
☆図書館にでも行きましょうか。☆
☆図書館にでも行きましょうか。☆
最近ロクに更新していないので、又新たなコンテンツを立ち上げたりして。
万年金欠な小手鞠萌はよく図書館に行く訳ですが、そこでよく借りる本の中でも、面白かったり資料としてなかなか良い物を紹介するコーナーです(安上がり)。
因みに基本は“十九世紀”。本物のメイドさんが生きていた時代っすね。でも読んでいる本、かなり偏りあり過ぎです。しかも実はあんまり小説読まない事、バレバレ。大層なもんでは無いけれど、ある意味“裏ヴィクトリアン・ガイド”かも(^_^;)。
第一回〜第十回/第十一回〜第十五回/第十六回〜第二十回/
第二十一回〜第二十五回/第二十六回〜第三十回/第三十一回〜第三十五回/
第三十六回〜第四十回/第四十一回〜第四十五回/第四十六回〜第五十回/
第五十一回〜第五十五回/第五十六回〜第六十回/第六十一回〜第六十五回/
第六十六回〜第七十回/第七十一回〜第七十五回/第七十六回〜第八十回/
第八十一回〜第八十五回/第八十六回〜第九十回/第九十一回〜第九十五回/
第九十六回〜第百回
→トップに戻ります。
資料をまとめてみました。
→メイドさんに関する資料・一覧表
第六十回(2005.05.01現在)
ジャン・フランコ・ヴェネ、柴野均/訳『ファシズム体制下のイタリア人の暮らし』白水社
1920年代、第二次大戦が始まる少し前のイタリアでの、下層中流階級の生活を様々な視点から論じた書籍。
ちょっと珍しい、二十世紀初頭のイタリアの資料。下層中流階級の『暮らし』というからに、やっぱり出てきましたメイドさん! 『朝』の『1 トイレと国旗』『4 買い物の詳細』、『日曜の昼食のための休憩時間』、『午後』の『2 公園で』『3 パンとラード』の中にメイドさんに関する情報が載っています。結構詳しく書かれてあり、全文引用したい所ですが、その中で良さ気なネタを引用します。
………………
家の飾りつけや服の選択については同じようにできなくとも、客を迎える段取りについては小ブルジョワジーはより上の階層の習慣を模倣していた。主人と奥方は自分たちにテーブルの上座を確保して家の中での彼らの主権を主張していた。一番大事な客は奥様の右隣の最初の席が割り当てられた。幼児たちは昼食の席に出ることを認められなかった。子どもたちは台所で奥様かあるいは女中から大急ぎで食べ物を詰め込まれた。女中たちはこの機会に一時的にキャリアの数段階を駆け登った。つまり皿洗い、乳母、料理人、給仕という具合に。給仕としてはお仕着せを着なければならなかったが、皿洗い、乳母、料理人という仕事がら、汚したりしわになったりしないように着替えるのは最後の最後だった。女中のためのお仕着せはよけいな出費ではまったくなかった。その証拠として、お仕着せは安かった肩にパッドが入った「丈夫なレーヨン地の」美しい黒い上っ張りが三〇から三五リラ、「最高級の白いインド産キャラコ地でレースの飾りがついた」白いエプロンが四リラで、あと一〇リラ出せば「同じ生地のカフスとひさし帽(クレスティーナ)がついた」一式が買えた。「胸当てがついた」よりエレガントなエプロンは八リラしたが、それにはレースの襟がついていた。小ブルジョワ家庭の偽物の給仕がお金持ちの本物の給仕と違う点は、白い手袋をつけていないことであった。それはアクセサリーとしては高すぎるし、(食堂を出ればすぐに皿を洗わねばならない)給仕にとっては役に立たないものであった。(『日曜の昼食のための休憩時間』より)
………………
次の行には『昼食の時間が迫ってくると、額にひざし帽をつけた女中は(それをまったく恥ずかしがらず、むしろ誇りに思いながら)……』というくだりがあったりします。この『ひさし帽』って、多分モブ・キャップの事かも知れません。しかしなかなかに萌え気なお仕着せをしていた様子がありありと伺えますね。
ジーン・リース、小沢瑞穂/訳『サルガッソーの広い海 ジーン・リーズ・コレクション1』みすず書房
ドミニカ島で暮らしていた白人クレオールの娘アントワネット。屋敷が焼き討ちに遭い、父親を喪った彼女は母アネットと乳母クリストフィーヌと共にひっそりと暮らしていた。彼女の母親はイギリス人と再婚したが、彼女達を取り巻く黒人達の悪意ある噂話により笑気を喪ってしまう。長じて美しい娘となったアントワネット自身も又、イギリスからやってきた青年と結婚するものの、母と同じ運命を辿る事となる……。
