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☆図書館にでも行きましょうか。☆
☆図書館にでも行きましょうか。☆


 最近ロクに更新していないので、又新たなコンテンツを立ち上げたりして。
 万年金欠な小手鞠萌はよく図書館に行く訳ですが、そこでよく借りる本の中でも、面白かったり資料としてなかなか良い物を紹介するコーナーです(安上がり)。
 因みに基本は“十九世紀”。本物のメイドさんが生きていた時代っすね。でも読んでいる本、かなり偏りあり過ぎです。しかも実はあんまり小説読まない事、バレバレ。大層なもんでは無いけれど、ある意味“裏ヴィクトリアン・ガイド”かも(^_^;)。


第一回〜第十回第十一回〜第十五回/第十六回〜第二十回/
第二十一回〜第二十五回第二十六回〜第三十回第三十一回〜第三十五回
第三十六回〜第四十回第四十一回〜第四十五回第四十六回〜第五十回
第五十一回〜第五十五回第五十六回〜第六十回第六十一回〜第六十五回
第六十六回〜第七十回第七十一回〜第七十五回第七十六回〜第八十回
第八十一回〜第八十五回第八十六回〜第九十回第九十一回〜第九十五回
第九十六回〜第百回

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資料をまとめてみました。
→メイドさんに関する資料・一覧表


第二十回(2004.05.17現在)
作者不詳、佐藤晴夫/訳『我が秘密の生涯 T MY SECRET LIFE』ルー出版
作者不詳、佐藤晴夫/訳『我が秘密の生涯 U MY SECRET LIFE』ルー出版
 第七回で紹介した『もう一つのヴィクトリア時代 性と享楽の英国裏面史』により発掘された、ヴィクトリア朝時代のポルノグラフィー。十九世紀中葉を生きたあるロンドンの紳士が、自らの性生活を子供時代から思い起こして書き記した小説です。
 何故か図書館にあったので借りてきまちた(^_^;)。良いのか? 内容は、赤裸々過ぎです。本当にヤリまくってます。でも文章は同じ単語の羅列ばっかりなので、その点以外と萎える。ある意味ではリアルですけどね。因みにこの話、まだまだ続いている様なんだけど、図書館には二巻までしか置いていませんでした。別の出版社から出ているのが閉架に幾つか置いてある様なので、そちらを借りて読もうと思います(でも全部揃って無いんだな、コレが。どーしてだろう?)。
 メイドさん関連ですが、この作者、結構メイドさんと関係持ってます。子供の頃から階下に入ってはメイドさんとヤっていて、大きくなっても親戚や友人の屋敷のメイドを誑し込み、結婚しても妻の目を盗んで家のメイドとイチャイチャしています。男性側の視点で書かれているのでバイアスが掛かっていますが、彼と関わりを持った下層の女性達のあけすけな態度や言動は、“お上品”であった当時の上流・中産階級とは生活様式が違う事を知らせています。又、当時の様々な階級の生活ぶりも書かれていて、興味深いです。『第三話 メイドたちとの思い出』では、チーズという『ぐるっと回って、ペチコートの裾をふくらませてさっとしゃがむダンスの動作』が紹介されています。

石川弘義『マスタベーションの歴史』作品社
 題名そのままな、しかしある意味に於いては近代欧州を語る上で欠かせない“性”にアプローチした書籍。十八世紀頃に発生した“反自慰論”の流れと、十九世紀に爆発した更なる“自慰への恐怖”の流布、二十世紀後半になって漸く解明し出した“自慰”の論理と精神学的な見地を、時代の流れから論じています。
 『自慰を行うと精神病に罹り、衰弱し死に至る』と当時は信じられ、故に自慰を行う事への恐怖が蔓延していた訳ですが、それはどうやら、中世から近代へと至る過程に於いて性病対策としてのスケープ・ゴートとされた様です。“反自慰論”者は、精液にこそ生命力が宿っており、無駄に使う者はその分健康を害していると考えた為、売春だけで無く、自慰すらも禁忌とした訳です。その中で語られる“自慰を行う事による害悪”の画一的な訴えは、それが結局はそれを禁忌とする人達の中でしか存在しない“ファンタジー”であるのは、後知恵ですが我々の目からすれば明らかでしょう。
 『第V章 ヴィクトリアン・アメリカのマスタベーション論』に、エレン・G・ホワイトと言う牧師の説教をまとめた『厳粛な訴え』が引用されていますが、その中で『女の子に対する教育』の一節に『女中から悪い影響を受けないよう気を配ること』とあります。当時のアメリカでも、性的な事柄はメイドさんなどが教えると考えられていた様子が伺えます。

バーン&ボニー・ブーロー、香川檀 ほか/訳『売春の社会史 古代オリエントから現代まで』筑摩書房
 今回は下方面からのアプローチのもんばっかり紹介していますが、こちらは“売春”を歴史的・学術的に論じた書籍です。非常に真面目に書かれており、売春と言うものが何故社会に於いて“問題”とされているのかを、売春が存在する諸問題が結局は二重規範にある事などと共に語られています。でも所々挿入されている挿し絵が、かなり露骨なものばっかりなんで、堂々と読むのが躊躇われるんですが(^_^;)。
 売春の裏には二重規範を元にした男女差別がある事を中心に語られるこの書籍は、原始時代の婚姻外性交渉から始まっています。十九世紀に付いては第十章から第十三章に掛けてたっぷりと論じられており、とてもためになります。十九世紀の貴族の中には、その先祖が王族に対して性的な奉仕をした為に一族が貴族の階段を昇る事が出来た家や、その家系自体が王族の庶子を始祖にしている家が大きな割合を占めているとか、性病を持つ者は若い処女と性行為をすれば病気が治ると広く一般に信じられていた事、中産階級の子女の教育が非常に上品ぶったものであったが故に売春仲介業者の良いカモになった事、かなりの数のイギリス人女性が大陸に“輸出”されていた(中には、三歳から五歳位の子供がクロロフォルムを嗅がされ、大人の男に犯される娼家もあったという)事など、表には決して出ない“裏”の面を見る事が出来ます。
 メイドさん関係もちらほらあります。十九世紀のネタでは、ベルギーでの人身売買の話で、あるイギリス人の娘が、女中奉公の為に来たつもりが騙されて娼家で働かされる羽目になり、それが国際的な大事件となり、この頃起こった廃娼運動を後押しした話などがあります。矢張りと言うか、ここでも『我が秘密の生涯』が取り上げられ、ここでは『社会を構造的・機能的な面から分析すれば、ヴィクトリア朝の貧困はイギリスの上流階級に有利にはたらいたといえる。下層社会の貧困が娼婦をはじめさまざまな社会的娯楽を上層階級に提供したため、富裕階級の男たちは自分の妻や娘の貞操を守ることができたからだ。そういう下層階級の子供が食いものにされる状態をくわしく書き記した本』と紹介されています。

