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アラブの音楽は日本人の文化的な破綻を刺激する

細野晴臣×あがた森魚

ミュージックマガジン 1989年3月号 掲載


イントロダクション


知らないうちからクロスしていた興味

細野「おととしくらいから、レコードをまた買うようになったの。やみくもにアラブ系の音楽を
ずっと聞いてたんだ。その時は、ライがなんだとかよく分からない。なにしろぼくは砂漠に憧れてたから。
同時に好きになった友達と情報交換しながら、こんなレコードがあるとか、それでファイルーズっていう
人を知ったり。

そのうちに去年の4月になって、たまたまテレビの取材の帰りに人を頼って、一人でパリに行ったんです。
その人っていうのは、いわゆるパリのエスニック・シーンで昔から活動してる重要人物マルタン・メソニエ
なんですけど、彼に会って、あちこち連れて歩かれてね。で、ライをその時に肌で感じたんですよね。」

あがた「今回ぼくもメソニエには会いました」

細野「あ、会った?」

あがた「よろしく言ってましたよ(笑)。ぼくは、「やぁやぁ、どうも初めまして」くらいの感じで。
『バンドネオンの豹』が渡ってたみたい。日本の民謡をやってみたい、というようなことを、すごく
強く言ってた。

ぼくは、去年の3月くらいに細野さんと話したら、そっちの方に興味があるとか、3ムスタファズ3とか…。
それで、「今度トルコの方に行くんだ」とか言ってて、あぁ、その辺が今の細野さんのアンテナなのかなぁ
と思いつつ、それはそれでぼくは忘れてたの。

そして今年『ミッキーオの伝説』っていうアルバムを作る時、その中で、少年が初めて映画を見るっていう
光景の曲を作りたいなと思ったのね。それは何の映画がいいだろうと思ってたら、なんだか知らないけど
『アルジェの戦い』の映画がいいんじゃないかなと思ったわけですよ。それは、今みんなに見てほしい映画
なのか、あるいは……そういう理由もない(笑)。なぜか「アルジェリア」という言葉、メロディが口をついて
出たわけ。

それで、ほんのちょっとしてから、マネージャーの和田さんが「゛ライ100%"ってレコードがあるぞ」
「なんだ、これは」とか言って。それは去年の4月か5月くらいだったんですね。それを聞いたら、もう
メチャクチャ面白かった。それがシェブ・ハレド(『クッシェ』)だったわけなんだけど。
それで、電車で海水浴行くのにいつもウォークマンで聞いてた。

だから、細野さんとは関係無いんだけど、でも、なんか知らないうちにクロスしてたみたいなとこは
あったかな、と」

細野「そうね。あがた君がエジプトとかアラブ圏の方に行ったって聞いて、ついに日本少年も
旅立ったと思って(笑)。4ヶ月くらい行ってたの?」

あがた「ちょうど4ヶ月行ってたんですよ。ほんとに無謀だよね。たったひとりで行ったから、完全に」

細野「ぼくはほとんどパリだけ。パリとその近郊の、いわゆる難民がワーッとたむろしてるところ」

あがた「いわゆる18区といわれるあたりね」

細野「そう。アルジェリアはぼくもオファーしたんだけど、もうめぼしいものは残ってないと
言われたのね。どうでした?」

あがた「ウーン。ぼくはねぇ、とにかく、ぼくたちの目の前ではライとか話題になっているかも
しれないけど、さり気なく一旅行者として行った時に、実際はアルジェリアではどういうものなんだろう
っていうことを知れたらいいなっていうのが、視点としてあったのね。

1976年にやっぱり、いかがわしいブームだったタンゴにイカれてて、一度タンゴの発祥したボカという
港地区を見に行こうと思ったんですよね。その時は、自分が子供の頃住んでた青森の港町とかを
イメージするものがあって、「ああ、やっぱりね、こういうところから出てきたよね」っていうものを
感じて帰ってきてね。だからそれと同じ何かを、せっかく世界旅行に行くんだから、仮にオランなら
オランっていう港町で、「なんでここでライという音楽ができたのかな」ということがちょっとは実感できたら
いいなと思って行ったんだけど、あんまりなかったですね。

ライの歴史とかもよく分からないんだけども、結婚のお祝いとか、そういう場で歌われることがほとんどで、
日本で言う民謡の聞けるライブ・ハウスが年中あるわけじゃない、みたいな感じだった。
一応、観光客向けのライの演奏やってるところは簡単に見つかったのね。
だけど、普段は普通のロックやってるんだけれども、
今こういうのがブームだからアルバイトでやってる、みたいな形のものしか聞けなかった」

