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身近な事件

K子の夜

 最初のクラスで友達になったのがK子でした。僕より10歳も若いのに、物怖じせずに僕を「○○!」と敬称略のアメリカ・スタイルで気軽につきあってくれました。

 シアトルで彼女はホームスティしてました。ホストファミリーは若い子供なしの夫婦。ワシントン大学そばのアパートメントの6畳ほどの空き部屋をK子に提供し、月500ドルで2食付き、食事が提供出来ない場合は日割りで払い戻す契約らしかったのです。
 ホスト側が「商売」としてみた場合、料理や諸々の手間から500ドルでは合いませんが、スティする側は食住を提供されるかわりに日本文化を紹介し、同時にホスト側は食事とアメリカ文化+英語を教える、いわば有償のボランティア的な側面が強いと思います。

 最初K子は、「ダンナさんいい人やし、奥さん可愛いんよ」と言ってたのですが、どうも徐々に奥さんとの折り合いが悪くなりつつあり、2か月が過ぎる頃にはクラスが終わると「なぁ、ちょっと話聞いて」と言うことが多くなりました。カフェで話を聞くと、どうもホストマザーが夕食を出さないことが多く、払い戻しもしないようでした。この家を紹介したエージェントにクレームつけても生返事だったらしく、そのエージェントを紹介したカレッジESLの学生課に相当する部署に相談しても「エージェントに言え」の一点張りでした。
 ホストマザーは、いわゆるカルチャー奥さんで、習い事をいくつも抱えて夜遅く帰宅することが多いようでした。仕方なくK子が冷蔵庫の中にある冷凍ピザ等々に手を付けると「なぜ人の家の冷蔵庫を勝手に開けるの?」と開き直ることがあったそうです。

 そんなある日、ホストマザーがK子に「パーティがあるから一緒に行こう」と言い、K子も素直にそれに従いました。パーティ会場ではホストマザーが友達にK子を紹介し、静かにパーティは進行していきました。自由にして良いと言われてK子が会場のあちこちを見て回っていると、突如ホストマザーが怒り出し、「行儀が悪い」となじったうえに、何の説明もせず会場から帰宅させられたそうです。K子の行動すべてを知っているわけではありませんが基本的に自由奔放型の女性でノーブルなアメリカ上流パーティにはふさわしくない行動もあったかもしれません。それにしても、充分にレクチャーもせず突如怒り出して会場から帰すというのは、ヒステリックな行動と思えます。
 他日、K子が自室で勉強し、息抜きにキッチンに行くとホストマザーの友人が来ていました。挨拶をして、紅茶を入れ、自室に戻ろうとすると、再びホストマザーが「行儀が悪い」と怒り出したそうです。理由はわかりません。

 言葉の問題もあります。充分なコミュニケートをするにはK子の会話能力も足りなかったでしょう。個性の問題もあります。K子は他人の意向にかかわらず、自己主張を強くするタイプの女性ではあります。それでも、ホストマザーは、それを教え導く役目も担うべきですから、文字や絵を使ってもアメリカ文化の常識を根気よく教えるべきでした。相性の問題もあります。強い性格を持つ女性同士が磁石のN極同士のように反発してしまったのでしょう。これが男女なら、どちらかがうまくかわすこともできたかもしれません。

 「爆発」は突如やってきました。
 それは、ファイナル・イクザム…期末テスト…の前夜でした。ミッドターム・イクザムで満点近い得点の僕は、学校から帰ると余裕で夕食の準備をしつつ、ルームメイトのロージィとキッチンでマイケル・ジャクソンの真似をして笑ってました。ロージィが「お前の部屋で電話が鳴ってる」というので、部屋に飛び込んで電話を取りました。
 「Hello?」と言うと、「すぐ来て、もう出るわこんな家!」とK子が電話口で叫んでいます。訳を聞くと、K子が学校から帰って「今日の夕食なに?」とホストマザーに聞くと、「ない」と言ったので、この1か月半分も夕食を提供されてないので、せめて100ドル返してほしい、というK子の要求にホストマザーが激高し、大喧嘩になった、というのです。その間ホストファザーは両者の間をウロウロするだけで何の助けにもならず、出てゆく準備をするK子に「出てゆかないでくれ」というだけだったといいます。
 出てゆくにしても、大きなスーツケース1つにダンボール3つほどあるので、女性一人で運ぶこともできず、運べたにしても今晩泊まるあてもない…。それで困って僕に電話をしてきたのです。若い女性を僕の部屋に泊めるわけにもいかないので、僕が以前世話になったドミトリーに電話して空きベッドがあるのを確認して、とりあえずK子の名前で1週間予約し家を飛び出しました。
 僕がK子のアパートメントに着いた時、彼女は一時の興奮からさめてはいましたが、ダンボールに箱詰めした荷物を前にどうしたらいいかわからない様子でした。僕が「君、ファイナルが終わったら家探せ」と言うと、K子は「もうえぇわ、日本に帰る」と言いました。本当にそれでいいか、しつこく確認した僕は「全部の荷物を持って出る」というK子を無視して、大きな姿見の鏡やら今後不要になるものを外のゴミ捨て場に放り出し、必要最小限の荷物を持ってK子にスーツケースを持たせてアパートメントを出ました。外は冷たい雨。

 カートに乗せた荷物を引っ張り、スーツケースを泣きながら引っ張るK子を叱咤激励しながらバス停まで徒歩10分。バス停に着くと全身びしょ濡れでしたが、ドミトリーのあるBroad wayまで行くバスを止め、運転手に手伝ってもらって荷物を車椅子スペースに乗せてもらい、一息。まだ泣いていたK子を一喝し、明日のファイナルのことだけを考えるようにさせました。僕だって勉強したかったのに。
 35分後、無事ドミトリーに到着、チェックイン。旧知のスタッフに「恋人か?」とか「夜逃げか?」と言われて、僕がそれを聞いてなかったK子に伝えると、笑ってました。

 その夜食べたモンゴリアン・ビーフは辛くて切なくて美味しかった。たぶん一生忘れないでしょう。メシ代は僕が払った…って夜逃げ手伝って何の下心もなくメシ代まで払った僕は、「神」のような存在だと自ら思います。K子は今も元気にW県で暮らしてます。



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