
小説の部屋
S高吹奏楽部 泥まみれの礼奈
2003/5/2 脱稿
S高吹奏楽部 泥まみれの礼奈
タリカス その1
プロローグ
キキーッ キキキキキーッ。
ブレーキに悲鳴を上げさせながら女子高生二人乗りの自転車が薄暗い雑木林の中を下ってゆく。乗っている二人の女子高生たちは携帯のメールを見ながらおしゃべりに花を咲かせていたので周りの様子をよく見ていなかった。すると茂みの中から不意に黄色いものが前に飛び出してきた。女子高生たちはそれに気付くのが遅れたのでハンドル操作で回避する時間はなかった。ハンドルを握る女子高生は「危ない!」とブレーキを握り締めたが、その自転車に下り坂で二人分の体重を止められるだけのブレーキ力はなかった。
第1章
ジャン ジャン ジャーン。
4月下旬のある日、放課後の福島県立S高校音楽室に今年の吹奏楽コンクール課題曲 マーチ<大鷲の翼>がばっちりと演奏がキマった。
「はい、じゃあ今日の練習はここまで。楽器片付けて」
と顧問の鈴木先生が指揮台の上から言うと部員たちは
「はいっ」
と返事をして部員たちはそれぞれの楽器の中にたまった唾を抜き、手入れをしてケースに収め譜面台を折り畳みそれぞれ楽器を音楽準備室の棚に置いた。パーカッションの子がふざけてマレットとスティックではたき合っている。管楽器の部員たちは自分の楽器を片付けると打楽器の片付けに回りパーカッションの子とティンパニーやマリンバといった大きな楽器を手分けして音楽準備室に引き込んだ。
***
福島県立S高校はS市の西南にあり回りは田畑に混じって住宅が建っている地区にある。S高校は特に強いクラブがあるわけでもなく地味な存在の県立高校であった。校舎は築30以上経っている古びた校舎でポンコツなスチーム暖房はあまり効かず真冬には生物部が生物室の窓辺に置いている金魚の水槽には氷が張り、教室にはすき間風が入り女子生徒がスカートの下にジャージのズボンをはきダッフルコートを着てマフラーして震えながら授業を受けているという文字通り『お寒い』県立高校であった。
吹奏楽部でも窓辺に置いていたトランペットのケースに霜が降りたことがある。そんな日に不用意に楽器に触れようものなら、冷えきった金管楽器に手の皮が引っ付いてとれなくなってしまう。なので真冬のS高校吹奏楽部の朝連は楽器を暖めるところから始まる。当然金属の膨脹率が違うので夏とは全然音が変わってしまい金管楽器の部員は泣きそうになりながら音合わせをしている。
福島県立S高校吹奏楽部はコンクールの常連校というわけではなかったが地元では吹奏楽部が有名な高校であった。S高校吹奏楽部はコンクールでいい成績を上げることに心血注いでいる高校とはちがいコンクールにはもちろん出るけれど、楽しく吹奏楽部しましょというお気楽な吹奏楽部であったのでお祭りの折に神社の境内や商店街のイベントによく出ているので有名なのだ。<ポケットモンスター>や<ど演歌えきすぷれす>など一般客に受ける曲をたくさん演奏して聴いている人に喜んでもらうのに部員一同喜びを感じていた。女子が34人、男子が3人というどこの吹奏楽部でも抱えている男子部員が少なく女子部員ばっかという問題をS高校吹奏楽部も抱えていたが部内は大変仲がよい。吹奏楽コンクールの有力校と違ってS高校は部外のコーチを招聘する事もできず顧問の先生一人が全部員の指導をするという典型的ローカル吹奏楽部であった。音楽室には五線の引かれた黒板がありグランドピアノと古ぼけたステレオが置いてあるだけの殺風景な部屋だった。いかに県立高校に予算が回ってこないかがこの音楽室を見ているだけでわかる。さらに県立高校ゆえS高校にはクーラーがなく近所から苦情こそこないが真夏でも校外に音が漏れないよう音楽室の窓を閉め切って練習している。この音楽室にこもってコンクール出品曲を夏休みに入ると朝から夜までずっと練習をするので部員たちはとてもじゃないけれど白いブラウスの上にニットベストを着た女子高生スタイルでなど練習できない。だから登校してくるとまず女子部員たちは数少ない男子部員を音楽室から締め出して制服を脱ぎTシャツと体育のハーフパンツ姿になる。その姿を見た運動部のクラスメイトからは
