
「英子ちゃん、入るわよ」
と母親の明子はは英子の部屋に入った。英子は昼間なのにカーテンを閉め切り電気もつけずに薄暗い部屋のベッドに寝ていた。くまのプーさんとスヌーピーの大きなぬいぐるみとジャニーズ系アイドルのポスターが貼られ机の上にはファンシーグッズが置かれた中学1年生の女の子らしいかわいい部屋である。二見英子は元吹奏楽部の山村明日香逮捕と中野はるかが教育Gメンに連行されたことを朝の学活で知り激しいショックを受け中野はるかが教育Gメンに連行された日から不登校になっていた。明子はミルクとサンドイッチのトレイを英子の枕元に置いた。
「サンドイッチ作ったから食べて」
「何も食べたくないの」
「このところずっと何も食べていないでしょう。体がまいっちゃうわよ」
「あたしなんかどうなったっていいの」
「学校には行かなくていいからせめてわけくらい聞かせてくれてもいいんじゃない?」
「……」
「いじめにでもあったの?」
「違うの」
「意地悪な先輩でもいるの?」
「ううん」
「じゃ何よ。誰にも言わないから言ってごらんよ」
「……」
英子は母に何も語らなかった。それは英子は明日香から秘密を守り親に心配を掛けさせないためにフルートを習っていることは「たとえ親でも絶対内緒」と固く言われているのだ。ましてや自分のせいで明日香が逮捕されたなどとは英子には言えなかった。英子自身にもいつ教育Gメンの捜査の手が伸びてくるかわからないのだから。明子はそれ以上英子を追及するのを止め部屋を出ていく。
「あたしの夢が次々と壊れていく」
英子は布団の下でつぶやいた。
その数日前の2009年5月31日、二見英子は1年2組の教室で朝の学活をしていた。担任の鈴木隆志が
「え〜っ、知っている人もいるかとは思いますが、昨夜3年1組の山村明日香という元吹奏楽部の生徒が学校から盗み出したフルートを家で吹いていて教育Gメンに改正学校教育法違反で逮捕されました。皆さんも知っての通り今年度から部活動は禁止されていますので絶対に改正学校教育法に違反して教育Gメンに逮捕されたりすることのないように…」
と明日香の逮捕を告げた。英子は
「うそっ!」
と言うと両の目からぼろぼろと大粒の涙を流した。
「あたしのせいだ」
英子はつぶやいたがざわめく教室の音にかき消され誰の耳にも入らなかった。さらにたった今松江第八中学校に教育Gメンがやってきて元吹奏楽部の中野はるかを取り調べのために連行していったというニュースも1年2組の教室に伝えられ英子は目の前が真っ暗になった。あたしさえフルートを吹きたいと思わなければ明日香先輩も中野先輩も教育Gメンに連れていかれることはなかったのに…。英子は強い自責の念に駆られた。いつの間にか学活は終わって担任は教室から姿を消していた。英子はカバンを教室に残したまま夢遊病のようにふらふらと廊下を階段に向かい1階に降りると上履きを通学用の白スニーカーに履き替えることも忘れて英子は何かに導かれるように歩いた。英子が昇降口を出て正門に向かってゆくのを松江第八中学校は中野はるかの連行で騒然としていたために誰も気が付かなかった。英子は信号も目に入らないようで赤信号を呆然と渡って行く。たまたまこの時間は車が少なかったので英子は無事に自宅へとたどり着くことができた。英子はどこを歩いて帰ってきたのかまった覚えていなかった。英子はスカートのポケットから出した鍵での玄関を開けると家に入り制服のままベッドで布団をかぶって声を殺して英子は泣いた。
「明日香先輩ごめんなさい」
と英子は何度もくり返し言うけれど英子が何をしても捕らわれた明日香とはるかは帰ってこない。自分のために吹奏楽部の先輩を二人も犠牲にしてしまった。自分が教育Gメンに逮捕されることよりも好意で英子にフルートを教えてくれていた大好きな明日香先輩が教育Gメンにガリベン法違反で逮捕されてしまった事に責任を感じていた。英子はどうしていいのかもうわからずそれ以来ベッドでふとんをかぶったままふさぎ込むようになって学校に行かなくなった。
二見家に不登校を心配した英子の担任の鈴木が訪ねてきた。玄関先で鈴木を迎えた母は居間に通した。
「うちの英子がご面倒をかけています」
「いえいえ、クラスのみんなも早く二見さんがクラスに戻ってくることを期待しています」
と鈴木はカバンからクラスメイトの書いた英子をはげます寄せ書きの色紙を明子に渡した。
