
☆図書館にでも行きましょうか。☆
☆図書館にでも行きましょうか。☆
最近ロクに更新していないので、又新たなコンテンツを立ち上げたりして。
万年金欠な小手鞠萌はよく図書館に行く訳ですが、そこでよく借りる本の中でも、面白かったり資料としてなかなか良い物を紹介するコーナーです(安上がり)。
因みに基本は“十九世紀”。本物のメイドさんが生きていた時代っすね。でも読んでいる本、かなり偏りあり過ぎです。しかも実はあんまり小説読まない事、バレバレ。大層なもんでは無いけれど、ある意味“裏ヴィクトリアン・ガイド”かも(^_^;)。
第一回〜第十回/第十一回〜第十五回/第十六回〜第二十回/
第二十一回〜第二十五回/第二十六回〜第三十回/第三十一回〜第三十五回/
第三十六回〜第四十回/第四十一回〜第四十五回/第四十六回〜第五十回/
第五十一回〜第五十五回/第五十六回〜第六十回/第六十一回〜第六十五回/
第六十六回〜第七十回/第七十一回〜第七十五回/第七十六回〜第八十回/
第八十一回〜第八十五回/第八十六回〜第九十回/第九十一回〜第九十五回/
第九十六回〜第百回
→トップに戻ります。
資料をまとめてみました。
→メイドさんに関する資料・一覧表
第五十回(2005.01.16現在)
エミリ・ブロンテ/作、阿部知二/訳『嵐が丘(上)』岩波文庫
エミリ・ブロンテ/作、阿部知二/訳『嵐が丘(下)』岩波文庫
十九世紀中葉に活躍した、ブロンテ三姉妹の一人エミリが書き残した長編小説。二家族の親子二代に渡る愛憎の悲劇を描いた作品です。
十九世紀頃の英文学の中でも有名な作品。実は目を通したのが始めてだったりします。登場する人物は皆気の荒い乱暴な性格なのですが、とりわけ主人公ヒースクリフの性格の凄まじさは恐ろしいものですな。メイドさんは一応ネリという家政婦が登場しますが、年齢が年齢な上に、この人も性格キツいです。
シャーロット・ブロンティ/作、遠藤寿子/訳『ジェイン・エア 上巻』岩波文庫
シャーロット・ブロンティ/作、遠藤寿子/訳『ジェイン・エア 下巻』岩波文庫
こちらは姉のシャーロットの作品。生まれて間もなく両親を失ったジェイン・エアは、冷酷な叔母の元で幼少期を過ごした後、規則づくめの寄宿学校に送り込まれる。十八歳になった彼女はロチェスター家に家庭教師として雇われるが、その主人に惹かれ、身分の違いを超えて結婚しようとする。しかし彼には発狂した妻がいる事が分かり、絶望の内にさすらいの旅に出る。
粗削りの感がある『嵐が丘』と違い、こちらは情熱的でありながらもそれを抑制していて、割と読み易い感じがします。メイドさんは、ジェインが養われていた先でベシーという子守が登場します。彼女はジェインの事をそれ程嫌っている訳では無いものの、取り立てて好きという訳でも無い印象を受けます。
石川謙次郎『変わるイギリス 変わらないイギリス』NHK出版
日本人には認識し難い『階層社会』『階級制度』という角度から、変貌しつつある現代イギリスのもう一つの側面を論じた書籍。
よく『二つの国民』などと揶揄される階層社会のイギリスですが、これを見るとそれが具体的にどんなものかがよく分かります。階層毎の意識の違いやその区別の付け方、イギリス紳士に付いてなど、イギリスに於ける階級制度を理解するには良い一冊です。初心者向け。
第四十九回(2005.01.09現在)
内藤弘『スコットランド・ヤード物語』晶文社
十九世紀初頭のロンドンに誕生した世界最初の近代警察、ロンドン警視庁、通称スコットランド・ヤード。膨大な資料を駆使して、運営の実際からシャーロック・ホームズ物語に隠れたエピソードまで、スコットランド・ヤードの知られざる歴史を浮き彫りにした書籍。
