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「こそあど・言葉」



 一匹の犬が川にさしかかりました。

 向こう岸にももう一匹、犬がやってきました。

 川には一本の細い丸木橋がかかっていました。二匹の犬は同時にその丸木橋を渡り始め、そのちょうど真ん中でにらみ合いました

 「俺の名前は『こちら』というんだが、そっちの名前はなんというんだ」

 「俺か、俺の名前は『あちら』というんだ」

 「うーん、そうか。俺は今そっちにわたりたいんだ。だから『あちら』め、道をこっちに譲ってくれないか」

 「いいや、だめだ。こっちが先にわたり始めたんだ。道を譲るのはそっちの方だ」

 「そうか、どうでもこちらへ譲らないのだな」

 「ああ、だめだ。こっちはあちらへ、どうでもわたるのだ」
2、
 「では、こうしよう。『こちら』はこの前足を一歩踏み出す。と同時に、『あちら』や、おまえは反対側の、その前足を一歩踏み出すのだ。
 そうやって、同時に踏み出していけば、こちらもそちらもうまくすれ違うことが出来るのではないか」

 「うん、なるほど、そちらがその前足を踏み出すと同時に、こちらはこの前足を踏み出すのだな」

 「いや、『こちら』は俺の名だ」

 「だから、『あちら』の『こちら』が、いや、『あちら』の『こっち』か」

 「ええい、やってみればわかるだろう」

 「そうか、やってみよう。で、そちらはまずどちらの足から踏み出すのだ」
3、
 「こちらとしては、こっちの足の方がいいと思う」

 「そうか、それなら俺は、えーと、どっちの足になるのだ」

 「わからんやつだな。こちらがこっちの足だから、そちらはそっちの足になるのだ」

 「そうか、その足から踏み出すのだな」

 「ああ、こちらはこの足だ」

 「そちらがその足なのだから、こちらはえーと、この足だ」

 「そうだ、間違えるな。こっちはこれで、そっちはあっちだ」

 「待て待て。よく考えなければな。そっちがこっちだから、こっちはそっちか」

 「必ず間違えるな!。ワン・ツー・スリーで同時に踏み出すのだ。よいか、わかったな」

 「よーし、わかった」

 「ではいくぞ!、ワン・ツー・スリー!!、こっちはこの足だ」

 
4、
 「よーし、うまくいった。これならうまくいきそうだ。ところで、おまえ、息が臭いな」

 「そっちだって負けずに臭い」

 「はやいとこすれ違ってしまおう、臭くてかなわん」

 「では、『こちら』や、次はどの足でいくつもりだ」

 「さっきはこの足だったから、次はこっちの足だ」

 「こっちとは・・・どっちのことだ」

 「こちらから見てこっちの足だから、『あちら』からみたらその足になる」

 「その足とは・・・どの足のことだ」

 「飲み込みの悪いやつだ。こちらがそっちだと言っているのだから、すなおにそっちの足を踏み出せばいいのだ」

 「そうはいっても、これなのか、それなのか、一度間違えれば、二人とも川の中だぞ」

 「では、ふた足目だ。そっとそーっといくぞ、いいな」

 「わかった、こっちの足からだな、『こちら』め」

 「名前を言うな、ややこしくなる。いいか、こちらとは反対の足だ。いくぞ!。ワン・ツースリー」
5、
 「おお、ますます息が臭い」

 「お互い様だ!」

 「しかし、これでそっちもこっちもふた足ずつ進んだが、果たしてこれでうまくいくんだろうか。なんだか、バランスがとりにくくなった」

 「こっちもそうだ。よほど後は素早くやらないと、二人とも河の中だ」

 「よし、要領はわかった。つまり、そっちのテンポに合わせて、こちらも素早く足を踏み出していけばいいのだ」

 「抜かるなよ。ここが肝心の所だ。ここで間違えれば、元も子もない」

 「息も臭いが、そちらの毛並みがこちらの鼻先をくすぐるのだ。くすぐったくてこまる」

 「もうしばらくの辛抱だ。こそばゆいのはしかたがない。俺たちのしゃべっている言葉は『コソアド言葉』というぐらいだからな」

 「駄洒落を言っている場合か」

 「テンポを速めてみるぞ。いいか!」

 「わかった、そちらのテンポに合わせてみる」

 「ではいくぞ、ワンツースリー!、それ、こっちだ」
6,
 「そっちがこっちなら、こっちはこの足だ」

 「今度はこっちだ」

 「よし、次はあっち」

 「ああ、ちがうちがう。俺がこっちだから、『あちら』はあっちだ」

 「なんだ、俺がどうしたって、俺はこっちだろう?」

 「『あちら』はそれだ、それ」

 「え、どれのことだ?」

 「それじゃない。これだ、これ」

 「あ、馬鹿。鼻面でつつくな。くすぐったい!」

 「ああ、頭も足も絡む一方だ」

 「俺たちはどうなるんだ」

 「こっちだというのに、そっちじゃない。これだ、これ」

 結局、ドボーン、二匹とも河に落ちてしまいました。

 『こそあど言葉』は便利だけど、むずかしい。

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