☆図書館にでも行きましょうか。☆
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 最近ロクに更新していないので、又新たなコンテンツを立ち上げたりして。
 万年金欠な小手鞠萌はよく図書館に行く訳ですが、そこでよく借りる本の中でも、面白かったり資料としてなかなか良い物を紹介するコーナーです(安上がり)。
 因みに基本は“十九世紀”。本物のメイドさんが生きていた時代っすね。でも読んでいる本、かなり偏りあり過ぎです。しかも実はあんまり小説読まない事、バレバレ。大層なもんでは無いけれど、ある意味“裏ヴィクトリアン・ガイド”かも(^_^;)。


第一回〜第十回第十一回〜第十五回第十六回〜第二十回
第二十一回〜第二十五回第二十六回〜第三十回/第三十一回〜第三十五回/
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資料をまとめてみました。
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第三十五回(2004.09.07現在)
若尾祐司/著『ドイツ奉公人の社会史』ミネルヴァ書房
 副題の『−近代家族の成立−』の通り、ドイツにおける使用人の扱いから、中世から近代へと時代が移った際の家族の制度・構造の変化を論じた書籍。
 これと第二十九回で紹介した『近代を生きる女たち 一九世紀ドイツ社会史を読む』を読めば、ドイツにおけるメイドさんは大体理解出来るかと思います。自由放任主義レッセ・フェール)の原則を貫いたイギリスとは違い、ドイツでは中世から近代まで使用人に対する法令が十数から数十もあり、それ故に規制による束縛が厳しかった事が伺えます。法令の中ですら、使用人は雇用者に対して忠誠と従順さを求めていたのですから、尚更です。又、元々奉公人とは、伝統的な農業奉公人を指していたのが、近代に入り都会的な家庭内労働を行う家事奉公人に変わった事なども取り上げられています。
 ドイツにおけるメイドさんに付いては、『第五章 都市の奉公人』から最後のまとめを抜粋したいと思います。
………………
 まず第一に、農民家政の場合と同じく、市民家族の家計構造も、一九世紀を貫いて奉公人保有をその基本的特徴とした。しかし、前者とは異なり後者の奉公人需要は、直接的な労働力としての必要性というより、むしろ家族成員をたんに生産的労働のみならず肉体労働一般から解放する、市民的生活様式への社会的利害関心に規定されていた。換言すれば、市民家族における女中雇用は、必要不可欠ではあるが「下級サービス」にすぎない家事労働の家族員外への転嫁、家族員相互間の労働強制からの解放を目的とした。
 第二に、女中奉公の場合には雇主・奉公人間に、いかなる労働共同態も成立しなかった。『ゲセルシャフツシュピーゲル』に載った料理女中ゲルトルーデの書簡は、女中労働の形態を端的に示している。すなわち、「この家では七時に鈴の音が鳴り始めます。最初は主人が髭剃り用の湯のために鈴を鳴らし、ついで奥さん、娘、息子と続きます。一〇分間の間に階段の登り降りを一〇回もくり返し、まったくこの高貴な人びとには手をやきます。この人達は自分では何もできず、もし哀れな女中がこの世に存在しなかったなら完全に不幸になること、請け合いです」と。まさしく、鈴の音とともに一方的に個人的サービスが要求され、女中がこれを一手に請け負う関係にあった。そもそも、消費的機能へと狭隘化し、私的労働として孤立化する近代的家事労働において、女中と雇主家族とを包含するがごとき労働共同態は、成立しえようはずがなかった。
 第三に、農民家政の場合になお残存していた「祈りと食卓の共同態」も、ここでは完全に解消していた。たしかに、食事の提供方食事金支払いへの移行は、一九世紀を通じてほとんど進行しなかった。食事の支給が支配的形態でありまたそれが女中への反対給付の中心部分をなした。しかし、ここでは食卓が完全に分離され、満足な食事時間さえ保証されないことが、食事に関する女中側の主要な苦情であった。
 第四に、農業奉公人と異なり、大都市女中の大半は、農村や小都市から流出してきた「他所者」であり、女中移動は工業化過程における女性移動の最も典型的形態であった。それゆえ、ケーラーの表現を借りれば「家事奉公においては最も狭い空間のなかで、最も広い摩擦面をともなってまったく異なる習慣、要求、欲求をもつ二つの文化勢力が対峙」した。市民的文化意識において、雇主家族と女中とのあいだには文化的落差が存在し、したがって後者の前者、とりわけ市民家族のなかの子供にたいする文化的影響は遮断されねばならなかった。ここでは伝統的なキリスト教的教育共同態(Bildungsgemeinschaft)は解消し、雇主家族の市民的文化生活と市民教育から、女中は完全に排除され隔離されていった。
 以上、市民家族の雇主・奉公人関係は、労働と消費の日常生活における共同性を欠落し、文化的にも隔離化の傾向にあった。家父長支配の基盤をなす、家のなかの持続的共同生活という特徴は、そこではもはや完全に消え去っていた。それゆえに、同時代人の支配的見解において、奉公人制度を肯定しうる唯一の可能な論拠は、メートヒェン自身の主婦への養成という、女中奉公の教育的効用を説くことにあった。しかしこの見解は雇主側が利己心を捨てて全体の利益のために女中教育に尽くすという、現実離れした期待を前提にしていた。これにたいして、まさしく雇主側の経費節約という利己的利益のために失業した女中の奉公人運動が、三月革命以来初めて奉公人令前面破棄の要求を押し出し、社会民主党の政治方針ともあいまって、「奉公人問題」克服の現実的展望を切り拓く。一九〇六年の社会民主党婦人会議において、奉公人制度という「家父長的」関係こそ、女中を労働者以下に置く「最悪の状態の隠蔽物であり、かつ源泉である」と、女性の側から明確な告発がおこなわれた。(『第五章 都市の奉公人』より)
………………
 ドイツでもメイドさんは大変だ。