スコットランド・ヤードに関する情報ならピカイチの一冊。かなり詳しい情報と面白いエピソードが満載で、読んでいてためになります。メイドさん関係では、見回りの警官にメイドさんが極めて緊密な仲になるという話が登場します。
………………
真冬のパトロールともなれば、身も心も凍る。そのため巡査はみななんとかして冷えきったからだをあたためようとする。要領がよい巡査はビート内の商店主と親しくなり、パトロール中に店の前をとおるたびごとに店内にいれてもらってストーブでからだをあたためる。もっとあつかましい巡査はビート内のりっぱなお屋敷のコックや女中ときわめて親密な仲となり、パトロール中にこの家にたちよって、かれらからキッチンであたたかい食べ物や飲み物の接待をうける。これらの巡査は「巡査は職務を執行するときのほか、民家へ立ち入ってはならない」という巡査勤務規程に完全に違反している。さむければ、もうそんな規程などにはかまってられない、というのがかれらのホンネであろう。
だが、『パンチ』誌はかれらの職務怠慢をみのがしてくれない。パトロール巡査の飲食めあての巡回連絡の実態をスクープして、
おまわりさんは
コックがラビット・パイを
焼いているとき
地下室への階段をおりるのが
おすきだよ
おすきだよ
とうたって、かれらをヤリダマにあげている。(『3 街路灯によじのぼる巡査たち』の『巡査はなぜ夜間パトロールをさぼるのか』より)
………………
つぎに、当時のパトロール勤務規程のなかからおもしろそうな条項をいくつかえらんで紹介しよう。
巡査部長は女中およびその他の女性に、パトロール勤務中の部下と立ち話をさせてはならない!『(3 街路灯によじのぼる巡査たち』の『パトロール実施要項』より)
………………
メイドさんの恋のお相手は警察官、というのは結構よくある話だった様ですね。
B.エーレンライク+D.イングリシュ、長瀬久子/訳『魔女・産婆・看護婦』法政大学出版局(りぶらりあ選書)
西欧の歴史に於いて医療の実践者として活躍してきた女性が、自立した医療家の地位から現在の補助的医療労働者の地位に下落してしまうまでの過程を描き出した『魔女・産婆・看護婦』と、十九世紀アメリカに於いて男性社会によって医療や衛生問題の対象に仕立てられた女性を調査し論じた『女のやまい』を併載した書籍。
十九世紀頃の医療に関して、女性の側から論じた書籍。魔女狩りが上流階級の下級階級に対する抑圧の側面を持っていた事、経験主義的な産婆から観念主義的な男性の医者へと取って代わられた理由など、医療に関する様々な事が述べられています。メイドさん関係は『女のやまい』に載っています。
………………
家事使用人、つまり「門のなかの他人」はそう簡単には追い出せなかった。なしでは済まされないが、信用できるだろうか? 二十世紀の二、三〇年代を生きたことのある人の言うところでは、「銀器か何かがなくなれば、召使いが取ったに違いなかった。家族のだれかが病気になれば、当然、召使いが何か運んできたと疑った」。
「腸チフスのメアリ」事件は、家事使用人からの感染の危険性に公衆の注意を釘付けにした。この事件に関する短い記事から、その劇的衝撃を知ることができる。
メアリ・マロンは、オイスター・ベイ、パーク・アヴェニュー、サンズ・ポイント、メーン州ダーク・ハーバーなどの上流階級地域で働くアイルランド系アメリカ人のコックだった。彼女の人物保証書は立派なもので、雇い主は彼女の料理を好み、一家の災難に直面した時の彼女の落ち着きに感銘を受けたものも多かった。主人の一家が惨事に遭うのが、マロン女史の職業生活の特徴のようだった。
