本文は通勤天使 Eikoシリーズの主人公である24才の会社員が毎朝鶴見駅8:02始発の東十条行京浜東北線でみかけるEikoという肩をおおうほどの長い髪の美少女高校生に恋をして文化祭での彼女の様子を空想するシーンである。
Eikoは高校3年生で文芸部の部長をしている。文芸部の宿命なのか毎年少数の新入部員しか入ってこないので部員は部長のEikoをふくめて全部で6人しかいない。しかもEikoの下に2年生がいないので今年も3年生のEikoが部長を続投することになっているてそのうち5人が女子である弱小クラブだ。4月からの半年間全員での読書会や夏休みの山中湖での合宿を経て2学期を迎える。夏休みの合宿の時から部員達は文芸部が毎年秋の文化祭の時に発行している文芸部の作品集である文芸部誌に載せる作品の執筆にかかる。9月に入ると筆の遅い部員たちをEikoは叱咤激励して締切までに部誌の原稿を完成させるのだ。Eiko自身も短編小説のほかに2編の詩を出品している。その小説のストーリーは自動車事故で意識を失った少女がもうろうとする意識の中でいままでの自分の行き方をふりかえりいつも友達に対してウソばかりついていたことや自分自身をウソでぬりかため素直になれなかったことに直面しその原因にたどりつきありのままの自分で生きていこうと決意する。そして意識をとりもどした時にまわりで見守ってくれていた家族や友達の姿を見て改めて人生に一歩を踏み出していこうと決意するという内容でEikoが夏休み中から構想を練り合宿の時から書き始めて9月上旬に完成させた作品だ。でも部長のEikoがどんなにがんばっても作品を書けない部員や締切を過ぎても作品を提出しない部員もいてEikoは苦労する。10月の文化祭で部誌を販売するためには9月14日の印刷所への入稿の線は絶対にゆずれない。なぜならばそうしないと文化祭までに文芸部誌の印刷、製本が完成できないので締切を守れない人の出ることを見越してEikoは締切日を9月8日に設定して一週間の余裕をみたけれど他の部員の筆の進み具合は遅くEikoはひとりイライラしていた。
9月11日になってやっと全員の原稿が出揃った。締切日を3日も過ぎてのことである。Eikoはすぐに原稿を印刷所に速達で送った。そして発送が済むとEikoは電話で表紙の色や紙の質、細かいレイアウトのことなどを印刷所の人と打ち合わせた。どうやらEiko達の希望どおりの本ができそうである。Eikoもこれで一段落といったところだろうか。
それからしばらくすると印刷所からゲラ(下刷り)が送られてくる。それを各部員に渡して自分の作品に誤植やミスがないかどうか自分の目で校正をかける。誤植のあった場合は赤のボールペンで訂正して印刷所になおすように指示する。そして部長のEikoにはこの他に全体的なレイアウトや作品を載せる順序表紙絵や題字、本文中の挿絵の配置にまで気をくばらなくてはいけない。表紙絵や本文中の挿絵は美術部の友達におねがいしたほか部員に一人絵心のあるものがいたので自分の作品の挿絵を自分で描いていた。Eikoの学校の文芸部の伝統で書いた作品に責任を持とうということで作品はペンネームではなくすべて本名で掲載される。部員達が毎日部室に集まって万全の体制で校正しチェックした最終稿を印刷所に送り返してすべての編集作業が終わる。あとはすべて印刷所の方で製本や装丁をやってくれる。
印刷所から印刷、製本された部誌の最新号が学校の方にどさっと送られてきた。部長のEikoが代表して包みを開くと部員の間に「うわぁーっ」という声があがる感動の一瞬だ。各部員が活字になった自分の作品に目を通して満足そうにうなづいている。50部製本したうち部員が各一部づつとり、顧問の先生に一部、文芸部保存用として2部とったほか学校の図書室にも1部納める。図書室の書庫には文芸部の部誌が第一号からすべて保存されていて一度Eikoは部誌の第一号を見せてもらったことがあるけれどわら半紙にガリ版刷りのものでもうすっかり黄色く変色してしまっている。表紙を開いて見ると手書きの作品がならんでいてテーマや内容に時代差を感じさせた。そしてその部誌にはEikoの会ったこともない昔の先輩達の息遣いをEikoは感じたものだ。今回Eikoたちが作りあげた黄緑色の表紙の部誌の最新号も先輩達が作り上げてきた文芸部の歴史の一頁として図書室の書庫に並ぶ。いつの日かEikoの後輩たちがこの部誌を手にとった時Eikoたちの作品を見て何を感じるのだろうか。昭和59年にEikoたちが文芸部に存在したという証がこの部誌なのだ。Eikoの目は遠くを見ていた。
しかし部誌ができたからといってすべてが終わったわけではない。Eikoは文化祭実行委員会の会合に出たり、割り当てられた教室の装飾や展示物のレイアウトの企画を考えたりしなければならなかった。今年の展示のテーマは小泉八雲でその人生や作品についての研究が各部員の手で模造紙の上に展開されていく。これを限りあるスペースにどうレイアウトしていくかみんなで話し合い必要な備品を決定していく。10月に入りいよいよ文化祭が近づいてくると各クラブともに閉門時間の5時を平気でオーバーしての作業になる。学校側も黙認している様で何も言ってこない。それでも7時をまわると強制的に全員追い出されしぶしぶ家に帰る。それでもなんとなく学校の近くのお好み焼き屋に引っかかっていたりするものだから結局電車に乗るのが9時近くになることもしばしばあった。
