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チェザーレ・ロンブローゾ (Cesare Lombroso)
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1836年生 − 1909年没
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| 19世紀後半から20世紀初頭における人類学、犯罪学、精神医学の分野で、大変影響力のあったイタリアの司法精神科医・学者。犯罪者の脳をいくつも解剖し、人間として進化せずに獣として先祖がえりした者が凶悪犯罪者になるという「生来的犯罪者説」を提唱した。 彼は1864年の著書『天才と狂気』で、「天才は狂気の一形態に他ならない」という自説を証明するために、天才が生み出した芸術作品と彼がトリノの精神病院に勤務した際に集めた精神障害者107名の作品との比較を行った。精神障害者の美術作品を大規模に収集したのは彼が初めてである。約半数は自発的に作品を描いたという。 彼は結論として、精神病者の作品には「先祖帰り」「アラベスク」 「細部への偏執」「反復の多用」「猥褻性」「象徴性」といった特徴があると指摘したが、彼らは人間発達の原初的な段階への先祖がえりに他ならず、その作品は「原始人」が描いた壁画などと同じで、天才の芸術作品とは違った皮相な意味しか持ちえないと考えた。 【略年賦】 1836年1月10日、ヴェロナでアロンネ・ロンブローゾとゼフィラ・レヴィの間に5人兄弟の末子として生まれる。両親はともに敬虔なユダヤ教徒だった。言語学と歴史学を修めた後、1853年にパドヴァ大学で医学を学び、パヴィアなどの大学を歴訪する。58年に同学部を卒業し、翌59年にピエモンテの軍隊の従軍医となる。 1863年、パヴィア大学精神病理学及び人類学の講師となるとともに、パヴィアの精神病院院長に任命される。 1864年、『天才と狂気』(Genio e follia)を刊行。 1865年、『実験的方法に基づき研究された精神障害の法医学』、『イタリア医学地図の研究』を刊行。 1870年、20歳の女性ニナ・デ・ベネデッティ(Nina De Benedetti)と結婚。 1871年、『白人と有色人』を刊行、 1873年、『小頭症およびクレチン症の臨床的・人体測定的研究』を刊行。 1874年、パヴィア大学法医学教授に任命される。 1876年、トリノ大学法医学教授となる。『犯罪人論』(L'uomo delinquente)を刊行。 1880年、新聞『精神病理学、刑事学、犯罪人類学紀要』を創刊。『イタリア医学百科事典』の「人類学」「頭蓋骨」「クレチン病」の項目を執筆。 1882年、 『天才と狂気』増補改定版。 1885年、ローマで第1回犯罪人類学会を開催。 1889年、パリにおける第2回犯罪人類学会でアレクサンドル・ラカサーニュ教授(*)に猛反論される。 (*)ラカサーニュ教授は19世紀末のリヨンを科学警察・法医学研究のメッカにした立役者。 1890年、ロドルフォ・ラスキとの共著『政治犯』を刊行。 1892年、ブリュッセルでの第3回犯罪人類学会に欠席して非難を浴びる。 トリノに精神医学・犯罪人類学博物館を創設。 1893年、グリエルモ・フェレーロと共著で『女性犯罪者と娼婦と正常な女性』を刊行。 1894年、『反ユダヤ主義と近代科学』を刊行。 1895年、『筆跡観相学』を刊行。 1896年、 ジュネーヴでの第4回犯罪人類学会にイタリア学派の弟子たちを引き連れて出席、議論が紛糾する。 1897年、『天才と変質』を刊行。 1905年、トリノ大学犯罪人類学講座の正教授に就任。 1906年、『犯罪、その原因と治療』 を刊行。 1909年、『死後の生命』を刊行。10月19日、トリノにて逝去。 (『ミメーシスを超えて―美術史の無意識を問う ロンブローゾについてもっと知りたい方は、以下の本をお読みください。 『医者と殺人者―ロンブローゾと生来性犯罪者伝説 『ミメーシスを超えて―美術史の無意識を問う 『Criminal Man 『After Death What? 1909 スピリチュアリズムにも深い関心を寄せていたロンブローゾの晩年の著作 『Criminal Woman, the Prostitute, and the Normal Woman Cesare Lombroso (著) Duke Univ Pr (Tx) (2004/4/30) 『Antisemitism, Misogyny, & the Logic of Cultural Difference Cesare Lombroso & Matilde Serao (Texts and Contexts) ロンブローゾの反ユダヤ主義とミソジニー(女性嫌悪)について書かれた本。 |
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