一九一五年に彼女が最後に隔離された時、彼女のかつての雇い主たちの家庭には五二人の腸チフス感染者が出ていた。そのうち三人は重態だった。雇い主たちは腸チフスが発生しても、ニューヨーク市保健局の厳格な検査が、マロン女史を被告としてあばくまで、家庭内のだれか他の使用人のせいにしがちだった。実験室の試験の証明では、彼女は自身は発病しないが、腸チフス菌の保菌者だった。一九〇七年に彼女は始めて拘束され、イースト・リヴァーの小さな島の隔離所に入れられた。三年後、コックをしないという条件で誓言して釈放された。一九一三年、誓言を破って追放された。二年後にまたしてもコックとしてクィーンズ病院に現れたがここも、腸チフスに襲われた。
マロン女史は、自分は腸チフスで発熱したこともなく、保菌者でもなく、宣伝効果をねらった保健局の役人の罪のない犠牲者だと、いつも言い張った。一九〇七年に保健局の役人が彼女を拘束しに来た時、彼女はまず肉用の大フォークで抵抗し、次に裏の窓から逃走して、樽でバリケードを築いた。彼女はただちに車で公衆衛生実験室に運ばれたが、公衆衛生局の名高いジョセフィン・ベイカー博士が彼女を押さえ付けるために胸の上にのしかかっていた。一九一五年の彼女の最後の逮捕はニューヨークタイムズによれば、またしても窓や裏庭を駆け抜けて追いかけっこをする「第一回と同様活発」なものだった。
これは細菌ゲリラ戦の最も過激なものだった。新聞の日曜付録はマロン女史が死神の姿でフライパンにガイコツを投げ込んでいる漫画を掲載し、ニューヨークタイムズは、人物証明書を徹底的に調査しないで召使いを雇う危険性について、重々しく解説した。腸チフスのメアリは、手に触れる一切を毒する「病原菌として」の女性のシンボルとして伝説のなかに生き残った。(『U 女のやまい』の『労働階級の「病原菌」としての女性』の中の『労働階級の女性の持つ特別な危険性』より)
………………
この中では、十九世紀に於いては、上流・中産階級の淑女は病人として、下層階級の女性は病原菌そのものとして扱われて来た事を語っています。
北原靖明『インドから見た大英帝国 キプリングを手がかりに』昭和堂
『ジャングル・ブック』の作家キプリングの作品を中心に、イギリスの植民地となったインドで暮らしていた英国人『アングロ・インディアン』達の心の内を鮮やかに描き出した書籍です。
インド関係の書籍を探していて、漸く見つけた資料の一つ。インド官僚など支配者階級の英国人の複雑かつ屈折した心情を論じたもので、生活ぶりはあんまり追求されていません。メイドさん関連ではありませんが、『もう一つの大英帝国』を知るには良いかも知れません。
第四十八回(2005.01.02現在)
イプセン、原千代海/訳『幽霊』岩波文庫
『人形の家』で有名なイプセンの戯曲。愛の無い結婚に留まり、因襲的な観念に縛られて生きてきた一夫人の、偽善に終始したその悲劇的な運命を描いた作品。
この作品にもメイドさんが登場します。しかもアレだったり。どんなもんかと言えば、母親もメイドで主人とアレだったり、自身もお坊っちゃまとアレだったり、しかもそのお坊ちゃまとは実はアレな関係だったりです(分かんねぇよ)。
………………
アルヴィング夫人 ええ、この家の中でですわ。向こうの(右手の第一のドアを指し)あの食堂ですの、はじめてそれに気がついたのは。わたし、あちらでちょいと用事をしておりました、ドアが半分開いておりましてね、すると小間使いがね、あの温室の花にやる水を持って、庭から入ってきたようでした。
マンデルス で――?