約10日の準備期間の最後をかざる文化祭の前日がやってきた。この日は午前中で授業は打ち切りで教室から机とイスを運び出したら用のない生徒は帰宅する。授業が終わった後Eikoたち文芸部員6人は部室に勢揃いしていた。Eikoと唯一の男子部員の1年生は文化祭実行委員会から展示用のパネルや暗幕など必要なものを借り出しにいき、その間に他の部員達が展示用の模造紙やそれを壁に貼るためのテープ、図書室から借り出した展示用の小泉八雲の本などをかかえて割り当てられた教室へ向かう。文芸部が割り当てられた教室は3階にあり校舎の正面入口から階段を上がってすぐのところに位置しているので比較的いい場所だとEikoは思った。壁やパネルに模造紙をレイアウト案通り貼り、借りだしてきた机やイスをならべて会場を作っていく。どこか他のクラブが持ち込んだラジカセから軽快な音楽が流れてくる。そんな中展示物に修正箇所が見つかってあわてて修正するひとコマもある。作業中サインペンのインクが出なくなったりガムテープがなくなったりするのでそのたびに部員の誰かが購買部まで買いに走っていった。Eikoも何度か購買部まで走ったが他のクラブの人達も大勢来ていて文化祭の前日であることを感じさせ校内全体がざわざわしているようだ。教室の中央にならべた机に赤いテーブルクロスをかけてその上に図書室から借り出してきた小泉八雲の本をならべ壁とパネルの展示をバックアップする。そして最後に文芸部の受付の机に来場者に名前と感想を書いてもらうノートを広げ、出入口近くに並べた机の上には第一日目に販売する分の部誌が並べられた。この一角が部誌の販売コーナーとなる。Eikoと部員たちは一冊でも多く売れて完売できることを祈った。文芸部は比較的簡素な展示内容なので午後5時にはすべてが終了して全員下校していたが他のクラブの飾りつけは閉門ギリギリまで続くようでまだ多くの生徒が校内に残っているようだ。そのためEikoが帰りがけに校門で振りかえるとまだ多くの教室の灯がついていて大勢の生徒がそれぞれの役割で文化祭を作りあげていた。そして校門は文化祭実行委員会の手によってアーチがすでにできあがっておりすっかりきれいに飾りつけがなされていた。Eikoはなんだかうれしくなってきた。入口には受付のテントとイスがならべられている。今夜の学校はいつもとちがって5時を過ぎても活気づいているのでなんだか変だ。蒲田から鶴見までの京浜東北線で疲れていたEikoはすわれたのでうたた寝をしてしまった。
いよいよ文化祭の第一日目の土曜日がきた。空はよく晴れわたっている。朝8時から体育館で文化祭の開会式が行われ実行委員長のあいさつなどがあり、それが9時に終わると全員それぞれの持ち場につく。文芸部は全部で6人しかいないので3人つづ二交代で店番にあたる事にした。その3人組の分担もドアのところでの呼び込み、受付・部誌販売、会場内での案内・説明の3つの役割に別れ臨機応変に3人の役割を交代してあたることにしている。10時から一般公開が始まる。Eikoは部長ゆえに陣頭に立って呼び込みに当たった。
「文芸部に見ていってください」
他のクラブに負けじと廊下に響くが土曜日の午前中なので外来客は少なく(【注】昭和60年当時日本の高校のほとんどが土曜日の午前中授業をしていた)廊下を通るのは在校生ばかりだ。それでも午後に入ると授業が終ってそのまま来た制服姿の他校生や在校生の父兄が増えてくる。文芸部は漫画研究会やアニメ研究会と違って地味で集客力が小さいので他のクラブに比べるとすいているけれどEikoの懸命な呼び込みに答えてかそこそこの人数が入ってくれる。Eikoが入口で呼び込みをやっていると他校のナンパ野郎のグループが声をかけてきたりもするが、Eikoはにっこりと
「文芸部に入ってください」
と答えるとそのナンパ野郎たちはなにも言えずしかたなしに文芸部に入ってはみるけれどもチラと展示を見るだけでつまらなそうにゾロゾロと出でいってしまう。そういつやつらは受付係がお願いしてもノートに名前すら書いていかない。なぜならばナンパが目的だからEikoのようなかわいい女の子かいれば展示などどうでもよいのだ。きっといま入ったのが文芸部ということすら気付いてないにちがいない。外がなんだかにぎやかになってきた。Eikoが教室の窓からのぞくと校庭の特設ステージで有志のバンドの演奏が始まったようで軽快なサウンドが風にのって文芸部まで聞こえてくる。この特設ステージ実は教室の机をたくさんならべてその上にベニヤ板をしいただけのもので昨日の午後各教室から運びだされた机を実行委員会の人達が校庭にならべていた成果だ。そして父兄を中心に文芸部への入場者もとだえない。入場者の3人に2人は部誌を買ってくれるので土曜日の販売分の在庫も少なくなってきている。部長のEikoとしてはうれしいかぎりだ。
