|
シアトルに行って1年半何をやっていたかというと、シアトル・セントラル・コミュニティ・カレッジ(SCCC)のESL、つまり語学学校に行ってました。1〜6までのレベルがあり、4になるとカレッジの授業と並行して受講するか米国内での就業ビザ取得のための授業と並行となるようです。僕はシアトル行きの前にオーストラリア人の先生について約3ヶ月個人授業を受けてましたが、一般的な日常会話とIdiom(慣用句=熟語)だけでしたから、文法や読み書きはさっぱりのまま。シアトル着後クラス分けのテストで会話レベル1・読み書きレベル2と判定され、カウンセラーから「両方1から始める?」と聞かれたので、そうしました。授業は一日4時間・週5日で計20時間を10週が一単位です。毎週のクイズもテストも、ミッドタームといわれる中間テストも期末テストもことごとく70点以上取ってはじめてレベルアップすることができますが、中間と期末は一発勝負、その他のクイズや小テストは平均点で70点以上が必要なようでした。
アメリカの学校の授業風景は予想通り厳しく楽しいものでした。先生・生徒共にコーヒーやジュース飲みながら授業受けるのはOKで、さすがにパンなんか食ってると怒り出す先生もいますが。授業の進め方も教科書をダラダラ読ませたりせず、ゲーム形式でワイワイいいながら難しい文法や不規則変化を学ぶ…なんてのもありました。チーム制を取るのが好きな先生も多いですね、チーム対抗戦。課題の提出も少人数のグループ制にして、各自が担当を決めて調べ物をして発表をして採点される、っていうのもあります。
僕はどのクラスでも最年長でしたから、オヤジ扱いされて、それはそれで楽でした。最後のクラスは僕より年長の方が何人かいて、今でもメールで親密なおつきあいが続いてます。先生でさえ僕より年長が少なかったのですが、教室では彼らに神妙に従う振りをして、クラスを出ると「バーロ、俺のが年上だぞ」って顔してましたね。まぁアメリカでは先生のこともファーストネームで呼ぶのが慣わしですから、日本でなら「○○先生」と呼ぶところを、「アレックス!」とか「ミア?」と呼ぶのに慣れるまでしばらくかかりました。カレッジの教授クラスになると、どうなんでしょうねぇ。カレッジを無事卒業したSecretRecordsくんに聞いてみよう。プロフェッサ○○って呼ばなきゃいけないのかなぁ。
なにより、1学期が終わるとパーティがあり、僕はしばしば料理番として、ギャラはないけどポットラック(持ち寄り)免除で先生達のプライベート・パーティに呼ばれてました。
最初の学期は、日本での中学程度の英語でしたね。僕は比較的楽にパスしましたが、日本の中学高校でしっかり勉強しておけば、いきなりカレッジ、というのも難しくないと思います。ただ、英語会話に関しては知識はあるのに話さない、という人が多いように思います。発音なんかいずれ暮らすうちに自然に矯正されちゃうし、耳も若い人なら1ヶ月もしないうちに慣れちゃうでしょう。肝心なのは、日本人同士で群れないで、積極的にアメリカ人と触れ合うとか僕のように一緒に暮らすと語学の上達は早いでしょうね。新聞もラジオもテレビも語学上達には重要です。テレビの話題は別に譲ります。
面白かったクラスメイトは…たくさんいました。もう女性くどくために在籍してるとしか思えないモロッコ人は、クラス内外で女性を延々くどき続け、ついに女性を追い回し過ぎて警察に通報されて国外退去。ホームスティ先の奥さん(非常に無礼で嫌な奴だった)と喧嘩して期末テスト前夜にバスに家財道具一切ブチ込んで引越した子や、「家賃高いし通学キツいなぁ」と言ったら不動産屋にだまされて、思い切り家賃は安いものの死ぬほど遠いイサコアという街から通っていたコリアンの子、等々。何かというと僕に突っかかってきたジェシーは元気かなぁ…。
不思議なことにバス同様、クラスの写真がほとんどないのです。撮るヒマがないといえばないし、撮りたくなるほど仲良くなる頃には学期が終わって、皆バラバラになっちゃうから。まぁ想い出は頭の中にあるからいいんですけどね。 |