大口勇次郎/編『女の社会史 17−20世紀 「家」とジェンダーを考える』山川出版社
 中世・近代における女性達を取り巻く諸問題を論じた論文集。執筆者はいずれも各種の歴史研究家であり、女性史を専門にしていないのですが、自身の専門分野から女性の歴史を抜き出して論文にした一冊です。
 副題を見れば分かる通り、十七世紀から二十世紀に掛けての日本における女性問題を取り上げた書籍です。ここでは二種類の女中――中世における奥方の『女中』と、近代における使用人としての『女中』が取り上げられています。
 『T部 武家の相続と奥』の『3章 仙台藩伊達家の「奥方」』で取り上げられている『女中』も魅力的ですが、メイド者としては矢張り『W部 女たちの近代』の『4章 家事労働をめぐる「主婦」と「女中」』で論じられている『女中』の方が重要です。明治期から第一次世界大戦期までは、日本でも中産階級以上の階級が最低一人の『女中』を雇っていたというのが興味深い話です。それこそ全文引用したい位、良さ気なネタが転がっているのですが、幾つか抜き出してみます。
………………
 (中略)加藤常子述『女中の使い方』(婦人之友社、一九一三年)は、出版の前年から一カ月に一度の口述を書き留めて『婦人之友』に連載したものをまとめたものである。自分の家庭での体験を述べて、読者の参考に資するという体裁になっている。同書には、「女主人」の眼から見た仲働き・御飯炊・小間使という複数の家事使用人の日常の記載がある。それぞれの持場に応じた朝の起床時間から始まり、就寝に至るまでの仕事―「毎日の御用」―が記されている。「仲働き」の場合を例にとってみると、五時半の起床から午前中・午後、そして夕刻から十時半ないし十一時の就寝までの段取りが詳細に書かれており、その間の「主婦」との関わりがわかるのは二つの事項である。まず、昼食のしたく前に、八百屋や魚屋が持参した品物を前日定めておいた献立と照らし合わせたうえで、主婦の「指図」を受けて購入しており、二つめは就寝前に「前日渡しておいた小遣いの精算を私に報告しまして、翌日の小遣いを渡します」という箇所である。
 右の事例からうかがえる明治末から大正初年段階の「主婦」像は、家政を取り仕切り、使用人を指揮監督する「家の女あるじ」といったイメージに近い。これからほどなく出版された福兼恒子『奥様とお女中』(洛陽堂、一九一五年)では、どうであろうか。同書は内容的には総論部分が主婦向けであり、つづく第一・第二章は「女中」向けとなっている。「一家のうちには、各自が分担して行くべき、責任のある用事を負いて居ります。殊にだんだん社会が進歩して行くのに従って、複雑となりますし、又身分や地位にも依って、一家を支配して行くべき、主婦一人では、その総べてを尽し得られなくなってまいります」(二頁)とされ、「家庭に於ける助手」としての「家婢」の必要性を論じている。著者は同時に、「家政の全権」を掌握すべき責任をもった主婦は、「何人たりとも、己れが限界へは妄りに容喙させない実権を握らねばなりません」とする。そしてそのためには「相当の素養」の必要性があることを説き、主婦がこのように対処することにより、「主人も亦安んじて社会に活動飛躍することが出来るのであります」と結ぶ。ここでは、「女中」はあくまでも主婦一人ではできない家事の補助者としての位置づけがなされているといってよい。ここから三宅やす子『家事覚書 主婦より』(実業之日本社、一九二二年)での「家事は主婦が一切する筈のものであるけれども……」(はしがき)という認識までは、そう遠い道程ではない。
 つまり「主婦と女中」をテーマに論じられたものを見ていくと、@家事使用人である「女中」を複数雇用し、自らはおもにその指揮監督にあたるという主婦像、A自らだけではこなしきれない家事の補助者として一人の「女中」をおくという主婦像の二つが浮かびあがってくる。そして時期が下るにつれて、しだいに後者が主流をなすようになっていく。もちろん、実態としては、前者のような複数の家事使用人を置くような家庭がぞんざい存続していたことはいうまでもない。これは、雇用する側の階級差にかかわっていると思われる。(『W部 女たちの近代』の『4章 家事労働をめぐる「主婦」と「女中」』の中の『二 「女中」の雇用形態の変容』より)
………………
 少し長くなりましたが、当時の日本における女主人としての『主婦』と、使用人としての『女中』がどの様なものか、幾ばくか理解出来るかと思います。日本でも、女中は農村部から流れていましたが、婦人雑誌の『女中紹介欄』での求職者は通常よりも高学歴傾向を有していた事や、『主婦』という概念が『家事を行う者』に変わった事が一因となって『女中廃止論』が出た事など、イギリスのメイドさんとは少し違う面も見られます。

吉村きよ『女中奉公ひと筋に生きて』草思社
 著者は3歳で父親に死なれ、幼い頃から子守に出された。昭和21年に埼玉の大尽の屋敷に年期奉公に出て、上番の女中となる。その後結婚するが、夫は愛人と駆け落ちし、4人の息子を育てながら睡眠三時間で休日もなく働いた。長男の結婚後、作家や俳優宅など50軒を超える家庭に勤める。その半生を綴った書籍。
 日本におけるメイドさんとも言うべき“女中”の生活ぶりがよく分かる一冊。戦後の昭和21年頃の貧しい田舎の家庭の暮らしと、それを労働力として雇い入れる側の暮らしの差もよく分かります。女中奉公は最初の年季奉公だけで、最後がお手伝いさんとして働いているというだけなので、いわゆる“メイドさん”とは違うので注意。