アルヴィング夫人 間もなく夫のまいる気配もいたしましてね。何かその小間使いに小声で言っているようすでした。そのうち聞こえてきたんですの――(ちょっと嘲笑い)まあ、まだ耳についてますわ、腹が立つやら、ばかばかしいやら、――わたしが自分で使っているその小間使いが、ささやいているんですの。――「およしになって、旦那さま! 放してください!」(『第一幕』より)
………………
で、ソレがアレになってあんな事に……因果とは恐ろしいもんでありますな。
P.F.ドラッカー、上田惇生+佐々木実智男+田代正美/訳
『ポスト資本主義社会 21世紀の組織と人間はどう変わるか』ダイヤモンド社
新しい時代、即ちポスト工業化、ポスト社会主義、ポスト資本主義の時代とは一体何かを経済学的に論じた書籍。
経済学の本ですが、非常に分かり易く読み易いです。結構日本の事を褒めていますが、しかし今まで経済学的に成功してきた分、転換期にあるこれからが厳しい時代とも論じています。近代化の視点から、十九世紀の事柄に付いても多く論じているので、目を通しておくと良いかも知れません。
アンドウ・ゼンパチ/著『ブラジル史』岩波書店
著者は移民輸送監督官としてブラジルに渡り、様々な職を点々とした後、記者として活躍した人物。十六世紀のスペインの植民地時代を中心とした、ブラジルの歴史を論じた書籍です。
ブラジルの歴史を植民地関連から語っていて、南米のメイドさんに付いても基本的な部分だけですが載っています。
………………
一六世紀後半から一八世紀にかけてのノルデステの社会は、奴隷制を基礎にしたエンジェーニョ主の家父長制によってすべてが支配されていた。カーザ・グランデと呼ばれたエンジェーニョ主の邸宅には、エンジェーニョ主の家族の外に、礼拝堂守の神父をはじめ、台所で働く料理女、主人やその家族たちの身の回りの世話をするムカーマと称する小間使、乳母、子守女その他種々の雑用をする女中など多数の女たちがセンザーラから選ばれて住みこんでいた。センザーラからカーザ・グランデに迎え入れられると、「彼女たちの身分はもう奴隷ではなく、カーザ・グランデの家族の一員として扱われ、まるで中世紀にヨーロッパの家庭に同居していた貧しい親類の者と同じである」と『バイーアにおける白人と黒人』の著者ドナルド・ピーアスンが適切に表現している。同じ奴隷でも、砂糖きび畑や砂糖工場での長時間の過重な労働を強いられ、時には残酷な刑罰に虐げられて、七年ないし一〇年ぐらいで身を消耗してしまう生産奴隷と、カーザ・グランデで働く家内奴隷とでは、全く雲泥の差があった。
カーザ・グランデについてはジルベルト・フレイーレの大作『カーザ・グランデと奴隷小屋』に詳述されているので、以下主にこの名著からの引用によってカーザ・グランデの性格を紹介することにする。
一六世紀ごろのカーザ・グランデは、インディオや海賊の襲撃を防ぐために「城のように堅固に作られた不格好なもの」であったが、「一七世紀の終りごろから一八世紀の末にかけては、ポルトガルの修道院のように宿泊所と慈善病院を兼ねたような大邸宅になった」。多数の家内奴隷が働くカーザ・グランデにおいては小間使(ムカーマ)は主人の妾を兼ねた存在であった。それゆえムカーマにはスーダン系の容姿の勝れた若い娘が選ばれたが、特にブラジル育ちでポルトガル語を話す魅惑的な混血娘ムラータは非常に歓迎された。「ムカーマは神父や医者よりも主人のことをよく知っている。なぜなら神父は彼の精神面のことしか知らないし、医者は身体のことしか分からないが、ムカーマは両方とも神父や医者以上によく知っている」と、フレイーレがマセードの小説『小麦色の娘』から引用している。幾人もの妾たちとともに住んでいた妻は、家父長の権力に忍従するように教育されていたし、読み書きできるものはほとんどなく、妻としての自覚など全くなかったから、夫の行ないを当然のことのように思っていたが、なかにははげしい嫉妬から、小間使の顔や耳を傷つけたりして残虐に苛めた者もあった。バイーア州のあるエンジェーニョであったこととして伝えられている次のような話がある。ある晩、ムカーマになってはじめて食事の給仕に出た女奴隷に、「なんてお前の目はきれいだね」と主人が言ったのに嫉妬を感じた妻が、あとでそのムカーマの目を抉り取らせて、その眼球をスープの中に浮かべて夫の昼食に出したという。
