
小説の部屋
S高吹奏楽部 泥まみれの礼奈
2003/5/2 脱稿
S高吹奏楽部 泥まみれの礼奈
タリカス その2
第3章
小沢礼奈は薄暗い林の中に入ったけれど自転車にライトはつけなかった。走り慣れた道だからその必要も感じなかった。また着信メロディが鳴り後ろに乗った上田友美子の携帯電話にメールがきた。
「ねえねえ礼奈これ見て。おもしろいよぉ」
「えーっなになに?」
と礼奈が後ろから友美子の差し出す携帯電話の画面に見入っている時不意に前方に茂みの中から黄色いものが飛び出してきた。黄色いトレーナーを着た加藤絵里香だ。礼奈は携帯電話の画面を見ていたために絵里香に気付くのが遅れた。
「あっ」
と叫んだ礼奈はそれが黄色い服を着た子供らしいとわかったのであわてて渾身の力を込めて自転車のブレーキを握り締めた。しかし下り坂で女子高生が二人乗っている自転車は全然スピードが落ちない。「ヤバイ、このままじゃぶつかるわ」と礼奈は焦ったけれど狭い小道に少女を回避するだけの余地はなかった。後ろに乗っていた友美子も少女に気付き
「礼奈ぶつかるよ! 早く止めて!」
と叫んだけれどもそれができるくらいなら礼奈はとっくにやっている。空しくブレーキがキキーッ キキキキキーッと悲鳴を上げる。それに少女も気付いたようで礼奈と友美子の乗った自転車を恐怖に目を見開きながらその場に立ち尽くしていた。
下り坂で加速がついていた礼奈と友美子二人乗りの自転車はほとんど減速する事なく時速50キロくらいでドンという鈍い音を立てて絵里香をはね飛ばした。絵里香は
「ぎゃっ」
と言って5mほどはね飛ばされたかと思うとブナの幹に当たってどさっと落ちた。礼奈はすぐにはね飛ばした絵里香の状況を確認したかったが礼奈と友美子二人乗りの自転車はなかなか止まらず50mほど先で小道が平地になりさらに30m走ったところでようやく止まった。
「礼奈、やっちゃったよ。子供をはねちゃったよ。どうしよう」
と後ろでうろたえる友美子に礼奈は
「静かに。まずどうなっているか見に行きましょ」
「えーっ怖いよぉ。嫌だよぉ」
「ユミっ、あんたも『共犯』なんだから来るの」
と礼奈に言われ礼奈に腕をとられた友美子は渋々と礼奈について元来た道を上っていった。友美子には礼奈の言った『共犯』という言葉が深く突き刺さり、どうにも逃れられないことを悟った。友美子が携帯を差し出して礼奈の注意をそらさなければこんな事にはならなかったのだから。絵里香のところにおそるおそる二人が戻ると絵里香は出血こそなかったがブナの木の下での首を不自然な角度に折り曲げ白目をむいており素人目にも明らかにコト切れていた。それでも礼奈がかがみこんで絵里香の目の前で手を振って反応を見て左手首の脈を診たりして絵里香の様子を見る。そして友美子を振り返り
「ユミ、だめだ死んでるわ」
「れ、礼奈どうしよう、死なせちゃったよぉ。警察呼ぶの?、あたしたち殺人罪ね。あたしが礼奈に携帯なんか見せたからこんな事になったのね。あたしのせいなのね」
と友美子が腰を抜かさんばかりにおののきながら言う。礼奈は友美子がパニック寸前なことを見て悟りパーンと友美子の頬を一発張った。
「痛い、礼奈なにするの」
と涙目で言う友美子に
「いいユミ、死んじゃったものはもう生き返らないの。それよりもS高校吹奏楽部に『人殺し』が二人もいるとわかったら今年の吹奏楽コンクールはまず出場辞退ね。そんなことになったら他の部員たちは何て思うかしら。特に今年が最後の高校3年生の先輩方は」
「そ、そんなこと言ったって」
「死体無き殺人は事件にならないの。警察も行方不明では本気で探さないから。だからこの子の死体には消えてもらいましょう」
「『消えてもらいましょう』って一体」
「埋めるの。とりあえずここは人目に付くから奥のほうへ移動させましょ」
と礼奈は絵里香の死体の脇の下に手を回す。この事故は自分のせいだと思っている友美子は『人殺し』という礼奈の言葉が胸に深く尽き刺さったが、友美子は恐ろしくてとてもじゃないけれど死体になどさわれない。実際のところ礼奈一人でも小学4年生の絵里香の死体は移動させることはできたが友美子にも協力させることでより共犯関係を深めようという礼奈は無意識に考えていた。
