
☆図書館にでも行きましょうか。☆
☆図書館にでも行きましょうか。☆
最近ロクに更新していないので、又新たなコンテンツを立ち上げたりして。
万年金欠な小手鞠萌はよく図書館に行く訳ですが、そこでよく借りる本の中でも、面白かったり資料としてなかなか良い物を紹介するコーナーです(安上がり)。
因みに基本は“十九世紀”。本物のメイドさんが生きていた時代っすね。でも読んでいる本、かなり偏りあり過ぎです。しかも実はあんまり小説読まない事、バレバレ。大層なもんでは無いけれど、ある意味“裏ヴィクトリアン・ガイド”かも(^_^;)。
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資料をまとめてみました。
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第五十五回(2005.02.27現在)
柏木博『家事の政治学 THE POLITICS OF HOUSEKEEPING』青土社
十九世紀から現代に至るまでの、家事に関するデザインに付いてを論じた書籍。
前回に引き続き、第五十二回で紹介した『〈女中〉イメージの家庭文化史』の参考文献の一つを紹介します。家事と主婦、台所のデザインの変遷を、時代の移り変わりや政治的なイデオロギーなどと共に論じています。
………………
一九世紀、当時、裕福な階級の女がサーヴァント(召使い)を使わずに家事労働を自ら手がけることは、それまでのヨーロッパの習慣では考えられないことだった。たとえば、一九世紀のイギリスでは召使いを使うことはきわめて一般的であった。モリー・ハリスンは「一九世紀は、イングランドで上流階級と中流階級がめざましく繁栄した時代であった。人出はまだ豊富で、比較的つましい家庭でも普通少なくとも女中一人は置いていた」と報告している。そして、主婦の労働は召使いをいかに使いこなすかということでもあった。だから、サーヴァントを使わず婦人が自ら家事労働することが、当時は不自然に思えたのだろう。(中略)(『天使たちの機械住宅』の『天国をつくる家庭の天使』より)
………………
尚、『量産戸建て住宅と生活モデルの喪失』では、戦争との関わりで『機関銃の歴史』が語られたりしています(この参考文献は確か『MaideriA』さんが何処かで紹介していた気がしますが)。その上第二回で紹介した『動物への配慮』もネタとして取り上げられてもいます。
湯沢雍彦/編『祖母・母たちの娘時代 ―庶民生活史の一つの試み―』クレス出版
明治から昭和に掛けての戦前生まれの女性の娘時代を、聞き取りにより記録した書籍。
こちらも第五十二回で紹介した『〈女中〉イメージの家庭文化史』の参考文献の一つ。『庶民』とありますが、登場する女性は女中さんになる側ではなく、雇う側であります。その為に『女中を何人雇っていた』という記述だけしか情報は特にありません。やや詳しい記述が『壱岐の島の家長家族の中で(昭和二年、長崎県生まれ、岡部昭子)』の中にある位です。
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家には使用人がおり、女のお手伝いさんのことは「女中さん」と呼んでいたのですが、男のいわゆる下男さんのことは壱岐の方言でしょうか「ばぼやん」と呼んでいました。中でも、女中さんたちの働いている姿が忘れられません。女中さんは今の十二か十三歳で、家に住み込み、子守やいまでこそ掃除機・洗濯機・水道もありますが、当時はポンプを押して水を出し、井戸端でタライに洗濯板で力一杯こすり、朝は早く起きてカマドで火を熾して御飯汁物すべて薪で炊かなければならず、熾し方が悪いと、家中煙りだらけになっていた事を覚えています。時々、オヤツをもらってうれしそうに食べていた顔は、今でも思い出します。
年中無休であり、山の向こうに自分の家が見えている処にあっても帰る事は出来ず、年二回のお盆とお正月が自由な休みで、この事を昔は「ヤブ入り」と言っていました。それでも何一つ不平も言わず働いており、自分が小さかったせいかとても大人の様に思えました。今にして思えば、十二歳か十三歳位で遊びたい盛りだったでしょうに、寝床の中で涙した事であろうと可哀相な事でした。それから思えば今の中学生は幸せだなと、昔の事と比較してテレビの『おしん』を思い出しました。男のばぼやんは家族が多いもので、畑に色々の野菜を植えたり庭の草取りをしていたと思います。
当時のしきたりとして、女は男の人より早くお風呂に入る事もできず、食事の時は家長である祖父は隣の部屋で一人だけ別の席に着いて足高膳をとり、副食も品数が多かったようでした。父は、ちゃぶ台をわたしたちと一緒に丸くなって囲み、その中心に座っていました。ただし。父のおかずは私たち子供や母とは別で、一人白身の魚を食べていました。使用人はさらに一段低い台所の土間で座って食べていましたが、そういった事をおかしいとも何とも思いませんでした。(『壱岐の島の家長家族の中で』の『三、子供のころの記憶』より)
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割と好意的な書き方ですが、女中さんとでは生活様式が違っている様子がよく分かります。
広田寿子『女三代の百年』岩波書店
明治維新直前に生まれた祖母、日露戦争が始まった年に小学校に入学した母、第一次世界大戦後に大連で生まれた筆者である娘――女三代の百年を母の遺稿と娘自身の記録を織り交ぜて綴り、庶民の女を巡る生活や意識の変化を、その時代背景と共に具体的に浮き彫りにしていく貴重なドキュメント。
最後も第五十二回で紹介した『〈女中〉イメージの家庭文化史』の参考文献の一つ。祖母、母、娘のそれぞれの人生を、筆者の母が書き残した遺稿と、それに触発されて筆者がまとめ上げた記録で構成されています。日本の一庶民、一女性が昔、一体どの様な生活をしていたのかがよく分かります。メイドさん関係は『U部 娘が辿る母娘の戦前・戦後』の『生き抜くための娘の模索』の中にある『明暗こもごも』と『二股かけたメイド稼業と大学受験』で、自身の体験談が少しだけ取り上げられています。
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一九四六年の五月頃から夫妻の帰国まで、約一年間をそこで暮した日々は、初めのうち外国の料理の本と首っ引きで、朝、昼、晩の食事の支度をし、時には来客の接待をしたり、大きな窓ガラスをピカピカに磨いたりして頑張った積もりでしたが、玄人のメイドに比べると、どこか抜けたところが沢山あったのではないでしょうか。それでも生れてこのかた母に頼り切っていた家事労働を、自分が主役で、しかもお金を貰ってこなさなくてはならない羽目に立たされたことは、まことに得難い体験でした。一九二〇年代以来一貫してアメリカの都会で育って来た、「現代」を象徴する生活様式に、敗戦直後の日本の混乱の只中で出会ったことで、私はある種の違和感を覚えながら、他方で大連時代への懐かしさもつのらせていました。
たとえ住み込みといっても一月一〇ドルとは、破格の安さであったと、ずっと後で米国の賃金を調べた時気がつきましたが、当時は米穀通帳なしで家人とほぼ同じ食べ物が保証された上、一定の義務を果たせば自由な時間がかなり生み出せたことは、私にとって何事にもかえ難い有難さでした。とくに夫人は、日曜ごとに私が帰宅する時、あれこれと気を使って内緒で普通では手に入らない食べ物や着る物をいろいろ持たせてくれました。内緒でというのは、敗戦直後、米国軍人が日本人に物を与えることが禁止されていたからです。(『U部 娘が辿る母娘の戦前・戦後』の『生き抜くための娘の模索』の中の『明暗こもごも』より)
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大戦直後のメイドさん事情の一片が垣間見れますね。
第五十四回(2005.02.20現在)
落合恵美子『21世紀家族へ[第3版] 家族の戦後体制の見かた・超えかた』有斐閣(ゆうひかく選書)
『家族の戦後体制』をキーワードに、家族のあり方を論じた書籍です。主婦論争や核家族化、ウーマンリブにニューファミリーなど、家族に関する様々なテーマを中心に、これからの家族観を論じています。
第五十二回で紹介した『〈女中〉イメージの家庭文化史』の参考文献の一つです。近代家族史の観点から女性問題を取り上げた書籍で、扱うテーマは多岐に渡っています。メイドさん関係では『2 家事と主婦の誕生』と『5 家族の戦後体制』で少し触れられています。
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ところでこの新中間層のおくさんたちは、今の主婦とまったく同じ暮らしぶりだったのでしょうか。大正期の郊外中流住宅を代表するものに「中廊下型住宅様式」と呼ばれるものがあります。中廊下によって各部屋に独立性が与えられ、玄関から直行できる書斎兼応接間、すなわち住宅内部の公的空間と、家族の日常生活の場である茶の間と居間とは、画然と分離されているという点に特色があります。