このような早婚で母親となっても充分に母乳がなく、またあっても母乳を与えては若い母親の体が弱るので、乳児は奴隷小屋から選ばれた健康な黒人の乳母に委ねられた。この乳母はマンエ・プレータ(黒い母親)と呼ばれて、カーザ・グランデで特別な待遇を受けた。それゆえ、「ブラジルの上流階級の子供たちは、母親のない者もある者も、皆生れ落ちるときから黒人の乳母や子守に育てられ、アフリカのお伽話や怪談を聞いて、黒人訛りのつたないポルトガル語を覚えた」。そして大きくなると、子守のムカーマから、揺れるハンモックの中でギイギイ軋る音を聞きながら最初の性的遊戯を覚えた。
カーザ・グランデの子供たちは皆このように育てられた。それゆえ彼らにとって黒人は、とくにその女はいやらしいものではなく、むしろ懐かしい親しい存在であった。この感情は、後には奴隷に対する待遇を温情的にさせることにもなったという。黒人の女、とくにムラータに対するブラジルの白人の性的な愛着は強い。その結果「ブラジルはムラータにとって天国である」とさえいわれたほどであった。(『第2部 植民地時代』の『第4章 「砂糖時代」』の中の『3 カーザ・グランデ』より)
………………
金鉱の発見者はその功績によって国王から貴族の称号を与えられ、鉱山の所有者は「セニョール・デ・ラーヴラ」と呼ばれて、砂糖地帯の「セニョール・デ・エンジェーニョ」同様に待遇された。しかし、所有地を勝手に拡げることはできなかった。また奴隷もエンジェーニョのように多数のものを必要としなかったので、奴隷数一〇人以下のラーヴラが大部分で、数十宇人もの奴隷をもつラーヴラは数えるほどしかなかった。
鉱山主の住宅もまたカーザ・グランデと呼ばれた。エンジェーニョのカーザ・グランデはすべて二階建で、地下には料理場、女中の仕事部屋、何十人も座れる大食堂などがあったが、金鉱地帯では平屋建が普通であった。そして玄関が広いヴェランダになっており、その横に接した一間が礼拝堂で、ミサには奴隷たちも主人の家族とともに礼拝した。ここには主人の妾を兼ねる小間使のムカーマも見られず、エンジェーニョのカーザ・グランデとは全く雰囲気が違っていた。一般的な間取りは、ヴェランダの奥に客間、その隣りが客用寝室、次が食堂、家族の部屋、台所であった。食堂には長い食卓に長い腰掛があって、上座に主人が座り、その次に家族、末席には使用人や馬子たちがいた。カーザ・グランデは中庭をはさんでコの字形につくられたものが多く、中庭では豚が台所から食べ物の残りが投げられるのを待っていた。ノルデステのカーザ・グランデにはオウムの篭がずらりと並んでいたが、ミナスのカーザ・グランデには、家の周りにも床の下にも豚がたくさんいた。豚は主要な食糧で、ノルデステからくる値段の高い乾肉より、家で飼育した豚肉のほうが喜ばれた。(『第2部 植民地地帯』の『第8章 「金時代」』の中の『2 金鉱地帯の社会』より)
………………
(中略)そして独身の女はほとんどが家内仕事に職を求めたので、サン・パウロ市ではどの家庭にもノルデステ訛りの女中が働いていて、女中といえばノルデステ女の代名詞のようになった。出稼人はサン・パウロやその周辺の都市や農場で何年か働いてある程度の貯蓄ができると、ノルデステ行きの長距離バスで意気揚々と帰郷するが、貧しい農村には仕事がないので一息つくとまた出稼ぎに出ていく。(中略)(『第5部 現代』の『第1章 ヴァルガスの台頭と失脚』の中の『4 ノルデステ難民のサン・パウロ州への流出』より)
………………
身の回りの世話をするメイドさんが恋愛と性愛のお相手、というのは何処も一緒って事ですね。
第四十七回(2004.12.18現在)
アン・オークレー、岡島茅花/訳『主婦の誕生』三省堂