「いつから吹奏楽部は運動部になったの?」
と皮肉られるが部員たちは
「うるさいわねぇ。いいわよぉ、吹奏楽部は。真夏にサウナ状態で練習するとスカートゆるゆるになってダイエットにもなるし。ロングトーンなんかしていると時折意識が遠のいてありえないものまで見えてくるから」
「『ありえないもの』ってなに?」
「妖精とか小人」
「……」
と言う始末。
「私立の子はいいわよねぇ。音楽室にクーラーがあって」
「むしろ旗押し立てて『S高校にクーラー付けて下さい』って県知事に直訴してやる」
「県知事って誰だっけ?」
「さぁ? だって選挙の時しか見たことないもん」
「じゃあ直訴できないべ」
とぼやく女子部員がいるけれど公立高校にクーラーがないのはクーラーがぜいたく品だった時代の名残でしかない。
「いったい福島市まで往復したらいくらかかると思ってるの」
と言われると少ない財布の中身を確認するまでもなくため息しか出ない。福島県内とはいえS市から県庁のある福島市まで往復すれば一日仕事になりかなりの散在を覚悟しなくてはならない。小遣いの少ない女子高生には無理な話だ。
音楽室には吹奏楽部OB会が寄付した背の高い扇風機が3台あり部員の間に置かれかったるそうに首を振り音楽室の空気をかき混ぜている。真夏に30人以上の高校生が閉め切った狭い音楽室にこもっているのだから扇風機の風がきたからといってそれほど心地よいものではなかった。一曲合奏が終わると顧問が
「はい、窓あけてぇ」
と指示を出し窓側の部員がガラガラと窓を開けて回り
「いやぁ、暑かった」
「見てよ、汗ぐっしょり」
「いいダイエットになるわぁ」
と口々に部員たちは暑さをボヤいた。クーラーのない締め切った音楽室で練習に励む女子部員たちは足元に置いていた2リットルのペットボトルをぐびぐびとおやじのようにラッパ飲みした。彼女たちは吹奏楽部に男子部員が3人いることを暑さで完全に失念しているようだ。朝登校途中に買ってきたペットボトルはキンキンに冷えていたのにもう燗(かん)がついてぬるくなっている。今年の春に卒業した部員に氷屋の娘がいたので昨夏まではその父親が配達の途中に大きな氷柱をいくつか毎日差し入れてくれたのでしのぎやすかったがそれもこの夏から絶え部員たちは熱気との戦いを強いられていた。
どさっ。
パート練の途中に
「先生、内田さんが倒れました」
幸い隣にいた部員に支えられたので内田絵美はイスから転げ落ちるのは避けられた。
「んっ、柿崎と佐野で保健室に担ぎこんでおけ」
という会話が平然となされる位体の弱い女子部員が倒れるのは当たり前の事になっていた。指名された柿崎と佐野の二人で汗まみれの内田を保健室に
「先生、内田さんが倒れました」
と担ぎ込むと養護教諭の倉本は
「また吹奏楽部ぅ?! 運動部じゃないんだからもっとソフトな練習しなさいよ」
と言われるが吹奏楽コンクールはS高校吹奏楽部にとっても大イベントだからそうはいかない。いつになく気合いを入れて長時間練習するのだ。さらに夏は野球部の応援の練習までしなくてはいけないから吹奏楽部は大変に忙しいのだ。部員たちのTシャツは汗で体にぴったりと張り付いて中に着ている下着が丸見えになっていて男子生徒は目のやり場に困っているが男子が少ないこともありS高校吹奏楽部の女子部員たちはそんな事にかまわず練習に打ち込んでいた。
しばしの休憩の後顧問が
「はい、次はマーチ ベストフレンドね。窓閉めてぇ」