さて、この間取りを現在の目から見直し、何か現代と大きく異なる点がないでしょうか。書斎や応接間がある住宅は現在ではぜいたくになってしまいましたが、それより何より、わたしたちの住宅にまず絶対ないものは、女中室です。当時の中流家庭には、しばしば「女中」という名の家事使用人が雇われていました。一九世紀ヨーロッパの中産階級でもやはりそうです。当時の家事は今日と比べるとずっと範囲の広いものでした。着物も布団も家で縫い、洗いはりもしました。風呂や火鉢のための燃料も準備しなければならないし、漬物や乾物など食料の貯蔵も必要でした。しかも衛生観念が発達し、快適さを求める欲求も増大しましたから、むしろ水準が高められる傾向にありました。当時の家事の量と水準は、とても主婦一人ではこなしきれない、家事使用人の存在を必要不可欠とするものでした。(『2 家事と主婦の誕生』の『大正期のおくさん』より)
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一九世紀と二〇世紀とでは、ある大きな変化がありました。それは、近代家族の大衆化です。一九世紀の近代家族は、中産階級のものでした。前にもお話したように、一九世紀の近代家族には、女中さんがいました。女中さん自身の家族は、けっして近代家族とはいえませんでした。女中さんを雇っている「奥様」と「旦那様」の家族、つまり中産階級の家族だけが、典型的な近代家族でした。(中略)
このように「一九世紀近代家族」と「二〇世紀近代家族」とを区別してみると、経済学法学、社会学など社会科学の中の家族概念も、「二〇世紀近代家族」を下敷きにしていたということに気がつきます。これらの分野で「家族」と言うとき、女中さんがいるなどとは想定しません。主婦自身が家事をすると考えます。それから、普通は、子どもが八人も一〇人もいる家族を想定しているとも思えません。また、何よりはっきりしているのは、社会のどの位置にいる人にとっても、同型的な家族が成立しているはずだということを前提にしているということです。普通の人々の常識でも、社会科学の理論でも、暗黙のうちに思い浮かべられる家族は、実は「二〇世紀近代家族」でした。これまでの社会史的な研究は「一九世紀近代家族」におもに焦点を当ててきましたが、これからは「二〇世紀近代家族」にもっと注目する必要がありそうです。
翻ってみると、「家族の戦後体制」とは、まさにこの「二〇世紀近代家族」が日本でも成立したということでした。二〇世紀に入ってからも、大正期の日本はむしろ「一九世紀近代家族」の時代と言ったほうがよかった。社会全体に近代家族が存在していたわけではなく、都市の中産階級だけが、女中さんのいる近代家族を作っていたのです。それが大衆化して「二〇世紀近代家族」と呼ぶべきものになったのは、日本では戦後のことです。(『5 家族の戦後体制』の『二〇世紀近代家族』より)
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近代家族史を論ずる時には、メイドさんという存在を無視する事は出来ませんが、家族の構成そのものを考えるには、その扱いを時代別に考える必要がある様ですね。
タキエ・スギヤマ・リブラ/著、竹内洋+海部優子+井上義和/訳
『近代日本の上流階級 華族のエスノグラフィー』世界思想社
近代日本に誕生した華族。彼等とその末裔達がどの様な生活をしてきたかを、聞き取りを中心に多角的なアプローチでまとめ上げ論じた書籍です。
こちらも第五十二回で紹介した『〈女中〉イメージの家庭文化史』の参考文献の一つです。上記の『21世紀家族へ[第3版]』が中流階級の家族に付いて論じているのに対して、こちらは上流階級の家族を主題に据えています。上流階級の生活が一般庶民と異なるのは当然なのですが、どう違っているのかが資料と共に述べられていて、非常に参考になります。
メイドさん関係も詳しく述べられており、特に『第5章 生活様式』『第6章 婚姻』『第7章 社会化』では、使用人が上流階級の家族に与える影響がどれ程強いものかが論じられています。『第9章 結論』から、メイドさん関係の情報だけをまとめて引用します。
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ヒエラルキーは、身分取引の可能性をはらんでいたが、他方、上位者と下位者との垂直的共生生活を伴ってもいた。端的にいえば、貴族制度は平民の存在によって支えられていたのである。使用人に代表される平民は、謙抑な話し方や態度をとり、呼びかけるときには地位指示語を使い、主人のために世俗的な雑事を行い、「奥」と「外」、「表」と「裏」、「家」と「世間」とを媒介することによって、貴族の家としての崇高な位置を支持し、強化し、保護していた(第5章)。貴族の身分を維持していくためには使用人の存在が不可欠なものだということが明白になったのは、戦中ないし戦後になって使用人が一人もいなくなった時だった。正真正銘の殿さまとしての地位が最もよく表れていたのは、主人の外出時または帰宅時に、玄関にズラリと勢揃いしてひざまずいて送迎する使用人たちの姿だった。
上位者が地位を維持していく上で下位者に依存しているのは万国に共通してみられる社会の論理である。しかしながら、一般に貴族といえば、不羈独立、風がわりな個性、自由といった特殊性をもつが、その結びつきの度合いは文化によって違いがある。英国と比べれば、日本においては、こういった特性は、貴族の身分に固有なものとしてそれほど認識されていないと私は推測する。むしろ日本の上位者にとっては、下位者への依存は、自らの独自性を保つためではなく、地位に基づく敬意を得るために必要な代価だった。この状況は、おそらく、貴族制と君主制との関係が歴史的に異なっていることを繁栄しているのであろう。(中略)
使用人は、華族の主人を社会化する上で重要な役割を果たした。子どもは主に使用人と接触したり観察したりすることを通じて、自分の立場を知るようになった。貴族の身分にふさわしい行儀や話し方を学んだのは、「行儀見習い」のはずの使用人からだった。使用人は教官でもあり模範でもあった。このねじれ現象が最もよく表れるのは、使用人が自分のご主人たる子どもに対して、丁寧で恭しい言葉遣いを使いつつも、実は自分に従うよう厳しく命令している姿に込められた二重のメッセージである(第7章)。
垂直的共生関係とは、大人も子どもも含め、華族の主人がすべて身の回りの世話を使用人に頼り切っている状況をも意味した。身辺の世話をしてもらううちに、親近感が深まって、やがて切っても切れない情愛が育まれ、それが高じて主人の方は自立性のみならずプライバシーをも失うことになった。特に華族の娘は、心理的に驚くほど強くお付きの女中に依存していた。平民の使用人は、多くの面で、子どもをしつけたり甘やかしたりしながら親の役割を果たしてきたのである。かつてのお付きは実の両親よりも、親しく、温かで、そばにいてくれ、懐かしい存在として記憶されていた。
垂直的関係は非対称性を意味しているが、共生関係は相互主義にもつながっている。ちょうどエリートが大衆に依存していたように、同じ形でではないが、大衆もエリートに依存していたのである。使用人は、自分の主人が地位にふさわしく「殿さま」らしい身だしなみや振る舞いをしてほしいと願っていた。この期待が裏切られると、使用人は失望したり、主人を軽蔑したりした。「殿さまらしい振る舞い」とは多々あるが、畏怖を起こさせるような人物だ、という褒め言葉と相通ずるようだった。また、主人に対して地位にふさわしい振る舞いをしてほしい、あるいは地位にふさわしいパーソナリティをもってほしいと使用人が期待するのは、主人が立派な人物であれば使用人の自尊心も高まるからだった。威厳ある主人から信頼され必要とされているということも、使用人にとっては嬉しく誇り高いことだった。
若い女中にとって、お屋敷奉公はたとえ安月給でも、花嫁候補としてのお墨付きを得るための道だった(Lebra 1984)。男爵家に奉公したことのあるかつてのお付き女中は、面接調査の際、実にきちんとした話しぶりで、令嬢の母親代わりとして面倒をみたことは、花嫁修業として最も役に立ったと話していた。(中略)大名家の書生や女中は普通、国もとから雇い入れていた。(中略)
主人の子どもは自分のお付きに心理的に依存していたが、お付きの方も主人の子どもに依存していた。それが度を超すと、一心同体化してしまい、主人の子どもを一人ずつ担当しているお付き女中の間で、兄弟姉妹をめぐってのライバル関係が生じることもあった。
華族の家では、家族どうしよりも、お付きの使用人や、多くの場合、里親との方が親しい関係にあったことはすでにみてきた。使用人は、身の回りの世話役として、家族成員よりも頻繁に主人に付き従ったり、身体に触れたり(たとえば入浴の介添え)した。家族どうしでは多くの場合そのような世話を焼くことはなかった。家長にとっては、地位に縛られ、お付きに付き従われている妻よりも、自分のお付きの方が近づきやすい存在だったというのも驚くべきことではない。実際、一方が世話して、他方が世話をしてもらうという場合、二人の関係は、身分の違いゆえに疎遠になるどころか、かえって親密なものになりうる。家族どうしが疎遠であるという点については、華族に特徴的な「個人主義」や「独立性」の表れであると解釈する情報提供者もあったが、むしろ多くの人は、華族の家は単に「冷たい」ものなのだと考えていた。いずれにせよ、使用人との間に相互依存的な共生関係や親密な関係があったからこそ、家族間の「個人主義」や距離が保たれ、あるいは生み出されていたともいえる。(『第9章 結論』の『垂直的共生関係』より)