M.ミッテラウアー+R.ジーダー、若尾裕司+若尾典子/訳『ヨーロッパ家族社会史』名古屋大学出版会
 副題は『−家父長制からパートナー関係へ−』。ウィーンを中心とした、ドイツ語圏の家族制度の変容を論じた書籍。
 メイドさんと言えば、普通十九世紀イギリスはヴィクトリア朝時代でしょうが、同年代の他国に付いての使用人の扱いを論じた書籍は、まだまだ少ない様に思われます。特にドイツ関連は、歴史と言えば第二次大戦に関してのものばかりが目立ちます。前工場的な時代から近代、そして現代に至るまでの“家族”を論じたこの書籍は、以前“家族”に含まれていた奉公人という存在に付いても少しだけ触れています。
 ヨーロッパに於いて奉公とは修行でもあり、奉公人や日雇い労働者の結婚を制限する政策が十六世紀頃に起こり、十七世紀に強化され、十八世紀後半でそういった形での人口政策が疑問視され、農奴制廃止の折に一旦廃止した婚姻防止の政策が、十九世紀前半で復活し、それが破棄されたのは一九二一年になってからという話や、一方で三十歳位で奉公を終えた使用人は、それを期に結婚し農夫(婦)として一人立ちしていた事など、イギリスの使用人とは少々異なる生活を送っていた事が伺えます。
 興味深い部分を引用してみると……。
………………
 婚外出生は、子どもの父が高い身分であるならばプラスに評価された。これは、貴族の性格的特質と社会的地位が受け継がれるとする血統思想の結果であった。それゆえ、自分が気に入った下層身分の娘を力づくでものにすることは、どんな貴族の男にも自由であり、しばしば彼の権利であるとさえみなされていた。
 若い貴族は遅くとも、主要なヨーロッパの都市をめぐる「大旅行」で性的な経験をつんだ。貴族の情婦や寡婦から彼は、女性との交際における「繊細な」流儀を体得し、部屋女や女中によって、その経験を豊富にした。結婚候補者である貴族の女性に手をつけることだけが禁じられていた。彼女は手づかずで結婚しなければならなかったからである。
 兵士と学生は、前々から特別の性的な特権をもっていた。散髪屋、「掃除婦」、仕立て工および使用人は、貴族上層との恒常的な接触により、彼らの影響のもとで生じる結婚観や性道徳にしばしば染まった。そのため、ある程度は貴族と同じ交際形式がひろまったが、社会行動や性行動の混乱も生じた。というのも、貴族的な愛の生活の気前の良さは、彼ら下層の経済状況にはそぐわなかったからである。(『6 婚姻・生殖・セクシュアリティ』の『特権階層における結婚と愛の分離』より)
………………
 ……この手の話は、何処でも一緒なんですな。
 あと巻末の『解説 ドイツ語圏の歴史家族研究とウィーン・グループ』の参考文献の中に、服部良久/訳『ヨーロッパにおける家族の発展の特性――とくに奉公人制度に重点を置いて』一九九一年四月京都大学公演原稿とあるんですが、どんなもんなんでしょ? 見てみたいですね。


第十九回(2004.05.10現在)
佐久間康夫+中野葉子+太田雅孝/編著『概説 イギリス文化史』ミネルヴァ書房
 歴史的な背景を踏まえてイギリス文化を総体的に紹介した書籍。“入門書”を名乗るだけあって、とても分かり易く書かれています。内容は四つの章立てになっていて、一章目は『四つの文化圏』『王室と宗教』『貴族の城館と庭園』、二章目は『われら役者は影法師』『拡がる地平』『はばたくメディア』、三章目は『子どもへのまなざし』『ジェントルマンのたしなみ』『問いかける女性たち』、四章目は『「大英帝国」の光と影』『パラダイム・シフト』『英語世界の万華鏡』となっています。
 様々な視点で書かれており、イギリスの文化を知るには、とても役に立つ一冊です。内容の殆どは産業革命後、特に十九世紀が多く、全体を知る為に押さえておきたい所。非常に広範囲をフォローしているので、寧ろ中級者向けなのかも知れません。
 メイドさん関係は、『第三章 貴族の城館と庭園』の『3 使用人部屋(Below Stairs)』で少しだけ紹介しています。内容は他の所でも語られている事ばかりですが、初心者が必要とするポイントは押さえている様です。
………………
 おおぜいの人間で構成されるカントリー・ハウスの使用人(servant)のなかに、階級が存在したのは、現代の企業のなかに社長から新入社員まで上下関係があるのと同様である。時代と館にによっては数百人の使用人を抱えていたり数十人であったり、重数人でやりくりしていた所などその数はさまざまであった。最高位は執事(butler;steward)といい、すべての点で有能ないわば召使い頭であった。これに対して女性の使用人頭(女中頭)をハウスキーパーといい、サーヴァント・ルームで食事をするときはバトラーと向きあう位置についた。ここでは使用人のすべての名称を紹介するスペースはないが、この2人のつぎに位置するのがコック、台所とは無関係で主人の身のまわりの世話をする近侍(valet)、奥方の世話役レディーズ・メイドであるが、そのほかおおぜいの従僕やメイドがいた。1940年代でも使用人の間でのエチケットは規模の大きな館では厳格であったという。
 産業革命の時代以前では、貴族の家族が社交シーズン(ロンドン・シーズン)中に使用するロンドンの豪華な邸宅(タウンハウス)に使用人の多くが雇われていたように、地方の本宅であるカントリー・ハウスは、その地方に住む人びとにとっては雇用の中心地であったわけだ。だから中流の家庭の子女も多く雇われていた。館で働くこと自体が社会的にステイタスが高かったのである。
 産業革命は工場で多くの働き手を必要とした。このあたりから使用人の雇用に変化が生じてくる。その後、決定的な変化がおきたのは2つの世界大戦であった。個人の館に使用人を雇用できなくなってしまったのだが、ここでは地方の人びとが喜んでカントリー・ハウスの使用人になった時代の状況について簡単に述べてみよう。
 おおぜいの男女が同じ部屋の下で働いているわけだから、ロマンスや結婚にいたる機会も少なくなかったが、終末のパーティにやってくる客とは違って、広い館とはいえ、使用人は特定の限られた空間に閉じこめられた状態であったし、自由な時間がなかっただけではなく、使用人の間の恋愛は使用人頭から禁じられていたために、他の職業についているものよりは成立しにくい状況にあった。男女がなるべく別々に働くよう設計されている館もあった。バトラーやハウスキーパーは下位の使用人に厳しい態度で接した。しかしながら、若い男女が身近にいればどのような厳しい監視のもとにあっても、人間の本能を抑えつけるのは無理である。
 目鼻立ちの整っている事でその職に選ばれていたフットマン(従僕)は、メイドとの恋の戯れの機会にこと欠かなかった。そのことが、日頃からの単調で退屈な仕事の連続と、制限された日常の生活に楽しみと活気を提供したのである。彼らにとっては生きている証といってもよかった。彼らはサーヴァンツ・ホールで、館内のチャペルでのお祈りのときに、日曜日に地域の教会にいく行列の際に、使用人どおしのダンス・パーティで、日々の仕事ですれちがうなかで、ハウスキーパーの鋭い目を逃れながら出会いのチャンスをうかがった。子どもができたらお払い箱になるのは男性ではなく女性にきまっていた。
 市民生活が成立した18世紀の代表的文芸形式は「小説」であるが、それはブルジョア社会を描くことから始まった。イギリス小説の発生の祖とみられるサミュエル・リチャードソン(Samuel Richardson 1689−1761)の『パミラ』(Pamela 1740)のなかでは、館の若旦那がしつこくメイドに言い寄る場面が数多くある。メイドのパミラは有頂天になって気軽に身をまかせるようなことはせず、結婚を条件としてつきあい、成功する。
 カントリー・ハウスの長い歴史のなかで、主人とメイドが実際に結婚した例がないわけではないが、たいていの場合は単なるお遊びにすぎなかった。そして使用人の間での恋愛関係は、同じ程度の身分、地位であることが多かった。
 さて、館の家族が生活する空間と、使用人のそれとでは明確な差があった。ゆったりとしてきらびやかな空間で家族が生活するためには、こうした使用人の存在なしでは考えられなかった。家族が部屋でプライヴァシーを楽しんでも、結局はベッドをしつらえ、部屋の掃除をしたり、暖炉に石炭を運ぶのは使用人である。当然のことながらプライヴァシーにも限界があった。子どもに関していえば、世話をするのはナース(乳母)、イギリスでいうナニーであり、教育を授けるのは住みこみの女性家庭教師であるガヴァネスであった。おとなは朝になるとメイドにおこされ、着衣を手伝わせ、食事のときは終始サーヴァントがうしろにつく。こうした主従の関係から、かれらは家族のどのような内密の証拠も見付けてしまうのだ。
 家族と使用人の間には交わることのない太い線が存在していて、使用人など眼中にはないといった感覚にならなければ、家人は彼らの前で平然とした態度をとることはできなかっただろう。使用人にお仕着せの制服を着させ、仕事の内容によっては本名ではなく、いつも一定の名前で呼んで非人格化していたわけだ。遠い昔のことではあるが。
………………
 メイドさん関連の部分をほぼ引用しましたが、これだけ知っておけば充分です。
 巻末の参考文献では、各資料へのコメントがあり、とても参考になります。

