☆図書館にでも行きましょうか。☆
☆図書館にでも行きましょうか。☆


 最近ロクに更新していないので、又新たなコンテンツを立ち上げたりして。
 万年金欠な小手鞠萌はよく図書館に行く訳ですが、そこでよく借りる本の中でも、面白かったり資料としてなかなか良い物を紹介するコーナーです(安上がり)。
 因みに基本は“十九世紀”。本物のメイドさんが生きていた時代っすね。でも読んでいる本、かなり偏りあり過ぎです。しかも実はあんまり小説読まない事、バレバレ。大層なもんでは無いけれど、ある意味“裏ヴィクトリアン・ガイド”かも(^_^;)。


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資料をまとめてみました。
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第四十回(2004.10.24現在)
ドロレス・ハイデン、野口美智子+藤原典子・他/訳
『家事大革命 アメリカの住宅、近隣、都市におけるフェミニスト・デザインの歴史』勁草書房

 副題を見れば分かる通り、アメリカに於ける家事全般に関わる生活空間の変化を、マテリアル・フェミニスト達の活躍と共に論じた書籍です。
 家事に関わる事柄で、しかもフェミニズムが台頭し始めた十九世紀末から二十世紀初頭を中心に論じている為、メイドさんに関する情報も少しですが載っています。
………………
 実験を重ねていくうちに、マテリアル・フェミニストは性別の問題だけでなく、階級や人種などの数多くの問題にも取り組まなければならなくなった。女性の仕事には性による限界があったが、家事の領域でも、女性の経験には経済的階級や人種といったものが反映されていた。家事をする召使いを雇っていた主婦は、家事一切を一人で切りもりしていた主婦や家事労働に従事して賃金を稼いでいた女性とは、立場を異にしていた。家事に従事して賃金を稼いでいた労働者には、料理人、女中、洗濯女が含まれ、たいていは住み込みであった。下宿人を置いたり、縫物や洗濯を引き受けたりしていた主婦事業主もまた現金を稼いでいた。産業資本主義時代になると、住み込み召使いよりもむしろ産業労働に従事する方を選択する女性が増えてきたために、主婦雇用主、専業主婦、主婦事業主、昼間労働者、住み込み召使いといったお互いに重要な関係にあったそれぞれの区分がなくなり、専業主婦になる女性が多くなっていた。デヴィッド・カッツマンは『一週間に七日』(Seven Days a Week)の中で、一八七〇年から一九三〇年にかけての住み込み召使いの様々な局面を描写しており、一九〇〇年には一〇軒に一軒の割合で雇われていた住み込み召使いを、雇い主である主婦がしいたげている点を力説している。(『T 序』の『第1章 家事大革命』より)
………………
 タスキーギー学校での調理実習。黒人女子学生に家事召使いになるための訓練をしている。1920年には、アメリカの召使いの40%を黒人が占めるようになっていた。(『W 広がる改良の輪』の『第8章 公共キッチン、ソーシャル・セツルメントおよび協同の理念』の中の『図 8・15』より)
………………
 セツルメント・ワーカーが援助の手を差しのべたのは、工場労働者に対してだけではなかった。彼女たちは、工場労働者より社会的地位がむしろ低かった家事召使いが協同下宿を組織するのも、援助しようと努力した。女性の働き口の大部分が家事召使いだった。一九〇〇年には合衆国に一五〇万人の召使いがおり、その九五.四パーセントが女性で、十軒に一軒の割合で雇われていた。彼らは、一日に十二、三時間、週に七日間働いていることが多く、手当は、週に平均三ドル一六セントまたは一時間に四セントそこそこであった。五分の二あまりを米国生まれの白人、三分の一を米国生まれの黒人、約四分の一を移民が占めていた。(その後の四〇年のあいだに、白人女性の割合が下がり、黒人女性が増加した。これは、黒人には人種上の理由から制限された職に、白人がつきやすかったためである。)
 一九四〇年においても、家事召使いの数は、鉄道、炭鉱、自動車工場での労働者の数を合計したものよりも依然として多かった。しかし、労働経済学者や統計学者たちは家事召使いの状況を報告しなかったし、また、労働組合の組織者たちは家事召使いの労働組合を結成しようという努力を怠ったので、家事召使いのおかれていた状況は全く知られていなかった。一八八〇年代、労働騎士団には主婦の連絡会や召使いの連絡会があったが、労働組合は、一般に召使いを無視していた。召使いたちは多数の別々の女主人に雇われており、「住み込み」を余儀なくされていたので、彼らが労働組合を結成するのは困難な問題だった。しかし、家政学者とセツルメント・ワーカーは、この問題に取り組んだのである。(『W 広がる改良の輪』の『第8章 公共キッチン、ソーシャル・セツルメントおよび協同の理念』より)
………………
 「熟練した」、あるいは「能率的」な召使いを確保するという第一の目的を達成するために、『ウーマンズ・シチズン』は、女性に対する家政学教育のための政府資金を増額するよう陳情運動をしたが、そこには役割の性的なステレオタイプ化が含まれていることが忘れられていた。彼女たちは一九二四年に農務省家政学局の教育活動を賞賛して、これは「政府のおすみつきの主婦への援助」であると述べた。また、ナニー・H・バロウズが設立した黒人女性労働者を家事召使いとして養成するためのセンターがあるワシントンD・Cの全国賃金労働者協会からの、いわゆる「家事労働問題に関する強化」についての報告にことのほか喜んだ。『シチズン』の編集者は次のように批評した。「私たちが知る限り、今日に至るまで家事労働の問題を解決する手がかりとして、黒人女性の側で直接的な努力をするという意識はみられなかった。雇い主の大多数を占める白人女性の側にそういった努力がいかに少なかったかを考えあわせてみると、この種の組織ができたことは万歳三唱に値する。」人種差別が著しく現れていた。編集者は明らかに、白人の中産階級の女性だけが「家事労働の問題」に悩んでおり、黒人女性は彼女たちの問題解決を手助けするものである、と信じていた。黒人女性の「家事労働の問題」は公けにされなかったのである。白人女性は家事という一つのわずらわしい義務に不平を言ったのかもしれないが、雇用されていた黒人女性たちは、雇い主と自分自身に関する二つの問題を解決せねばならなかったのである。(『Y 反動』の『第13章 コロンタイ女史とミセス・コンシューマー』より)
………………
 因みに『T 序』の『第1章 家事大革命』に載っている『七人のメイド』という一九〇五年頃の写真を見ると、ワンピースに装飾無しのサロンエプロンという格好をしています。どーでも良いけど、解説に『メイドたちは掃除、洗濯、パイ作り、給仕、訪問者カードの受取り、子供の世話、果物の皮むきをデモンストレーションしているが、一人で一つの仕事をしていたのか、いくつかをかけもっていたのかはわからない。』と書いてあるけど、七人いるんだったら、役割を分担していただろーに。引用した『図 8・15』の方は、『エマ』のエマさんが着ている様なお仕着せです。