『女性』に割り当てられた『主婦』という役割に付いて、その歴史的な成り立ちと弊害を論じた書籍。
現在イメージされる『主婦』は、実は産業化された近代に於いて誕生した概念である事は、この手の本で何回と論じられています。前半では、産業革命前と以後近代化が進んだ時代の女性の役割が論じられていますが、メイドさん関係は非常に少ないです。
………………
(中略)主婦とは、「召使以外の人間で、家庭の任務のほとんどに(もしくは、これらの責任を果たす召使の管理に)責任を持つ人間」である。主婦とは、「家事を運営もしくは指揮する女、家庭の女主人、世帯主の妻」である。
家事は社会的評価の低い労働である。そういう労働を表現する場合にふつう用いるmenialという語については、家事労働の形容に用いるのが唯一の正しい用法である。辞書でmenialをひくと、こうある。(1)serviceについての形容詞。卑しい(召使について、ふつう軽蔑的に)。(2)名詞。召使。フランスの古語mesnie(家族、家事)から。
個人家庭の召使という「下層階級」が実質的に消滅していく過程で、主婦と家事労働者の役割が一人の人間の上にだぶることになった。(中略)(『第一章 主婦とは何か』より)
………………
第二期 一八四一年〜一九一四年
労働者階級の妻と比べて、中流階級の妻の方がずっと早く専業主婦になってしまったのは、一つに家事をする必要がなかったからでもある。「中流階級の女性と、社会的により下位にあると思われる女性の主たる相違点は、自分に仕える召使が少なくとも一人はいて当然だと思う、その心的態度にあった」。(中略)
一八五七年には、年収一千ポンドで家族と最低五人の召使を、五百ポンドで家族と三人の召使を扶養できた。「雑働きの女中」の賃金は、当時、年に六ポンド十シリングから十ポンドで、それに、「茶・砂糖・ビール手当」が加算された。十九世紀中ごろから、次第に増加する女性人口の相当数が個人家庭で雇われ、一八八一年には、全労働人口の七人に一人を占めるに到った。
しかしながら、一八七〇年代以降、家事手伝いは雇いにくくなった。これは手伝いをほしがる中流階級の主婦が増加したことと、家事手伝いの潜在的予備軍である少女たちが、販売・秘書・教職へと、広がりつつあった女性の職業に移り始めたことの両方に起因する。一九〇〇年には、すでに「お手伝い問題」がはっきり現れ、中流階級の女性にとって、主婦役と母役の間で矛盾が起こりうることが広く認識されていた――「中流階級の母親は、怠惰にふけるためでなく、正しい育児に全精力を傾注できるよう十分な時間を持つため、どうしても家事の手伝いがいなくてはならない」とされていた。
召使の不足によって、中流階級と労働者階級とで、家庭における女性の役割はますます似通った。母親役と、主婦=家事労働者の役割をともに果たすという、それまでは労働者階級の暮らしにだけみられた特色が一般の傾向になった。中流階級の妻が、これまでしなかった仕事をした。多分、こういう推移の中に、近代における家事労働の非労働的地位を説明する、少なくとも一つの鍵があるだろう。十九世紀の主婦=監督者の役割が、二十世紀になって、主婦=働き手の役割に変わった。労働者階級の妻は、すでに長い間そういう状況にいたのだが、その事実は、生産労働者としての役割の陰に隠れて見えなかったのだ。労働者階級の女性が相当数、家事をフルタイムの仕事とするようになった歴史上のある時点から、中産階級の女性は、そのため必要に迫られて、実際の労働を行うようになったわけである。