ソースティン・ヴェブレン/著、高哲男/訳『有閑階級の理論』ちくま学芸文庫
 副題は『制度の進化に関する経済学的研究』。本書は一八九九年にアメリカで書かれた書籍で、十九世紀末のアメリカの都市文化に対する皮肉めいた分析論であります。『顕示的消費』などの難しい単語が幾つか、それも何度も出てくるので、かなり分かり難い小難しい内容ですが、有閑階級とそれに従事する使用人階級の理論を理解するには重要な書籍です。
 一度読んだだけでは何となくしか分からないので、何度もしっかりと読んで勉強した方が良い一冊です。メイドさんを含めた使用人に関しては、直接に追求しているのは『第三章 顕示的閑暇』『第四章 顕示的消費』『第七章 金銭的な文化の表現としての衣服』の三つです。特に第三章と第四章は、是非とも押さえておきたい所。でも全てをしっかり読んで勉強してした方が良いでしょう。

ジャック・ロンドン/著、行方昭夫/訳『どん底の人びと』岩波文庫
 副題『ロンドン1902』の通り、エドワード七世の戴冠式で賑わう一九〇二年の夏、ロンドンのイースト・エンドの貧民街に潜入した著者が書き上げたルポルタージュ。前半は潜入した体験記、後半は様々な資料からのデータを交えた報告書となっています。
 著者はアメリカ自然主義文学の作家で、この『どん底の人びと』は、ボーア戦争直後のイギリスをアメリカ人の目から見たものとなっています。わざとボロ着を身に纏って“無一文のアメリカ人水夫”になりすまし、天性の人懐こさで貧民街の浮浪者と接して意見を聞き、又彼等が過ごしている日常を体験し、何故貧富の差が激しく不平等であるのか、最終的にはイギリス国家の運営そのものに欠陥があるからだと言う結論に至っています。
 エドワード朝が始まった頃のイギリスが描かれていて、とても興味深い一冊です。最下層にいる者達がどの様な暮らしをしているかが良く分かります。自身の体験や資料から抜粋したデータが非常に詳しく書かれており、目を通して置きたい所。直接メイドさんが関わるのは『二 ジョニー・アプライト』で、イースト・エンドで一番立派な通りでは『下働きの女中』を雇える程裕福な者がいる、とある位です。