著者は十九世紀末にドミニカ島で生まれたイギリス系白人クレオール。その彼女が、十九世紀に書かれたある小説のキャラクターを、彼女の過去と経験を元に書いたのがこの小説です。一種のパロディであるこの小説のヒロインは、その元となった小説の中でもジャマイカ出身の植民地白人(クレオール)という設定で、著者リースはこの衝撃的ではあるがほんの脇役でしか無かったこのキャラクターを使い、壮大なクレオール小説を書いたのであります。そしてこの元となった小説の名は『ジェイン・エア』……そう、ロチェスターの最初の妻であるバーサ・メイソンこそが、この小説のヒロイン・アントワネットなのです。彼女が何故バーサという名前となり、そして狂気に陥っていくのかを、白人クレオールである著者が『あったかもしれない物語』として書いたものがこの『サルガッソーの広い海』なのです。
もう一つの十九世紀を描いた小説です。イギリスの植民地であった西インド諸島がどのようなものか、良く分かります。暗い話ですが、ジャマイカにいる時は熱帯的なじっとりした感じの、最後でイギリスに渡ったときは如何にもイギリスの空寒い感じの、別々の暗さがあって違いが出ています(でも第3部ページ数少しだけだけど)。その第3部から、メイドさん関連を引用。
………………
「それから召使がそっくりお払い箱になり、料理人とメイドとあんたが雇われたのよ、リア。みんなくびになったけど、どうやって口封じができると思ったのかしら? あたしに言わせれば、この州全体に知れわたってるわ。こっちの耳に入る噂といったら――真実とまるでちがう話ばかり。でもあたしは反論しない、一言もしゃべらないにかぎると思ってるからね。なんだってこのお屋敷は大きくて安全だし、女にとっちゃ暗くて残酷なばかりの外の世界から守ってくれるんだから。あたしは、だからここにいるのかもしれないわ」(『第3部』)
………………
メイドさん達はお喋り好き。
小林章夫『地上楽園バース』岩波書店
副題は『リゾート都市の誕生』。バースはイングランド南西部にある一地方都市にある温泉町。そのバースが、上流階級の人々を惹き付けたのかを論じ、紹介した書籍です。
バースが発展したのは十八世紀頃、『伊達男ナッシュ』ことリチャード・ナッシュの力によるものだそうです。しかし晩年を迎え十九世紀になると、バースのにぎわいも少しずつ衰えていきます。勃興から衰退までのバースの歴史が詳しく書かれてあり、イギリスに於けるリゾート地がどの様なものかが分かります。
『SPOQ』さんの所(日記)でも紹介されていたのですが、メイドさんネタの部分を引用。
………………
一八世紀始め頃、お洒落を自ら任じている女性は白いエプロンをつけてパーティに出るのがはやりだった。「ミルクメイド・スタイル」と呼ばれるものである。日本でも一〇年ほど前は、改まった会合にわざとラフなスタイルで行くのが流行の最先端だったが、これと同じである。ナッシュはこのスタイルが気に入らなかった。いやしくも華やかな舞踏会に、召使い女のごとき服装でくるのはけしからんというわけで、これを禁じた。ところがクィーンズベリー公爵夫人(年をとってからも娘時代のファッションを着たという、小森のおばちゃま、大屋政子のような女性である)がこれを無視してエプロン姿で舞踏会に現れたので、ナッシュはつかつかとそばへ寄り、エプロンを引っぱがしてうしろの席へ投げ捨てると、こう言った。「メイド以外は、白エプロンでくることはまかりなりませぬ」。夫人はナッシュの勢いに圧倒されて何も言わず、それどころか規則を破ってすまないと謝ったそうだ。(『第二章 バースをつくった男ナッシュ』の『儀典長ナッシュ』より)
………………
クィーンズベリー公爵夫人弱っ。それよりも、この十八世紀頃にキャップにエプロンというスタイルが流行した訳ですが、それが上記の『ミルクメイド・スタイル』なのでしょう。その十八世紀頃の貴婦人の服装を、十九世紀にはメイド達の『礼服』『制服』として模倣した訳ですから、現在のメイド服というのは巡り巡っての結果なのかも知れません。輪廻転生。
第五十九回(2005.04.17現在)
オットー・L・ベットマン/著、山越邦夫+斎藤美加/訳
『目で見る金ぴか時代の民衆生活 古き良き時代の悲惨な事情』草風社
アメリカの『古き良き時代』、南北戦争終結から二十世紀初頭に掛けての下層階級の生活ぶりを豊富な図版を交えて紹介した書籍。
これを見ると、まるで同時代のイギリスの下層階級を見るかの様な錯覚に陥ります。文化的に似通っているとはいえ、富める者と貧しい者の生活ぶりというのは、何処も一緒なのかも知れません。メイドさんネタは『三章 住宅』に少しだけ言及しています。
………………
召使いの不足は解決し難い問題だった。一般的にアメリカの女性たちは誇り高く、召使いのような仕事をしようとはしなかった。しかし移民女性たちを雇うとなると、言葉の壁や彼女たちの気質、あるいはまたアメリカ的な習慣を知らないなど、そうそう申し分ない召使を見つけることはできなかった。かといって有能な女性は、その膨大な量の労働を嫌ってすぐに辞めてしまうのだった。どうやっても清潔で暖かく、換気の良い、人を育むような快適な住まいにはならない、このタウンハウスに住むために、住人は絶え間ない戦いを続けなければならなかった。(『三章 住宅』の『タウンハウス』より)