「まぁ、これは英子もきっと喜びますわぁ」
「私も心当たりをいろいろと考えてみたのですが一体登校拒否の原因は何なんでしょうか?」
「それが英子は言わないんですよ。貝のように口を閉ざして何かを一人でかかえこんでいる様子で。本人は『ない』と言っていましたがいじめでもあったんでしょうか?」
「いやっ、授業のおりにそれとなく1年生全員に聞いてみましたが二見さんがいじめにあっていた様子は全くありませんでした。むしろ学校に来なくなる前日まで楽しそうにしていたという声があります」
「たしかにある時から急に楽しそうに学校へ行くようになったので好きな男の子がクラスにいるのかなと思っていたのですが…」
「二見さんが特定の男子とつき合っているという話は聞いた事がないですねぇ」
「そうですか、じゃあ一体?」
「原因が分からないので私も困惑しているのです。傷つきやすい年頃ではありますし心配です」
「そうですねぇ」
「二見さんに会わせていただけませんか?」
「わかりました。本人に聞いてみます」
と明子は2階の英子の部屋へ行った。英子は薄暗い部屋でふとんをかぶってベッドに横たわっていた。
「英子ちゃん、鈴木先生がお見えなの。英子ちゃんとお話したいんだって」
「いやっ、誰にも会いたくない」
「でもせっかくいらしてくださったのに…」
「お母さんも出てって」
と英子はヒステリックにわめくと枕元に置いてある大きなスヌーピーのぬいぐるみを明子に投げ付けた。スヌーピーは明子には当たらず壁に当たって床に転がった。明子はあきらめて1階の居間に戻った。
「先生すいません。英子が『誰にも会いたくない』って言うもので」
「いやいや、無理強いはいけません。それよりも今はそっとしておいた方がいいのかもしれません。何か分かりましたら松江第八中学校まで連絡下さい」
と言って鈴木は帰った。
6月7日の終鈴前。元吹奏楽部の2年生赤松愛美がクラリネットパートの先輩志村まきを3年2組の教室に訪ねた。山村明日香逮捕以来元吹奏楽部への風当たりが冷たくクラスメイトが二人の様子を見ているのでまきは少し困惑した様子だった。愛美はまきに何かささやくとすぐに去っていった。
放課後二人は赤松愛美の家で落ち合った。もちろん二人で下校するとあらぬ疑いを持たれるので別々に下校して帰宅途中にまきが寄ったのだ。
「ちょっと何よ。呼び出したりして。元吹奏楽部員が会って話しているというだけでクラスでの風当たりが強いんだから」
「ごめんなさい、先輩。実は大事なお話があって」
「大事なお話って何よ」
「先輩は音楽室に来た入部志願の1年生を覚えていますか」
「あの三つ編みの子?」
「そうです」
「じつは明日香先輩はあの子に個人的にフルートを家で教えていたんです」
「えーっ! なんでそんな大事なことを今まで隠していたの」
「ごめんなさい。フルートを盗むのにあたしも片棒担いでいまして…」
愛美から真実を告白されまきは絶句した。だから明日香の家にはフルートが2本あったのかと合点がいった。
「やはりはるかも共犯?」
「はるかは何も知りません。あの子気が弱いから。共犯にはできないですよ」
「たしかに。あの1年生なんていったっけ?」
「二見英子です」
「あの登校拒否ってる1年生か」
「そうです」
「よしっ! その1年生に事情聴取しに行こう。愛美、住所録を出して」
とまきは二見英子の家の住所を調べて愛美のこぐ自転車の後ろに二人乗りして二見英子の家に向かった。自分の体重を棚に上げ「スピードが遅い」と愛美の頭を小突きながら。
まきが呼び鈴を鳴らすと二見栄子の母明子が出た。
「あたしは松江第八中学校3年2組の志村まきといいます」
「あたしは松江第八中学校2年2組赤松愛美です」
「二見英子さんいますか?」
明子は部活動に入っているわけでもない英子を突然上級生が尋ねてきたので驚きながらも、松江第八中学校の先生に言われて来たのだろうと思った。
「英子は今病気で寝ているんですよ」
「何の病気なんですか?」
「それが、その…、心の病とでも言いますか…」
明子は歯切れが悪かった。まきは
「英子さんに会わせて下さい」
「英子は部屋にこもって担任の先生にも会おうとしないんです。だから会ってくれるかどうか…」
「とにかく取り次いで下さい」
とまきの気迫におされて明子は二人を居間に通しオレンジジュースを出すと二階の英子の部屋に行った。