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又、イギリスに於ける貴族と使用人との比較も少しだけ述べられています。
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(1) 玄関と戸口の象徴的な意味については、ビクトリア朝時代の英国貴族の研究者も指摘している。「ご用聞きはすべて裏口である。表口は家格にふさわしい行儀と服装の使用人が開けてくれる。大きな家では広間があり、医者や教師、大事な商人、遠い親戚など身分からみて裏口と表口に位置するような人々が通る」(Davidoff 1973,87)。
(11) ビクトリア朝時代の英国でも同じような規格化の記録がある。「使用人たちはその家の『オーラ』の延長とみなされるから、意識的に脱人格化される。規格化された制服に身を包み、しばしば実の名前と無関係にトーマスやスーザンといった規格化された名前で呼ばれた」(Davidoff 1973,87)。(『注』の『第5章』より)
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(4) ビクトリア朝時代の英国上流階級は、使用人がしばしば模倣者として機能することを知っていた。「彼ら自身の振る舞いは、生活の細部に至るまで、労働者階級に対するお手本として立ち現れる。だから日曜日ごとのカード遊びは、使用人には悪いお手本になるので禁止されなければならない。下層階級へのお手本の話をするとき、ほとんどの女性は、自分の使用人のことを話す。使用人はすぐそばで観察できる別の階級の代表である。彼らの少なくとも表面上は恭しい応対は、格式ばった礼儀作法と独特の上品気どりといった外観上の貫禄を強化するものであった」(Davidoff 1973,87)。(『注』の『第7章』より)
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上流階級の人間の生活を知るには良い一冊です。お勧め。
杉惠惇宏/編『誘惑するイギリス』大修館書店
『イギリス』をテーマにしたエッセイ集。編者を含め、イギリス文化に関わる文化人が自分の体験を元にイギリスを語った書籍です。
第二十二回で紹介した『英国カントリー・ハウス物語――華麗なイギリス貴族の館』の著者という事で借りた本。『イギリス』がテーマという事で、イギリスの様々な文化などがエッセイの中で紹介されています。クリケットのルールやパブリック・スクール、階級と言葉の関係など、なかなかに興味深いものが取り上げられています。
直接メイドさんに関する情報は無いのですが、中川僚子『執事とイギリス的イギリス人』ではカズオ・イシグロの『日の名残り』を元に『執事』をテーマに語っています。その中では、ブッカー賞を受賞した直後、『日の名残り』の中にある細かな間違いを指摘する投書が『タイムズ』紙に寄せられた事が載っていて、イギリスに於ける執事の扱いがどの様なものかが伺えます。
殆どがイギリス礼賛的なエッセイなのですが、一つだけ否定的なものが載っているのがミソ。又、後書きで高尾慶子『イギリス人はおかしい』を取り上げて、ワーキング・クラスに付いて詳しいという彼女の事を、一つの階級の事しか知らないという意味で『それはちょっと違うんではないか』と否定しているのも気になります。実は、この本を読む前に林信吾『イギリス・シンドローム』を読んでいたので、上流・中産階級寄りのエッセイが多いこの本も、最近流行の『イギリス礼賛本』なのかなぁ……と、一寸引いてみたりしてみて。
第五十三回(2005.02.14現在)
アン・ペリー、吉澤康子/訳『災いの黒衣』創元推理文庫
調査中の事故により記憶を失った首都警察の警部モンク。ある日、高名な貴族の娘が強盗に殺されたという、政治的に極めて厄介な事件の担当を命じられる。だが、本当の苦境は、犯人が強盗などではなく、家族の誰かだと判明した時に始まった。十九世紀半ばのロンドンに居きる人々を活写する、時代ミステリーの第二弾。
前回に引き続いて、アン・ペリーのヴィクトリア朝時代の推理小説です。前回紹介した『ピット警部夫妻シリーズ』が世紀末のロンドンを舞台にしているのに対し、この『モンクシリーズ』は50年代のロンドンを舞台にしています。分厚いながらも読み易く、何となくライトノベル的な印象を受けました。そういう意味では、初心者向けの小説です。
事件が事件だけに、ロンドンの屋敷を舞台に話が進みます。当然その屋敷で働く使用人達が登場し、話に彩りを添えています。中盤、看護婦のヒロインが屋敷に潜入捜査をするというお約束のシーンが登場し、その中で使用人達がどの様な生活を送っているのか垣間見られます。
………………
クイーン・アン街での暮らしはけっこう気骨が折れた。ただし、体にとってはこのうえなく居心地のいい場所だ。三階と四階にある使用人たちの部屋は別として、室内はいつも申し分なく暖かく、食べ物はこれまで口にしたことがないほどおいしいものばかりで、量もたっぷりあった。肉、川魚に海魚、猟鳥、家禽、牡蛎、ロブスター、鹿肉、野兎のシチュー、パイ、ペストリー、野菜、くだもの、ケーキ、タルト、フラン(クリームや果物を詰めたタルト・パイの一種)、プディング、デザート。使用人は自分たち用の料理だけでなく、食堂から戻ってきたものも頻繁に食べた。
ヘスターは使用人の序列について、とりわけ、きっちりとどこまでがだれの仕事範囲で、だれがだれに譲歩するかといったことや、それがきわめて重要であることを学んだ。だれも他人のもち場には、より上級の仕事にせよ、より下級の仕事にせよ、干渉せず、自分のもち場だけは、他人に荒らされてなるものかとばかりに守った。上級の女中に下働きの仕事を頼むのは御法度で、なによりも、従僕が炊事場で勝手な真似をして料理番を怒らせるのは言語道断だった。
ことのほか興味深かったのは、親しい間柄や反目しあう関係が明らかになったことで、だれがだれを嫌っているかだけでなく、あらかたはその理由までつかめた。
女中頭のウィリス夫人は使用人全員から恐れ敬われていたし、執事のフィリップスはあらゆる実質的な意味でサー・バジルよりも主人のように思われていた。多くの使用人はサー・バジルと実際に会うことがないからだ。フィリップスはその軍隊的な態度がたびたび冗談やからかいの種になり、上級曹長にたとえられることも少なくないが、それは本人の耳にけっして入らなかった。
料理番のボーデン夫人は炊事場を厳しくとりしきっていたが、女中頭や執事と違って、使用人を畏怖の念で凍りつかせる態度で支配するというより、料理の腕や、こぼれるような笑みや、かっとなりやすい性格で管理していた。また、シプリアンとロモラの子どもたちがお気に入りだった。子どもたちは金髪で、妹のジュリアが八歳、兄のアーサーが十歳になったばかりだ。料理番はことあるごとに、炊事場で作ったごちそうをふたりにふるまって甘やかしたが、それがまたしょっちゅうで、というのも、ふたりは子ども部屋で食事をするのだが、そこへもっていく料理の準備を監督するのがボーデン夫人だった。
小間使いのダイナは少しばかり偉ぶっていたが、それは主に仕事柄であって、性格のせいではなかった。小間使いは容姿で選ばれ、頭を高く掲げてスカートをさっと払いながら、表の応接間にさっそうと出入りし、午後には正面玄関の扉をあけ、訪問者の名刺を銀盆にのせて運ぶ必要があった。実のところ、ダイナは非常に親しみやすく、家族のことや、両親が彼女をいかにかわいがり、あらゆる機会を作って娘を向上させようとしたかについて、ヘスターによくしゃべった。
台所女中のサルは、こんな話をした。ダイナが家族から手紙を受けとったとこなんか、一度だって見たことないよ。ちっとも心配されてないんだね。ダイナは年に一回、仕事の休みを全部まとめてとって、ケント州のどっかにある故郷の村に帰るんだ。
反対に、上級の洗濯女中リジーはひどく威張っており、確固たる主義に従って洗濯室で采配をふるっていた。その下で働くローズや、大物のアイロンがけをしに通ってくる女たちは、内心どんな思いにせよ、おとなしくリジーの命令を聞いている。(中略)
もちろん、他愛ない噂話が大好きな使用人の口は、そのくらいではふさげない。女中たちはこぞって、言いたいことがたくさんあってもやや遠慮している男の使用人をかばいながら、えんえんとおしゃべりを続けた。それが最高潮に達するのは、使用人の大部屋でのお茶の時間だ。(『5』より)
………………
ヘスターには、ローズがどうしてパーシヴァルに転職してもらいたがるのか、察しがついた。侍従のほうが洗濯女中と接する仕事が多いのだ。それに、ヘスターはこの屋敷へ来てから数日のうちに、ローズの紫色を帯びた青い目がパーシヴァルを追いかけるさまを見かけており、深い意味もなさそうなさりげない言葉の奥にあるものが何か、腰に揺れるエプロンの大きな蝶結びや、大げさにひるがえすスカートや、くねらせてみせる肩の裏にあるものが何か、よくわかっていた。(中略)(『6』より)