第三十四回(2004.08.30現在)
ジャネット・オッペンハイム/著、和田芳久/訳
『英国心霊主義の台頭 ヴィクトリア・エドワード朝時代の社会精神史』工作舎

 副題を見れば分かる通り、十九世紀から二十世紀初頭に掛けて登場した心霊主義スピリチュアリズム)を、様々な視点から論じた書籍。
 英国における心霊主義スピリチュアリズム)心霊研究サイキカル・リサーチ)を詳しく調べた一冊。因みに前者は主に霊媒による心霊との交信を行う宗教プログラムで、後者はそれらを科学的な方法で扱おうとする研究プログラムの事だそうです。当時は一種の流行となっており、老若男女・階級を問わず熱狂的に心霊主義スピリチュアリズム)が行われていました。その歴史を『代用宗教』と『疑似化学』の視点で書いています。個人的にお勧めの本ですが、分厚い上にお高いのが難点。
 意外な所でメイドさんとの繋がりを発見。
………………
 特に注目に値するのは、一八五〇、六〇、七〇年代にトランス交信、透視術、家具移動の能力を見いだした中流階級の主婦が多かったという事実である。妻と同じ能力を備えた夫も多かったにせよ、アマチュア霊媒の多数派は女性だった。霊媒とは、その存在性において、刺繍と同じくらいに家庭的、女性的なものといえるかもしれない。著名な電気技師クロムウェル・ヴァーリーが大西洋海底ケーブル計画に忙殺されていたとき、その妻はトランス発話、透視術、自動筆記などの能力を磨いていたというわけである(それも彼女のメイドと一緒に)。
 (中略)なぜ、こんなにも多くの家庭内女性が霊媒能力の追求に耽ったのか。宗教的な動機は後に考察することにして、ひとまず「家庭内」という言葉自体に手がかりを探すことにしよう。最近の女性史研究によれば、ヴィクトリア中期の女性の多くは、社会慣習の制約のために有意義で刺激的な仕事に就けず、家事というありきたりのルーティンワークに縛られて、強いフラストレーションに晒されていたとされる。家庭内霊媒となる男性が女性よりも少ないのは、男性が生計を立て、家族を養わなくてはならないからである。家庭内交霊会に金銭的報酬はなかったが、退屈した主婦や独身女性が大きな魅力を感じる何かがあったはずだ(際限のない家事にあくせくして、自己実現と社会的地位を求めながらも、療法とも決して満たされない人生を歩んでいた使用人にとっては、どんなにか大きな魅力だったろう)。意気に溢れた女性にとって、霊媒という職業は職を得る機会であり、興奮と名声への誘惑だった。(『1章 主役は霊媒たち』の『アマチュアとプロフェッショナル』より)
………………
 要するに、当時流行った慈善事業や女性労働者解放運動やフェミニズムの根本的な理由と一緒という訳ですね(第三十二回参照)。別の章では若い霊媒師と彼女達にのめり込んだパトロン達の話もあり、そこでは性的に抑圧された時代において、霊媒という行為を通じてそのフラストレーションを発散していた事なども載っています。

ジョージ&ウィードン・グロウスミス、梅宮創造/訳『無名なるイギリス人の日記』王国社
 十九世紀のロンドンを舞台にした、当時のごく当たり前の一般家庭の生活を、日記の体裁を借りたユーモア小説。
 主人公は真面目な会社員で、平凡な一家の主人。ロンドンの中流階級とあって、矢張り一人のメイドさんを雇っていますが、ここでもメイドさんは役立たずのドジっ娘(挿し絵見るとあんまり可愛げ無いけど)として描かれていますね。当時の生活ぶりがユーモアたっぷりに語られていて、非常に参考になります。

上野千鶴子/編『主婦論争を読むT 全記録』勁草書房
上野千鶴子/編『主婦論争を読むU 全記録』勁草書房
 50年代から70年代に掛けて、日本で論じられた“主婦”そして家事。主婦論争に関する資料をまとめた書籍。
 メイドさんサイト『MaIDERiA』さんの所で紹介されていた、フェミニズム関連書籍です。そこで紹介されていたのは一巻収録の都留重人『15 現代主婦論』で、冒頭からメイドさんを雇う話で始まります。因みにここで語られているのは、雇われているメイドさんと、結婚して妻の座に納まった主婦では、こなしている『労働』の内容は同じであるにも関わらず、賃金を貰いそれが国民所得となるのは前者のみである事で、都留氏の論点とは『主婦の行う家事労働を張り合い、やり甲斐のある仕事となる様、社会の仕組みを変えるべきだ』という事です。
 この『主婦が行っている家事を、第三者(メイドさん)が賃金を貰う形で代行するとなると、家計が破綻してしまう(=主婦による家事労働に対する無賃金)』というネタは、この書籍でも幾つか論じられています。