と言うと女子部員たちは
「うわーっ」
「えーっ」
「もぉーっ」
「ぎぇーっ」
と大ブーイング。それでも部員たちは窓を閉めて回り楽譜を用意して合奏にとりかかる。さほどコンクールに気合いが入っていないS高校吹奏楽部もコンクール前だけに暑さをこらえてマーチ ベストフレンドの合奏に入る。
マーチ ベストフレンドの合奏が終わって休憩しているとガラガラーッと音楽室のドアが開き
「こんにちはーッ」
と茶髪の若い女性が二人入ってくる。女子部員たちが
「きゃーっ、石原先輩」
「久しぶりです」
「先輩なんか大人って感じですねぇ」
と口々にOGとの再会を懐かしむ。この二人細谷真弓と石原千佳の二人で今年の春に卒業したクラリネットパートのOGだ。細谷真弓がコンサートミストレス、石原千佳が部長をしていた。髪を金色に染め黄色いホルターネックにデニムミニスカートをはいている細谷真弓は福島市の女子大に進学し、そこでも吹奏楽部に入ってクラリネットを吹いている。一方、ピンクのちびTシャツにデニムのカプリパンツを着ている石原千佳は地元S市内でOLをしていて吹奏楽からは遠ざかっていた。卒業後も二人はよく一緒に遊びに行っているそうですっかりギャルと化している。二人はコンビニでお菓子をどっさりと買い込んできて
「みんなこれ差し入れ。後で食べてね」
と指揮台のそばに置いた。
「先輩、ありがとうございます」
と部員たちは礼を述べた。
「せんぱーいあつ―い。クーラー買ってェ」
と甘える後輩に苦笑しつつ
「さてと、かわいい後輩たちの上達振りを聴かせてもらおうかな」
と真弓と千佳は空いているイスにすわり後輩たちの演奏を3曲聴いた。演奏後クラリネットパートの後輩にあれこれとアドバイスをすると二人は帰っていった。
***
練習が終わってほっとした部員たちは片付けが終わった者から帰ってゆく。一人で帰る部員、仲のよい部員同士で帰る部員とまちまちだ。
「ユミぃーっ、いっしょに帰ろっ」
と片付けの終わったフルートパート2年生の小沢礼奈がニコニコしながら同じくフルートパート2年生の上田友美子を誘った。礼奈は身長155cm、長い髪をライトな茶色に染めていてだぶだぶの紺セーターを着て赤いリボンをゆるゆるにつけスカート丈を膝上10cmにしてルーズソックスをはいている。友美子は身長157cmでセミロングの髪を茶色に染めていてだぶだぶの白カーディガンを着てスカート丈は膝上5cm、紺ハイソックスをはいている。二人ともコギャルというほどひどくはないものの今時の女子高生スタイルをしていた。S高校は紺のブレザー・凹型ベスト・プリーツスカートの制服であるが、県立高校ゆえあまり服装指導はうるさくなく女子生徒の中にはかなりドギツイ格好をしている子もいるので礼奈と友美子はおとなしいほうであった。二人は地元のK中学校時代からフルートを吹いている吹奏楽少女で中学3年生の時に見たS高校吹奏楽部定期演奏会が大変楽しかったのでS高校吹奏楽部に入るためにもっと偏差値の高い高校にも余裕で進学できたのにS高校を選んだのだ。だからS高校吹奏楽部にはただならぬ愛着を感じていた。
「うん、いっしょに帰ろっ」
と友美子もニコニコして答える。
「ユミ、今日の出来はばっちりだったね」
「うん、これなら今年は県大会行けるかも」
二人ともそんな訳ねーべと思っているから友美子のその一言に二人は顔を見合わせて笑った。クラリネットの北村理紗が
「礼奈は今年のゴールデンウィークどこいくの?」
「ユミと東京に行くんだよ」
「えーっ、そうなの?!」
「ねーっ」
と友美子が相槌を打つ。
「お二人は仲がよろしいことで」
と半ば閉口気味に理紗は二人から離れていく。礼奈と友美子は二人でゴールデンウィークに東京ディズニーランドへ行く計画を立てているのだ。今度は山口ゆかりが
「礼奈ぁ、今度プリ撮りに行こう」