………………
(中略)「彼女に言い寄ったあげく、みんなにばらしてやると脅されたら、殺すしかないでしょう。かわいそうなマーサの場合と違って、隠し通すのは無理です。女中を強姦してもだれひとり気にしませんが……妻の妹を強姦して素知らぬふりはできません。彼女の父親がもみ消すはずないですからね!」
モンクはパーシヴァルを見つめた。パーシヴァルは今度こそモンクの注意をあますところなく引き、彼もそのことに気づいたようで、勝利の光がすがめた目に宿っていた。
「マーサってのはどんな女中だ?」どんなにくやしくても、モンクはそう訊くほかなかった。
パーシヴァルはゆっくりと笑みを浮かべた。彼の歯は小粒で、きれいに並んでいた。
「女中だったんです。いまはいったいどこにいるのやら……救貧院でしょうかね、仮に生きているとすれば」
「ほう。じゃ、どんな女中だったんだ?」
パーシヴァルは満足げな色をたたえた確固たる視線を、ひたとモンクに据えた。
「ダイナの前にいた小間使いですよ。美人で、こぎれいで、ほっそりしてて、歩く姿は王女さながらでした。ミスター・ケラードはマーサに目をつけ、欲望を満たしたんです。マーサがその気になったなんて思わないでくださいよ。強姦されたんですから」
「どうしてそんなことを知っているんだ」モンクは不審げな顔をしたが、心底疑ってはいなかった。パーシヴァルが悪意から作り出したにすぎない話とは思えないほど自信満々で、追いつめられたときに出る汗をかいていなかったからだ。彼は体の緊張を解き、悦に入ったように、くつろいだ様子で立っていた。
「使用人の姿は見えないものなんです」パーシヴァルは目を大きく見開いて答えた。「知りませんでした? 家具の一部だと思われてるんですよ。それで、サー・バジルがその一件にけりをつけたとき、ぼくは一部始終を聞いたわけです。気の毒に、マーサは口が軽いうえに尻はもっと軽いと言われて、首になりました。ほかの人間に何もしゃべらないうちにと、この屋敷を追い出されたんです。バジルに打ち明けたのが間違いのもとでしたね。妊娠したかもしれないと思ったんでしょうが……実際、そのとおりでした。妙なのは、バジルがマーサの話を疑いもしなかったことで……嘘じゃないとわかってたんでしょう。なのに、マーサのほうから色目を使ったにちがいないから……自業自得と決めつけたんです。推薦状も与えずに放り出したんですよ」彼は肩をすくめた。「その後マーサがどうなったか、だれにもわかりません」
パーシヴァルの怒りは、その女中への同情よりも、自分の階級に対するやりきれなさが原因だとモンクは思い、そう判断した自分を恥じた。厳しい見方だし、証拠もない。だが、考え直しはしなかった。
「彼女がいまどこにいるか、きみは知らないんだな?」
パーシヴァルはふんと鼻を鳴らした。「職も推薦状もない元女中が、ロンドンにたったひとり、それも妊娠してたんですよ。どう思います? 労働搾取工場じゃ、妊婦は雇ってもらえません。同じ理由で、売春宿だってだめです。救貧院しかないでしょうね……でなきゃ、墓場ですよ」(『7』より)
………………
家宅捜索は四十五分後に始まった。まずは、屋根裏の端にある女中たちの部屋だ。そこは狭くて寒い最上階の部屋で、窓から見えるものといえば、屋敷の厩をおおう灰色のスレート屋根や、そのむこうのハーレー小路に並ぶ屋根ばかりだった。どの部屋にも、マットレスと枕とカバーの備わった鉄製ベッドや、背の堅い木の椅子があり、質素な木製の化粧だんすが寄せてある壁には、鏡がとりつけてあった。女中たるもの、だらしがない格好や、手入れの行き届いていない制服で仕事につくのは、許されないのだ。服をしまう戸棚や、洗顔用の水さしと洗面器もあった。それぞれの部屋は、ぼろきれをまぜて織った床敷の模様や、部屋の主が飾った何枚かの絵で区別がつくだけだ。飾り物は、家族のスケッチ画、聖句、名画の複製などで、一室には影絵があった。
(中略)「雇い主というのは、使用人を全然見ていないような気がしてきましたよ。エプロンや、お仕着せのラシャの服や、レースの帽子だけしか見ていないんじゃないでしょうかね」彼は続けた。「だれの顔がついていようと、みな同じ。ただ、紅茶が熱く、食卓が用意してあって、暖炉が黒く磨き上げられ、火がくべられていて、食事が料理され、出され、片づけられればいい。呼び鈴を鳴らすたびにだれかがやってきて、どんな用でもしてくれればいいんですよ」エヴァンは服をきちんとたたみ、元どおりにしまった。「ああ、それから……いつも屋敷がきれいで、衣装だんすには洗濯された服が常に入っていることも忘れちゃいけませんね。だれにそうしてもらっているかなんて、およそおかまいなしなんでしょう」(『8』より)
………………
「驚きね」メアリーは苦笑した。「あれば侮辱よ。あんな真似をするなんて、とんでもないわ。けっして、ここの使用人たちに許してもらえないから」
「本人は気にもかけないでしょうに」ヘスターは使用人に対するフィネーラの言葉を思い浮かべながら、そっけなく言った。
メアリーはにんまりし、鼻息荒く言った。「そりゃあ、気にかけますとも! 朝の熱いお茶はもう飲めなくなって、なまぬるいお茶ばかりになるのよ。あたしたちはどうもすみませんと謝るけど、どうしてぬるくなったのかはわからなくて、いつもその繰り返し。上等のよそいきは洗濯室でなくなったり破れたりして、だれがやったのかはうやむやのまんま。見つかったときには、決まってそんな状態になってるの。あの人あての手紙はほかの人に渡されたり、本のあいだにまぎれこんだりするし、伝言は受けとるのも送るのも遅くなる。あの人のいる部屋は従僕が忙しすぎて石炭をくべられないから冷えてきて、午後のお茶もあとまわし。ねえ、ミス・ラターリィ、こうなったら、いやな思いをするでしょ。おまけに、ウィリス夫人や料理番はやめろと歯止めをかけない。あたしたちと同じように知らぬ存ぜぬを通すばかりで、どうしてそうなるのか見当がつかないふりをするわ。フィリップスさんも黙認するでしょうね。公爵みたいな尊大な態度はとってるけど、いざとなったらこっちの味方よ。執事だって使用人なんだから」
ヘスターは微笑まずにはいられなかった。どれも実に細かいことだが、そこには正義がにじみ出ていた。
メアリーはヘスターの顔つきを見ると、満足げな仲間意識あふれる表情を浮かべて言った。「でしょ?」
「そうね」ヘスターはうなずいた。「ええ……とても見事なやり方だわ」(中略)(『10』より)
………………
ヘスターはいま、階段をのぼりきったところに立っていた。雨はすでにやみ、冬の刺すような薄日が窓から射しこんで、絨毯に影を作っている。だれも通りかからなかった。女中はみなそれぞれの仕事に忙しい。侍女は衣装の手入れに余念がなく、女中頭はリンネル室の点検に追われ、階上の女中はマットレスを裏返し、寝室を整え、あちこちの埃を払い、仲働きの女中はどこかの廊下におり、ダイナや従僕は部屋の正面の部屋で働いている。(中略)(『11』より)
………………
使用人達を雇っている上流階級の人間の殆どが独善的で虚栄心が強く自分勝手なのに対して、彼等は虐げられてもそれでも生き生きとしている様が印象的です。でもキャラクターの書き分けがいまいちなのが残念。
サラ・ウォーターズ、中村有希/訳『半身』創元推理文庫
1874年秋、ロンドンの監獄を慰問に訪れた上流婦人が、不思議な女囚と出会う。その娘は霊媒であり、以後婦人は謎めいた現象を体験する事となる……謎が謎を呼ぶサマセット・モーム賞受賞作。
その巧みな筆捌きに、読後息を呑むミステリー小説。監獄を舞台に、女囚となった霊媒の少女が慰問に訪れた上流婦人とどう関わっていくのかが最大の謎となっています。十九世紀の幻想的な雰囲気や醸し出される当時の生活感がしっかりと出ていて、読者を引き付けています。無論メイドさんも何人か登場し、中には重要な役回りを演じる者もいます。お勧めの一冊。
チャールズ・パリサー、甲斐萬里江/訳『五輪の薔薇 上』早川書房
チャールズ・パリサー、甲斐萬里江/訳『五輪の薔薇 下』早川書房
全ての発端は、四枚の花弁を持つ薔薇を中央と四隅とに一輪ずつ並べた“五輪の薔薇”の意匠だった。少年ジョンは、母メアリーとの散歩の途中で目にした豪華な四輪馬車を飾る紋章に、何故か自宅の銀器類と同じその薔薇の意匠が施されている事を知る。殆ど屋敷から出ずに母と二人で暮らすジョンに取っては、そもそも、半幽閉的な自分の生活そのものが謎だった。そして、自分に父親がいない事も。ジョンの問い掛けに対し、頑なに返答を避けてきたメアリーだったが、ある日、自分達には邪悪な敵がいて、ジョンの身の安全の為に、今こそ重大な選択を迫られているのだと告白する……出生の秘密、莫大な遺産の行方、幾多の裏切り、そして未解決の殺人事件と、物語文学のあらゆる要素を備え、読者を心地よい迷宮へと誘う大作。