フロレンス・ナイチンゲール、小林章夫+竹内嘉/訳『看護覚え書き』うぶすな書院
 かのナイチンゲールが書き記した『看護覚え書き』を翻訳した書籍。十九世紀中葉の空気そのままに訳されており、当時の生活が如何に不衛生であったのか、又、ナイチンゲールが“理想とする看護婦”が如何なるものかや、彼女が女性運動に対して批判的であった事も分かります。
 十世紀頃に記されただけあってかメイドさん関連は結構多く、あちこちに使用人に対する扱いなどが書かれています。
………………
 (中略)そしてもう一つは、患者が苦しんでいるというのに、あれやこれやの用を女中や雑役婦がやってくれるのを当てにしているような女性は、看護婦としての素質を欠いているということです。(第1章 換気と保温)
………………
 召使いたちの寝室についてもふれておかなければなりません。部屋の構造のまずさから、またしばしば維持方法のまずさから、さらには部屋の点検を頭を働かせて行っていないことから、召使いたちの部屋は必ずと井っていいほどひどく空気が汚れていて、「召使いたちの健康」は「不可解な」(?)までにむしばまれています。そしてそれは田舎においてさえも同様なのです。おわかりのように、私は決して、召使いたちが地下室や屋根裏に住まわされることの多いロンドンの住宅のことだけを問題にしているのではありません。田舎の正真正銘の「邸宅」(不動産広告にあるような、流行のえせ「住宅」のことではなく)で、同じ部屋で寝起きする3人のメイドがそろって猩紅熱にかかったという例を、私は知っています。「恐るべき伝染力だ!」というのが家人たちの感想であったのはむろんですが、部屋を一目見て、その臭いを一嗅ぎすれば、事態は十分納得できました。「不可解な」ことなど何もなかったのです。それはかなりの広さのある部屋で、二階にあり、二つの大きな窓がついていました。しかしその部屋は、先に挙げた悪い条件がほとんどすべて揃っていたのです。(第2章 住居の衛生)
………………
 持ち場につく歩哨は、個人の家や施設の召使いよりはるかに頻繁に勤務を交替します。でもその彼らが「BではなくAがこれこれの持ち場にいたから、敵の侵入を許した」などと言い訳したとしたら、いったいどう思うでしょうか? にもかかわらず、個人の家や施設ではしょっちゅうこんな弁解が聞かれ、それが通用しているのです。すなわち、これこれの人物が「通され」た(あるいは「通され」なかった)のは、あるいはまた、これこれの荷物が誤って手渡された(あるいは紛失した)のは、ドアを開けたのがBではなくAだったからだ、という具合にです。
 最近は良い召使いが少なくなったとよく言われます。しかし、私は良い女主人こそ少なくなったと言いたいのです。あの陪審が、汽船の事故の責任をどうやら栓にあると考えたように、近頃の家庭の女主人も、家の責任は家にあると思っているらしいのです。女主人たちは召使いたちへの指示の仕方を知らないばかりか、その指示への従わせ方も知りません。これは理を解いて従わせるということで、これこそはあらゆるしつけの真髄だと言えます。
 こういう不平がよく聞かれます。病人のいる家庭に派遣されてきた職業看護婦が、患者をおろそかにできないという口実のもとに、他の召使いたちに「指図する」というものです。ここに含まれている二つのことは、どちらも真実で、患者がおろそかにされるのも、召使いたちが不当に「煩わされ」ているのも、共によくあることなのです。しかしこれはおしなべて、責任者たる長の管理の不行き届きが責められるべきです。必要な時には看護婦が助けを受けられるように、そして患者が決しておろそかにされないように取り計らうことはまさに責任者の役目で、ちょっとした管理で両者は全く矛盾することなく達成できるのです。召使いたちに「指図する」のは、断じて看護婦の役目ではありません。
 ところで、看護婦の派遣の依頼にはどういう期待が込められているのでしょうか? それは患者の身内を「徹夜」から解放したり、召使いたちが「せわしい階段の昇り降り」を軽減しようというものであり、患者により良い看護を確保しようというものではないのです。よくはやっている開業医たちも皆、自らの体験から同じ感想を持っていました。(第3章 小管理)
………………
 このことから、私たちが注意しなければならないことがもう一つ見えてきます。それは病人には決して背後から話かけてはいけないということです。またドア越しに、あるいは遠くから、そして患者が何かしている時に話しかけるのも厳に慎むべきです。
 こういう点では、召使いたちは職業がら礼儀をわきまえているので、病人にとっては大きな救いとなります。だから病人の多くは、はっきりと理由はわからぬまま、身の回りの世話には召使いの方を置きたがるのです。(第4章 音)
………………
 (中略)男性たち、そして女性たち自身にさえ広く受け入れられていると思われる考え方に、女性を良い看護婦に転身させるのは簡単で、そこに失恋や絶望や厭世、あるいは他に取り柄がない、といった状況さえあればいい、というのがあります。
 上述の良い看護婦の製造法を、良い召使いの製造法に当てはめてみて下さい。そんなことで良い看護婦が生まれるはずのないことがわかるはずです。(終章)
………………
 また貴婦人たちはたいてい、良い看護婦を「まじめ、正直、貞節」と定義します。しかしこれでは、他のどんな女性の仕事に当てはめても不十分ではないでしょうか? 自分の家の料理人や家政婦に対してさえも、この上に何かを要求するのではないでしょうか?
 (中略)多数の家政婦たちが私と同じ体験をしているのではないかと思うのですが、ロンドンの住宅においては、壁紙や調度品を「新しくする」というのは、汚れた古い紙の上に新しい紙を貼ったり、汚れた更紗木綿のカバーの上に新しいカバーを取り付けたりすることであり、それも何と3重にも、4重にも重ねられていくのです。こんなことが清潔でないと感じられないようであれば、ロンドンに常にかび臭い家があっても、何の不思議もありません! これは居住者全員にまちがいなく害を及ぼすでしょうが、子供への影響は一層深刻になります。(補章)
………………
 ナイチンゲールは上流階級の出のレディであり、女性に対するものの考え方も又、矢張りレディ的な部分が拭い去れていません。終章での彼女の意見を見れば、“家庭の天使”が何たるかが良く分かるでしょう。


第十八回(2004.05.06現在)
ジャン・ジュネ/作、渡辺守章/訳『ベスト・オブ・ジュネ 女中たち/バルコン』白水社
 二十世紀中葉に活躍したフランスの戯曲家ジャン・ジュネが書き残した五つの戯曲の中から、二つを記した書籍。『女中たち』及び『バルコン』の決定稿は六十八年で、その決定稿を採用しています。
 『女中たち』の原題は『Les Bonnes』。登場するメイドさんは奥様付きの小間使いの様で、その衣装は短めの黒いワンピースのみとなっています。この戯曲は、姉妹でもある二人のメイドが、一人は奥様を、もう一人は奥様を演じているメイド自身を演じると言う作中劇から始まりますが、これは寺山修司『奴婢訓』(第七回参照)でも小間使いが劇の中で奥様を演じるシーンがあります。この事に付いては、旧HPで紹介してあるスティーブン・ジョーンズ『鍵穴から覗いたロンドン』の『良き召使』でネタになっている“女主人の服を着てみようなどとは、決しておもわない”事のパロディの様です。
 尚『『女中たち』の演じ方(一九六三年版のための序)』から引用しますと……
………………
 一つ書いておかなければならないことがある。つまり、召使いの運命についての弁護が問題なのではないということ。家事使用人の組合があると思うし――それはわたしたちには関係がない。
 この戯曲が初演されたとき、ある劇評家が、本物の女中はわたしの戯曲の女中たちのようなしゃべり方はしないと指摘した。この点について、何をご存知なのか。わたしに言わせればまったく反対なので、もしわたしが女中だったなら、彼女たちのように話したにちがいない。ある晩には。
………………
 ……想像と現実とでは大違いって知ってます? メイドさんになってたら、やっぱりメイドさんの喋り方になると思いますけど。どっちが『ご存知なのか』なのだか。メイドさん好きから見ても、やっぱりそこら辺リアルにやって欲しいよなぁ……戯曲だから仕方が無いのかも知れないのですが。