細野「そういう意味で、アルジェリアには残ってないって言われることなんだろうけど。
スターがみんなパリに行っちゃったからね。」

あがた「でも、ちょっと「あ、ここがオランか」というのに触れて、帰ってきたていう感じでね。
エベレストの山頂にやっと登ったけど、記念写真とって帰ってきた、みたいなたぐいだったから(笑)。

どこにでもあるアジアと西洋の境

あがた「気持ちの中では、日本の音楽とアラブ圏の音楽、ペルシャの方からシルクロードを通って
日本にどのように形を変えて辿り着くことになったのかな、ということを、決して学術的にでもなくてね、
さり気なく触れられたらなぁ、みたいなこと、今回ぼくとしてはすごくあったから」

細野「だからわざわざ中国から入ってったわけね」

あがた「そう。遡っていく形にしたんですよね。とにかく、ことさら冒険旅行しようとしたわけじゃないんだけども、
全部地べたがほんとに繋がってんのかな、地球が丸いのかなぁみたいなことが自分で分かるとうれしいな、
というのがあったのね。だから、上海から北京行って、それから西安からシルクロード抜けて、奥地のカシュガル
まで行った。

で、中国からパキスタンに抜けるのに5月1日まで国境が開かないっていうことを知ってたんだけど。
でも、国境の近くに着いたのは4月中旬で、約半月間くらい、そこの国境の近くで足留め食った。
さらに国境が開いてから雪崩で4、5日、また足留め食ったりとかね」

細野「そこは冒険旅行だったわけね。」

あがた「そこが日本少年らしいの、うん。わくわくした。すごく。
そこから今度イランに抜けて10日…」

細野「パキスタン通ってイラン」

あがた「そうですね。イランは、ホメイニさんが亡くなる直前だったから、っていうせいもあるんだけど、
やっぱり町がすごいピリピリしてた。

で、西欧的なものへの憧れが自分の意識の深いところにあるから、中国よりはパキスタン、
パキスタンよりはイランていう風に、明るくモダンに感じるわけ。イランの町なんかパキスタンより
もっと綺麗だし、町のちょっとした装飾のデザインも「あ、綺麗だな、センスいいな」って感じがするんだけれども、
町の人が暗いのね。暗いですよぉ(笑)。

中国とかパキスタンなんかは、カセット・テープ屋さんが、
スピーカーが壊れんばかりにデケェ音出してんだけど、イランはないんですよ、音楽が町に」

細野「やっぱりイランはそうでしょうね。ほかのアラブ・イスラム圏はわりとおおらかなんだけどね」

あがた「だけど、中国の一番パキスタン寄りはウイグル自治区っていって、ウイグルの人達が、
少数民族いろんな人達が住んでるんだよね。その辺もイスラム圏だから、あの辺からもうすでにね、
「あ、アラブの香りだな」っていうのがじわりじわりと。そう、中国なのに、なんでアラブなのかっていう、
そのね。」

細野「混乱するのね。ぼくもね、イスタンブールからソフィア行ってパリに行ったんだけど、そのラインが面白くて。
イスタンブールの町を見慣れちゃうと、パリがイスタンブールに見えてくるのね。で、メインはやっぱり
イスタンブールっていう気がしちゃうの。そこに西洋的なものが付加されて、パリができているんじゃないかな、
とかそんな気持ちになっちゃった。

そういうグラデーションていうか、アジアと西洋の境っていうのはね、どこ行ってもあるわけね。
トルコに行ってもあるし、パリに行ってもあるし、まあウイグルにもあるだろうし。

ぼく行く前に、アラブ音楽以前にロココ時代に非常に興味があってね」

あがた「今度のアルバムのジャケットもロココですね」

細野「そう。ロココは悪趣味だし、ま、ラブホテルみたいなもんだしね(笑)、今あるロココっていうのは。
でも、やっぱりそのゴテゴテさに憧れてね。金銀とか、そういうものと非対称の造型とかね、
それのもとっていうのは、どうもアラベスクっていうか、アラブ的にしか見えない。ロココは、ほんとはパリが
中心なんだけど、パリの根っこ、ロココの根っこっていうのをどうしても感じ取りたかったのね。音楽ではなくて、
もともとはそういう好奇心があった。

たとえばイスタンブールの宮殿なんか行くと、ロココ以上のロココだったりとか。あそこはバロックでもないし、
ロココでもないんだけど、非常に圧倒されたんです」

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