………………
英米のアングロ・サクソン系メイドさんは、当時あんまり評判が良くなかった様子が伺えます。
ロナルド・タカキ/著、富田虎男/監訳『多文化社会アメリカの歴史 別の鏡に映して』明石書店
著者はハワイの日系移民三世。様々な国からの移民や原住民といった、アメリカに於ける“マイノリティ”に属している人々の歴史を綴った書籍です。
アメリカの下層で暮らしている人々の歴史を大まかな区切りで論じた書籍。メイドさんに付いては『第U部 境界』の『第6章 アイルランドからの移民』の中にズバリ『アメリカにおけるアイルランド人メイド』の項目があります。又、他の章でも家事使用人を論じた部分もあります。少し長くなりますが、引用します。
………………
アイルランド人と黒人との労働市場での競争は、家内奉公においても熾烈であった。アメリカを訪れたイギリス人によれば、雇用者は進んで「召使にニグロを雇っているが、ニグロがいなければアイルランド人で穴を埋めて」いた。一八三〇年にはニューヨーク市の召使の大半は黒人であったが、二〇年後には、アイルランド人女性になった。アイルランド農民の娘たちはアメリカにやって来てメイドになった。
エリン(アイルランド)のこうした娘たちにとって、大洋を渡れば結婚と金をためる可能性が待ち受けていた。「メイドたちは皆アメリカを、アイルランドよりも結婚相手を見つけうる……約束の地と考えていた」と『コーク・イグザミナー』紙は報じている。アメリカでは持参金は必要でなかった。「あちらのアイルランドでは、人びとは富のために結婚するが、ここアメリカでは愛のために結婚し、富のために働く」と、ある女性はフィラデルフィアから手紙を書いた。大西洋のこちら側では、女性は仕事、とくにメイドの仕事を見つけることができた。アイルランド人の移民希望者向けのガイドブックは、メイドはアメリカで月に八ドルから一六ドル稼ぐし、魅惑的な将来が提供されるが、もし家内奉公人が賃金の半分と利子を累積して貯蓄すれば、一〇年以内に金持ちになるだろうと、教えている。実際多くのメイドは「二〇年か三〇年間、誠実に勤勉に働いて倹約し、三〇〇〇ドルから五〇〇〇ドルを所持できるようになった。
アイルランド人女性は家内奉公人の仕事についたが、その数も比率も圧倒的に他の移民集団の女性を上回っていた。一九〇〇年には、イタリア人女性労働者の比率がわずか九%なにと比べて五四%が「召使と給仕」の範ちゅうに分類された。あるボストンの研究によると、一九〇五年から一九〇六年にかけてボストン市に到着した移民女性の五分の二以上が召使になったが、そのほとんどがアイルランド人であった。ユダヤ人とイタリア人の女性は一般的に家内奉公人にはならなかった。イタリア人女性は、両親や夫が他人の家庭で働くのを嫌がることを知っていた。「イタリア人女性は男たちが妻がメイド、洗濯女、あるいは工場労働者として働くのを滅多に許さなかったので、下宿人をおく傾向が強かった」と、歴史家のヴァジニア・ヤンズマクラフリンは説明し、「イタリア人の理想は女性を家庭にとどめておくことであった」と指摘した。
夫や父親と一緒にアメリカへやってきたイタリア人女性と違って、アイルランド移民の女性は独身で家族とは一緒に暮らさない傾向にあった。だから、彼女たちは賃金だけでなく住居と食事を提供してくれる仕事に魅力を感じた。家庭での仕事は、工場での仕事よりもずっと健康的な環境を提供し、賃金もおうおうにしてよかった。一九〇六年には、マサチューセッツ州のメイドは織物工業の労働者が週給わずか七・一五ドルであったのにたいし、平均で週給九・〇八ドル稼いだ。「独身の女性は男性よりもずっと容易に仕事をうることができるので、ここでは男性よりもはるかによい暮しをしている」とフィラデルフィアのあるアイルランド人労働者は一八八三年に本国の姉妹に手紙を書いた。「例えば、通いのメイド、すなわち本国では女奉公人と呼ばれているものたちは、週に八シリングから一二シリングを稼ぎ貯蓄するが、それはアメリカのお金で、二ドルから三ドルにあたる……男性の労働者の賃金は週当り平均六ドルから九ドルであるが……しかし男性の仕事はとても女性の仕事ほどには安定していない」と。
こうした女性たちにとって、奉公人の仕事は住居、食事、賃金だけでなく、それ以上のものを提供した。雇主とその家族に愛着を感じたものもいた。(中略)さらに、家内奉公はアメリカ文化を彼女らに教える入門書の働きもした。アイルランド人女性は永住するためにやってきた。本国に二度と戻らないと悟っていたから、彼女らはアメリカ社会に適応しなければならなかった。「確かに、彼女らは自分流の方法ですぐに文化変容の過程をたどり始めなければならなかったし、家内奉公は、おそらくアメリカの中産階級とは実際どのようなものかを、もっとも身近にかいま見ることのできる機会を提供しただろう」と歴史家のハシア・ダイナーは述べた。