「英子ちゃん、松江第八中学校の先輩が会いたいって来てくれたんだけど…」
「誰にも会いたくない」
「でも心配して来て下さったのよ」
「いやっ」
「英子ちゃん…」
「出てって」
と英子は明子を追い出した。居間に戻った明子は二人に
「英子は『会いたくない』って言っていますんで今日のところは帰ってもらえますか」
「そうなんですか、じゃあ」
と愛美が腰を浮かそうとするとまきは
「英子さんの部屋は2階なんですね。じゃああたしが直接話してみます」
と明子の脇をすり抜け英子の部屋に向かう。明子は
「ちょ、ちょっと待って。英子は気が弱っているからやめて」
と言いながらまきを追うけれどまきはずんずん階段を上っていき2階に上がる。ドアが3つあったけれど「えいこのへや」というかわいいプレートがドアに下がっているので英子の部屋はすぐにわかった。
突然ドアを開けられたので英子は教育Gメンが自分を逮捕にきたのだと思いふとんをかぶって
「いやっ」
と言った。まきの後に愛美と明子も入ってくる。まきは
「こわがらなくっていいんだよ。あたしは吹奏楽部でクラリネットを吹いていた志村まき」
「あたしも吹奏楽部でクラリネットを吹いていた赤松愛美。よろしくね」
吹奏楽部と聞いて英子はふとんから顔を出した。英子は音楽室に来た時と比べ全然食べていないのでげっそりとやつれていて別人のようであった。まきが
「明日香のことで話をしたいんだけどいいかな?」
と小声で言うと英子はこくんとうなづいた。
「英子さんに乱暴なことをしたりしませんからお母さん外してくれませんか」
とまきが言うと英子も
「お母さんは出てって」
と言ったのでしぶしぶと明子は出ていった。まきに
「明日香からフルート習っていたんだって」
と言われ英子はどう答えていいものか少し警戒の色を浮かべた。愛美は
「あたしが明日香先輩と二人で音楽準備室からフルートを盗み出したんだよ」
と言うと英子はえっ、という顔をした。
「明日香先輩がこんなことになったのもあたしにも責任があるのよね。あの時『こんな事はいけない』と止めていれば」
「あたしが『フルート吹きたい』なんて言ったから明日香先輩は無理してこっそりと教えてくれたんです。だからあたしのせいなんです」
と英子は今まで誰にも言えずに一人で抱え込んでいたものを吐露してわんわん泣いた。泣きながら英子は吹奏楽部や明日香への思いを二人に打ち明けた。そして明日香やはるかに対してどうしてよいのかわからないということも。まきも愛美もそれを涙を流しながら聞いていた。二人がはるかは翌日解放されたことを伝えると英子は少し安心して
「よかった」
と言いながら涙を流した。英子は心の重荷を一気にはきだし胸のつかえが降りたのか泣き疲れて眠ってしまった。英子は安らかな寝顔をしていた。
まきと愛美は英子に布団を掛けてやると起こさないようにそぉっと部屋を出て居間に降りた。明子が心配そうな顔で二人を見た。愛美は
「英子ちゃんは寝ちゃいました」
と明子に告げる。まきは
「それじゃあ、あたしたち帰ります。無理に押しかけてすいませんでした」
と頭を下げて英子の家を出た。明子は英子と何を話していたのか聞きたそうだったけれど英子も明日香の共犯だと知ったらショックを受けるだろうから二人は聞かれないうちに二見家を出た。
それから時折愛美は英子の家を訪ねるようになった。まきは中学3年生なので受験勉強に専念することになりあまり英子にはかまえなくなったけれど時折愛美に英子への手紙を託していた。まきは推薦で私立高校を狙っているので改正学校教育法違反の生徒を出した吹奏楽部の出身というだけでかなり不利なので内申点をかせがなくてはいけなかったのだ。愛美は英子に吹奏楽部が活動していた頃の思い出話をしてやると英子は身を乗り出さんばかりに喜んだ。秘密を共有する仲間が二人もできたから英子はまきと愛美に対して心を開くようになり胸のつかえがとれ食欲も出てきて血色もよくなってきた。愛美が1年生のとき、すなわち松江第八中学校吹奏楽部最後の定期演奏会のビデオを持ってきて英子の部屋で二人で見る。愛美の母が撮ったのでほとんどが愛美のアップでしかも手ブレしまくりという画質の悪い物であったが英子は食い入るように吹奏楽部の演奏に耳を傾けた。しかしムキになって演奏するあまり変な顔で写っているため英子に見られるのが愛美は少し恥ずかしかった。
その9へ