今回最後に紹介するのも、十九世紀を舞台にしたミステリー。囲い込みが始まった十九世紀初頭に、少年ジョンが繰り広げる冒険の数々。作風がディケンズ風だなと思ったら、訳者後書きでその事に付いて取り上げられていました。上下巻ともにかなり分厚いのですが、結構読み易いです。しかし登場人物が次々に登場し、進むにつれて物語も複雑に絡み合っていく為、理解するのは難しいです。後半になると突如『この人が実はこうだった』的なネタバラしや、そのネタバラしの為の説明的な台詞、しかもこの台詞が長ったらしい上に出し惜しみの為か途中でぶつぶつと中断して、物語そのものは面白いのですが、あまり感情移入し難いです。又、登場人物が多い上に彼等が物語を進める駒でしかなく、特に上巻だけ登場するジョンの母親メアリーの言動が感情移入を妨害していてうんざりさせられます。お嬢様育ちにありがちな無知で世間知らず、根拠の無い高いプライド、『人を使う』事に慣れきった事から来る他人に対する依存心とお人好しさ加減、そしてそれらが招く悪化する事態には「お前いい加減にしろよ」と言いたくなります。
下巻では、ジョンが物語の鍵となる文書を盗む為に、お屋敷に使用人として雇われ潜入する場面があります。そこではお屋敷で働く使用人達の生活が垣間見られます。
………………
(中略)ほかの召使いたちも、薄暗い通路を、同じ方向に向かっていく。二、三ヤード行くと、床に砂を敷いた、天井の低い、大きな部屋に入った。中央の大きな圧板テーブルを囲んで、大勢の人たちが席についている。テーブルの上座と下座には、背もたれの高い椅子が置かれているが、両側の席は、背もたれなしのベンチである。部屋には窓がなく、明かりは悪臭はなはだしい数個の獣脂ランプだけだ。テーブルの上座には男の召使い、もう一端に女の召使いが坐っているのは、すぐ見てとれたが、それが、いちばん上手に御者頭、つぎに第二御者、それから順に第一、第二、第三、第四従僕、そして同様の順番で馬丁たち、という具合に、厳格な席次に従って坐っているのだということは、もっと後になってからわかってきた。女たちのほうも、端のほうから台所女中頭、洗濯婦頭、女中たち、台所女中たちと並んでいる。したがって、いちばん身分の低い女中と従僕が、テーブルの中央で出会うことになるのだが、互いに口をきき合うのは、禁じられていた。
ベシーとぼくは料理を運び、それぞれテーブルの男性側、女性側のいちばん端の人物に、給仕しなければならなかった。他の人たちは、旧式な食事作法で、各人が自分で料理をよそった。これはたいへんな仕事で、ボブはぼくに向かって怒鳴り続けて、一座の人々を面白がらせるために、彼らの注意をぼくのへまぶりに惹きつけていた。ぼく自身は空腹に気が遠くなりそうで、ひたすら、いつになったら食べさせてもらえるのかと、考えていた。盛り分け用の大皿を下げながら、ぼくはこの質問をベシーに囁き声で尋ねた。
「後で」というのが、その返答だった。
食事がほぼ終わりかけると、ぼくたちは空になった使用ずみの皿を、皿洗い場へ運び始めた。洗い場で、一度、ベシーが素早くパンを一かけら取って、ちょうど持ち帰ったばかりの鍋の底をそれでぬぐい取っているのを、目にした。ぼくもその例に倣ったが、わが同僚たちはほとんど何も残してくれてはいなかった。ぼくはそのパンを後で食べようと、エプロンのポケットにすべりこませた。
ベシーはぼくを見て、頭を振った。後で知ったのだが、ぼくたちはかき集めた残り物を、その場でだけ食べていいのであって、後でゆっくり食べるのは、たいへんな不届きなのであった。(中略)
一時間あまり経つと、他の召使いたちも現われ、働き始めた。ベシーが最初だった。彼女は女性の上級召使いたちの朝の身仕舞いと朝食の世話をしなければならないので、ぼくよりもっと長時間働かなければならないとのことだった。(中略)
七時少し過ぎに、ベシーとぼくは召使い用広間で朝食の給仕に当たり、それを下げ、洗わなければならなかった。その後、男性の上級召使いのための朝食を、ぼくが執事の客間へ盆に載せて運び、ベシーが同じように、女性の分を家政婦の部屋に持っていった。それらの食器は、ふたたび下げてきて、洗いあげねばならない。それがすむと、ボブに指揮されながら階上へ行き、女中がそれぞれのドアの外へ出しておいた溲瓶を下へ運んで、便所に中身を空ける仕事が待っていた。(中略)それらの溲瓶はすべて、洗って磨き、ボブの検査に合格すると、女中がふたたび取り込めるように、それぞれ寝室のドアの前に戻しておかねばならなかった。それから、前日と同じように長靴を磨き、昨夜の晩餐用に用いられた壷や鍋に取り組むことになる。その日の残りは、前日と同じ様な経過をたどった。
最初の一週間で、これは日曜以外の毎日の、ほとんど不変の日課であること、そして一日がどのように区分されているかということを学んだ。だが何より重要なのは、さまざまな上級召使いのあいだで、さまざまな責任分野が分担されている実態を、把握したことだった。執事は、お仕着せを着る男性使用人全員を管理し、ワイン(および、その他の酒類)と地下のワイン・セラーを担当する。また、一階と二階の堂々たる応接間の部屋々々も、彼の管理下にある。家政婦は、女性の(料理人の領分内にある者以外の)お仕着せを着た召使いたち全員、および一階、二階のすべての私室にたいして、責任を持っている。料理人は――わずかに、だが歴然と、他の二人より身分構成のうえで下位に位置するのだが――台所、皿洗い場、牛宇乳加工室、食品室、その他に関するいっさいの責任を負い、かつ四人の台所女中、二人の牛乳加工室女中、それに皿洗い場女中のベシーを監督する。これらが屋内における三つの責任分野であり、隣接する強大帝国が互いの勢力を嫉視し合うように、彼らも自分たちの権利と特権分野を激しく競い合い、ヨーロッパ列強に劣らず、その同盟関係をたちどころに臆面もなく変更し合っているのだ。これら三人の幹部の下に、小間使いや従僕たちも所属している――ただし、下にとは言っても、彼らそば仕えたちには自分の配下がいないから、という意味でだけのことであり、その他の点に関しては、彼らは他の三人と同等なのだ――少なくとも、同等のつもりなのである。この三人に続く地位に、屋外任務の責任者たち、すなわち御者頭と洗濯婦頭、(および、ぼくの聞き知ったところでは、一家がホウファムの荘園で過ごす時には、庭師頭も)がおり、彼らはお仕着せを着た召使いであるが、自分たち自身の配下も持っているため、そば仕えの召使いたちにたいして、微妙な位置関係を占める。そしてこれが、彼らのあいだのほとんどの軋轢の原因となっているのだ――もっとも、御者頭のファムフレッド氏だけは、諍いの種を自ら巻くことは決してなかったと、言っておこう。レディ・モンペッソンの小間使いと洗濯婦頭は、とりわけ犬猿の仲である。
上級召使いの上部の、ぼくなど直接窺い知ることのできない輝かしい領分に君臨するのが、家令のアシンダー氏である。執事、家政婦、料理人という各領分の長は、彼の支配の下で、世帯を円滑に、かつ経済的に切り盛りしてゆく責任を負わされているのである。彼は自分の私室で食事をする――ぼくが耳にしたことのある〈家令の食卓〉というのが、これだ。時には、彼は主人一家と食事をともにすることもある。また、特別なお祭りの日には、上級召使いたちの食事に招待される。聞くところによると、招待者側は、しみったれた節約ぶりも、途方もない贅沢も避けるという、細い航路で舵を取らなければならないので、かなり繊細な神経を必要とする接待だとのことである。家令と同じ位置の高さでありながら、邸内の権力構成においてはむしろ蔑ろにされるのが、ぞっとする煉獄に身を置く、男性と女性の家庭教師である。彼らの取るに足りない地位を如実に語るかのように、彼らは盆に載せて食べる食事を、それぞれ自室で一人きりで食べるのである。(中略)
夕方ジョーイと会う手筈になっていた最初の日曜日に、安息日の日程はぼくに関わりのある範囲内でも、いつもとは若干、だが重大な違いがあることを知った。ぼくはいつもと同じ早い時間に起床しなければならなかったが、ほかのほとんどの使用人にとっては、万事、いつもよりゆっくりできるのである。たとえばネリーだが、彼女は午前中お休みになるので、いつもと違って、ぼくを五時に起こしたりはしなかった。ぼくはベシーといっしょにいつもの曹長の仕事を片づけたが、サッカベリー氏は正午まで現われないことをよく知っているボブは、遅くまでベッドから出てこなかった。ほかの上級召使いたちは、朝食を七時過ぎではなく、八時にとる。一方、家族たちは――とにかく日曜に朝食をとる人たちは(デイヴィッド氏はたいていそのなかに入ってはいないからだ)――九時半に、それぞれ自分の部屋に、お盆に載せた食事を運ばせる。十一時に、家族を近くの聖ジョージ教会の礼拝へ送るために、馬車が用意され、大部分の上級召使いや、その他の使用人の何人かも、徒歩でそちらへ向かう。