しかし、中産階級のアメリカ家庭の中で生活したのにもかかわらず、アイルランド人のメイドは依然としてよそものであったし、家庭内の垣根に気づかされていた。家族と彼女らの関係は、上と下、主人と召使という縦の関係であった。彼女らは目の前にいるのに、もっとも親密な状況では目にみえない存在であった。アイルランドの両親から遠く離れて、彼女らの多くは雇用主の家族の中に入りたいと切望していた。ある家内奉公人は「家には人がたくさんいるのにメイドたちがいったいなぜ孤独を訴えるのか、ご婦人方は不可思議に思っているが、おお! それこそ最悪の孤独である。メイドたちの分担は家事だけ。メイドたちは家庭の喜びや楽しみを分かちあえない。覚えておかなければならないのは、雨露をしのぐ場所としての家と、あなたの愛情のすべてが一点に注がれる家庭とは違うということ」と述べていた。別の召使も共鳴して、「私が用心しているのは……恐ろしい孤独である。私は家事全てを知っているので家事全般の仕事についた。勤め先の家庭には家族がたった三人しかいなかった」が、彼らは「命令する以外は」私と「何の関係も持たなかった。ともかく。打ちのめされたような気持になった」と、述べた。
さらに、仕事自体はきついし、たびたびプライドを傷つけられるものであった。ほとんどのものは住み込みの召使として働いた。一日中指図通りのスケジュールに追われて、通常は週七日間働かされた。雇用主たちは「果てしなく」彼女らを「こき使い」、「朝の六時から寄るの一〇時一一時までいつでも使用できること」を望んだ。ある召使は彼女の雇用主への不満を訴えて、「奥様はせいぜい私を機械であるかのようにしか考えていなかった。二階の居間に座って、何か細かいことをさせるために一日に二〇回もベルを鳴らして呼んだし、ベルに答えるために一一時まで起きているようにといった。お客様がたんといらしたからであった」と述べた。あるメイドは「如才ない女性は怠け者でないことを見せるために始終立ちっぱなしであった。というのも、もし奥様が彼女が座っているのを見たらあまり用事がなく、賃金分も働いていないと思われるからであった」と、述べた。
料理をし、掃除をし、洗濯をし、子供の世話をするときに、召使たちは室内帽とエプロン、すなわち社会的劣等性の記章を身に着けるように要求された。召使たちは「牢獄に入れられて」いるように、いつも「見下されている」ように感じていた。あるメイドの娘は「私は奉公という言葉がきらいよ。私たちはよい暮しをするためにこの国に来たのに、まわりに命令する人がいるのは向上したことにならないわ……もし時間のきまりのようなものがあって、ある決まった自分自身の時間が持てるなら、今とは違っているかもしれないけれど、『何をしてもいいけれど、家内奉公だけはやめておきなさい』と、知っている女性には皆いうわ」と、講義した。(『第U部 境界』の『第6章 アイルランドからの移民』の中の『アメリカにおけるアイルランド人メイド』より)
………………
カリフォルニア州の中国人売春婦の数は一八七〇年以降かなり減少する。一八八〇年になると国税調査で「売春婦」と記された者は同州の中国人女性三一七人の二四%に過ぎなかった。「家政婦(ハウス・キーパー)」〔賃金を支払われずに家庭内の仕事をした女性〕として挙げられる成人の中国人女性の数は一八七〇年の二一%から一八八〇年の四六%と二倍になった。そのころまでには多くの売春婦が負債を返済し自由の身になることができたのだろう。(中略)(『第U部 境界』の『第8章 「金の山」を探し求めて』の中の『少数派のなかの少数派――アメリカでの中国人女性』より)
………………
(中略)ミツエ・タカキもまたハワイに新しい根を張っているのを感じた。彼女は一九二〇年に写真花嫁としてやってきた。一一年後、夫が耕地で膝に怪我をして、治療を受けるために日本に戻った。ハワイに再入国しようとしたが、移民局は許可を与えなかった。ミツエは三人の幼い子供たちとハワイに留まる道を選んだ。ミノル、ススム、キミヨの三人である。彼女は英語を学ぶために夜学校に通い、子供を育てるために耕地のクラブハウスでメイドとして働いた。子供たちが生まれた土地で教育を受け、機会をつかむことを望んだのである。(『第V部 距離』の『第10章 太平洋を超えて』の中の『砂糖キビ畑の涙』より)
………………
