分からない、不思議なことだけど。アメリカでも僕もステップのズレにこだわっている人というのは
いないと思います。ノリに関しては、そういうところに秘密があるわけじゃないと思いますね。やっぱり、イマジネ
ーションというか、リズム感覚のイマジネーションの質の違いかな。

―原体験の違いがあるんでしょうね。

細野「そう、原体験が豊かじゃないと機械を使っても再現出来ないわけだよね。肉体感覚を使ってやらないと。」

―細野さんは日本人の中でもノリということが分かるというか、ずいぶんリズム感のいい人だと思いますが、
それは少しずつ培ってきたものなんですか。ある日ポンと分るものではなくて。

細野「それはそうですね。生まれたときからの。」

―リズムだけではなくて、音楽を作る作業が、最初は曲を作ってそれをスタジオで録音していたわけですが、
ところがテクノになると作りつつ演奏しつつというふうに方法論が随分変わっていったのではないかと
思うんですが。

細野「そう、一番変わったのは制作費が高くつくことだよ(笑)。それがジレンマなんですよ。
YMOというのはある程度ワガママが許されたバンドなんですね。全部スタジオで録ったんです。
スタジオ以外で曲を作ったということはないわけです。」

―その時に音楽は頭の中で鳴ってるんですか。それを現実化させるために録音するというか。

細野「そういう時はすごく調子がいい時というか、健全な時。というか前向きな時だよね。
そういう時はあんまりないよね(笑)。だから、通常はどうかというと音を出して、それに刺激されて
作っていくということの方が多いんです。だから頭スッカラカンでスタジオに入って、リズムからまず
刺激を受けて(もちろんそのリズムも自分で作るんですけど)、その中で自分の創造力を刺激する
リズムがあればそれに関わっていくというやり方です。そのリズムを発展させて曲までに作っていく
という方法が多かったんです。」

―最初にYMOでレコーディングされたのがマーティン・デニーの「ファイア・クラッカー」だったわけですが、
エクゾティック・サウンドとテクノの関係」みたいなものはあったんでしょうか。

細野「今言った曲を作るときにリズムの刺激というのは肉体感覚ですよね。踊りという人間の本能みたいな、
ダンス・ミュージックみたいな部分を自分で刺激していって、エクゾティック・サウンドの刺激というのは非常に
知的で抽象的な刺激だと思うんですけれど、それがつまりコンセプトということで、知的な遊びですよね。
それのエスニックという人間の感覚でしか捉えられないような有機的なサウンドと、テクノという無機的なものを
結び付けたらどうかな、というのも知的な遊びですよね。刺激ですね。」

―世界には秘境や辺境などなくなり、メディアの発達によってどこへいっても同じようなTV番組、音楽を
聞くようになる。そしてそうした同じ地平に立った人達にとっての共通言語、共通の新しい音楽や楽器としての
シンセサイザーやテクノ・ポップが可能になるという発想が、YMOの頃にあったと思いますが。

細野「そんなこと言ってたっけ(笑)。僕が思ってたのは、コンピュータやシンセサイザーを使っていると
クセがなくなってくるのね。楽器に対する手癖とか。プログラムをするわけだから知的になってくるわけです。
ということは伝統からパッと切り離されて再構築しなければならない。そこで各国の人たちは自分の依って
立つ民族的な伝統や個性を再検討しなければならない。でも、同じような音楽になっちゃうかもしれないけれども
同じ手法を使って、その上でより自分の個性を出さなくちゃならなくなるでしょう。そうしないとますますつまらなく
なっちゃう。今がそういう時期だと思うんですけれどもね。」

―テクノ・ポップ以前にフュージョンの流行があって、音楽はテクニックであるというような風潮が強かったのが、
テクノ・ポップはシンセサイザーによって誰にでも思ったような音楽を作ることが可能だという、アンチ・テーゼ
みたいなかたちで出てきました。それに安価なシンセサイザーやコンピュータなどの発達で誰でもミュージシャン
になれる時代になってしまいましたが、これには弊害もあったのではないでしょうか。

細野「いい面もいっぱいあると思うの。音楽教育を受けていない人で、しかも大人になるまで自分の才能に
気がつかずにきちゃって、聞くのは好きだという人ね。そういう人は何かのきっかけがあれば、自分の中の
そういう才能を出して行けるわけだけれども、いままでは不幸なことに楽器が弾けないということは汚点だった
わけでしょ。そこにコンピュータとかシンセサイザーが出来てきて、自分だけで作れるようになったというのは、
天才を生むきっかけにもなったんじゃないかな。いままで出ることができなかったような天才が出てくる可能性が
用意されたわけです。そういう大事な、プラスの面を取り囲んで、まあ音楽をやらなくてもいい人までやっちゃう
という弊害も同じように出てくるという、いつも両面があるんです。」

―テクノ・ミュージックの進化みたいなことをについてはどうお考えですか。たとえばゲーム・ミュージックの
レコードもリリースされたわけですが、テクノ・ポップを純粋に継承したのがゲーム・ミュージックではないかと。

細野「ある雑誌では『僕は、もうテクノは飽きた』というふうに言ったんですけど。飽きてるには本当なんですよ。
その中でもアシッド・ミュージックというテクノの変形というか、そういうものに興味があります。

僕は、こういう想像をしてるんだけども、近い将来大きな変化、今までの文化の文脈を変えなきゃならない時期が
くると思ってるんです。無理やり変わっちゃうような時期がくると思うんですけれども、その前にどういう状況が
くるのかというと、今のようになかなか進まなくなって、その中でいろんな繰り返しが始まる。
無限のリピートが始まって、その中で同じものが形を変えて立ち現れては消えて行くと思うんです。
そんなかのひとつに僕にとってはアシッド・ミュージックがあるんです。
それはテクノという大きな枠でくくってしまうと、なんの変哲もないものになってしまうんですね。
でも、テクノという考え方はもう古いんですよ。
その古い考え方でいくとアシッド・ミュージックもテクノの成れの果てになってしまう。

たとえて言うなら、TR-808通称八百屋と呼ばれている楽器を相変わらず使っていて、これはもう骨董品だから
探すのが大変なものなんです。プレミアがついているぐらいのものだし、もうつくってないものだから。でもそうした
ものを捜し出して、ことさらに使っているわけです。おもにイギリスの若い連中がやりはじめたことで、非常に
アナログっぽい音のでるベース・シンセサイザー、今のシンセサイザーには絶対ついていいないレゾナンスを
多用して非常に古典的なシンセサイザー・ミュージックをやっているにも拘らず、非常にエキサイトするものが
あるんです。なぜだかわからないけれども。とりあえず、僕にとって刺激的で新しいから、なんか理屈を考えなきゃ
ならないんですけれども(笑)。


次へ