1991年10月に発売されたこのパンフレットは、もともと「赤旗・評論特集版」という党内的色彩の強い紙面に発表された3本の論評を、まとめたものである。つまり生協末端の組合員向けというよりは、生協幹部である自党員に向けた書であるといってよいだろう。
3本とは次の通り。
1 生協運動---その原点と今日 (高木一郎) *たぶん筆名であろう。
2 ヨーロッパ生協の危機と日本の生協運動 (高木一郎)
3 コメ自由化問題と日生協の「コメ・食糧問題専門委員会」答申 (真島良孝・農民連事務局次長)
価格の安いパンフレットなので、関心ある向きは今からでも是非共産党系の書店に走って買い求めていただきたい。なぜなら、この評論の内容は、古くてピンボケどころか、全く正論が書かれているからである。
たとえば第一論文「生協運動---その原点と今日」の章題と見出しだけでもここに並べてみる。
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1.生協運動の原点と到達点がおしえるもの
「平和がなによりの前提だ」
生活破壊の政治を変えよう
2.最近の活動でみすごせないこと
はずされた核兵器廃絶など「三つの願い」
アメリカの要求をのみ、大店法撤廃容認の発言
天皇問題での「レセプション自粛」
3.組合員を主人公にした民主的運営を
4.強まる日米独占資本の流通支配と日生協の対応--コモ・ジャパン路線の背景
大店法規制緩和を事実上認める日生協
5.生協活動の原点---「平和でよりよい生活」をめざす運動
6.生協運動を変質させる重大な危険が
大型店舗化はなにをもたらすか
共同購入を軽視し、班活動を弱体化する。
7.コモ・ジャパンは日生協の自己否定 |
知る人ぞ知ることだが、この時期の生協幹部はバブルに乗り遅れるな!とばかり、店舗を大規模化することにばく進していた。1990年11月29日、コモ・ジャパン(=全国生協店舗近代化機構)という「生協の合衆国(内部用語)」が作られた。ちなみに参加生協は、(札幌)市民生協、みやぎ、さいたま、都民生協、かながわ、ちば、京都、名古屋勤労者、大阪いずみ、こうべ、福岡エフコープ、の11大生協であった。私はこのうちの一つに前年までいた(^^;
この時期は、生協が財テク(死語)・「信用事業」すなわち金融までやることが真面目に語られた時期でもある。そしてほとんどのバブル計画は、単協の内部でも決定に際し「理事会専決事項」とされ、末端組合員や職員の憂慮なぞ何処吹く風で、生協最高幹部たちのゴルフ通い、料亭政治、そこでの接待による出店交渉など、悪夢の歴史が始まったのである。
そして、この大店舗化路線はどうなったか? 勝てば官軍、賢明なる幹部のご指導宜しきを得て、大成功だったか? 残念ながら朝日新聞社説にあるとおり、そのほとんどは景気の低落によってのみならず、腐敗、粉飾決算、私物化など、禍根を残して潰えてしまい、コモ・ジャパンはひっそり解散した。無店舗型の「生活クラブ」はいまだに体力を残しているが、大店舗型の生協が大きな危機に瀕するいま、共産党のこの指摘は、全くもって正鵠を得ていたのだ。 |