近代的な家族生活の理想というのは、元来貴族の家に始まった。労働者階級の家庭生活は、中世から十九世紀の前半までは、本質的に産業革命前のパターンを踏襲している。この時代になってようやく、労働者階級の家庭でも、住居とは機能の異なる複数の部屋をもつ家であり、家庭生活とは基本的に子供中心の私的な生活であるという考え方が持たれるようになった。実際に労働者階級の住居が改善され、そのような進歩が現実になったのは二十世紀のことであり、従って、これは第三期の変化に入れられることである。だがすでにこの第二期に、中産階級の重要な伝統の一つが、労働者階級の主婦によって継承されている。召使のいたヴィクトリア時代の家庭には、一家に二つの家庭があった――召使のための台所と、家族のための居間とである。この二つは別の空間として区別されたまま、今に残っている。主婦は、居間に集う家族のアイデンティティとは別に、台所の人としてのアイデンティティを持つ。個室型の小さな台所を作る近代の傾向は、この分離を大事にするものである。(『第三章 女性と産業革命』より)
………………
因みに第一章で、第二十九回で紹介した『人形の家を出た女たち』の中に載っていた詩『疲れた主婦』(ここでは作者不明となっている)が引用されています。
………………
たえず疲れていた哀れな女、ここに眠れり。
生前は、手伝いの者もなき家に暮らせり。
今生の別れの言葉は、「友よ今、我は料理も洗濯も、縫物もなき土地へ赴かんとす。
彼の地にて、我が望みは全てかなわん。
人は食せざるゆえ、もはや、皿洗いの必要はなし。
わが行く手には、たえず聖歌が響き渡らん。
されど声なき我は、歌うことを免れん。
わがために嘆くことなかれ、永久に嘆くことなかれ。
われ今より永遠になすことなければなり。」
………………
訳者が違うので、微妙な言い回しが違っています。
平井呈一/訳『アーサー・マッケン作品集成Y』牧神社
何度も紹介している怪奇・幻想小説家アーサー・マッケンの作品集成の六巻目(因みに五巻は図書館に置いてなかった)です。収録作品は中編の『緑地帯』と短編集の『池の子たち』。共に1930年代の作品で、マッケンが70歳代の晩年に書いたものです。
『旦那様と呼んでくれ』のBBSの書き込みにあった『変身』が載っている巻です。この『変身』に登場するアリス・ヘイズという娘さんはブラウン夫人が雇っている保母兼家庭教師又は家政婦で、面倒見が良い器量好しの娘さんなのですが、実は秘密が隠されていたりします。
第四十六回(2004.12.05現在)
ヘンリック・イプセン/原作、坂口玲子/訳『人形の家』劇書房
十九世紀末のノルウェーを舞台に、貞淑な妻ノラが、自分を人形の様にしか扱わない権威的な夫に反抗し、家を捨てて自立するという、有名な演劇の翻訳。
結末が当時衝撃的であった為、よく『婦人解放劇』と言われていますが、イプセン本人は特に婦人解放の為に書いたとは言っていない、らしい(裏表紙参照)。メインとなる登場人物は当時の一般的な中産階級ばかりで、メイドさんはちょい役で登場します。当時の中産階級がどんなものかよく分かる一冊です。
………………
ノラ いいわ。これでみんな終わった。これは鍵。乳母とメイドが家のことは全部飲み込んでます……あたし以上にね。(中略)(『三幕』より)
………………
当時の中産階級の夫人に求められていた事が『無為』と『遊惰』である事がよく分かる台詞ですね。
内田青蔵/文、小野吉彦/写真『お・屋・敷・拝・見』河出書房新社(らんぷの本)
日本のお屋敷の魅力を、数々の写真と共に紹介した書籍。
『メイドさんとお屋敷』と言ったら大抵はイギリスのカントリー・ハウスを思い浮かべる人も多いかと思いますが、日本の洋館にもメイドさんなどの数多くの使用人が雇われていました。間取りを見ると『女中部屋』が記載しているお屋敷もあり(書いてない場合が多いですが)、この様な大規模なお屋敷には矢張りメイドさんが必要不可欠である事が分かります。
………………
また、こうした住まいは、使用人を大勢抱えてはじめて生活が成り立っていたことも忘れてはならない。それゆえ、住まいは、単に家族の場だけではなく、接客の場と使用人の場が見事に振り分けられていたし、とくに、使用人はその存在を客に悟られないよう、表に見えずにサービスできるような工夫がなされていたのだ。(『第1章 お屋敷の魅力とお屋敷めぐりの心得』の『A お屋敷の特徴』より)
………………
とりあえず、お屋敷が現代のわれわれの住まいと決定的に異なる点を、列記してみよう。