しかし、日曜日は、ある者には休息の日であっても、他の人間にとっては――少なくとも、午前中は――よりきつい労働を意味する。なぜなら、家族や上級召使いは、昼に軽い昼食をとり、夜に正餐をとる代わりに、一階においても地下(地下室における使用人たちの領域)においても、大がかりな正餐を午後にとることになるからだ。家族の正餐は二時になる。召使いたちは――お仕着せ組も、そうでない連中も――召使い用広間で、三時半頃、いっしょに食べるのである。ということは、台所の使用人たちは、邸の大部分の者が教会に行っているあいだに、客を招くこともよくある客間での家族の正餐のみでなく、召使いたちの“召使い用広間での正餐”までも、大奮戦をして整えなければならないことを意味する。それだけではなく、夕方に出す軽食の準備まで、整える必要があるのである。一時に家族は帰宅し、馬車と馬は解放され、このあとは休日となる。午後は、公園への馬車での散策も訪問もないのだ。もし家族が外出する時には、近くの馬車待合い所の馬車が雇われる。
三時半近くに、家族の正餐が終わり、お茶も運ばれると、地階では、一週間の最大行事、“広間での正餐”となる。つまり(ベシーとぼくと、その他のいちばん下っ端の仲間たちを除いて)、召使いたち全員がいっしょにディナーをとり、そのためにきちんとした服装で現われるというもので、このようなことは、祝祭日以外には、日曜日だけなのである。召使いたちのなかの伊達男である従僕たちは、正装用お仕着せという華やかな出立ちで登場し、サッカベリー氏とサー・パーシヴァル付きの従僕も、最上の上着と胴着を着用におよび、彼らにひけをとらない。ファムフレッド氏とその配下の馬丁たちは、入念に蝋をかけた膝までの長靴をはき、洗いたてのスカーフを衿元に結んでいる。女性の上級召使いたちも、美しいドレスでけんを競い、モスリンのドレスを着た女中たちも、蝶結びやリボンの分野で、互いにはり合うのである。
おびただしい儀式が、ここで展開する。まず、下級の召使いが召使い用広間に集まり、めいめいの席の脇に立つ。全員揃うと、ボブが上級召使いを呼びに行き、二、三分後に、傲然ととり澄ました表情でふたたび現われ、さっとドアを開ける。すると彼らのご入場となる。サッカベリー氏の食前の祈りがすむと、上級召使いたちが、厳格に地位に応じて、それぞれ定めの――そして、諍いの的でもある――席につく。執事が上席を占め、その右手に家政婦が坐る。あとの召使いたちは、その地位の重要性に従って居並ぶ。執事の厳かな姿は、末席になるにつれてはるか遠くなるわけである。まず、上級召使いたちが男女交互に並び、つぎにお仕着せ組が、女性陣が先に、そのつぎに男性群の順で、年長の者から順に席につく。最後に平日には自分が就く最上席をサッカベリー氏に譲った御者頭のファムフレッド氏が、長いテーブルのもう一方の端に、ビロードの膝丈ズボンに金の紐の縁取りのついた上着という美々しい装いで、両脇をそれぞれ配下の馬丁たちに守られて腰をおろす。この場合はボブも食卓につくので、全員に給仕するのは、ベシーとぼくの役目になる。最初の料理のあいだ、上級召使いは自分たちのあいだでしゃべっていて、ほかの者たちは話しかけられないかぎり、無言である。ぼくたちが二番目の料理を運びこむと、ボブが上級召使いたちにワインを注いでまわり、ネッドがお仕着せ組に黒ビールを手渡す。(中略)(『第四部 パルフラモント家』の『第四章 内なる友』の中の『94』より)
………………
かなり長くなりましたが、当時の使用人達の生活が垣間見られます。
第五十二回(2005.02.08現在)
清水美知子『〈女中〉イメージの家庭文化史』世界思想社
かつて明治から昭和初期に掛けて日本の家庭に広く存在した『女中』。時代の移り変わりに伴う『女中』に対する人々のイメージを論じた書籍です。
『MaideriA』さんのBBSで紹介されていた書籍。欧米のメイドとは違い、日本の女中は家族の一員で、その中でも下位に属する存在と見なされており、その事が不明瞭な労働時間をもたらした事、花嫁修業的な目的で女中になる事など、独自の特徴が見られます。日本に於ける女中と雇用者の関係が、契約的な雇用関係では無く、家族的でありながら主従を重視し、躾を教える事を旨とするなど、寧ろ近代以前の徒弟制度的な印象を受けます。又、この様な関係が、女中に対する雇用家族の蔑視を生み出した事、それが女中払拭の時代まで続いた為、女中のなり手と成りうる側の意識が自由を求める方へと向かっている事に気付かず、後手後手の対応となり、結局女中消滅のトドメを刺してしまった事も伺えます。
メイド関連の資料としては非常に良い一冊です。全てに目を通しておく事をお勧めしますが、『第U部 〈女中〉イメージの展開』最後のコラムより引用します。
………………
明治・大正期の女中については、統計的データが少ないため、その属性を数量的に把握することは難しい。そこで時代は下るが、東京市職業課が一九三六年、市内の住み込み女中約一万人を対象におこなった調査の結果をもとに、女中の実態について垣間見ておこう。
女中の基本属性
@年齢――一〇代後半から二〇代前半までが約九割
A学歴――小学校程度が大半
B父兄の職業――「農業」が七割以上
C就職経路――約八割が縁故による就職
D女中の数――大半はいわゆる「ひとり女中」
E仕事の種類――過半数は「雑働き女中」
F給料――月給一〇円から一五円までが多い
五円未満から三〇円以上までと幅広いが、「一〇円以上一五円未満」(五一%)が約半数を占め、「五円以上一〇円未満」(四四%)を加えると九割以上に及ぶ。
G公休日――きまった休みがない者が半数以上
月極で公休日のある者(三四%)は三人に一人にすぎず、公休日なし、もしくは不定休が半数以上を占める。
H就職理由――嫁入支度や行儀見習のため
女中として働く理由は、「嫁入支度のため」(三五%)が最も多く、「行儀見習のため」(二六%)がこれに次ぐ。結婚準備(嫁入支度+行儀見習)の理由が過半数を占め、経済的な必要(自活+家計補助)に迫られて女中になった者は三人に一人にとどまる。
I将来の希望――「結婚」をあげる者が七割
「結婚」(七〇%)が多数を占め、「自活(自営業もしくは勤人として独立就職)」の希望者は二%にすぎない。
女工との比較
戦前期、「女中」と並んで一大職業領域を占めたものに、「女工」がある。東京市では一九三一年、職工数が三〇人以上の工場に勤務する女工約五千人に対しても調査をおこなった。単純な比較はできないが、両者を対照することで、女中の特長が浮かび上がってくる。
@主力は小学校卒業程度の学歴をもつ若い女性
年齢と学歴では、女工と女中は似たような特徴を持つ。ただし女工の場合は既婚者が約三割見られることから、年齢は女中に比べるとやや高めにシフトしている。
A女工の月給は女中に比べると高い
月給三〇円以上の者は、女中では一%にも満たなかったのに対し、女工では半数近くを占める。
B女工の場合、公休日は毎週または隔週に一回
女工の公休日は、女中とは異なりすべて月極で定められている。半数近くが隔週休、四割が毎週決まった休みがある。
C女工が働くのは、経済的な必要に迫られて
就職理由の点から見ても、女工は女中と大きく異なる。「家計補助」「自活」があわせて九割を占め、「嫁入支度」「修養」のために働く者はあわせて二%にも満たない。
女中として働く者には「結婚を目標にした結婚準備のための修行」という意識が強い。だからこそ、安い給料で休みがなくても、何とか我慢できるのであろう。日本の家庭女中を考えるさいには、この点を見逃すことができないのである。(『コラム 女中の実態調査から』より)
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尚、時代が新しくなるまで、女中は職業の一つとは見なされておらず、女工が労働組合を立ち上げる事が出来たのに対し、女中はこの事で孤立感を深めていた様です。
アン・ペリー、浅羽莢子/訳『娼婦殺し』集英社文庫
ヴィクトリア朝のロンドンの貧民街で娼婦が殺され、現場から大物銀行家の一人息子の名が刻まれたバッジとカフスボタンが発見される。上流階級を巻き込んだ怪事件の調査にピット警視が乗り出した。イギリスの人気作家がピット警視夫妻の活躍を描く歴史ミステリー・シリーズ。
『ヴィクトリア朝ミステリー』と銘打ったシリーズものの推理小説。日本語訳では初登場なのですが、後書きのリストを見るとこのシリーズは以前にも書かれていて、何故割と新しいこの巻を最初にしたのかちと不明。多分この巻が例の切り裂きジャック事件から二年後という設定だからなのかも知れませんが。この作家は、他にもヴィクトリア朝イギリスを舞台にした推理小説のシリーズものを書いているそうな。
あまり推理ものは読まない方ですが、結構面白かった気がします。上流階級と下層階級の生活の違いが出ていて、当時がどの様な社会であったのかが分かります。
………………
「ここへ来て六年かそこらになります。生まれは知りません。ピナーのほうじゃねえかと思います。とにかく、どっか田舎です。遠いとこ。その頃はきれいな子でした。色が白くてほっぺたが薔薇色で」首を振り、顔をくしゃくしゃにする。「ベルグレイヴィア地区のお屋敷のどれかで、客間女中してたって言ってました。紹介状ももらえずに馘になったんです」淡々とした口調だった。遠い昔の悲劇で、あまりに馴染み深く、もはや怒りさえ覚えないかのように。「執事にただの体じゃなくされて。お屋敷の奥さまに話したら、執事じゃなくて自分が馘になっちまって。赤んぼは早産で、かわいそうに助かんなかったそうです。それでよかったんかもしれませんが」顔がひきつり、眼が遠くを見る。「死んだほうが、救貧院や例の赤んぼ農場(養育料をとって子供を預かったが、子供は虐待されがちだった)ってやつよかましですから。で、母親のほうは体売るようになって。頭はよかったし、退屈して腹も立ててたみたいでした」顔からやさしさがすうっと薄れる。厳しい表情に固まった。「執事に思い知らせてやりたがってましたよ」(『第一章』)