荻野美穂+田邊玲子+姫岡とし子+千本暁子+長谷川博子+落合恵美子
『制度としての〈女〉 性・産・家族の比較社会史』平凡社

 近代的な制度としての“女性”を、様々な視点で論じた書籍。性役割、近代的な家族制度、出産に関わる産婆に付いてを、二つの章ずつに分けて述べています。
 実は第二十九回でも紹介した、近代ドイツ社会史の姫岡とし子さんが書いているので借りた次第。無論メイドさん関連としては、姫岡とし子『労働者家族の近代 ―世紀転換期のドイツ―』が挙げられます。田邊玲子『純潔の絶対主義』は、十八世紀ドイツに於ける〈女性小説〉と純潔主義を論じていて結構興味深いです。
………………
 居住環境は労働者層と市民層の生活の違いを浮き彫りにし、労働者層の男性は劣悪な状況を逃れ、心のやすらぎを求めるためにしばしば酒場に行った。だが逆に住居生活は、少しでも余裕ができるやいなや、労働者層が家族文化の「あるべき姿」を積極的に模倣して、市民層に一歩でも近づこうと工夫をこらす場でもあったのだ。労働者の住居は通常、二部屋からなり、一部屋が暖房のできる台所をもかねた居間で、もう一部屋が寝室だった。妻たちはこの居間の窓に白いカーテンを掛け、窓辺に花壇を設け、小鳥を飼うなどして快適な住空間を演出した。小市民層の生活様式の模倣のもっとも典型的な例が、「サロン」(gute Stube)である。ようやく台所以外にあと二部屋ある住居に移れたら、妻はそのうちの一部屋を「聖域」として確保――とくに結婚前に女中として市民家庭に住み込んでいた経験をもつ女性に多い――し、たとえ趣味はよくなくても、ソファー、テーブル、時計など快適なやすらぎの場の必需品だとみなされていた家具や小道具の類を揃えた。だが、この部屋は特別な機会にしか使わないのだ。それゆえ一家は相変わらず一部屋で肩を寄せ合って眠り、もしこの部屋に全員が収容しきれない場合には、台所が第二の寝室になった。この「サロン」の存在はまさにステータス・シンボルとして労働者層の自意識を満足させる機能を果たしたのである。(『労働者家族の近代 ―世紀転換期のドイツ―』の『三 労働者の家族生活――小市民的生活様式への接近』より)
………………
 メイドさんは見栄っ張り。

ヤニク・リーパ/著、和田ゆりえ+谷川多佳子/訳『女性と狂気 19世紀フランスの逸脱者たち』平凡社
 十九世紀のフランスに於ける女性と狂気の繋がり、精神病院の内情、そして彼女達を『狂気』に囚われた『病人』と見なす男性の二重規範に付いて論じた書籍。
 アメリカ、ドイツと続いてフランスです。女性に対して何の権限も与えなかった風潮が彼女達を『狂気』に追いやり、しかもその診断と矯正は権限を持った男性の側から成された恣意的なものである事が判ります。つまり、現在ではしごく普通と見なされる事柄、更に言えば当時でも男性が行えば正常である事でさえ、それが行った人物が女性であるというだけで異常と見なされたという訳です。
 メイドさんに関する情報も少しあるので引用。
………………
 ド、レ、ミ、ファ、ソル〔ソ〕、
 女はみんな気違いフォル)だ、
 林檎のタルトを作ってくれる、
 ぼくの女中は別だけど。(『序言』より)
………………
 サルペトリエールにおける独身女性の割合は五〇パーセント近くにのぼっているが、病院の塀の外の世間では、一八四一年に五〇歳の女性のうちわずか一三パーセントが独身であったことを考えれば、これは驚くべき高率である。農村の過疎化を受けて、パリでは家庭をもてない根なし草の男たちが独身女性を求めていたし、また、奉公人(たいていは未婚女性)の働き口が豊富なことも原因で、パリの女性人口は増大していた。女性は一八四一年に四九・六〇パーセント、一八五一年に五〇・九八パーセントを占めたが、統計的にいって配偶者を見つけることのできない余剰の女性を生みだすまでにはいたっていない。逆の状況がしばしば農村部で見られ、過疎化によって夫の予備軍が流出し、ときとして五〇パーセント近い女性が独身のままであった。
 (中略)未婚の母および内縁の妻というのは、ありふれた日常的現実だが、法的には認められていない。ゆえに、「未婚女性フィーユ)」というのは、結婚をしておらず、寡婦でもない女性を一括した呼称であり、夫と長年連れそった内縁の妻、行きずりの男とわずかの生活をともにしただけの女、未婚の母、身寄りのないオールド・ミスなども同一視している。こうした不正確さにもかかわらず、精神病院内では病院の外よりも独身女性が多いというのはたしかな事実である。独身女性は一八三八―四八年のサルペトリエールの任意収容者の四七パーセントを占め、それに対し強制収容者の場合は二八パーセントにとどまっている。独身者が孤独な境遇にあることを考えれば、この割合は奇妙である。だが、ひとり者の女性が自活していかねばならない社会的状況を顧慮すれば、この見かけの奇妙さに説明がつく。女性は家庭にいるときより外でのほうが、狂気の最初の徴候を知覚した同僚や雇用主によって、「狂女」のレッテルをはられやすい。精神病がたとえ軽微なものであっても、労働とは両立できないがゆえに、雇い主は収容を申請することができる。たいていの場合、雇い主は病気の女性を解雇するだけで満足し、その行く末は一顧だにしない。
 女性の奉公人の場合も、原則的に独身ではあるが、事情は同じではない。ブルジョワたちは自分の内輪で発生するいかなる異常性も許容しない。ささいな言動にいたるまで監視されて、雑事に追われる女性は長く精神障害を隠しおおすことができない。当時蔓延していた梅毒恐怖症のおかげで、ブルジョワジーの幻想のなかで性病と狂気は固く結びついており、排除は一刻を争う問題である。召使いの女性を専門病院に任意収容することは、ブルジョワ階級の女性にとって――というのはこれは彼女たちの役割だったから――神聖なる家庭の番人として家族を護り、かつ人道的な主人として使用人のために善行を施す、という二重の遂行を意味した。(『第T部』の『第三章 共通イメージ』の中の『狂気と家庭内立場』より)
………………
 メイドさんにとって、十九世紀のフランスは住み難い世界だった様ですね。多分、生意気とみなされたメイドさんが、雇い主から『狂気を患っている』という嫌疑を掛けられ病院送りにされる事もあったんでしょうね。