メアリー・シェリー、山本政喜/訳『フランケンシュタイン』角川文庫
 十世紀初頭に書かれた有名なゴシック・ロマン小説、それを読み易く翻訳し簡略化した文庫版。若く才能溢れる科学者フランケンシュタインは、死者を蘇らせる事に情熱を注ぐものの、結果生み出されたのは世にも怖ろしい怪物であった。打ち捨てられた怪物は、その怖ろしげな風貌とは裏腹に、聡明とも言える知能を備えていた。だが孤独と哀しみが復讐心を呼び、創造者フランケンシュタインの愛する家族を次々と襲ってしまう。次々に愛する者を失っていくフランケンシュタインは、その苦悩と正義心から、遂に怪物と対決する……。
 有名な割には、その内容は殆ど知られていない、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』ですが、一方でこの作品は、心理学的読みの“怪物はフランケンシュタイン自身の分身である”や科学的読みの“自走するテクノロジーの暴走を描いている”でも有名であります。物語は冒険家を目指す若者が冒険の途中で出会った人物から謎めいた話を聞かされる事から始まるのですが、本編でもフランケンシュタインは故郷のスイスから、様々な国を訪れたり逃げ出したりしています。
 途中でフランケンシュタインの家族に仕えていたメイドさんが、彼の弟殺しの犯人にされて無実の罪で処刑されてしまうシーンがあります。その中では『私たちの祖国の共和的な憲法は、わが国のまわりの大きな王国で行われている憲法よりも、単純な幸福な習慣をつくりだしていますから、住民の諸階級のあいだに差別がすくなくて、下層の者も、ひどく貧乏でもひどく軽侮されていないので、その態度がずっとりっぱで道徳的なものです。ジュネーブで召使になることは、フランスやイギリスで召使になることを意味するのではありません。ジュスティヌは、こうして私たちの家族に加えられ、召使の仕事を学びましたが、このことは、私たちの幸運な国では、無知という観念も、威厳の犠牲も含んではいません』とあります。でも“すくない”けど、決して差別は“無い”訳じゃ無いのね。彼女が結局は処刑されてしまうのは、その為なのでしょう。
 そうそう、後書きでリラダンの『未来のイヴ』の名前が出てきたり。

H・ジェイムズ、蕗沢忠枝/訳『ねじの回転』新潮文庫
 こちらは十九世紀末から二十世紀初頭に活躍したアメリカ作家の小説です。イギリスの片田舎の古い貴族のお屋敷で、両親と死別してひっそりと暮らす幼い兄妹の元に、二人の家庭教師として赴任してきた若い女性。彼女がある日見てしまったのは、兄妹を悪の世界に引きずり込もうとする亡霊達の姿であった。
 実は、幽霊を見ているのは、このガヴァネスだけって言うのがポイント。故に彼女の苦悩は誰にも分からず、読者の側から見れば、ともすれば彼女の妄想とも思わされる部分もあり、一度読んだだけでは混乱します。私はこの女性に感情移入出来なかったので、どうとも言えませんが。彼女は結構傲慢な感じがして好きになれなかったんですよね。それとも当時の“レディ”は、気高く澄ましているものなんでしょうか?
 尚、このガヴァネスの相談役として、元奥様付きのメイドであるメイド頭が登場しますが、現実とは違い、結構このガヴァネスと仲が良く尊敬している様子なのが不思議。

平井呈一/訳『アーサー・マッケン作品集成U』牧神社
 第二回に引き続き、アーサー・マッケンの小説集。収録作品は『赤い手』と『三人の詐欺師』の二つ。共に一八九五年の作品です。前者は探偵風味の作品ですが、内容は相変わらずな感じ。後者は題名にある三人の詐欺師達が裏切り者を追い掛けつつ、他の作品にも登場している主人公・ダイアンがその話に絡んでくると言う、少し変わった作品になっています。
 メイドさん関係では、『三人の詐欺師』の『黒い石印のはなし』の中で、「家の用で、もう一人手伝いのものがいるね。十五六の男の子がいいな。近ごろはなんでも女中万能時代だが、男の子のほうが仕事はかえってよくするよ」「でも、あの女の子たち、べつに不平は言っておりませんですよ。アンなどは、こちらへ来ると埃がないから、ロンドンにいるよりも、ご用がずっと少ないといって喜んでおりましたけど」と言う台詞があります。この当時、結構メイドさんの職があり、その事を言っている様です。


第十七回(2004.04.27現在)
デトレフ・ベルテルセン、石光泰夫+石光輝子/訳『フロイト家の日常生活』平凡社
 一九二九年から一九八二年までの五十三年間、ジークムント・フロイトとその娘アンナの二代に渡って仕えていた家政婦パウラ・フィヒトル。ジャーナリストである著者が彼女にインタヴューを行い、加えて一家と親交のあった人々の証言や数百通もの書簡を元にまとめ上げた回想記。
 フロイトに関しては第六回でも取り上げましたが、今度はそのものズバリ、メイドさんの目から見たフロイト一家の回想記です。片田舎に生まれ育った彼女は、十二歳と五ヶ月の時に雑貨屋で初めてメイドとなり、伯爵夫人や男爵夫人の小間使いになった後、フロイトの患者でアンナの愛人となるドロシー・ティファニー=バーリンガム家の子守となり、そしてそのつてでフロイト家の小間使いになるのです。父親の影響で男性不信になった彼女は、以後結婚もせず、フロイト一家に忠義心と親愛の情を込めて献身的に仕えます。この頃からジークムント・フロイトは高齢であったのですが、パウラを気に入り大切に扱った様です。主に父親のせいで生まれ故郷に何ら愛郷心を持てなかった事、家族ぐるみで大切にされた事、しかし結局は『使用人は使用人』であった事、二つの戦争を体験し、特に第二次世界大戦時にフロイト一家の為イギリスへ亡命したものの、彼女が“敵性国民”であった事で何の罪も無く投獄された事が、彼女を病的な奉仕へと走らせゆく様は、痛々しい程です。
 時代がやや新しいですが、メイドさんに関する貴重な資料です。仕えた主人が国際的に有名な精神医学者であり、かつその主人達から大切にされていた彼女の生活は、特殊であると同時に“当たり前の日常”でもあります。写真も幾つか掲載されていますが、三十年代にはお着せでは無く“私服にエプロン”ですが、第一次世界大戦前の頃は『白いエプロンをつけ、髪をしゃれた髷に結って典型的な小間使のいでたち』だった様です。
 著者の後書きに、当時のメイドさんに関する事が少しだけ紹介されているので引用しましょう。
………………
 ほんの子供の頃から「よく役にたつ子だ」といわれて、オーストリアの辺境、すなわち当時はただ「チェコ」と呼ばれていたあたり、あるいはハンガリーやその他の帝国領から愛情に乏しい家族のもとを離れて、都会に奉公に出されてきた数知れぬミッツィやレージィ、レーニやカーティたち。こうした女性は、オーストリア=ハンガリー帝国時代や両大戦間期には、「働き者の天使」と呼ばれていた。彼女たちは生れ故郷では大半が貧しい暮らしを、ややもすればかつかつ生きていけるだけの暮らしをしてきた。これらの女性たちが生まれ故郷に根をおろし、そこで自分に自信をもつことなどとても考えられなかった。したがって、彼女たちのうちのおおぜいが奉公先の都会の家庭にうまく順応し、そこに完全に溶け込んでしまうこともかえって多かった。させられる仕事は多種多様で、まるで当然だといわぬばかりにそれらの仕事が要求され、仕事を果たしてもねぎらいの言葉ひとつない。田舎出の使用人階級の少女たちは、自然の法則によってそうすることが運命づけられているからというのだ。ところがその一方で、この仕事はひたすら報いられることがなく、おまけに低賃金の苦役だというばかりでもない。家族との緊密な結びつきが与えてくれる、自分も家族の一員だという感覚には、そうした苦労を十分におぎなってくれるものがある。これがあるからこそ辛い仕事にも耐えられるし、満足感すら覚えることもある。この感覚が奉公人たちの依存心と忠誠心を養い、彼女たちをほんとうに家族の一員にしてしまうのである。
 こうした女性たちが「天使」と呼ばれたのには、理由がある。それは、彼女たちがたいていの場合姿をみせてその存在を気づかれてはならないからであり、しかもいつ呼ばれても仕事につけるように控えていなければならず、また、決してみずから要求してはならないとされていたからだ。固有の願望や欲求や不安を抱いた一人前の人格であってはならず、主人が何を欲し、どんなわがままを言うかに気を配って、それらを叶えることが唯一の仕事であるような天使、つまり健気で善良な天使でありさえすればよいのだ。ジークムント・フロイトのもたらした認識は、世界をゆるがすことになるほど革命的であり、また、当時のウィーンはリベラルで進歩的な気風が支配的だったのだが、そのフロイト一家でさえ、主人と使用人の関係については因習に従うという点では、例外ではなかった。
 苗字なしの名前でのみよばれ、いわば半ば無名で、人と家具の中間のような存在、雇い主によって言いつけられた役割を演じ、自分たちにはさっぱり分からない旦那様、奥様の不満や失望の捌け口、精神分析家のいう投射対象になるという役割を演じることが、なによりも大事だといわれてきた膨大な数の召使。そうした召使の末席にパウラ・フィヒトルも連なっていた。個性的なところをいっぱい秘めたパウラ・フィヒトルも、社会で彼女が果たす機能においては、また、自分自身をどう考えていたかという点においては、おおぜいのうちの一人にすぎなかった。何十年にもわたる奉公を勤めあげたあとではじめて、だたの「パウラ」が「パウラさん」になり、それがさらに「パウラ・フィヒトルさん」になったのはようやく年金生活に入ってからである。
………………
 ……二十世紀初頭のオーストリアも又、矢張り十九世紀欧州の因習を引きずっていたんですね。当時のメイドさんがどの様な生活し、仕事をしていたのかが分かる、貴重な資料だと思います。メイドさんを知るにはお勧めの一冊と言えるでしょう。