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部屋全体が温かく、ベーコンと焼きたてのパン、磨きあげた木と、ストーヴの上で音を立てだしたやかんの湯気の匂いに溢れていた。女中のグレイシーが紅茶入れを取ろうと背伸びしている。シャーロットが無意識に、食器棚のまんなかの段に置いたのだろう。グレイシーはそろそろ二十歳になるが、身長は十三歳の家なし子だったのを引き取った頃から、見てわかるほどには伸びていない。今でも服は全て裾を上げる必要があるし、肩上げとウェスト詰めも必要なことがほとんどだ。(『第一章』)
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「台所は料理番の管轄で、召使いの差配は家政婦がやってる」祖母は批判した。「食品庫と酒蔵を取り仕切ってるのは執事。着る物を決めるのは小間使い。息子の教育は家庭教師、娘の世話は子守りの仕事。それだけ何もかも人にやらせていながら、わたしと話をしに来る時間も見つけられないとはね。おまえは甘やかされてるんですよ、エミリー。身分が上の人と結婚したと思ったら、次は下の者と再婚したりするから、こういうことになるんです。もうわたしには世の中がわかりませんよ」(『第三章』)
………………
「いつもすばらしいドレス着ているけれど、それも自分で縫ったものじゃありません。手入れのしかたなんて、見当もつかないし」と続ける。「着たり脱いだりを手伝ってくれる小間使いまでいますのよ。小間使いは洗濯係に渡して洗わせる。これみたいなとっておきのは別で、それは小間使いが自分でする。ほどかないとちゃんと洗濯できないものもあるんじゃないかしら。よくわかりませんけど」(『第三章』)
………………
次の二時間は手紙を読み書きして過ごしたものの、たいした量はなかった。むだな時間を過ごしていたというのが本当のところ。その日の献立を考えたが、ジャックが留守なので相談できなかった。次に家政婦を呼び、リンネル類、客間女中の仕事、新しい洗い場女中、図書室の絨毯のしみなど、家事がらみのことを六件ばかり話し、エミリーの助言を待つまでもなく、全て満足のいくよう対処ずみであることを発見した。
小間使いとも話し、ここでもまた、取り上げた些細な問題は全て解決されていることを知った。
「朝のドレスの袖についた赤インキだけど」と言いかける。エドワードのインドの地図の上に屈み込み、見とれた時のものだった。
「やっておきました、奥さま」グウェンは満足げに言った。
「落ちたの?」エミリーは眼を丸くした。「赤インキが?」
「はい、奥さま。からしでとれるんです。洗う前にからしを少し塗りつけただけです。よくききますよ」
「ありがとう」
「それから、ジンを二、三滴いただければ、腕環のダイヤをきれいにしておきます。少し埃がついてきましたから。料理番に頼んだんですが、奥さまのお許しがないとジンを出してくれないんです。飲むとでも思ってるみたいで!」
「もちろんいいですよ」エミリーは全く用無しの気分で同意した。(『第五章』)
………………
(中略)自分の何とも美しいスカートを見おろし、腹のあたりを撫でつける。「これは五十一ポンド十七シリング六ペンスしました。うちの一番いい女中たちのお給金が年に二十ポンド。洗い場女中や中女中(台所と客間と両方の作業を兼ねる)はその半分以下です。家計簿に書いてありました。このくらいのドレスなら、わたくしは一ダース以上持っているんです」(『第五章』)
………………
メイドさん基本情報満載。初心者向けかも。因みに主人公であるピット警部夫妻の家で働いているメイドさんのグレイシーは、忠義心の篤い、とっても良い娘です。上の文章読む限り、どう見ても『外見ロリだが実は成人』つうエロゲーみたいな設定の様子。尤も、当時メイドさんのなり手だった下層階級と、雇う側の上流階級では、住居環境が違い過ぎて背丈とか成長などに大幅な差が出来ていた様なのですが。
ラスレット、川北稔+指昭博+山本正/訳『われら失いし世界 近代イギリス社会史』三嶺書房
近代以前のイギリスとの比較により、近代イギリスの社会に付いて論じた書籍です。
題名に近代と付けられていますが、寧ろ工業化が始まった、中世から近代に移る最中の時代を語る事で、近代を論じている様な感じです。この工業化により『失った世界』とは一体何かがテーマの中心なので仕方が無いのですが。
所々『サーヴァント』という単語が出てきますが、いわゆる召使いの事ではなく、奉公人全般の事を指しています。メイドさん関係は最後の方に少しだけ触れられています。
………………
高度工業化時代のイギリス社会史こそが、真に決定的な社会変容――例のしばしば引き合いに出される比喩を用いれば、とくに社会の背丈が低くなったという意味での変容――の時代であった、という主張は、ここまでにしておく。ただ、なおいくらかわかりにくいところもありそうだから、最後にもう一本、二〇世紀イギリスの社会発展の複雑にからみあった糸の端をとり出しておこう。そうすれば、事態はさらにはっきりするだろう。一九〇一年には、家事使用人が被雇用女性のなかでももっとも数の多い職種であった。すなわち、総数四〇〇万の雇用されている女性のうち、一五〇万人が家事使用人だったのである。それこそ、男性の職種を含めても最大ともいえる職種で、鉱夫や機械工、農民と比べても人数が多かった。ところが、第一次世界大戦末までには、その数は急に激減し、ついに公的な原因調査の対象になるほどになった。しかも、一九二〇年代・三〇年代という、男でも女でもとにかく職さえあれば喜んだのではないかと思われる時代、それも、需要の方は十分あり、さらに強まってさえいた時代に、家事使用人は減り続けていったのである。一九三〇年代までには、なお、そこそこの人数ではあったが、以前に比べると半数になってしまう、一九五一年ともなると、女性の家事使用人、つまりいわゆる女中は事実上姿を消し、男・女を問わず「使用人」と呼ばれる人びと自体、組織や家庭で使われている者を全部合わせても僅かに一七万五〇〇〇人になった。同年、女性の事務員の数が、ちょうど一九〇〇年の家事使用人の数に達した。過去40年間に、家事手伝い賃金は家計費の他のいかなる項目よりも上昇したのだが、それでいて、もはや使用人になってくれる人を見つけることはできなくなったのである。イギリスの女性は、たとえ誰に頼まれても、もはや別のイギリス人女性にかわって家事をやる気持をもたなくなったのだ。社会の背丈が低くなりすぎたのである。(『第11章 工業化以後の社会――二〇世紀初頭のイギリス』の『二〇世紀の社会変容』より)
………………
この事は他の書籍でも述べられていますが、二十世紀初頭に於ける社会の変容と個人の意識の変容が伺えます。
第五十一回(2005.01.30現在)
ロバート・W.マーカムソン/著、
川島昭夫+沢辺浩一+中房敏朗+松井良明/訳『英国社会の民衆娯楽』平凡社
近代化以前のイギリスでかつて行われていた様々な娯楽。しかし囲い込みや都市化の波が農村共同体を崩壊させ、こうした民衆の諸権利が奪われていく。この様な娯楽がいかなる機能を持ち、そしてどの様に衰退していったかを明確に分析した書籍です。
ダンスや酒宴、牛掛けや熊掛けと言われる動物虐め、町中を巻き込むフットボールや牛追い、全国各地で行われたフェアやウェイクなどといった様々な『娯楽』を論じた書籍。近代化以前と以後のイギリスがどの様なものか、その一側面が垣間見られます。メイドさん関係では、雇い人市に関する話が登場します。
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雇い人市については、表だった積極的反対はヴィクトリア朝になるまでほとんど見られなかったのではないか。労働力の交換の場として貢献しつづけたものが少なくなかったし、依然として多くの農場主たちによって支持されてもいた。攻撃が目に見えて増え、フェアの重要性が著しく失われたのは一九世紀後半になってからのことである。雇い人市への反対論がいくつか刊行され、もっと規制の効果をあげたり、他の方法で労働者を雇用したりする試みがなされた。非難の理由はプレジャー・フェアと変わらなかったが、ただ若くて世間知らずの奉公人たちが、雇い人市の雑踏を追いかけてまわるような、年長の筋金入りの遊び人たち(泥棒、売春婦、誘惑者、あらゆる種類のむこうみず)と、酒酔い、ばか騒ぎ、性の乱れをおおいに助長するような雰囲気のなかで交わることになる点がとくに強調された。改革者たちは、なかでも年端もいかぬ少女奉公人への影響を案じていた。(『第7章 攻撃される民衆娯楽』の『ウェイクとフェア』より)