第三十九回(2004.10.17現在)
トレイシー・シュヴァリエ/著、木下哲夫/訳『真珠の耳飾りの少女』白水社
 一時期メイドさん好きの間で話題になった、同名の映画の原作。題名は十七世紀頃のオランダの画家フェルメールの作品『青いターバンの少女』の別名。
 実はこの『真珠の耳飾りの少女』のモデルがどんな人物かとかは不明で、著者が想像を膨らませて、メイドさんという事にして小説を書いた様です。つまりフィクションの域を出ないのですが、当時の生活がどの様なものかがよく分かって面白いです。夫人が次々に身篭もっては子供を乳母に任せる事や、雇い主がメイドさんに手を着けて身篭もらせた挙げ句屋敷から追い出したりする事など、結構十九世紀におけるメイドさんの状況とあんまり変わりないって辺り、何時の時代でもメイドさんは大変なんだなーと感じます。この小説の中では、結構メイドさんが絵のモデルになっているという設定が多く、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』は先輩メイドであるタンネケ、同じく『女と二人の紳士』はフェルメールのパトロンであるファン・ライフェンが手を着けたメイドさんがモデルという設定になっています。  メイドさん関係で気になる部分を引用。
………………
 「ああ、知っているよ。精肉市場は一時その話でもちきりだった」くすくす笑いながら返事をする。身を乗り出して陳列した牛舌を並べ替える。「もうあれから数年になるかな。ファン・ライフェンは調理場の賄いをしていた女中に、自分と一緒にモデルをさせたんだ。女中には夫人の赤いドレスを着せ、それから絵にワインを描くように計らった。そうしておけば一緒にポーズをとるたびに、ワインを飲ませられるからね。もちろん絵ができあがる前に、女中はファン・ライフェンの胤を身篭もっていたってわけさ」
 「その女中さん、どうなったの?」
 ピーターが肩を竦める。「そういう女にはどういう運命が待っているのかな」
 そのことばを聞いて、身体中の血が凍る思いがした。そういう話を聞いたことがないわけではないけれど、そんなに身近なところで起きていたとは。カタリーナの服を着てみたいという夢のこと、廊下でファン・ライフェンに顎をつかまれたときのこと、旦那様に「この子を描かない法はない」と話しかけたファン・ライフェンのことを思い出した。
 ピーターは仕事の手を休めて、顔をしかめた。「なぜその子のことを聞きたがるんだい?」
 「何でもないわ」快活に答える。「ちょっと小耳に挟んだだけ。何でもないのよ」
(中略)
 カタリーナは宝石箱をアトリエに置いたままにすると自分で取りにいくこともできないので、気が進まないようだった。わたしを疑っていたせいもあって、それにはわたしが嫌いなのと、女中は奥様の銀の匙を盗むものという世の通説に惑わされたのとふたつの理由があるのだろう。盗癖と主人の誘惑。世の奥方は女中がこれに乗り出すときを今か今かと待ち受ける。
 ファン・ライフェンを見てもわかるように、たいがいは男が女中の後を追い回すので、その逆ではない。女中ならただで手に入る。男たちはそう思うのだろう。(『一六六五年』より)
………………
 本当に、何時の時代でも、メイドさんは大変である。