マーガレット・フォースター、翻訳工房りぶろ/訳『侍女 エリザベス・B・ブラウニングに仕えた女性』彩流社
 女流詩人にして、同じく詩人のロバート・ブラウニングの妻であるエリザベス・バレット・ブラウニングの生涯を、彼女の侍女であったエリザベス・ウィルソンの目を通して描いた小説。このウィルソンと言うメイドは実在の人物ですが、小説の中で語られる彼女の生活や半生は虚実入り交じっているので注意。
 とは言え、当時の上流階級における複雑な召使いの種類と役割などの訳は、本場の人に教示したとの事ですし、小説内での使用人の生活は詳しく生き生きと描かれていて、非常に参考になります。特に侍女の仕事(とは言っても、彼女は他のメイドが行う様な仕事もさせられていたのですが)を理解するのには持ってこいです。
 誠実であるあまりに愚直となったウィルソンの忠義を、当の主人であるエリザベス・ブラウニングは無意識であるにしても結局は利用し、十年以上もの間仕えた彼女の心の中に少しの虚しさを覚えさせた件は、当時の上流階級のお嬢様とその侍女の間柄の一つを示唆していて興味深いです。上記の『フロイトの日常生活』とは似ている様でいて、その結末は全く違うのは、“現実は小説よりも奇なり”なのでしょうか。『お友達』と言う言葉を多用し、純粋な彼女を喜ばせておきながら、その実給料を上げる事無く本来の仕事以外の仕事をさせ、彼女が誰かと仲良くすればその仲を認めず引き裂こうとまでし、挙げ句の果てには同僚と結婚し妊娠した彼女を、自身の都合だとして辞めさせるエリザベス・ブラウニング。この女流詩人が、搾取される不幸な子供達の詩を書くフェミニスト詩人として有名である事は、皮肉と言えば皮肉ですし、ある意味に於いては非常に時代性を感じます。その事に付いては、第二回で紹介した『動物への配慮』をご参考に。

シルヴィア・マーロウ、徳岡孝夫/訳『イギリスのある女中の生涯』草思社
 メイド者の間では最早スタンダードと化した資料である書籍。二十世紀初頭にメイドとして働いていた女性の半生を、著者が聞き取り書き留めた回想記です。題名に『生涯』と付いていますが、実際にはメイドを辞めて結婚した時で終わっていますし、前半はメイドになる前の子供時代の話です。とは言え、下層階級である彼女の家族の貧しい生活ぶり、そしてそれ故にメイドとして奉公に上がらなければならない彼女や姉妹達の事などは、メイドものの資料として充分に役立つ事でしょう。
 只、最後の後書きだけはいただけません。一人の女性の回想記であるこの書籍を、あろう事か教育論本に仕立て上げようとしていて、胡散臭さプンプンだったりします。主人公であるウィニフレッドの、その母の教育ぶりを褒めているけど、偽善的かつ支配的なやり口は、一昔流行ったアダチルの典型例だぞ? 一方的に屁理屈を押し付け、時には心身共に相手を傷付ける様な事をした上、愛情の言葉も仕草も一つたりとも投げ掛けない、そんな躾は躾じゃねえだろ? 大体、彼女達は貧しいが故に幼い頃から働かざるを得ないだけだし、ヴィクトリア朝時代に近代的な“家族”の構造が再構築されたけど、その歪みが今頃に出て来て問題視されている訳だし。それとも“全国総アダチル化計画”でも打ち立てているんですかね?
 そーいや、『フロイトの日常生活』と言い、『侍女』と言い、この『イギリスのある女中の生涯』と言い、出て来るメイドさん三人共“男性恐怖症”の気があるのはどーしてだろう? それが当時のメイドさんのスタンダードなんかな?