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この様な娯楽は、農村部の共同体が支えていた一つの文化であったものが、近代化の波と彼等を使う上流・中産階級のイデオロギーとにより、次第に解体されていった様子が伺えます。これらの娯楽は、より合理的な生活を要求する近代的な都市生活と相容れず、その事が自然消滅の道に至った様です。
亀井俊介『ピューリタンの末裔たち アメリカ文化と性』研究社出版
アメリカに於ける性に対する意識の変容に付いて論じた書籍。性に対して比較的理解があった十七世紀に比べ、より厳格に狭量となった十八・十九世紀の性意識、時代の波により反動的なまでに開放的になった二十世紀の性文化を、時代の移り変わりを通じて述べられています。
二十世紀初頭までは、ヨーロッパ諸国と変わらない位に厳格であったアメリカが、今日の如く性に奔放と化した文化になっていったのかが述べられています。主に十九世紀に付いて論じられているので、当時のアメリカがどの様なものかが理解出来ます。
松田道雄/著『私は女性にしか期待しない』岩波新書
著者は小児科医。医師の視点から見た男女の人生観に付いて、フェミニズムよりに論じた書籍です。
最初のコラム『嫁のつとめ』でメイドさん関連のネタがあったので借りた本。『しきたり』に縛られて生きている日本人の生活や人生に付いて論じている、題名を見て分かる通り、非常にフェミニズム的なエッセイです。
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日本のしきたりのなかで、女はどうあるべきかを、いちばんはっきり言っているのは貝原益軒の「女子を教ゆる法」(『和俗童子訓』)でしょう。今のことばに訳してみます。
「女は人に仕えるものだから、父の家が金持でも、結婚したら、自分の家にいたときより身を低くして、舅姑にへりくだって、うやうやしく仕え、朝夕のつとめを忘れてはならない。舅姑のため衣服を仕立て、食事の用意をし、家庭では夫に仕えて、つねにへりくだり、衣類のことは人にまかせず、部屋を掃除し、食事をこしらえ、糸をつむぎ、ぬい物をし、子をそだて、おむつを洗い、召使いの女がたくさんいても、万事さきに立って働き、苦労をがまんして奉仕する、というのが女性の職分であるから、あの嫁がそんなことまでするのかと思われるほど努力するべきだ」(『T しきたりの力』の『嫁のつとめ』より)
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夫は外で働き、妻は家庭をまもるという暮らし方は、日本では江戸時代からありました。
もっともそれは上級ないし中級のサムライの家庭のことです。農家では妻も乗らし語とをしましたし、町家でも、よほどの大家でない限り、妻は店で働いたり、走り使いをしなければなりませんでした。中間や女中をやとえる程のサムライの家でないと、妻が家にこもって、使用人に采配をふるえる「奥さん」には、なれません。
都会の多数の市民に、夫は外、妻は家庭という分業ができるようになったのは、大正のころ、「女中」をやとえるサラリーマンができてからです。
戦中、戦後に「女中」のなり手がなく、「奥さん」は「女中」役をするよりほかありませんでした。高度成長で家電製品が出まわって、主婦はやっとひまのある「奥さん」に返り咲きができました。(『V 男のしていること』の『妻のほうが物知り』より)
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いま使っている意味で、「主婦」ということばが最初に出てきたのは、明治9年(1876)の穂積清軒訳『家内心得草』だと思います。
穂積清軒は愛知県の吉田藩士で、蘭学をまなび幕府の翻訳方だった人で、明治政府に仕官せず豊橋で洋学塾と女子教育所を開きましたが、38歳でなくなっています。
投獄されたこともある反体制派で、『家内心得草』も女性の開化のために訳したことが、その序文にもうかがわれます。
原著はイギリス(訳者はまちがってアメリカとしていますが)のビートン夫人の編集したシリーズ本の家庭実用書のひとつです。序文を現代語になおしますと、
「女今川、女庭訓などという婦人用の教科書がわが国でたくさんでているが、皆しきたりを説いているだけで、婦人の天から与えられた権利をせばめている。殊に家計をとりしまることをかいた本は絶無といっていい。だから婦人は従順だけを美徳と思って、家事をとりしまる職分のあることを知らない。はなはだしいのは顔のきれいなのを夫の玩具に供して、自分を盆栽や生け花と同じに思っている。世を憂うるものは、日本人民が卑屈で恥を知らないといって、男だけを責めていられない。この本は英国婦人の体験をかいたもので、身にせまるものがあり、直ちにわれわれの家政に試みるべきだろう。世の主婦となろうとする人は、よくこの本をよんで、反省し、実際に行えば、その結果は楽しかろう。いま流行している絃歌舞踏どころでない」
この訳書は80ページばかりの本で、主婦の日課、家計簿のつけ方、使用人の管理、育児などをかいています。
藩の武家から、上級サラリーマンになった家庭の妻女に、新しい生き方への変身をせまるものでした。いままでの日本の家庭のしきたりの改革への第一声としていいと思います。
イギリスの中流家庭の妻を、手本にすることができるような主婦があらわれたのは、大正の初めごろでしょう。企業の数がふえて、高給のサラリーマンがおおくなったためです。
大部分の家庭の妻は、朝から晩まで働きづめで、やっと育児と家事をささえていました。かなりの月給をもらえるようになって、農村の娘を「女中」としてやとえる時代がきました。
掃除、洗濯、飯たき、風呂たき、走り使いなどを「女中」にさせることで、家事をとりしきる管理者として、主婦が登場しました。だが戦争と戦後の混乱で「女中」がいなくなって、主婦は再び「女中兼妻女」に転落しました。
電化製品が「女中」の代りをしてくれるようになり、女も家の外で仕事をもてる時代になって、主婦は刻々に変身しています。その間、男は明治以来、亭主関白で変身していません。(『W 女のたたかい』の『主婦』より)
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『日本国語大辞典』をみますと、「奥様」という呼称がはじまったのは、江戸時代に将軍や大名の夫人が家来から、そう呼ばれたからだとあります。奥というのは屋敷の奥で、夫人や奥女中のいる場所で、殿様以外の男の入れない場所です。
えらい人の使う名前を、下のものは真似して使いたがります。まず上級の武士の家で使うようになりました。家来が夫人を呼ぶ名ですから、家に使用人のいる武士は、みんなそれを真似しました。さらに町人でも大家で、使用人のたくさんいるところでは、夫人を奥様と呼ばせるようになりました。中流の町家では、使用人は主人の妻を奥様とはいいませんでした。京都では、番頭や丁稚は主人の妻の名の上に「お」をつけて、「おていさん」とか、「おちかさん」とか、呼びました。これは大正の時代まで、そうでした。
大阪の町家では、「お家さん」と呼んでいたようです。「ごりょんさん」というのは、よほどの大家で、嫁いできた娘が女中をつれていたようなところです。大家の商人では、これも武士の家の真似で、娘を御料人と呼ばせていました。娘の嫁入りにしたがっていた「女中」は、婚家にきても、そう呼んだのでしょう。それでほかの使用人も、そう呼び、なまって「ごりょんさん」になったようです。京都で奥さんというようになったのは、大正のはじめで、大学の先生とか高官の夫人が奥さんと呼ばれていました。
第一次世界大戦で景気がよくなり、サラリーマン家庭で「女中」をやとえるところがおおくなりました。ここでもえらい人の家の真似で、主人の妻を奥さんと、「女中」に呼ばせました。
第二次大戦と敗戦で、使用人をやとえなくなって、既婚女性は家庭では、誰からも奥さんと呼んでもらえなくなりました。家庭のそとでは、近所の店やタクシーの運転士が、既婚と思われる女性に、奥さんと呼ぶのをつづけました。既婚女性のほとんど全部が専業主婦だったので、奥さんの呼び名は、専業主婦を意味することになりました。(『W 女のたたかい』の『奥さん』より)
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だが仕えるってどういうことでしょうか。福沢諭吉は90年もまえに、『女大学』を批評していっています(『女大学評論』)。
「元来仕えるというのは、殿様と家来、主人と使用人みたいに上下の身分のちがう場合、下級のものが上級のものに接するとき使う文字である。だから妻が夫に仕えるというのなら、その夫婦の関係は殿様と家来、主人と使用人と同じで、『妻もまた一種の毛色のかわった下女である』という意味を丸出しにしたようなものだ。我輩の断じて許さない所である」(『W 女のたたかい』の『結婚スト』より)
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家柄によって女主人の呼び名が違っていたなど、なかなか興味深いネタが転がっています。しかし、ビートン夫人の訳書が既にあったとは、同時期の話とは言え驚きですね。
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