「いいわねぇ、ユミもいっしょでいい?」
「いいよぉ」
「んじゃ、こないだ撮ったのあげるね」
と礼奈はカバンの中から取り出した友美子と二人で撮ったプリクラを1枚手渡した。
「ありがとー」
と言いながらゆかりはカバンからプリ帳を取り出してそのプリクラを張り付けた。
「お先に失礼しまぁーす」
と片付けの終わった二人は他の部員にあいさつして音楽室を出て階段を下り昇降口に向かう。
「先生 さよーならぁー」
と階段ですれちがった担任に礼奈はあいさつすると昇降口で二人は上履きからローファーにはきかえた。方向の同じ二人はいつもいっしょに帰るのであった。礼奈は友美子にカバンを持っててもらい自転車置き場に走ると
「お待たせぇーっ、じゃ、行こっか」
水色の自転車を押しながら戻ってきた。友美子はカゴに礼奈のカバンを入れると礼奈は自転車を押しながら歩いた。友美子の両親は危ないから友美子の自転車通学を認めないのでいつも礼奈だけが自転車で通学していた。しかし二人が正門を出て50mくらい行き学校から見えなくなると友美子が後ろに乗り礼奈が自転車をこぐ形での二人乗りで走り出した。自転車があるのに二人で歩くのはバカバカしい。二人は今夜のテレビドラマの話題などでキャッキャいって盛り上がっていた。
「ねぇ、礼奈。今日の『スナイパー健』見るでしょ?」
と友美子が今はやりのドラマの話をした。
「うん、見るよ」
「木村達夫カッコいーよねぇ。ライフル構えるしぐさとか好き」
「確かに木村達夫はカッコいーよねぇ。でもライフル打つときの状況が『そんな事ねぇべ』と思うくらいかなり無理くない?」
「うーん、確かに強引なところあるよねぇ」
「そういやユミ、こないだまどかたちとプリ撮りに行ったんだって?」
「うん、行ったぁ。7枚くらい撮って楽しかったぁ」
「まだ見せてもらってないよねぇ」
「うん、今度見せてあげるね」
「今年はゴールデンウィークに演奏がないから暇でいいねぇ」
「そうそう去年は風で楽譜は飛んでいっちゃうし、目に砂は入るし散々だったもんねぇ」
「そうそう、譜面台はぱたぱた倒れるしサイテーだったよね」
礼奈の自転車は住宅地を抜け雑木林の中を抜ける小道にさしかかった。ここは下り坂になっているのでこがなくていいから礼奈はいつも下校ルートとして愛用している。シャーっとギヤを鳴らして軽快に礼奈の自転車は下って行く。礼奈はスピードが出過ぎないようにブレーキを握り締めているがガタの来ている自転車は気休め程度にしか減速しなかった。しかし車は入れないしいつも誰も他に通らないようなところだから礼奈も友美子も全く気にしていなかった。チロチロリーンと着信メロディが鳴り響き友美子の携帯電話にメールがきた。後ろに乗った友美子は左肩に掛けたカバンから取り出した携帯電話のメールを見ている。
「ねぇ、ねぇ、ユミ。真奈美からメール来てる。真奈美は告白(コク)られて今度1組の山田とつき合うんだって」
「えーっ、山田ってあの山田ぁ?」
「その山田」
「あいつってエッチっぽくない?」
「うん、そんな気がする」
「真奈美って悪趣味だよねぇ」
「うんうん、それよりも2組の藤田クンの方がずっとステキ」
「はいはい、ユミの藤田クン好きの話は耳タコよ。いい加減告白(コク)ったら」
「えーっ、もしフラれたら学校来るの気まずくなるしぃ」
「じゃあ代わりにあたしが藤田クンとつきあっちゃおうかなぁ」
「あーっ、ひどい! あたしの藤田クンとらないで」
「誰の藤田クンだってえ?」
と盛り上がっている。
第2章
加藤絵里香はS市立S小学校4年生。この日は学校から一度帰ってからお友達の中村しおりちゃんの家に遊びに行きプリ帳の見せっこをしたり、テレビゲームをして夢中になって遊んでいたあまりついつい帰るのが遅くなってしまい気が付くとPM5:45を回っていた。普段から母親に夕方6時までに帰ってくるよう厳しく言われていたので絵里香は門限の6時に間に合うよう大急ぎで帰ることにした。