(中略)たいていのチカノ女性が家内奉公人、ウエイトレス、コック、メイドとして働いた。エリザベス・レイ・タイソンはエルパソにはチカノのメイドがあまりにも多かったことを回想している。「メキシコ人の割合があまりにも大きかったので、ほぼすべてのアングロ家族が少なくとも一人、ときには二人、三人の奉公人を使っていた……朝食の後メイドが来て、朝食の後かたづけをし、昨晩の夕食の片づけもたいがい行った。日常の掃除、洗濯、アイロン掛けを行い、そしてふたたび家族の昼食の後の皿洗い、それから家に帰って同様の仕事をした。」アイルランド人の家内奉公人と違い、チカノ女性のメイドはふつう住み込みではなかった。(『第V部 距離』の『第12章 北の国へ』の中の『チカノ労働の予備軍』より)
………………
尚、扉の写真の中にメイドさん達が映っているものが一枚だけありますが、以前紹介した『家事大革命』(第四十回参照)に載っていたものと同じ写真です(こちらの方がはっきりしています)。
山本真鳥/編『新版世界各国史27 オセアニア史』山川出版社
山川出版社から刊行されている各国の歴史を記したシリーズものの一つ、オーストラリアやニュージーランド、ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアの各諸島の歴史を論じた書籍です。
山川出版社のこのシリーズはとてもよく出来ていて、巻末には参考文献が解説付きで載っています。特に十九世紀から始まる、近代から現代の歴史と諸問題を取り上げているので、結構参考になります。お勧め。
このオセアニア史では、日本とオセアニア諸国との深い(そして負の)関連性がきちんと書かれており、結構重たいかも知れません。
メイドさん関係では少しだけ。
………………
しかしながら、多くの労働者は八時間労働の恩恵を受けなかった。小売店の店員の労働時間を短くするために、開店時間繰上げ連盟が結成され、大部分の政治家の支持もえたが、成果はなかった。また、アイルランド系の家事奉公人を中心とする、植民地の労働者の最大集団であった家内労働者も、労働時間の短縮には関係がなかった。一八六〇年代以降増加する、女性を含む工場労働者の労働時間も週六〇から七〇時間と長いままであった。この時代、女性労働者の多くは家事奉公人である。一八七一年に、メルボルンでは五七%、アデレードでは六二%の女性労働者が、一九〇一年でも、それぞれ四〇%、四六%の女性労働者が家事奉公人であった。その労働時間は、最低でも週五八時間だったと推定されている。(『第3章 オーストラリア史』の『「労働者の天国」』より)
………………
ここでも、メイドさんのなり手はアイルランド人女性だった様です。
第五十八回(2005.04.10現在)
J・A・デュボア、H・K・ビーチャム/編、重松伸司/訳注
『カーストの民 ヒンドゥーの習俗と儀式』平凡社(東洋文庫)
十九世紀初頭に書かれ、二十世紀初頭までに加筆修正が付け加えられた、南インド地方を中心としたインド社会に付いて解説した書籍。
十九世紀のインド社会に関する情報は以外と少なかったりしますが、その中でも数少ない貴重な資料です。十九世紀初頭の南インドに於けるカースト制度に付いて、当時の視点で書かれてあり、非常にためになります。
メイドさん関係では『第五章 低いカースト集団とその習俗』が該当。文化や習慣の違いのせいで、四大カーストの中で西洋人に仕える召使いになる者はおらず、アウトカーストに当たるパッライヤ(パーリア)が家僕として仕えていた事が伺えます。
………………
西洋人はパッライヤを召使いとして使わざるをえないが、それは、他のカーストの者ならば誰であれ、主人に強制されるような雑事をおいそれとはしないからだ。例えば、シュードラには、主人の靴磨きをしたり、尿瓶を空にして洗ったり、髪をすいて結ったりするようなことをしてまで身を落とす人はほどんど見られない。確かに、報酬をいくらもらっても、西洋人のために食事を作ろうとする者は誰もいないはずである。それは、いつも彼らの食卓にのぼる牛肉に触れざるをえないからである。西洋人はこのように、自分たちの周囲で生活している人々の感情と偏見を公然と軽視しているのだ。外国人は、だから、こうした重要な家事をパッライヤに任さざるをえない。西洋人が何とも思わずに食べるこの種の食事のせいで、迷信を信じている住人たちからは下等とみなされているとすれば、西洋人は彼らが使っている連中の社会的地位〔の低さ〕のゆえに一層下等とみられることになろう。というのは、パッライヤ以外には誰も彼らの作った食事を口にしようとはせず、そのことは全てのヒンドゥーに周知のことだからだ。