ファニー・クラドック、成田篤彦/訳『シャーロック・ホームズ家の料理読本』晶文社
 『シャーロック・ホームズ家の家政婦兼料理人のサラ・ハドスン』が記したと言う設定の料理本。ヴィクトリア朝末期イギリスの中流中産階級の食事を現代風にアレンジしたもののレシピが二三七種類、紹介されています。
 著者はイギリスの料理研究家で、この書籍も昔風の料理本を作る為に“シャーロック・ホームズ”の名を借りた様です。“原典”では、ハドスン夫人は下宿を経営する女将ですが、ここでは料理本としての辻褄を合わせる為に上記の通りとなっています。ここでの設定では、彼女は十一歳の頃“もとのお屋敷”で乳母の下働きに出、子供が大きくなったのを機に助手として料理人からみっちりと料理を仕込まれ、後に料理人になるも、奥様一人になった為首になり、田舎で貧乏暮らしをしていた時にホームズが出したと思しき広告を見て自ら応募し、そして年齢を十歳程上にして誤魔化して住み込みの家政婦兼料理人となった事になっています。そう言う意味では、厨房関係のメイドさん資料としては面白くも貴重なものとなっています。


第十六回(2004.04.20現在)
ダグラス・サザランド/著、小池滋/訳『英国紳士〔普及版〕』秀文インターナショナル
 著者はスコットランドの城に住み、僅かなポケットマネーを猟銃の弾丸とウィスキーの為に全て費やしていると言う、生粋の英国紳士だそうです。その著者が、自身の体験を元に書いた“英国紳士”に付いての書籍。
 如何にも堅そうな題名と出版社名にダマされてはなりません。訳者による後書きにも書いてありますが、その殆どが“英国紳士のユーモア”で味付けしてあり、話半分で読まないと苦労します。結構意地悪です。実の所、個人的には読み口は好きではありませんが、これが英国紳士なのかと情報源にはなります。でも結構薄い本ですけど。
 十ページ目に『使用人の部屋』と言う項がありますので引用します。
………………
 紳士のお屋敷の注目すべき特徴は、かつては快適な生活のために必要不可欠だった使用人の一大隊が消えてしまったために、使われていない部屋がどっさりあることだ。極端な場合には紳士が屋敷の一棟を完全に取りこわしてしまったのに、洗濯室、使用人食堂、女中頭の部屋、執事の調理室といった余分な施設があまり減ったと感じられないことすらある。それから女中部屋が限りなくある。いまでも鉄製のベッドとリノリウムの床、その上窓には鉄格子までついている。これはロマンチックな気質の持主が暗くなってから抜け出し、熱情的な庭番の青年と薮の中で密会をせぬように、という意味だ。その上さらに貞操を守る補助の一手段として、裸の壁にためになる聖書の言葉などが書かれてあることが多い。例えば「眠ってはいけない。主が来られた時に気づかないから」といった有益な忠告である。
 概して言うならば、紳士のお屋敷は、それより社会的身分の下の連中が享受を許されている生活に比べて、あまり快適な生活の場所とはいえない。
………………
 ……何ともすんげぇ皮肉ですな。因みに『眠ってはいけない……』には註釈が付いていまして、『いかにも聖書にありそうに見せかけた文句だが、著者の作った冗談。ここで言う「主」とは、もちろん夜中に女中の部屋に忍び込む好色な主人をさす』だそうな。

ダグラス・サザランド/著、上野美子/訳『英国紳士の奥方〔普及版〕』秀文インターナショナル
 お次は続編をご紹介。“紳士”の次は“奥方”と言う訳で、“英国紳士”の目から見た“貴婦人”なるものの実状を書いています。
 今回もやっぱり薄っぺらい本です。かなりブラック・ユーモアを含んでいますので、相性が合わない人は好きになれそうも無い(例:小手鞠萌)書き方なのですが、今回は“奥方”がメインだけあって、結構メイドさん関連のネタが多めです。では、使えそうな部分をあらかた引用します。
………………
 貴婦人の全盛期には、それは秩序のある一つの世帯から、別のきちんとした世帯へ映ることを意味するにすぎなかった。したがって、貴婦人に課せられたおもな命題は、婚家先にいる召使いたちを当惑させないことと、もともと夫の祖母が選んだ壁紙に馴染んで暮らすすべを学ぶことだった。
 運の悪い貴婦人は、料理人とナニーという二人のおもだった敵に出会うはずだ。ナニーは、幼い主人が寄宿学校にやられてから、ずっと「ナニーの部屋」に隔離されてきたのだが、いつまでもあなどりがたい権力を持っている。さいわい、料理人とナニーは一般に折り合いがよくないものだから、奥方がうまく立ちまわれば、一方を他方に張り合わせて、漁夫の利を占められるだろう。
 台所は完全に料理人の天下だが、女主人が管轄権を握っている領域もある。たとえば食品貯蔵室がそうだ。ジャムを作ったり、城壁をめぐらした庭園で取れた果物をびん詰めにしたりすることを、貴婦人は最大の自慢にするものだからである。食料品店でジャムを買ったりはしないし、自家製のものよりよくできていようがいまいが、相手の作ったジャムを互いにほめあうのが習わしになっているのだ。
 さらに、奥方の昔ながらの特権は、食堂で出されるプティングの仕度を管理することである。お客が予定されている場合はもちろん、毎日の献立についても、女主人は料理人と相談できるし、またふつうはそのようにしている。そこで、毎朝しかるべき時間に料理人が呼びだされ、庭師は必要な野菜を指示される。そんなわけで、台所に奥方が入るのは、米やセモリナ(粗小麦粉)のプディング、「かえるの卵」と呼ばれる男の子好みのプディングなどが、それまで夫の食べ慣れてきたものとちょうど同じ味かどうか確かめるときぐらいである。
 新参の貴婦人が陥りやすいおとし穴は無数にある。そのうちでもおそらく一番ふつうに仕出かされる間違いは、ベルを鳴らして女中ができれば執事を呼ぶかわりに、客間にはかならずついている暖炉へ、自分で石炭をくべてしまうことだろう。また、気取った海辺の喫茶室で愛用される、例の三段重ねの菓子器にケーキを持って出すのは、ひどく場違いなこととみなされる。ケーキ類は、マフィンやバター・トーストと一緒に、執事がお盆にのせて運んでくるはずなのだ。(『4 家庭における貴婦人』より)
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 もう一つの部類は、幸運にももっとロマンティックな恋人を獲得して、セックスは「庶民にはもったいない」ものだという見解をもつようになった貴婦人である。そこで、お屋敷の中の召使いたちの住む区画をかたくとざすように気を配った。これは夜盗に対する用心ではなく、女中頭が裏口を閉めたあと、沢山の使用人の中にいる女中が、逢引のため夜更けに脱け出し、身分不相応の快楽にふけるのをできるだけ妨げようとするためだった。(『5 貴婦人とセックス』より)
………………
 ナニーというものは特別な種族だ、と長いあいだ考えられてきた。貴族の家庭では、一目おかれながらも女主人と親しい間柄にあり、他の召使いより明らかに一段高い地位を占めている。このどっちつかずの立場は、料理人との関係でとくにきわだったものになる。貴族の家庭では、ナニーに次いでえらいのが料理人だというしきたりになっているのだ。
 ナニーと子供たちの食事はいつも子供部屋に運ばれ、これがナニーにとって難攻不落の強みになる。料理人より一枚うわてだと証明したくて、「ナニーが加工肉を好きでないことはご承知のはず」などというちょっとしたメモをつけて、台所へカテージパイをつき返す。すると無理もないことだが、料理人は敗北感を味わわされ逆上してしまう。(『8 貴婦人と子供たち』の『ナニー(乳母)』より)
………………
 毎朝使用人の部屋へ、お屋敷中の者が民主的に集って、祈祷式を開くのが習わしだった時代は、今や昔語りになってしまったようだ。召使いの方が雇い主より先にいなくなってきているという現状に負うところが大きいし、いずれにせよ使用人にあてがわれていた部屋は、今では子供たちの遊び部屋として欠かせないものになっている。(『10 貴婦人と教会』より)
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 ところで貴婦人ならだれでも、自分の福を急いでつくらせるための「縫い子」をもっている。ほかの貴婦人についている縫い子を横取りすることは、もっと高い給料をはずむからといって、よその召使いを誘惑するのと同じぐらい無作法で、よその殿方を奪い取ることよりなお深い大罪なのだ。
 男性にとって、黒いドレスというものは深い心理的含蓄をもっている。物心のついたころから、陰気な黒い服は、エプロンをつけた場合には女中や料理人やナニーを、そうでないときには女家長のような後家のおばあさんを意味していた。(中略)黒は実物よりみばをよくしてくれる色だが、黒いドレスには何かそれ以上のものがあるのだ。おそらく、おばあちゃんの甘やかしやナニーの豊かな膝とあまり違わないような、安心感と権威を表すのだろう。(『11 貴婦人と衣裳だんす』より)
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 今日では、銀器をみがいたり、犬や子供たちを散歩に連れていく人を見付けるのは論外として、週に一度、一階の部屋(しばしば召使い用に使われる)に掃除機をかけてくれる手伝いを探し当てられた貴婦人でさえ、幸運だといわねばならない。住込みの召使いは過去のものになってしまったので、よかれあしかれ通いの女中で間に合わせねばならないのだ。こういう連中ときたら、大金を要求し、ご主人の名前を呼び捨てにしたうえ、好き勝手に出たりはいったりして、ジンをぺろりと平らげ、お屋敷を電話代の要らないホテルだと思いこんでいる。女主人は、一般に通いの女中たちを可愛がり、「家族」扱いする。はじめに引いた言葉でもわかるように、女中たちはそれほどうっかり者ではないから、秘密を打ち明ける相手として、たとえばナニーより重宝がられるのだ。(『12 貴婦人とそのつき合い』の『召使い』より)
………………
 以上、長々と引用しましたが、結構参考になるかと思います。特に黒服に付いてのコメントは、なかなかに面白いテーマを含んでいますね。それにしても、訳者がこの巻だけ違うのは何故なんだろう?