「しおりちゃん、あたしもう帰んなきゃ」
「えーっ、もう少しいいじゃない」
「ダメ、6時までに帰らないとお母さんすごく怒るから」
「そっかぁ、じゃあ仕方がないね」
「ゲームにハマってたから全く時間を気にしてなかったわ」
「ごめんね、絵里香ちゃん。長く引き止めちゃって。今から出て6時に間に合うの?」
「ううん、雑木林の中を斜めに突っ切って近道すればぎりぎりで6時に間に合うから」
「でも、もうあそこは暗いよ」
「大丈夫だよ。まだ明るいし初めて通るわけじゃないからなんとか抜けられるよ」
「そっか」
と絵里香は2階にあるしおりの部屋を出て1階奥の台所にいるしおりの母に
「おじゃましましたぁ」
と声を掛けて絵里香はしおりに
「んじゃ気をつけてねぇ」
と玄関先で見送られ家に向かって駆け出した。この日の絵里香は黄色いトレーナーに膝上のデニムミニスカート、ルーズソックス、赤い手提げを持っていた。デニムミニスカートをはいているときに大股で走ればパンツが見えちゃうくらいのことは絵里香にも分かったが非常事態である。スカートになどかまっていられない。しおりの家から絵里香の家に向かう際は雑木林の中をななめに突っ切って行くのが一番近道だ。道路だけを走ると雑木林を回り込む形になるので遠回りだった。車もほとんど通らない住宅街の道を雑木林に向かって絵里香は駆けながらこの調子で走ればなんとか6時には間に合いそうだなと思った。途中で犬を散歩させているお爺さんを追い越す。かわいい犬だなぁと絵里香は思った。6時までに帰らないとお母さんに怒られる。それだけが絵里香を突き動かしていたから絵里香は住宅街にあるまったく車が来ない赤信号を無視し、他人の家の駐車場を無断で通り抜けて近道した。普段の絵里香だったら決してそんな事はしないのだが6時までに帰り着くため絵里香はメロスのように走り続けた。
絵里香は雑木林に差し掛かる。しおりの言う通りだいぶ薄暗くなってきていたがまだ林の先は明るくなんとか足元も見えるので絵里香はためらうこともなく雑木林に駆け込んだ。S市は田舎で夕暮れに変質者が出ることもなかったので絵里香の通うS小学校でも特にこの雑木林に注意を促すような指導はしていなかった。だから絵里香は便利な近道としか考えていなかった。絵里香は近道をするため雑木林の中の小道ではなく木の間を抜け茂みの切れ目をガサガサいわせながら走り抜け家に急いでいた。下りの斜面を絵里香は足をもつれさせないよう注意して走っていた。雑木林には石や木の根っこなどいろいろとけつまづきそうなものがたくさんあるので舗装路を走るのとは違った。右手に持っていた手提げを絵里香はもどかしげに左手に持ち替えた。こういう時に手提げは不便だ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
という絵里香の荒い息遣いと手提げの中身がカタカタと音を立てているのが聞こえてくる。絵里香は母親に怒られたくない一心から通り慣れたコースを木の根っこにけつまづかないように足元だけを見て一目散に走っていたのでほとんど周りの様子には気を配っていなかった。不意に絵里香の足がもつれて転びそうになる。絵里香は「はっ」として近くの木の幹に手を突きバランスを立て直した。危ない、危ない。木の枝が手の甲やデニムミニスカートから出たすねを引っ掻いて痛かったがとにかく絵里香は家に急がなくてはならない。あと400mでこの林から出られる。絵里香は林の先のまだ明るい外の世界をチラと遠目に見て足元に気をつけながら再び走り続けた。
(つづく)
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