第三十三回(2004.08.22現在)
フランシス=ホジソン=バーネット/作、大島かおり/訳、たかなししずえ/絵『秘密の花園』学研
 一九一一年に出版された児童文学書。『小公子』や『小公女』でも有名な作者のバーネットは、イギリスの大商業都市マンチェスターの商人の娘として生まれ、貧しい生活を送っており、十六歳の頃アメリカのテネシー州ノックスビルへと移住しますが、晩年はイギリス人と結婚した事もありイギリスで過ごしています。
 十九世紀末のお屋敷ものでもあるので、当時の雰囲気はたっぷりです。主人公のメアリーが“我が侭娘”とされているけど、当時は『自分が思っている事を言う』事すら、子供には許されていなかった様に思えます。
 この本を借りたのは、勿論メイドのマーサ目当てだったりします。挿し絵の“たかなししずえ”は『おはようスパンク』で有名な漫画家さんですが、六九ページ目のマーサ萌えです。可愛いです。
 無論メイドさん関係もたっぷりです。良さ気な個所を引用します。
………………
 「ええ、そうなんですよ! このミスルスウェイトにおくさまがいらしたら、あたしなんか、下働きにだってやとってもらえませんよ。台所のさらあらいがせいぜいで、上のおへやにでいりするなんて、とてもとても。つまらないいなかもんだし、ヨークシャーなまりがひどくって。でもこのうちは、こんなにりっぱなのに、へんなうちでしてね、ご主人さまとかおくさまとかいうものは、ピッチャーさんとメドロックさんのほかにはいないみたいですよ。クレイブンさまは、ここにおいでのときだって、なにひとつかまおうとなさらないし、ほとんどいつもおるすだし。メドロックさんの親切で、あたしはここにやとわれたんです。メドロックさんにいわれましたよ。ミスルスウェイトがほかのお屋敷のようだったら、とてもそんなことはしてやれないって。」
 (中略)もしマーサが、りっぱな令嬢づきの女中としてよく仕込まれていたならば、もっと腰のひくい、ていねいな態度をとったことでしょうし、髪をとかしたり、くつのボタンをかけたり、おちているものをひろってかたづけたりしてあげることは、自分の仕事だとこころえていたことでしょう。けれどマーサは、ヨークシャーの野育ちのいなかものにすぎません。おおぜいの弟と妹といっしょにムアのいなか家で育てられたむすめなのです。そこの子どもたちはみな、自分のことは自分でするものだと思っていました。まだ歩けないあかんぼうか、歩きはじめたばかりのすぐころぶ子どもいがいの人のめんどうを見てやることなど、思いもよらなかったのです。(『4 マーサ』より)
………………
 (中略)メドロックさんのことなど気になりませんでした。あの人はいつも、一階の女中頭用のいごこちのいいへやにいるようです。このおかしな家では、人のすがたを見る事はほどんとありません。じっさい、人といっても召使しかいないのです。主人がるすのときは、召使たちは階下でぜいたくにくらします。階下には、ぴかぴかのしんちゅうやすずの食器がずらりとならんだひろい台所と、召使用の大きなへやがあって、そこで召使たちはまい日四回も五回もふんだんに飲み食いするのです。メドロック夫人の目がとどかないときは、にぎやかなばかさわぎをすることもありました。(『6 「だれかが泣いている――」』)
………………
 もしかしてバーネット夫人ってば、上流階級と彼等に仕える使用人の事が嫌いなのかも知れないですね。

フランシス・E・H・バーネット/作、吉田比砂子/訳『小公女』集英社(子どものための世界文学の森)
 一九〇五年にリメイクされた、有名な児童文学書。挿し絵は池田浩彰。
 十九世紀末のイギリスが舞台らしく、如何にも中産階級の女性が書きそうな偽善じみた話ですね。子供向けなので殆どひらがなです。後、挿し絵がリアル路線なので、微妙に顔が怖かったりします。
 メイドさん関連としては、下働きとして働いているベッキーが登場します。十二歳に見えるけど本当は十四歳で、貧しさのあまり学校の生徒(無論中産階級の娘)より成長が遅い様子。主人公のセーラは、途中で父親が死んだ為に屋根裏部屋に住まわされる(=階級落ち)事となるのですが、屋根裏の生活ぶりが少しだけ垣間見られます。
………………
 聖女学院二階の、特別寄宿室から、なおふたつの階だんをのぼると、別世界のような、そまつな屋根うらべやがふたつ、となりあっています。
 ひとつはベッキー、もうひとつは、みなしごになったセーラ・クルーのへやでした。
 セーラは、古ぼけた黒い服をきたっきり、もちものといったら、エミリーのほかには、ほとんどからっぽの、トランクひとつです。
 屋根うらだから、天じょうはななめです。かちかちのベッド、つかいものにならないだんろ。
 たとえ、このだんろが、さびついていなかったとしても、冬、このふたりに石炭がもらえるなんてことは、ぜったいないでしょう。
 いまでは、セーラもベッキーとおなじように、朝からばんまで、「セーラ、早く、ぐずぐずするんじゃない!」と、こきつかわれています。
 「セーラは頭がいいからね。かいものにやるにゃ、うってつけだわ。」と、料理番のおばさんがいえば、
 「だがどうも、おれは、あのむすめっ子が、気にいらねぇ。一文なしになたくせに、まだ上品ぶってやがる。『どうぞ。』だとか、『いいえ、けっこうでございます。』だとかよ。」
 ベッキーたち、下ばたらきのかんとくが、ぶつくさ。(『屋根うらの友情』より)
………………
 別のページで、ベッキーが盗み食いの疑いを掛けられるシーンがあるんですが、実は料理人が警察官にやっただとか、常に空腹でくず箱の中のパン屑を拾って飢えを満たしているだの、当時の下級メイドさんの悲惨な暮らしぶりがはっきりと書かれてあったり。