イサク・ディーネセン、桝田啓介/訳『バベットの晩餐会』ちくま文庫
 著者は一八八五年のデンマークに生まれたお嬢様で、一九一三年に父親の親戚にあたるスウェーデンの貴族と結婚し、男爵夫人カレン・ブリクセンとして一四年から三一年まで東アフリカの英国領植民地(現在のケニア)でコーヒー農園を経営したものの、結婚生活の破綻と病気に苦しみ、離婚後も男爵夫人を名乗ってはいたが、結局農園経営に失敗し帰国。本格的に創作活動を始めた時には、既に五十歳を目前にしていたといいます。男性名であるイサク・ディーネセンでは英語版で、本名である女性名カレン・ディーネセンではデンマーク版で発表したという特異な作家です。
 題名を聞いてピンとした人は多いかと思いますが、これは同名の邦画の原作です。一八七一年にフランスで起こった革命から始まるこの物語は、フランスから逃れてきた女中バベットが、宝籤で引き当てた大金を使い、仕えている二人の女主人をもてなすという話です。もう一つ収録されている『エーレンガート』は、侍女をしている軍人の娘が、中年の画家の手により誘惑される話です。
 物語の持って行き方が巧みな良作。バベットの手による料理が引き起こす“奇跡”が話の中心なので、メイドさんの生活という点ではやや物足りなさを感じますが、フランスでの革命から逃れ、その先で女中として身を置かせてくれた老姉妹に対するバベットの忠義心と“芸術家”としての誇りが本当に良い感じです。
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 あるいはまた、この二つの物語の中ではヴァルキューレに出あうことができる。バベットとエーレンガートはそれぞれ、「大柄のがっしりとした、色の浅黒い」女であったり、荒馬に乗りチェスや剣を好み、武装した乙女であるところの「オーディンの若き侍女ヴァルキューレのよう」であったりする。まるでジークフリート以外の男は誰も勝つことのできない最強の女ブリュンヒルトのように、あるいはスサノヲを迎えて四股を踏むアマテラスのように、ここで美しい見事な女とは戦う女、働く女、強い女であって、そのとき女とは征服される者のシンボルではなく、生命力のシンボルなのである。ディーネセンの物語では、そのようにたくましい神話と物語の女こそが女なのである。通常の小説ではこういう女はヒロインにならない。しかも、バベットは料理人で、エーレンガートは侍女という、主人をもつ立場にある。このような立場も、ヒロインにはならない。しかし考えてみれば、「笑い」の象徴であるアメノウズメに典型的に現れるように、神話世界では、ヒロイン型でない女が、人間存在の究極を担っているのである。バベットやエーレンガートの中にはアルカイックな女性像がある。それは縄文やアステカの土偶の女神のようでもあり、充実した体躯で立ちはだかるヘレニズム彫刻のアフロディティやヴィーナスのようでもある。そういえば、エーレンガートは「ヴォータン」という名の荒馬を乗りこなしている。ヴォータンはあの北欧神話のオーディンのこと。エッダやサガでは常勝の王であり、姿を変えて出没し、巨人の女と交わって多くの子を生む。バベットやエーレンガートはまさに女巨人のようであり、あるときは魔女に見え、あるときはプシュケーに見える変幻自在な存在なのだ。(『解説』より)
………………
 『ワルキューレ=メイド』説登場。まあ、メイドって単語は、元々『乙女』って意味ですしね。確かケルト神話で女戦士が住む国が登場するんですが、その国の名前が『メイドランド』だったよーに記憶しています。 上野千鶴子『差異の政治学』岩波書店
 第十五回でも紹介した上野千鶴子の書籍。フェミニズム研究家である著者が、自らの最新の考え方をまとめた論集。
 何の気も無しに手に取ったら、メイドさんネタを発見したので紹介。
………………
 この定義のなかにすでに「主婦労働」と「家事労働」との区別が含まれている。というのは「雇用関係のもとで家事労働に従事している婦人」、すなわち女中や家事使用人が、当時は膨大にいたからである。すでに一九五五年、第一次主婦論戦で嶋津千利世は「主婦を家事労働に結びつけるものはなにか」[嶋津 1955(上野編 1982: T 41)]という問題提起をおこなっている。「主婦」と「家事労働」の結びつきの歴史的偶然性はすでに認識されていた。(中略)
 「家事使用人」の歴史は都市雇用者家族の「主婦」の歴史より古い[Oakley 1974= 1987 ; 上野 1994a ; 今井 1993]。「主婦」の語源が「家事労働者」どころか「世帯の女主人」として権威をもったものであること、それがやがて家事使用人を失って、かつて使用人がおこなっていた仕事をみずから無償でやらなければならなくなった都市雇用者の妻をさすにすぎなくなる過程は、日本でも、イギリスでも実証されている[Ueno 1987]。第一次主婦論争で経済学者の都留重人が「女中がやれば報酬のある仕事を、妻がやれば無償なのはなぜか?」[都留 1959(上野編 1982: T 177)]と正当な問いを建てたのは、この歴史的な背景によっている。
 事実、都留は「もしわたしが女中と結婚したら?」という仮定を立てている。五〇年代の日本では、それは決してありえない仮定ではなかった。だが都留はせっかく立てた経済学的な問いに答える代わりに、「目的のない仕事」と「目的のある仕事」とを区別することで、「女中が妻に転じて家事に張り合いを感じる」という心理的な問題にすりかえる。それを可能にするのは妻が雇用関係にない、という事実なのだが、その同じ事実は抑圧関係にもただちに転化することは、都留自信が指摘している。(『4 「労働」概念のジェンダー化』の『一 第二次主婦論争の背景』より)
………………
 第三十四回で紹介した『主婦論争を読む』の都留氏の話が出てきたので紹介。メイドさんと女主人と旦那様の三角関係デスカ?(違うだろ)


第三十八回(2004.10.03現在)
奥野健男『ねえやが消えて 演劇的家庭論』河出書房
 題名の『ねえや』とは、若い下女や女中達を親しんで呼んだ語だそうで、作者が幼い頃関わった『ねえや』の郷愁を元に、日本文学に登場する『ねえや』達を論じたエッセイです。
 個人的にあんまり共感出来ないので、何かいまいちな印象が拭えない一冊。何かっつーと近代的な諸問題と『ねえや』がいなくなった事を安直に結び付けて、『ねえや』という他者が存在して家庭内に緊張が満ちれば、幼児虐待だの家庭内暴力が無くなるだのと脳天気な事を論じていて、正直言ってつまらないです。ネタとしては面白いけど、この作者、『ねえや』に対する思い入れが強過ぎて引いてしまいます。いみじくも第三十六回で紹介した『女と男の時空』で『奥野の言うような客観的視点とは単なる口実に過ぎず、男性作家は女性に対する甘えの感情を女中に投影していたのではないだろうか』とツッコまれている通りにしか思えません。