このような西洋人側の無神経さ、つまり、余儀なくパッライヤを召使いとして雇ったために、西洋人は現地の他の人たちからは最も嫌われ者となり、しかも、白人に対する敬意の念もひどく薄れたことは否めない。外国人は上位カーストの召使いを雇うことができないから、このような低い階級の人たちで我慢しなければならない。だが、彼らは不正直で、主人に愛着を示さず、信頼をおく価値もない。西洋人の召使いとなるシュードラはたいてい不道徳で節操も頼り甲斐もなく、しかも、あらゆる名誉の感覚にも欠けている。事実、彼らはシュードラ階級や社会全般のカスである。立派なシュードラや自尊心のあるシュードラならば、パッライヤと誤解を受ける恐れのある仕事につくことは認めず、また、パッライヤとはつきあおうともしないだろう。
上位カーストの住民が西洋人の下で家事をするのを好まない理由は、その他に、主人が現地の住民を遠ざけたり、彼らに対する振舞が傲慢だったり残酷だったりするからだ。しかし、とりわけ彼らは西洋人に足蹴にされることを恐れている。それはこうした特有の虐待行為が他に比べて肉体的にずっと苦痛だからではなく、革靴のような不浄なものに触れて穢れるのを恐れているからだ。パッライヤは幼児から奴隷状態に慣れているので、誇りや自尊心をもっている他の住民たちなら耐えることのできないこの種の侮辱にも我慢している。
状況が違えば、家事労働も決して恥ずべき仕事とはみなされていないことに、われわれは留意しておくべきだ。〔男の〕召使いは主人と共に、また、女中は女主人と共に食事をとり、ほとんど同じ立場で生活をしている。西洋人の行動はこの点についても全く違っているので、礼儀の心得や自尊心をもっている原住民たちは彼らに仕えるのを最も嫌う。だからクズのような者がそんな仕事についても不思議ではない。(『第五章 低いカースト集団とその習俗』の『5 家僕としてのパッライヤ』より)
………………
四大カーストの誇り高さの為に、西洋人はアウトカーストの者を召使いとして雇わなくてはならない状況がよく分かります。
田尻鉄也『ブラジル社会の歴史物語』毎日新聞社
ブラジルにおける産業の歴史を分かり易く簡単に論じた書籍。
十九世紀のブラジルに付いて調べていて見つけた書籍。薄いソフトカヴァーですが、農業に特化しており、内容は濃いです。
ブラジルはかなり遅くまで奴隷制をしいていて、働くのは奴隷だけという状態で、その奴隷を使うにも武力以外の方法で使いこなす能力が無かったらしく、奴隷も奴隷以外も労働を嫌悪していた社会でした。十九世紀頃の奴隷の中でお金を持っていた者は、他の奴隷を買って代わりに働かせていた事もあったそうな。いやはや、想像も付きませんです。
小林章夫+笠井潔+長島伸一+川田靖子+長澤均+中条省平+
杉藤雅子+秋田昌美+高橋秀元+守屋毅+田中優子+高山宏+松岡正剛
『クラブとサロン なぜ人びとは集うのか』NTT出版
クラブとサロンという『人々が集う場』を様々な視点で論じた書籍。
イギリス文学史の小林章夫氏や長島伸一氏、幻想文学の高山宏氏などが、クラブやサロンに付いて論じている一冊です。十九世紀がらみのエッセイが多く、イギリスにおけるクラブとは何なのか分かります。クラブ、サロンが秘密結社、情報収集の場として成り立っていた事も伺えます。
メイドさん関係は秋田昌美『クラブ・ザ・アンダーグラウンド ヴィクトリア朝時代の秘密のネットワーク』の中で少しだけ触れられています。
………………
一八四五年にベンジャミン・ディズレーリが『シビル』のなかで、富める者と貧しき者を「二つの国民」として描いたことは有名である。同様に「レディ」と「売春婦」は家父長的権威を構築しようとする資本主義勃興期の男性社会にとって、女の二種類の社会的区分でもあった。ガヴァネスがこの時代の象徴的な女性の役割をはたすのも、新興中産階級が新たに編成する家事使用人のヒエラルキーのなかで、彼女たちが有閑女性と使用人の境界に位置する存在であったからである。資産をもたず有給職につき、寄宿舎であるが下女たちの奔放な欲望と同様に身を任せるには品位と教養がそれを阻止するという、身分的にも性的にも不安定な立場にあるガヴァネスの苦悩はヴィクトリア朝の分裂病的世界を体現する。そして、彼女は新しい経験科学的な目を通して、性的に驚異の的となった「女性」という対象をめぐり、男性社会が構築しなければならなかった厳格な「家」と倒錯的な「売春宿」での性という二重に分断された性意識をシンボライズする存在ともいえる。(『第3章 多様なメッセージ』より、秋田昌美『クラブ・ザ・アンダーグラウンド ヴィクトリア朝時代の秘密のネットワーク』の『1 都市のアンダーワールド』より)
………………