東秀紀/著『漱石の倫敦、ハワードのロンドン』中公新書
 明治三十三年(一九〇〇年)、ロンドンに留学した漱石が見たものは、産業革命達成がもたらした富と情報の中心であり、その影に渦巻く孤独と悲惨と不安だった。この都市の危機を雄大な構想を以て改善しようとする英国近代都市計画の先駆者こそ、エベネザー・ハワードであった。
 十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのロンドンを、都市計画から見て論じた書籍。漱石の過ごしたロンドンと、その再編を計画したハワードの人生が書かれてあります。都市計画そのものよりも、ハワードに関わったバーナード・ショー、H・G・ウェルズ、ウィリアム・モリスなどの人間関係が中心となっています。

小池滋/著『英国流立身出世と教育』岩波新書
 近代イギリス文学を題材に立身出世と教育を論じ、教育という美名の陰に潜む建前と本音を描き出し、現代日本の一億総中流の幻想に疑問を投げ掛ける書籍。
 大仰な題名ですが、内容は十九世紀頃のイギリス文学を基本に、下層・中流階級(の男性)の立身出世と、その手段としての教養、又は労働者階級を従順に仕立てるべくの方法としての教育を語った一冊。そもそも著者はイギリス文学に精通した人物で、そこから現代日本の『一億総中流家庭』に問題を見ている様です。言いたい事は分かるけど、何か違うよーな気がします。


第三十二回(2004.08.17現在)
アレクサンドル・パラン=デュシャトレ/著、アラン・コルバン/編、小杉隆芳/訳
『十九世紀パリの売春』法政大学出版局(りぶらりあ選書)

 著者は十九世紀初頭フランスの医師・公衆衛生学者で、本書は『公衆衛生、道徳、行政の面から見たパリ市の売春について』を編者が短くまとめ上げたものです。
 “公衆衛生学”の見地からパリの売春を調査したもので、当時の偏見が混じっているとはいえ、十九世紀初頭フランスの現実の一片がデータと共に示されています。
 メイドさん関係もちらほらあり、『主人に誘惑され、奉公先から追い出された召使い』から売春婦となった女性も結構いた事も示されています。
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 女将はパリの召使いたちに素晴らしい収入の道を提供してやっているのである。というのも、召使いたちは買物に出かけ、外見上は主人の利益のために気を配っているのだと思わせながら、その実、与えられた時間から半時間をかすめ取り、こうしても、彼女らの利益にとって非常に重要な品行方正という評価を保持できるからである。(中略)(『第4章 公認の娼家概論』の『六 お役所用語で売春婦の意味するものについての重要な考察』より)
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 同じ頃、ある女将は、召使い(男・女)の斡旋を生業にし、パリの街の壁という壁に偽の広告ビラを貼って歩く例の人びとと意を通じていた。この男たちは事務所を訪れた可愛らしい娘を一人残らず彼女らのもとに差し向け、こうして数日も経つと、不幸な娘たちは召使いの身分から売春婦へと転落していくのだった。(『第6章 さまざまな状況下の売春婦たち』の『四 女将が必要な女性を補充する方法』より)
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 パリのメイドさんも別口として“夜伽”で稼がなくてはやってられないんですね(第二十四回の『女が銃をとるまで』でも、ドイツのメイドさんが夜売春して稼いでいたって書いてあったし)。

今井けい『イギリス女性運動史 フェミニズムと女性労働運動の結合』日本経済論評社
 副題を見れば分かる通り、近代イギリスにおけるフェミニズムと女性労働運動に関する女性史。主に十九世紀末から二十世紀初頭に掛けて興ったフェミニズムと女性労働運動を取り上げています。
 中心は女工などの『女性労働者』と、慈善事業からフェミニズムや女性労働運動に関わる事となった『中産階級の女性』なので、メイドさんとは直接関係無いのですが、当時の女性がどの様な思想と思考を持っていたのかよく分かると思います。特に、フェミニズムにのめり込む事となる中産階級の女性達は、『何もしない事がレディの勤め』であり、かつ又『家庭の天使』たる事を協調させられた事が、却って諸処の女性問題に目を向け、自身の家庭から外へと出ていき、その事で自身の『何もしない事』に対する喪失感を埋め合わせていたというのは、時代の皮肉とも受け取れます。

マーク・B・アダムズ/編著、佐藤雅彦/訳
『比較「優生学」史 独・仏・伯・露における「良き血筋を作る術」の展開』現代書館

 十九世紀末から二十世紀中葉に流行った『優生学』、それは『遺伝現象を応用して人類の改良を図る科学』であった。世界中に吹き荒れた『優生学』の嵐は、しかし今まではアメリカ・イギリス・ドイツなどの一部で行われてきた単なる『似非科学』として見られてきた。本書はドイツ、フランス、ブラジル、ロシアでの『優生学』を記す事で、つかみ所の無いこの『優生学』というものが一体『何か』という事を語っています。
 ドイツにおける『優生学』が、当初は“人種問題”よりも“階級問題”を重視していた事、落陽に差し掛かったヨーロッパが陥っていた『没落への恐怖』こそ『優生学』が流行った原因の一つであった事、又各国の“気質”により『優生学』の内容が微妙に異なっている事など、二十世紀初頭の混乱の一部が垣間見られます。
 思わぬ所でメイドさんネタを発見。
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 ナチス・ドイツの「帝国公民法」は、国民を「国家の所有物」と見なし、「ドイツ人、またはその類縁の血を有する国民」を“帝国公民”と定め、“帝国公民”には「ドイツ民族と帝国への忠実なる奉仕」とそのための「能力を有していることの証明」を義務づけた。一方、「血統保護法」は、ユダヤ人が「ドイツ人の血、またはその類縁の血を有するドイツ公民」と国内外で結婚することや内縁関係を結ぶこと、更に生殖年齢層の45歳以下の「女子ドイツ公民」を女中に雇うことや、ドイツ国旗掲揚や国記章表示などドイツ人と見間違うような行為も禁止した。(『第2章 ドイツにおける「民族衛生学」運動』の『訳注19』より)
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 国の命令でメイドさんが雇えなくなるのは(色んな意味で)辛い事ですな。