横山源之助/著『日本の下層社会』岩波文庫
 日本資本主義が一人立ちする明治三十年前後に、労働者・貧民に深い同情を寄せ、実態調査に基づくルポルタージュの集大成。
 日本のメイドさん、女中や下女に付いて調べる為に見付けた書籍。メイドさんに付いては『第5編 小作人生活事情』の中の『第八 下男・下女』と『第九 下女の払拭』が相当。
………………
 下女の一年に得る報酬は通例一石より一石二、三斗の間にして、それに俗に七ツ道具と呼ばれるるを貰う。前垂一ツ、笠一ツ、下紐一ツ、手拭一筋、腕ヌキ一対、襷一掛、木綿一反、併せてこれを七ツ道具と名づく。但し一石二、三斗を得るは作男四石を取るものと同じく、下女の上々にして、洗濯・機織をよくするにあらざれば一石二、三斗の下女を見るあたわざるなり。下男は物日に午後よりは心のままに遊ぶを得べしといえども、下女は年中気楽に遊び得る日なし。ただ物日の夜は夜業を廃するも主人に叱られざる特例あるのみ。(『第5編 小作人生活事情』の『第八 下男・下女』より)
………………
 ただに都会のみならず近年地方においても下女払底の声を聞くことしきり)なり。最も給金よしと称せられ、下女社会に喜ばるる宿屋の如きも出代でがわり)の期に及べば下女を得ること頗る難く、以前は坐して下女の来り頼めるを見たりといえども、今日は予め一ト月以前より次の下女を探し置かざるべからず。なおかつ約束期中逃げ去らるる憂あり。これを下女使う人たちの言によれば、当節の下女はどうもおらぬ、エラがって、畜生め、下女のくせにと呟きおるなり。これ何故ぞ。
 今、工女の所得と下女の得る者とを比せば、普通の商家に使わるる下女は半期(六カ月)にて二円より二円五十銭、宿屋ならば三円に出づ。そのほか祭礼祝節に縁家に使して多少の収入あり。宿屋の下女なりせば客より特に十銭二十銭を得ることあり、各郡によりて多少の相違あるべしといえども、越中地方において下女の得るところおおむねかくの如きに過ぎず。これを明治十年頃に比せば、通例下女の取りしは半期一円内外、即ち二倍ないし三倍騰れり。更に維新前に遡れば半期十六貫を取りたるは下女の上々(十六貫を今の銭に換算すれば八十銭なり。他地方は一貫は十銭を意味すれども、加賀藩領は一貫は五銭なりし)。通例は十二貫(六十銭)なりしと聞く。  機織工女の得るところいかんと見るに、下女の如く直に給金を得るあたわず。伝習生の名の下におおむね三カ年を無給金にて勤め(固より食料を要せず)、卒業せば十二丈物四本ないし五本を織るを得るが故に一本の織賃は八十五銭、四本織れば三円四十銭、五本織れば四円五十六銭を得るなり。一カ月に当つれば、五十銭にもならざる下女の給料とは非常の相違あるなり。
 機織工女について見るも製糸工女についてこれを見るも下女が今日得るところのものに比せば甚だ差異あり。宜なり、年取りたる婦女を別にして、以前は下女に出てたるべき少女の翕然として工場に赴けることを。いわんや東京その他の地方より来れる募集人が彼女らの喜ぶべき巧言もて誘うにおいてをや。
 下女払拭、余は或る意味において工業の進歩を意味せるものとして、下女の位置を高むるものとして深くこれを喜ぶ。しかりといえども、工業の発達とともに年に農業労働者の減少し行くは、国家前途のためにまことに憂慮なきあたわず。地方下女の払拭は、即ち右二個の撞着せる社会の事実を示しおる者と知らずや。(『第5編 小作人生活事情』の『第九 下女の払拭』より)
………………
 日本の女中、下女も又、イギリスのメイドさんと同じなんですね。

由起しげ子『ジュニア版日本文学名作選 35 女中っ子』偕成社
 作者は明治三十五年生まれのお嬢様育ち。題名の『女中っ子』は昭和二十九年発表作品で、これは彼女の短編小説の中では珍しく、純客観的な題材を使っており、且つ全作品の中でも傑作と言われている作品です。
 この『女中っ子』は映画化されたらしいです。挿し絵は萌えませんが、ワンピースにフリル付きのサロンエプロンという格好をしているので、当時の女中さんもメイトさんチックな制服を着用していたのかも知れません。田舎からやって来た女中と、その雇い主の家族との関係がよく分かる作品で、児童向け作品ですがおすすめです。
………………
 (中略)私は女中というものを好かなかった。何十年も女中のいる家で暮らし、女中を使って生活してきたが、とうとう私は女中を理解せず、女中も私を理解しなかった。私の家にきた彼女たちはどんなに年が若くても女中という人種に属し奥さまという特権階級に使われることを理想としていたようだった。私が彼女たちに職業人としての位置を自覚させ矜持と自由を持たせるようにつとめても彼女たちは猜疑と軽蔑以外にそれを受け入れようとしなかった。彼女たちの頭の中にはただ一通りの生き方、抜けめなく監視され、じょうずに使いこなされ、その間を彼女たちはまたじょうずにごまかして油をうる、という個性のない機械的な生き方しかないようであった。(『脱走』より)
………………
 家事使用人は何処も一緒だという一文でありますな。