交代の時間がきたので他の部員に展示の方はまかせてEikoは自分はもう卒業していないけれど今の1年生たちのために来年の展示の参考データを集めに他のクラブの展示を見にいった。しかし美人のEikoは目立つのか校内を歩いているとナンパ野郎どもが次々と現れてはEikoに声をかけてくる。しかしEikoはすべて無視した。Eikoの見た他のクラブで印象に残った展示は生物部の水族館風の水槽に入った魚の展示と天文部のプラネタリウム、社会部の公害問題の研究であった。そしてEikoはその足で体育館に向かいステージ部門を見に行った。ちょうどそこでは演劇部の舞台をやっていた。どうやら宇宙人の侵略から地球を守ろうというストーリーの作品のようだ。Eikoは途中まで見て文芸部にもどった。やはり部長としては文芸部のことが気になるのだ。時間よりもはやくもどってきたEikoを見て当番の部員は意外な顔をしていた。うれしい事に土曜日販売分として用意していた分の部誌は完売しており希望者には日曜日販売分をとりくずして販売している盛況だった。50部も刷らせたのはEikoの指示だったので売れ残ったら部長として面目ないとEikoは思っていたのでほっとした。他の部員もやりがいがあるようで楽しそうに展示の説明や部誌の販売をしている。結局午後4時半の公開終了の時刻まで他のクラブに比べれば少ないながらも多くの入場者で文芸部はにぎわった。
文化祭の2日目の日曜日もよく晴れているので朝から大勢の外来客でにぎわった。文芸部への入場者も昨日に比べると多いようで部誌の販売の方も本来今日販売する分の分を昨日とりくずしたこともあって昼近くには10冊程度しか残っていなかった、これなら完売できる、とEikoは確信した。午後になってEikoの両親が差し入れのケーキを持って文芸部を見にきてくれた。Eikoの母はよく調べてあると感心し父は合宿の写真を見て娘のいきいきとした姿に目を細めていた。そしてEikoの父が部誌を一冊買ってくれた。自分の作品を両親に読まれるのかと思うとEikoはなんだか恥ずかしくなってきた。午後2時を回るとますます人出が多くなり呼び込み係もはりきって
「文芸部にどうぞ」
と廊下で叫んでいる。やがて午後3時になって部誌が完売された。Eikoたちは手をたたいてよろこんだ。最後の一冊を買ってくれた人には部員の持っていたキャンディーをおまけにつけて感謝の意を示した。
そして午後4時になると展示は終了する。Eiko達は満足感と達成感を胸に文芸部の展示をバックに記念写真を撮った。そして午後4時半からの後夜祭に出るために部屋を閉めてバラバラと階段を下り校庭に向かった。文化祭のプログラムによれば後夜祭では風船とばしやフォークダンス、閉会式が行われる。Eiko達文芸部員が校庭に行くとすでにくじびき大会が行われていてEikoも文化祭実行委員会の人からラッキーカードをもらった。このカードに書かれた番号を抽選して賞品が当たる。一等はどこからもらったのか電気ポットだけれどもEiko達文芸部員は皆くじ運が悪いのか全員はずれた。いったいなんで電気ポットなんだ?とくじびき大会参加者はみんな首をかしげていた。二等のコーヒーカップのセットや、インスタントコーヒーの詰め合わせと対になっているのかしら?とEikoは思ったがどちらにしてもセンスがない。ヘッドホンステレオでもくれればいいのにとEiko達は思った。謎のくじびき大会が終わるとフォークダンスが始まる。みんな照れくさいのか踊りの輪に入る人は少ない。しかしダンスの曲が始まると文化祭実行委員会達がまわりで見ている人達の手をひっぱって次々と踊りの輪に連れ込んでいったのでたちまちに踊りの輪が広がった。Eiko達文芸部員も全員連れ込まれてしまった。曲目はジェンカやマイムマイムといった有名なフォークダンスの曲が多く初めのうちは男の子と女の子は小指をからませているだけだったけれど何曲か踊っていくうちにだんだんと打ち解けて手を握る人が多くなってきた。Eikoも初めはとなりの男子とは小指をからませているだけだったけれど途中から思い切って手を握ることにした。踊っているうちにEikoの体があたたかくなってきて踊りに参加しているみんながひとつになった。しかし何曲踊ったのだろうか、みんなの熱気冷めやらんうちにフォークダンスも終了してラストの風船とばしになった。文化祭実行委員会の人達の手でみんなに風船が配られる。ステージ上の司会の人の合図でみんな一斉に風船から手をはなす。Eiko達の手を離れた風船はゆっくりと空にのぼっていった。夕暮れの空に色とりどりの風船が飛んで行く。これがEikoにとって最後の文化祭となる。来年以降はOGとしてしか参加できないのね、そんな思いを胸に秘めEikoは風船が空の彼方に見えなくなるまで見送っていた。
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