第三十一回(2004.08.09現在)
ローラ・シャピロ、種田幸子/訳『家政学の間違い』晶文社
 二十世紀初頭のアメリカは、『科学的料理法』の名の元に料理雑誌や料理本の発刊、料理学校の開校が相次いだ。しかしそこにはカロリーの高さ、清潔さ、消化の良さ、見た目の美しさに重きが置かれ、味そのものは全く無視され、素朴で家庭的なものは“野蛮”だと排除し、氷で閉じ込められたサラダが芸術的だと賞賛した。アメリカにおける家政学の先駆者達の活動から、当時の料理と女性と社会との関わりを論じた書籍。
 科学的な発展を機に、二十世紀のアメリカでは女性達が『科学的料理法』なるものを創作し、それによって男性と同じ様な活動をしたいと願っていた事、しかしそれは当時勃興していたフェミニズムとは反対の方法であった事など、初期のアメリカ家政学がどの様なものかよく分かります。まだ使用人を使っていた頃の話なので、メイドさんに関するネタも載っています。
………………
 委員会もまた、もうひとつの重要なグループを引きつけたいと思っていた。それは個人の家でコックや女中として働こうとしている人たちや、すでに雇われているがもっと上達したいと思っている人たちである。裕福な家庭のレディたちが家庭内で働く人をみつけるのはとても難しくなっていたことからも、料理学校にたいする関心は高まった。友人や後援者からの経済的援助が集まったのはそのためだろう。女中を雇っているのはアメリカの家庭のほんのわずかにすぎなかったが、そのなかには多くの著名な女性作家や活動家が含まれており、女中不足の解決法について、ああでもないこうでもないとうるさく騒いでいた。労働者階級の娘を女中にしこむことが、ボストン料理学校の大事な仕事のひとつだったことは明白だ。もっとも『トランスクリプト』紙はその点に気をつかってこう強調している。「女中を雇っていないレディも入学したがっている……生徒は女中やこれから女中になろうとする娘ばかりではない」
 ボストン料理学校がつぎに慈善的仕事として力を入れたのは家庭で働くコックの訓練だった。だがこれもまた、最初の年次報告にあるように必ずしもうまくいかなかった。学校が発足したときにはコックのためのレッスンは一回一ドルだったが、これは女主人が自分の家の料理がおいしくなるなら喜んで払ってくれるだろうと決めた額だ。レッスン料を払うことはかまわなかったかもしれないが、コックが勉強のために家をあけることをゆるす女主人はほとんどいなかったし、せっかくの休みをつぶしてまで講習にくるコックはなおのこといなかった。一レッスン二五セントでコックのための夕方のコースをつくってみると、人の集まりはいくらかましだったが、そんなに安い授業料では長続きさせることができなかったし、その割には使用人たちの反応もいまひとつであった。そのくせよい使用人を求める声は一段と高くなり、報告書にもあるように「学校が教えている成果として、経験豊かなコックがもっと養成されないものか」という町の声がつねに聞かれるようになった。(『3 ボストン料理学校の活動』より)
………………
 レイク・プラシド会議では、スミスが望んでいたような大がかりなスケールでホーム・エコノミックスの実際的な組み立てを計画するために、数え切れないほど多くの会合、討論、論文集の配布、スピーチがおこなわれていた。参加者たちは、すべての女性に幼稚園から大学院までついてまわる家政学のプログラムをつくり、教育のどの段階でも顔をだすように考えた。二度目のレイク・プラシド会議までに、あるボストンの教師が系統だったコースを考案してきた。清潔さと簡単な手伝いを保育園で教えることからはじまり、小学校ではバクテリアと公共の衛生を学ぶ。新しい種類のハイスクールも計画に盛りこんであった。それはホーム・エコノミックスの職業訓練校で、コック、屋敷の女中、ウェイトレスなどになる人のための学校だった。大学にすすむハイスクールの生徒は化学、生物、物理を普通どおりに勉強するが、できるだけ学問を日常生活に適用させるようにする。大学と大学院では、経済と社会学の見地から家庭をみる。これにより女性は、「家庭運営」とか「社会奉仕」などのような学位が得られるプログラムから天職を選ぶことができた。(『7 家政学をはばむもの、それは女』より)
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 メイドさんの学校って訳ですね。因みに、この料理学校で作られた料理の“処理”に困った事が記されていて、女性は“食べる”よりも“料理する”事が相応しいと考えられていた時代、自分で食べる事など発想出来なかった様子が伺えます。結局考え出された“処理”の方法はと言うと、生徒は一回だけ味見が出来て、料理は販売、その残りを食べる事が許された様です。