第三十七回(2004.09.18現在)
平井呈一/訳『アーサー・マッケン作品集成W』牧神社
 第二回、第十八回、第二十一回に引き続き、アーサー・マッケンの作品集第四段。長編『夢の丘』を収録。
 マッケン自身の半生を投影したと思われる長編。こういう日常から非日常に移る物語が多いのがマッケンの特徴ですが、この作品でも二十世紀初頭の中流階級の生活が描かれています。

金井美恵子『春の画の館』思潮社
 シュールかつエロティックで詩的な小説。
 インターネットでメイドさんに関するネタを探していたら引っ掛かった作品。『春の画の館』と呼ばれる館に住む、十二人の女中メイド)と少年少女達、そして姿無き主人、彼等が繰り広げる、非日常の“日常”を描いた小説……らしい。読んでもよく分からないんですが。設定が微妙にエロゲチックなのは、気のせいという事で。
 面白げな所だけ引用してみます。
………………
 館には主がいる。彼の姿を見た者は誰もいなくて、館の庭に建てられた十二の小屋に一人ずつ住んでいる十二人の《女中メイド)》と呼ばれる年齢不詳の女たちは、噂によれば館の主の乳母とも生母(十二人の女たちが十二人の腹の中で一人の子供を孕み生んだというのである。)とも姉妹ともいわれるが、主と十二人の《女中メイド)》たちが若かった頃、こんな噂があった。それは、館の主が十二夜かかってひとつひとつの小屋を訪問し、毎夜小屋からは淫らな笑い声やもっといろいろな恐しい音が聞えて来たというのである。十三日目の夜は不気味なほど静かで、館の上に昇る月を見て泣く主の声と罪におののく女たちのでたらめな合唱が森に木霊したという。
………………
 館には少年少女たちが住んでいる。館の廊下をはさんで右側に少年たち、左側に少女たちが住んでいる。彼等はそれぞれ白い薄物(リネンとかボイルといった布地)の制服を着ているが、下着というものを着る事を許されていないので、すなわち白い薄物の短いシャツとずぼんが少年の、腰あたりでギャザアをしぼったワンピースが少女の、それぞれの制服である。冬などは(とりわけこの地方は厳寒で、針の葉を持った樹木しか育たない)風邪をこじらせて肺炎で死ぬ少年少女が少なくない。死体は《女中メイド)》たちがいつの間にか始末し、どこからかまた新しい少年少女がやって来るので人数は常に一定の頭数を保っている。
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 春の画の館では公然と売春がおこなわれる。しかし、館は決して売淫屋を商売にしているわけではない。館の庭の十二の小屋が売淫行為のために使用され、小屋が使用されている間《女中メイド)》たちは外でじっと待っている。
 小屋は古びていて崩れかかっているのだが、もともときちんとした型のものが崩れかかっているのか、それとも最初から未完成のままで工事を打ち切ってしまったのか、今ではよくわからない。小屋は奇妙に歪んでいて扉などは開くために半日もかかることがあるのだ。館の主の乳母とも生母とも姉妹ともいわれる十二人の女たちは、白い絹まがいのモスリンと玉飾りのレースの付いた胸高の位置から襞を取った裾の長い服を着て、同じ布で出来たボンネットをかぶっているので、一見、巨大なベビー人形のように見える。彼女たちの子宮にはひとつひとつの星が秘んでいて、また、彼女たちは一ヶ月の休養期間を除いて年中孕みつづけ、つぎつぎと産み落とされる赤ン坊たちはやがて館に住むことになるのだ。
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 いや、こーしてみると、本当にエロゲチックな設定ですな。

小沢淳『プリマヴェーラの葬送』講談社
 少女向け小説でファンタジーを書いている作者が初めて書いた、幻想耽美ミステリー小説。父なし子として生まれ、金に意地汚い叔母に育てられた少女が、名家の屋敷で女中として雇われた。異変を感じた彼女が叔母に手紙を渡した事から物語が始まる。
 耽美かつ幻想的な推理小説。殺人事件の起こった屋敷の捜査と、メイドさんとして屋敷に入った女性の日記とが交差して物語が進みます。一応メイドさんが登場しますが、メイドさんらしい事は殆どしません。それより『屋敷には春夏秋冬の部屋が存在し、そこに遊び女を住まわせて子供を産ませている』などという設定が、上記の『春の画の館』に非常に似ていたりします。そーいや、題名の『プリマヴェーラ』って、春の女神って意味らしいし。


