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1998年5月2日、あれは何てことないフツーの土曜の午後だった。
家族で買い物をした帰り道、クルマのFMから流れてきた驚きのニュース。 「ええ!!」と運転しているにもかかわらず助手席の女房と顔を見合わせてしまった。 「X JAPANのhideが自殺?!」(当初の警察の発表では自殺でした) 当時解散した後とはいえ、まだその影響力が弱まらなかったバンド、X JAPANのメンバーがなぜ??
それまで私も女房もX JAPANどころかビジュアル系と言われるミュージシャンに全く興味がなかった。 X JAPANといえばYOSHIKIかTOSHIしか知らなかった(いや、女房は「hideって骨髄バンクに登録した人でしょ?」 くらいの知識はあった)。当時の私のような、ファンじゃない人間でもX JAPANの影響の大きさは テレビで何かと流れたのでうわさ程度には知っていたことと思う。 熱狂的なファンが多いこと、ファン層が若年層から熟年層まで意外と広いこと、従来のロックバンドとはひと味も ふた味も違うバンドだったこと(オーケストラとの融合、過激なルックス、倒れるまで続けるステージ)など。。 そんな程度の知識しかなかったのになぜ、あのニュースにあれだけ驚き、動揺し、事の真相を知りたくなったんだ ろう・・・・・今でもわからない。 それからは情報収集に懸命になった。この頃は無論やじ馬根性が7割、不思議な灰色の霧が3割、私の心を 支配していた。インターネット、CDショップ、思いつくところは探したがしかし、ネット上では荒らしが横行していて 目も当てられなかったし、CDショップはセルもレンタルも「hide」と名のつくものはどこへ行っても全部なくなっていた。 ファンじゃないのにあのニュースがどうしても気になったのは私だけではないことを物語っていたようだった。
そして数日後TVのワイドショーから流れるhideさんのPVを初めて見て、「ん?」と思った。 hideさんってギタリストだったよな・・・?でもそのPVからはカラフルで、じっとしてなくて、唄がとてもうまいhideさんが 映し出されていた。「こんなに唄がうまくてギタリスト??ソロでじゅうぶんやっていけるよこれ!」 私の心の霧はますます濃くなった。わからないことだらけ、気になって仕方ない。 hideさんとはどんな人間だったのか、どんなミュージシャンだったのか? なぜそれまで自分は「ミュージシャン:hide」を知らずにいたのか??
灰色の霧が晴れぬまま、私は5月7日には黒服を着て築地に立っていた。ファンでもなかったのに。 仕事の途中だったのであの列に並ぶわけにもいかず、喧騒とした人の波が築地本願寺から続く地下鉄の駅 の出口から空を見上げて祈った。 数日後の深夜番組、初めてフルコーラス唄うhideさんを、話してるhideさんを見た。それが「ピンクスパイダー」。 それはれっきとしたソロミュージシャンとして通用する歌声とパフォーマンス、毒のある詞、あたかも怪しい「くも」 を連想させる曲調。この1曲で私の頭にhideという名のくもが住みついてしまった。
「知らなかった自分が許せなくなった」、「天国からきたメロディー」、「あの日見えなかった愛でるべき花」。 これらのhideさんの言葉こそ、私がhideさんを表現するのにとてもぴったりな言葉なのです。
そして灰色の霧は未だ晴れぬまま、、、、、 |
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