飯塚信雄『男の家政学 なぜ〈女の家政〉になったか』朝日新聞社(朝日選書)
 十七世紀ドイツの『家政書』は、男性の為に男性が書いたものであった。その書から当時の生活ぶりを抜き出し、現代と比較した書籍。
 ここで紹介されている『貴族の地方生活』は、十七世紀の詩人であるホーベルク男爵という人物が記した書であり、料理や教育だけでなく、園芸・農業・漁業・狩猟など、ありとあらゆる〈家政〉を“統治・管理・支配”の視点で書いています。対人関係やら薬の作り方やらも載っていて、何でもありだったりします。勿論、使用人に対する扱いに関しても書かれてあります。
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 「家の経営規模が大きくなってくると使用人の数が十分なければ運営ができなくなる。
 第一に、使用人は誠実で素性の知れた働き者でなければならない。臣従者や一定期間の奉公を定められている孤児が十分にいる場合は問題ない。
 第二に、人手が足りなくてよそ者や素性のはっきりしない者、逃亡者、飲んだくれ、売春婦、いかさま師などの男女をやとわなければならないときには、とかく不祥事がおきがちだから、家父は注意深くその行動を見まもり、はじめのうちどれほど勤勉につとめようとも、気をゆるしてはならない。
 第三に、家父は使用人に正当な報酬を与え、たとえ病気になっても手厚く看護してやらねばならない。借りをつくらせてもいけない。けれども、緊急の必要があって使用人が給金の支給をのぞむときには、遅滞なく前金で支払ってやるべきである。そうすれば使用人はより一層誠実に仕事にはげんでくれる。ただし、使用人が給金を酒やタバコにつかいはたしてしまう場合とか、他の人びとが(負債の支払いなどのために)その人の給金を凍結してくれと依頼してきた場合は例外である。
 第四に、家父は使用人の体力、能力、知識にあわせて仕事を定めるべきで、体力のあるものに軽労働を、体力のない者に重労働を課すべきではない。
 第五に、翌日も仕事をさせようと思うときには、家父は仕事を終えた夕方、一般的にどれだけの仕事が残っているとは言わず、一人一人に対して翌日の作業を注意深く指示しなければならない。それでもなおざりにするようだったら責任を取らせ、罰してもよい。信賞必罰でいくべきだ。
 第六に、多年誠実正直に農作業などに従事してきた者が、ちょっとおくれをとったり過失を犯した場合には、すぐに買い越したりせず、しばらく大目に見てやったらよい。
 第七に、農場管理人なり執事なり、農夫長なりが家父の不在、または不在でない場合にも代理として仕事をまかされる場合には、家父はその人を使用人全体に対して紹介し、主人のための仕事ならすすんでその人の命令に従うよう指示し、過失をおかしたら、その人が主人に代わって処罰する権限を持っていることを知らせるがよい。(『二 ホーベルクの家政学』の『家父は使用人をどう扱ったらよいか』より)
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 十数ページ程度ですが、〈女性の家政学〉に変わった十九世紀の家政学も紹介し、比較しています。その章『三 主婦の職場から』は、初っ端から気になる事が。
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 ここに『経済集志』という雑誌があり、ドロシー・マーシャルの『英国における家事使用人の歴史』という本の書評を小林巧という人が書いておられる(日本大学経済学研究会、一九五五年、第二四巻第六号)。
 「薪をとり水を汲む人びとが古くから存在したにもかかわらず、歴史家は従来こうした人たちに少しの関心もよせてこなかった。家事使用人に関する歴史記述はこれまでのところ皆無に近く、僅かに折々の随筆や文学書、日記、書簡の類に彼等の意見や状態が散らばって描かれているに過ぎない」
 この文章は小林氏が著者の言葉を借りたものであろうが、とにかく小林氏は家事労働を家事使用人の側に立って見ておられるわけで、生活史に興味を持っていた私にとって実に興味深い書評だった。小林氏はこのほかにも『経済集志』に幾篇も婦人労働についての論文を発表されたが、それはやがて『はたらく女性のあゆみ――イギリス婦人労働史の教えるもの』(白桃書房、一九五七年)という本になった。(『『イギリス夫人労働生史の教えるもの』』より)
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 何処にあるんだ、その雑誌。
 著者はドイツ文学・中世生活文化史を専門にしていて、どうもロココ時代が好きな様です。その反動で十九世紀が嫌いらしいのは……まあご愛敬。フェミニズムに対してもコメントがあるんですが……こっちも何か根本的な所が“分かっていない”感じがします。