第三十六回(2004.09.18現在)
奥田暁子/編『女と男の時空【日本女性史再考】 I鬩ぎ合う女と男 近代―【下】』藤原書店
 日本における女性と男性の歴史を、時代毎に分けて論じたシリーズものの近代版。明治初期から大戦後に掛けてを、様々な視点で論じています。
 メイドさん関係はズバリ『V 労働からの視座』の中の『10 女中の歴史』が該当。他の所でも『女中』に関するデータがありますが、日本における家庭内使用人『女中』に関する詳しい情報が載っています。
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 女中は一家の主婦よりも早く起きて遅く寝るのが普通で、勤務時間は概して非常に長かった(平均的にみれば、午前五時起床で、午後十時就寝という例が最多だが、中には午前三時や四時に起きる者もいたし、就寝が午前零時以降になる場合もあった)。実際の女中の一日はどうだったのだろうか。大正十五(一九二六)年十月号の『婦人公論』に掲載された「ある女中の日記」から一般的な女中の一日を再現してみよう。
 午前四時起床。ご飯の釜にガスを点火する。ご飯の釜がふいてくるまでに井戸から水汲みをし、玄関、六畳、四畳にはたきをかけざっと掃除をする。お汁の鍋を火にかけ、その間に茶の間の掃除。玄関のたたきを洗う頃六時になる。大急ぎで六畳と四畳の雑巾がけを済ませ、郵便受けから十何種類の新聞をとり、ご主人の枕元へもっていく。ご主人が起きた様子なので、寝室へ洗面用の水をもっていく。四歳のお嬢さんの起きた声がするので着替えの服をもって寝室へ。子どもに着替えをさせ、トイレに連れていく。ご主人にお茶を出してから、床上げ。洗濯するシーツと肌着を縁側に出し、布団を干す。それから朝食の支度にかかる。朝食が済むのが七時半。二〇分間で台所の後始末をすると、ご主人の出勤時間。ご主人の着替えを手伝う。肌着、ワイシャツ、靴下まで履かせてあげる。ネクタイも結んであげる。三つ指をついて送り出す奥様のそばの土間で立ったまま最敬礼。
 台所に戻ると魚屋、肉屋、八百屋、酒屋などのご用聞きが待っている。
 十時頃奥様外出。
 洗濯をして、掃除が済んだのはお昼過ぎ。
 それから二時間ばかり裁縫、夕方の掃除をし、時には来客の接待をする。そして夕食の準備・お給仕・後片付けをして、ご主人一家が十一時半に就寝した後、十二時近くに自分も寝る。しかし、ご主人のかえりが不規則なので、時には十二時頃に後片付けを済ませ、就寝が二時になることもある。
 これが彼女の一日であるが、これだけ働いても給料は月額一三円であった。ちなみに、東京で働く当時(大正十四年頃)の女性の収入はと言えば、一番高給なのが医師で、平均月収は三百円、髪結や産婆は一五〇年、中等教師が百円、女給七〇円、小学教師七〇円、看護婦五〇円、事務員三五円、交換手三五円、そして数の上では最も多い女工が二六円であった。女工についで就職者の多い女中の平均月収は一五円であった。(『10 女中の歴史』の『一 女中の実態』より)
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 主婦にとって女中は家事使用人以上でも以下でもなかったが、主家の男性にとってはそれだけの存在ではなかった。同じ部屋の下で生活を共にしながら、彼女は家族の一員ではない。まして彼女は健康な若い女性であったから、主人の性欲の対象となることもしばしばあった。女中の性が主人によってもてあそばれることは日常茶飯事で、社会問題になることもなかった。おそらく多くの悲劇があったのだろうが、歴史の闇の中に葬り去られ、その実態は分からない。わずかに新聞の三面記事や身の上相談を通じて彼女たちの性がいかに踏みにじられていたかを窺い知ることができるに過ぎない。(中略)(『10 女中の歴史』の『二 女中と性』より)
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 『四 西欧の女中と日本の女中』では、イギリスとドイツのメイドさんの例が挙げられているのですが、イギリスのメイドさんの例として挙げられているのが第十七回で紹介している『イギリスのある女中の生涯』だったりします。

女性史総合研究会/編『日本女性生活史 第4巻 近代』東京大学出版会
 日本における女性の生活を、時代毎に分けて論じたシリーズものの近代版。家と家庭、女性労働者、性別役割分担的な女性のライフ・サイクルなど、戦前・戦中の頃の女性を取り巻いていた環境を、様々な視点で論じています。
 メイドさん関係では西川祐子『住まいの変遷と「家庭」の成立』、田崎宣義『女性労働の諸類型』が相当します。前者は住まいの構造から家庭内の女性を、後者は業種・職種の割合から女性労働者を語った論文です。特に興味深いのは前者です。
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 しかしベーコンがとくに関心を寄せたのは、モースが図面を残したような東京の中程度の家に住む元士族、当時の勤め人の家族生活であった。ベーコンを日本に紹介した津田梅子や大山捨松がこの階層の出身であっただけではない。このような家の娘たちがやがて教師としてのベーコンの生徒になるはずであった。ベーコンには、中流階級の育成がこの国の将来を決めるという直感が強く働いている。
 観察を始めたベーコンはまず、日本には裕福な家庭の数は少ないにもかかわらず、中程度の家にまで召使が多く立ち働いていることを不思議に思っている。煩雑な家事はすべて人力に頼り、車夫、馬丁、門番、下男、上女中、下女中などがいる。自分に仕えた車夫のヤサクと女中のオカヨを通じて、彼らの忠誠心、役割のなかでの自律、仕事をやりとげる能力を高く評価する一方、主家の身分の高低をそのまま自分の身分の高低と考え、主従に一体感があることに驚いている。
 都市の中程度の家に車夫や女中を供給したのは農村の小さな家であった。ベーコンが見たのは都市の中程度の家に持ち込まれた親方―子方の関係であり、奉仕と恩恵によるかたい結束であった。都市の中程度の家は、農村の大きな家と同様に、多数の使用人が家事労働をうけもち、家長が全体を支配する空間であった。
 しかしアメリカから来たベーコンにとってみれば、このようなサーバントは雇用契約を結ぶ労働者ではなく隷属的な身分である。そして夫の脱いだ着物をたたみ、食事のときは給仕をするだけで一緒に食べない、夫の出勤と帰宅のおりに形式的な見送り出迎えをし、夫から重要な事柄についての相談をいっさい受けない妻はせいぜい召使頭としか見えない。「今日の日本の女性は巨大な召使サアバイル)階層をなしている」ことが、日本独自の問題であった。(『住まいの変遷と「家族」の成立』の『1 大きな家、小さな家、中程度の家』より)
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 現代の私たちには、らいてうの悩みの直接の原因となり、当時の社会問題であった「女中の払拭」という問題が想像しにくい。家事にそのような手伝いが期待できるという前提がないからである。
 だが当時の台所は、いわゆる文化生活においてもガスの火口一つ、水道蛇口一つが文明の利器であった。井戸から水を汲み、かまどを利用した炊事とくらべれば格段に便利な都市生活であるが、それでもまだ風呂や火鉢の燃料の準備、漬物、乾物などの食料の貯蔵、着物、布団の洗い張り、縫いかえ、季節の大掃除、障子の張りかえなどに必要な労力は限りがなかった。既成の食品、衣類あるいは電化製品など家事の商品化が実現する以前に、生活についての衛生、快適あるいは美的欲求の増大が先行して、家事を増やした。衣類一つにしても洋服と和服の二重生活があった。都市の中程度の家の中で限りなく増えてゆく家族のさまざまな欲求は、それまでは農村の小さな家から供給される家事労働者の労力によってかなえられてきたのだった。その労力が、製糸、紡績などの工場に買い取られ吸収された結果の「女中の払拭」であった。(『住まいの変遷と「家族」の成立』の『3 都市の新しい住民の住まい』より)
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 十九世紀末を生きたアメリカ人のアリス・ベーコンが驚いたという親方―子方の主従関係は、現代のメイドさん萌えで『必要』とされる要素である事を踏まえると、『ご主人様一筋』な昨今のメイドさんは、矢張り現代日本的な存在だという事ですね。