ダグラス・サザランド/著、小池滋/訳『英国紳士の子供〔普及版〕』秀文インターナショナル
 “英国紳士”サザランド氏の書籍の、三番目の続編。題名そのまんま、しかし著者が著者だけに、嫌味と皮肉タップリに、自身の経験を述べてあります。
 ナニーの話から始まって、大学を出て成人するまでの話が書かれています。相変わらず薄い本ですけど。今回はメイドさん関連が無いので、読む本が他に無くて、ネタとして読むのなら、読んでも構わないって感じですね。

ダグラス・サザランド/著、小池滋/訳『英国紳士のお妾さん〔普及版〕』秀文インターナショナル
 四巻もネタがあるとは、流石“英国紳士”。今回は何と“お妾さん”。要するに愛人の事です。本の薄さと書き方のキツさは相変わらずです。
 今回はネタがネタだけに、毒々しさは最上級。“お妾さん”の実状だけで無く、どうやったら彼女達を囲えるかとか、奥さんとの二股を掛けられるかとかを“紳士的ユーモア”で語ってくれます。
 それでは何時も通り、メイドさん関連の所を引用しましょう。
………………
 一方、上流階級の人間が下層階級の性の乱れをどう眺めていたかというと、極めて厳しい態度であった。第二従僕が奥方の小間使に色目を使っているのが発覚したりすると、即刻クビだ。
 ロンズデイル伯爵の先祖代々の壮大なお屋敷であるロウザー・カースルで、十九世紀の末頃、この態度の絶好の実例となるような事件があったと伝えられている。
 ロンズデイル伯夫人付きの従僕が、奥方付きの小間使の寝室に侵入しようとあせったあまり、雨樋からすべり落ちて、下の温室のガラス屋根を破ってしまった。彼は即刻クビになったが、ガラスに損傷を与えたからではなく、未遂に終った行為の罰としてであった。
………………
 ……因みにこのネタにはイラスト付きで紹介されていて、イラストレイターも英国人ですが、小間使いの格好がちゃんとメイドさんのお着せ(言っておきますが、絵は萌えません)を着ているんですね。どーでも良いけど、紹介した三巻のメイドさん関連、下ネタ多いんですが。

モニカ・ベイリー+マリアン・J・ブルック+ロイス・モンティロ 他/著、
平尾真智子+小澤美智子 他/訳、小林章夫/監訳『ナイチンゲールとその時代』うぶすな書院

 ヴィクトリア時代で二番目に有名であろう女性フローレンス・ナイチンゲールと、彼女が生きた時代を論じた書籍。十九篇あった原書から、ナイチンゲールの生涯と活動に深い関わりを持つテーマ九篇を選択し、訳しています。その内容は、看護学校設立に当たっての理想と現実、彼女を取り巻く彼女自身の神話と実在、それによって引き起こされた彼女の生涯の取り扱われ方、などなど、様々なテーマで論じられています。
 今回一寸薄めの本ばっかりなので、ハードカヴァーものでヴィクトリア朝時代関係の書籍も紹介しないとと思い、探したもの。目先を変えて“ナイチンゲール”であります。彼女は“ランプを掲げたレディ”などの神話が取り沙汰される一方、かなり性格面に於いて問題があった事も結構知られていますが、主にそういった部分を取り上げています。  彼女と共にクリミア戦争で看護婦として活躍した人の中には修道女もいましたが、彼女達は様々な宗派の教会から派遣されており、その事でゴタゴタがあった事などは興味深いです。
 メイドさんネタになるかどーか分かりませんが、『親愛なる修道院長様』にこんな記述があるので引用します。
………………
 ナイチンゲールは何年か後に、神秘主義的な生き方と神への奉仕についての自分の考えをまとめている。
 それでも、神が私の生涯に授けてくださった二つの思想は、今も私を貫いています。一つは、神秘主義的な信仰を他者の中に注入することです。(彼女たち〔看護婦〕のほうが私よりはるかによくそれを具現してくれるものと常々思っておりますが……)……(中略)……もう一つは、彼女たちの活動のための組織、すなわち神の「侍女」となるための訓練が受けられるような場所、を与えることです。
………………
 ……何だか、某有名メイドさん同人誌の某有名メイドさんエロゲ特集か何かで聞いた事のあるよーな話ですね(^_^;)……何処とは言わないですけれども。


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第九十六回〜第百回

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資料をまとめてみました。
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