横川善正『ティールームの誕生 〈美覚〉のデザイナーたち』平凡社
 『世界の工場』と言われたスコットランドの産業都市グラスゴー。近代化の先陣を切ったこの都市に潤いをもたらし、世紀末に澱む文明の澱を浄化したのが『ティールーム』であった。特に女性の社会進出と共に、彼女達が家の外で安心して飲茶を楽しめる空間として、ティールームは発展を遂げた。その立役者がキャサリン・クランストンであり、彼女は時代の趣味を敏感に取り入れ、C.R.マッキントッシュを初めとするデザイナー達に活躍の場を与えた。やがてこの空間は、モダンアートの実験の舞台となっていく。
 “テイスト”が肉体的、感覚的なものとされ、故に女性的なものと見なされた事が、結果的にティールームを女性の社会進出の場となったと論じた書籍。男性中心的な十九世紀イギリスにおいて、女性的なものは二流のものと見なされた時代、その“女性的”な感覚を活用して誕生したものがティールームであり、そのティールームから視覚的な芸術が発達した事を詳しく書いています。
 メイドさん関係は『第4章 ミス・クランストンの登場』で、ウェイトレスに付いて書かれた所に載っています。少し長くなりますが、その部分を引用。
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 朝七時から夕刻の七時まで、「常に客の目に届くところに待機する」よう言い付けられた新入りの女子は、独楽鼠のように店内を走り回るので「ランナー」と呼ばれた。ウエイトレスになる前の見習たちである。当時はまだ、どの職種においてもこうした徒弟制度が生きていた。ミス・クランストンは女子の採用の前に、必ずその親元を訪れた。その目的は、家族から雇用の許可をもらうというよりは、家庭環境や出生について調べ、店での「教育」について一切任せるという約束をとりつけることにあった。ランナーからウエイトレスへの昇格に際し、キャサリンは夫と二人で立ち会い、パンの切り方、バターの塗り方、銀器を傷めない清潔な洗い方、さらには話し方、エプロンの結び方、爪の切り方に至るまでチェックした。(中略)
 「メイド」という古くからの職業は、グラスコーの比較的裕福な中流階級の家庭では、繁栄期には着実に需要をのばしていた。貧しい田舎からやってきた女子にとって、こうした家族といっしょに生活しながら家庭の素養を身に付けることが、ささやかな夢でもあった。だが富野追求に明け暮れ、ステータス・シンボルのみにこだわる成り上がりのミドル・クラスのなかには、そうした教育的配慮をもって雇う家庭の主人は少なくなる一方であった。まったく事務的な雇用関係ならまだしも、男女関係を迫り私物化しようとする者まで現れた。家庭という憧れを裏切られ、将来の生計の見通しも立たない暗澹とした思いのメイドたちにとって、ティールームで働く「ミス」たちは、少なくとも自由と自立への期待で輝いて見えたはずであった。だが、当時の社会の一般的通念では、このように接客を生業とする女性は、公然と割り切って話し掛けることができる娼婦、つまり「ペティコートを着た女」として見られていた。しかもメイドよりもむしろウエイトレスのほうが、かえって「娼婦」に近い存在として見られた。そうした客からの需要を意識してか、募集案内のなかにはっきりと年齢を指定し、「可愛くなくてはいけない」と明記されたものもあった。そんな若い女の子に入れ揚げ、贔屓にした子をねぶるように開花させる男の客も多かった。つまり彼女らは「はじめから街の女」の予備軍に組み込まれていたのだ。
 幼少から、こうした女性の末路をいやというほど見てきたキャサリンは、そうした社会の闇部から彼女らを守り、自立させてゆかねばならないという、悲壮なまでの使命感に燃えていたのである。放恣な生活を享楽する上流階級にとって消耗品でしかなく、また謹厳な中産階級からは偏見をもたれた階層、つまり貧しい労働者階級の女子にとって、おのずと堅実な家庭や結婚への意識は希薄となった。私生児を産み落とすことは大目にみられ、若い母親が出産届けを出しに行く際、二、三人の若い男性に付き添われて行くのもごくありふれた光景となった。キャサリンが引き取ったウエイトレスのなかには、そうした境遇の女性も少なからずいた。だが、ミス・クランストンにより家庭的な躾と教養を教えられた若い女の子を目当てにティールームへやってくる客のなかには、初めから真面目に結婚を前提として通ってくるものも多くいたのである。
 一八八八年の万博が、工場労働者や従来のメイドにこれまでと違う「自由」の味を覚えたことの意味は大きかった。たとえ、長時間のノーチップという苛酷な労働であったとしても、その後九〇年代にかけて、ティールームで働き、自立を夢見る女性の目標となったのは、いうまでもなくミス・クランストンであった。しかしながら「ミス」という呼称が、独身を貫いて自立に賭ける女性にとって、誇りであり武器である一方、彼女らにたいする色眼鏡は以前にもましてその度を強めたことも事実である。
 グラスゴーの中世の建物を移築した「ビショップ・パレス・テンペランス・キャフェ」では、メアリー・クィーン・オヴ・スコッツの魅惑的なコスチュームが受けた。禁酒をうたっているものの、どことなく妖しい雰囲気を漂わせるためにも、男性運のなかったスコットランドの女王メアリーのイメージをダブらせたかったのであろう。しらふを強いられた客はからかい半分に、彼女らを経営者ライオン氏の名前をとって「ライオンズの未亡人」と呼んだ。
 ティールームの繁盛にともなって聞こえてくるやっかみは、ますます嫌味を帯びた中傷になっていった。たとえば「ティールームが新しいタイプの女たらしの場になっている」とか「紅茶を飲みながらのゴシップ話は、売春宿を目指すには格好の入門教室だ」といっやようなものであった。なかには、「芸術的趣味をもった経営者がティー、タバコ、お喋り、可愛い女の子で客を堕落させるところ」といった具合に、アートそのものを悪とみなす皮相なピューリタニズム煽ろうとするものまで現れた。たしかに、ティールームそのものへの反対運動は、有能な召使いを奪われた富裕な家庭からの不満や、消費の落ち込みを懸念した酒屋から相変わらずあった。しかし、そのほとんどがこじつけに近いものであり、紅茶の獲得した「健康」という大儀に勝るものはなかった。そして、たとえ自分たちが「未亡人」あるいは「ミストレス」と呼ばれようと、ミス・クランストンの生き方は彼女らへのそうした汚名を払いのけてあまりあるものであった。(『第4章 ミス・クランストンの登場』の『ペティコートを着た女性たち』より)
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 微妙に、昨今のメイド喫茶出店乱立の懸念と似たよーな話ですな。因みに上記のコスチュームはまんまメイドさんな格好です。もう一つ『メイド』という単語が出てくる個所では、クラブハウスの自主経営にこぎ着けた『女性作家協会』のメンバーが『アット・ホーム・デイ』で雇っているメイドさん連れでティーパーティの準備にあたったと書かれていますが、そこでもその『お楽しみ会』の様子の写真が載っていて、非常に萌えです。


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