尾高煌之助+中村隆英/編集『日本経済史6 二重構造』岩波書店
 二つの大戦の間における日本経済に付いてを論じたシリーズものの第六巻。内約は尾高煌之助+中村隆英『概説 一九一四―三七年』、橋本寿朗『巨大産業の隆盛』、尾高煌之助『二重構造』、寺西重郎『不均衡成長と金融』、山本有造『植民地経営』、中村隆英『景気変動と経済政策』、伊東隆『「国是」と「国策」・「統制」・「計画」』。
 最初に言っておきますが、経済学なんて学んでないので、内容ちっとも分かりません。この中でメイドさんに関係しているのは『二重構造』です。ここで語られているものは、二十世紀初頭における日本の都市部の女中と、農村の農作業、工業の繊維工場との関連性です。興味深いデータが多いので、幾つか抜き出します。
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 他家の奥深くに入って、その日常生活を支えるのであるから、女中は信用がかんじんである。雇う側もそれなりに気を使って、人伝ての噂や紹介状を頼りに、できるだけ適切な人を捜す努力を払ったようである。そのせいもあって、女中のなかには家族の一員同然の扱いをうけたり、幼児がいる家ではその人格形成に少なからぬ影響を与えた者もあった。裕福な家庭では、住み込み女中が結婚のため退職する際には、嫁入り道具の一部をあつらえてやることもあった。
 「奉公人」である以上、雇主と彼らとの間には主人・召使の関係が想定されている。つまり、台頭的な労働サービスの売買関係ではなく、人ぐるみの支配と従属の関係である。下女が準家族として扱われるのもそれだからだからこそといってよい。古くは、女中の呼称もその家で代々使い慣れた名前が使われて、固有名詞は無視された。太平洋戦争後の描写にも、少しそれに似た例がある。
 ともかく、驚くほど収入が多くもなくとりたてて豊かでもなさそうな人々の家庭で女中が使われる情景が文学作品でひんぱんに描写され、読者がそれを不思議とも思わずに受け取っていた点を注目したい。これは、とりもなおさず女中の利用がありふれた現象だったことを立証している。つまり、それだけ女中の供給が潤沢だったのであり、その給金も比較的安かったのである。
 なぜこれほどまでに女中の利用が一般的だったのだろうか。それは結局のところ、産業化の時代に突入した当時の労働市場が、基本的に労働過剰の状態にあったためである。もちろん時代は、新しい型の工業技術にマッチした労働者を求めていたから、外国から「借りてこられた」技術に適応可能な熟練労働者たちは不足がちであったが、他方、伝統的ないし非熟練の労働に対する需要は、第一次世界大戦期のような好景気を除けば伸び悩むことが少なくなかった。そして後者がだぶつけば、女中のなり手はもちろん増加した。
 女中として働いていた女性たちは、総体的に貧しい家庭の出身だった。彼女たちは、主として農村の余剰労働力のなかから供給されたと考えられる。ここで労働者が余剰とは、仮に該当する本人が供給元の産業で資本制生産に携わったとするなら、労働の限界生産性が賃金以下である状態を指す。小農経営がいかに労働集約的農法を採用しても、農村での就業機会には自ずから限度があった。そこで農家には、農外就業によって農家の収入を増やすとともに「口減らし」する必要があったのである。それゆえ女中奉公も、農村外に勤め先を見つけてこそその本来の目的が達せられたといってよい。(『3 二重構造』の『二 女中の時代』より)
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 それゆえ、女中の需給を決めるにあたって人びとの判断の基準になるのは農作業の経済価値だったと考えてよいだろう。つまり、女子有業者中に占める女中の供給割合は、女中の給金が農業賃金に対して高ければ高いほど大きい。ただし、線維工業の景気がよくてその女工賃金がつりあげられるような状況では、競合が生じて、女中の供給は相対的に減っただろう。
 他方、女中に対する需要は、女中の給金が低いほど、あるいは農業賃金の水準に近いほど旺盛になるだろう。ただし、その比較にあたって問題になるのはそれぞれの実質賃金のはずであるから、上記のほかに、農作物価格と都市対人サービス物価との相対関係も考慮に入れなくてはならない。というのは、都市の対人サービスの値段が相対的に高いときには、女中の実質賃金コストは低くなり、その結果女中に対する需要が増える(逆は逆)と考えられるからである。さらに、他の事情が一定でも、都市の一人あたり実質所得が農村のそれに比べて大きくなれば、女中に対する需要は増加する道理である。(『3 二重構造』の『五 都市と農村のはざまで』より)
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 文化面において日本的な違いがあるものの、メイドさんのなり手が貧しい農村部の女性である事など、イギリス他ヨーロッパのメイドさんと同じというのも、よく考えれば当たり前ですが、興味深いですね。主人の必要に応じて、呼び名を変えられてしまう当たり、第二十九回で紹介した『人形の家を出た女たち 20世紀イギリス女性の生活と文化』でも実例を挙げている様に、何処でも一緒なんですね。


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資料をまとめてみました。
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