むろん、すべての主婦たちは家事労働に縛りつけられていたわけではない。裕福な中産階級層のあいだでは家庭内の労働や雑事は家事使用人の任務に代わり、主婦は有閑レディという生活様式をエンジョイするようになる。家事使用人雇用の習慣は一七世紀頃から増大したが、一九世紀の人口の都市集中化にともない、この習慣は急激に加速化される。家事使用人の雇用のあるなしは、当時の上層と下層の社会層を区分する一つの目安でもあった。低賃金で雇える地方出身の女性が家事使用人としていちじるしく増大したのもこの時代の特徴であった。女子使用人のお仕着せ着用が一般化するのも一九世紀以降のことである。新興中産階級にとって雇用主と使用人の関係は、旧来の貴族やジェントリと使用人との関係のように身分的な明確さをもたないものであったため、雇用主と使用人の身分が近ければ近いほどその区分を明確にする必要性があった。お仕着せはこうした区分を明確にする機能をもち、こうした差別化によって新興プチブル階級はかろうじて社会的威信を保とうとしたといえる。(『第3章 多様なメッセージ』より、秋田昌美『クラブ・ザ・アンダーグラウンド ヴィクトリア朝時代の秘密のネットワーク』の『2 秘密クラブの形成』より)
………………
この項では、ヴィクトリア朝に於ける性的なクラブに付いて論じています。
第五十七回(2005.03.27現在)
三宅正樹+望田幸男/編『新版 概要ドイツ史』有斐閣選書
我が国近代化の最大の教師であったドイツ、統一を求めつつ分裂の危機を繰り返してきたドイツ。近代ドイツ史の重要な論点を掘り下げると共に、ヒトラーの第三帝国や分裂ドイツとその再統一を詳論するなど、『現代ドイツの歴史的理解』という視座から波瀾に満ちたドイツ史の特質を鮮やかに浮き彫りにした。
近代ドイツに於ける歴史を、様々な視点から論じた書籍。十九世紀のドイツに関しては『第T編 近代ドイツの諸相』に詳しく論じられています。メイドさん関連は『第3章 家族と女性と教育』の中で触れられています。
………………
一九世紀後半、とくに一八七〇年代から世紀転換期にかけて、都市の市民層の家族のもとに住み込んで家事労働を行った「女中」の数は、ドイツ女性就業史上一つのピークを形成している。女中の数は、農業労働に従事している女性数に次いで女子就業者の二位を占めた。これら女中のほぼ八〇パーセントは一五から三〇歳の独身女性である。
工業化の進展に伴う人口移動はまず若年男性の、つづいて若い女性の都市への移住を引き起こした。女性たちは都市での新しい職場と近代的な家事教育を求めて、そして何よりも都市が提供している結婚の機会を求めて移り住み、都市の市民家族に住み込み女中として働いた。他方また一八七〇年代は、女子産業労働者の増加によっても女性就業史を特徴づけている。この産業労働者には主に都市出身の女性に代わって、もっぱら農村出身の女性によって占められていく。
とくに農村出身の若い女性は重い農業労働から解放され、都市でのより軽い労働と高い給金を期待していた。しかも彼女らは女中として働くことを、結婚し主婦となるための最適の準備とみなし、工場労働より上品で社会的心房のある職種として誇りにさえ思っていた。「家」の外での労働を男性のすることとみなす意識が強く、女性の工場労働を社会的に一段低いものとみなしていたのである。
しかし女中の一日は朝五〜六時に始まり、靴磨き、三度の食事の準備・給仕、食器洗い、掃除、買物、繕い、洗濯、アイロンがけ、子どもの散歩あるいは学校への送り迎えといった毎日のきまった仕事に加えて、月曜日から土曜日まで数週間おきのきめられた仕事として、銀製品磨き、ランプなどの特殊掃除、じゅうたんとクッション打ち、居間のブラシがけと台所用品磨き、台所と食堂の床磨きなどが一〜六週間の感覚できめられていた。したがって、一日は労働時間と睡眠時間の二分割であり、日曜の午後以外自由時間はなかった。しかも女中にはきめられた労働時間はなく、雇主の恣意にまかされていた。雇主の恣意性は、「奉公人規定」によって法的にも保証されていた。実際、女中の平均労働時間は一四〜一六時間であった。
期待と思い入れをふくらませて就いた女中職も、労働時間の長さに加えて給与の安さ、そして何よりも雇主家族の軽蔑的・排他的態度に出くわし、若い女性はひんぱんに職場を変更する。そのたびに仲介業者のもとへ出入りすることになる。この仲介業者を通して女中と売春婦が通底することになる。
一九世紀末から世紀転換期の大都市で女中と売春婦および私生児の問題が社会的論議をよぶことになる。事実、ベルリンの売春婦の五五パーセントは農村出身であり、またベルリンの風紀警察の取締り補導された売春婦のうち六〇パーセントが、女中としてベルリンで働いた経験をもつ女性であった。さらに、ミュンヘン警察が明らかにした売春婦の職業的出自も女中職であった。そのうえ女中の私生児出生率も高く、全私生児の三分の一を占めた。ベルリンでも女中の私生児出生率が一番高く、しかもその死亡率も高く、ほぼ三分の一は一年以内に死亡している。(『第T編 近代ドイツの諸相』の『第3章 家族と女性と教育』の中の『女中』より)
………………
ドイツに於けるメイドさんが端的に語られていますが、イギリスなどの他国のメイドさんと変わらない実状が述べられています。