@住まいは、自らの社会的ステータスシンボルとして施主の資本力にものをいわせて建てられていた。
A家族の生活の場としてつくられていたが、同時に、客をもてなす場という機能が最も重視されていた。大切な客をもてなす場を用意するために、当時の最先端の技術、職人や芸術家の力といったものが注がれ、その結果としてきわめて質の高い外観やインテリアが形成されていった。
Bこうしてできあがった住まいを維持していくためには、大勢の使用人を必要とした。その結果、「家族の場」「接客の場」とともに「使用人の場」という領域が一つの住まいに複雑に融合化されていた。(『第1章 お屋敷の魅力とお屋敷めぐりの心得』の『B お屋敷の魅力』より)
………………
こうした洋館が、イギリスのカントリー・ハウスなどヨーロッパ諸国のお屋敷をモデルにして作られている事からも考えると、使用人が客から隠された構造になっているのも当然の事なのかも知れません。
P.F.コープランド、濱田雅子/訳『アメリカ史にみる職業着 植民地時代〜独立革命期』せせらぎ出版
十八世紀頃のアメリカに於ける、各職業の衣装を紹介した書籍。
やや時代が下りますが、アメリカの使用人の衣服やお仕着せを紹介した一冊です。但しメイドさんよりも男性使用人のお仕着せを数多く紹介しています。使用人は第10章、年季契約奉公人と奴隷は第11章で紹介しています。
………………
女の召使たちは仕着せというよりは、むしろその家での彼女たちの地位に従った服装をしていた。このような習慣はまた、混乱を引き起こした。(中略)多くの大邸宅では女中や侍女が女主人と全く同じように立派な服装をしていることもよくあった。彼女たちも絹のペティコート、キャンブリック[cambric]の被りもの、上質のオランダ製の亜麻布、絹製あるいは木綿製の靴下という服装をしていた。ある女中頭が紐で結んだモブ・キャップを被り、装飾を施したエプロンをつけている姿が1745年に描かれている。これは正に上層階級の婦人が家にいる時の服装である。
イギリスの女中の典型的な衣服は、いくらかおとなしいものであった。すなわち、梳毛織物製のペティコートに、キャラコ製、あるいはリンネル製のフロック、丈の長い白いエプロン、モスリンのスカーフ、リボンで縁飾りをしたモブ・キャップ、スペイン製の革靴という服装であった。フロックの裾はくるぶしのすぐ上まであった。
一般に、イギリス人の召使は、ヨーロッパ大陸から連れてこられた召使より劣っていると見なされていた。その第一の理由は、イギリス人は非常に独立心が強いので、容易に奉公に順応することができなかったことにある。このような独立精神は、彼らのイギリスでの経験から来ている。イギリスでもし主人が召使を打った場合、その召使が主人を殴り倒すことも十分あり得るということは以前から注目されている。また、イギリス人女中は、その女主人と同じモードの衣服を着、同じように楽しみたがった。18世紀を通じて植民地の新聞にイングランド人とスコットランド人とアイルランド人の名前が多く出たということから見ても、年季契約奉公人として植民地にやってきたイギリス人は、旧世界にいた時と同じように、新世界での奉公の仕事には向いていなかった。(『第10章 使用人』の『衣服』より)
………………
イギリスのメイドさんは、以外と評判が悪かったんですね。
第一回〜第十回/第十一回〜第十五回/第十六回〜第二十回/
第二十一回〜第二十五回/第二十六回〜第三十回/第三十一回〜第三十五回/
第三十六回〜第四十回/第四十一回〜第四十五回/第四十六回〜第五十回/
第五十一回〜第五十五回/第五十六回〜第六十回/第六十一回〜第六十五回/
第六十六回〜第七十回/第七十一回〜第七十五回/第七十六回〜第八十回/
第八十一回〜第八十五回/第八十六回〜第九十回/第九十一回〜第九十五回/
第九十六回〜第百回
→トップに戻ります。
資料をまとめてみました。
→メイドさんに関する資料・一覧表
[PR]人気!男性用ムダ毛撃退ジェル:剛毛お悩み解決!効果を実感してください