スティーブ・ジョーンズ/著、友成純一/訳『恐怖の都・ロンドン』ちくま文庫
ヴィクトリア朝を中心に、イギリスの大都市ロンドンで起こった様々な怪奇事件の数々を紹介した書籍。
スティーブ・ジョーンズの『ロンドン』シリーズの一つ。借りたのは文庫版ですが、ハードカヴァー版もあります。華やかな大都市の裏には、様々な恐怖や事件があった事を物語る一冊です。
アン・ペリー 他/著、日暮雅通/訳『シャーロック・ホームズ ワトスンの災厄』原書房
知られざる事件から『最後の挨拶』のその後までを描いた、人気作家の手によるホームズ・パスティーシュ傑作選の第四段。
アン・ペリーの小説が載っているという事で借りた書籍(何故かアン・ペリーの邦訳は少ない)。アン・ペリーとマラカイ・サクソンの共作『ハイランドの虚報事件』はそこそこの出来。個人的に面白かったのは、コリン・ブルース『瀕死のドクター』と、シャーリン・マクラム『白い馬の谷』です。
第五十六回(2005.03.13現在)
ジリー・クーパー/著、渡部昇一/訳『クラース イギリス人の階級』サンケイ出版
副題にある通り、現代イギリスに於ける各階級の違いを、様々な視点で語った書籍。
作家でありジャーナリストである著者は、結構良い出自の出(上層中流階級)の様ですが、社会主義の叔母はそう思っていないという自身の例を取り上げており、イギリスの階級の複雑さを紹介しています。
イギリスをより詳しく知るには良い一冊。イギリス関連の書籍で必ず参考文献として取り上げられる程で、生活に於ける様々な違いを事細かく示しているのはかなり凄いです。一寸した事で、どの階級に属しているのか一発で分かってしまうと言うのは、自分をより上流の階級に見せたがっている人間にとっては空恐ろしいという事がよく分かります。
伊村元道『英国パブリック・スクール物語』丸善ライブラリー
公教育の発達が遅かった英国に於いては、公教育の体系とは別に、私立学校であるパブリック・スクールが大きな役割を果たしてきた。元々パブリック・スクールは地元の貧しい英才を教育するのが目的だったが、十九世紀後半には奨学金も成績本位で与えられる様になり完全に支配階級に独占されてしまう。名門ラグビー校を舞台とした『トム・ブラウンの学校生活』をテキストに、校長トマス・アーノルド、そして十九世紀のパブリック・スクールの実像に光を当てた書籍。
パブリック・スクールを分かり易く解説した書籍ですが、何故かラグビー校の校長だったトマス・アーノルドの事をベタ褒めしているのが、妙に気になります。当初は貧しい者達に教育を施す慈善的なものであったパブリック・スクールが、十九世紀になってから登場した、中産階級好みの自助論的なイデオロギーの席巻により、その方向性が真逆の、金持ちや特権階級優先となった事は時代の流れと言うものでしょう。上記の通り、妙に十九世紀以降のパブリック・スクールの事をベタ褒めしているので、より詳しい内容を知るには、他の書籍を参考にした方が良いと思います。
越智道雄/著『ワスプ(WASP)』中公新書
副題は『アメリカン・エリートはどうつくられるか』。十九世紀後半以降、アメリカへ流出する様々な民族や宗教から自らを差別化していった『最古のアメリカ人』達は、自らの誇りをどう保ってきたのか。文化多元主義が主流と成り行く中、ワスプはユダヤ系やカトリック、有色人種らに権益を分かつ一方で、ワスプ右派からの圧力にも対処しなければならなかった。四面楚歌の状況の中でのワスプの生活と心理を探り、彼等の行動の哲学は何なのかを分析した書籍。
『WASP』という語は『白人(W)、アングロ・サクソン(AS)、プロテスタント(P)』の頭文字を取って作られたもので、蔑称でありながら、彼等自身も自嘲を込めて呼ぶ事もある語彙です。アメリカに於ける『上流階級』がどの様なものかがよく分かる一冊。ワスプを構成しているイギリス系アメリカ人は、母国では中流生活が送れない為アメリカへと移住してきた人々の子孫であり、自分達を疎外した母国の階層制を新世界で再現し、後発の移民を疎外してきた事が、彼等の二律背反的な心理に繋がっている様です。
第一回〜第十回/第十一回〜第十五回/第十六回〜第二十回/
第二十一回〜第二十五回/第二十六回〜第三十回/第三十一回〜第三十五回/
第三十六回〜第四十回/第四十一回〜第四十五回/第四十六回〜第五十回/
第五十一回〜第五十五回/第五十六回〜第六十回/第六十一回〜第六十五回/
第六十六回〜第七十回/第七十一回〜第七十五回/第七十六回〜第八十回/
第八十一回〜第八十五回/第八十六回〜第九十回/第九十一回〜第九十五回/
第九十六回〜第百回
→トップに戻ります。
資料をまとめてみました。
→メイドさんに関する資料・一覧表
[PR]アナタのウラ県民性をチェック:こっそり一人で?ワイワイ皆で?診断しょ