「ユミ早くして。誰かに見られたらあたしたちもS高校吹奏楽部もおしまいよ」
と言われ友美子も文字通り片棒担いで死体を隠すのに協力しないわけにはいかなくなった。友美子はおそるおそる絵里香の死体の足首を持ち二人で茂みの奥に入っていった。まだ死後間もない絵里香の体には温もりが残っていたが全身が脱力しているので非常に運び辛かった。そして礼奈は
「自転車を道から見えないところに隠してくるから」
と言って死体のそばに友美子を一人残して行こうとする。
「お願い、一人にしないで、死体といっしょはいや」
と泣きだしそう。
「しっ、声が高い。『死体』とか口にするんじゃないの。誰かに聞かれたらどうするの。すぐ戻るからいい子にして」
と友美子に言い聞かせると礼奈は茂みをガサガサ言わせて小道に出て自転車を止めたところに自転車を隠しに向かった。友美子のところから礼奈が見えなくなり足音が遠ざかっていくと友美子は薄暗い雑木林の中に沈黙し動かない絵里香の死体と二人きりで残されて、その不気味さに友美子は礼奈早く帰ってこないかなぁと思った。しかしなかなか礼奈は帰ってこない。それどころか友美子は絵里香の死体が薄目を開けて友美子のことを見ているような気がして怖くてこわくて仕方がなかった。
「礼奈ぁ〜 早く帰ってきてぇ〜」
と友美子はつぶやいた。そして友美子はハッと気付いた。礼奈は自転車を隠しに行くと言っていたけれどあたしに死体を押しつけて自分だけ自転車に乗って逃げたんじゃないか。もしかしたら礼奈はあたし一人に罪をなすりつけて知らんぷりするつもりなんではないか。だんだんと友美子は親友の礼奈に対する疑心をつのらせていった。もし礼奈が逃げて帰ってこなかったらこの死体をどうしよう? 放置してあたしまで逃げたらすぐに発見されちゃう。しかし友美子一人では死体を始末することなんてできなかった。友美子は途方に暮れて泣きそうになった。友美子は白目を向いた絵里香の死体を見るまいと目を閉じるがまぶたに絵里香を自転車ではね飛ばすシーンがプレイバックされ絵里香の「ぎゃっ」という断末魔が耳によみがえってくる。
礼奈は偉そうなことを言ってずっと仕切っていたけれどあれはあたし一人に罪をなすり付けるためなのではないか? 警察の取り調べで礼奈は
「ユミが後ろから携帯を見せたんで事故りました。悪いのはユミ一人です」
と言うのでは。礼奈は友美子を捕まえさせるため警察を呼びにいったのではないか?! そうしたらこんなところに死体となんかグズグズしていられない。逃げなきゃ。でもどこへ? 友美子は服をたくさん買ったので今月の小遣いピンチであった。だから財布には遠くに逃げられるだけのお金は入っていなかった。財布の中身を確認して友美子は
「どーしょ、これじゃ遠くに逃げることなんてできない」
とため息をついた。友美子が警察に捕まったらS高校吹奏楽部員A子が少女を殺したって新聞に出ちゃうのかなぁ。未成年だから顔は出ないだろうけれどS市は小さな町だから上田さん家の友美子ちゃんが少女を殺したって事はすぐに広まるだろうな。そうしたらお父さん会社辞めなきゃならないわ。S市にもう住んでいられないから引っ越ししなくちゃいけなくなるわね。礼奈の言った通りS高校吹奏楽部は廃部にされるかも。そしたら吹奏楽部のみんなに合わせる顔がない。吹奏楽の雑誌にも「福島県立S高校吹奏楽部員が殺人」って載っちゃうのかな。福島県立S高校吹奏楽部は全国レベルで悪名高くなってしまう。そしたら福島県立S高校には未来永劫吹奏楽部はできないだろう。あぁ礼奈に携帯なんて見せるんじゃなかった。友美子は強い自責の念にかられた。
不意にガサガサと茂みが揺れた。友美子は
「ひっ」
と声を上げて腰を抜かした。
「れ、れ、礼奈なの?」
と1オクターブうわずった声で言うのがやっとだった。もしかしたら礼奈が呼んできた警察かもしれない。あぁ礼奈はあたしを警察に売ったのね。汚いわ、と友美子は思ったけれど腰が抜けてもう動けない。恐怖に目を見開きながら友美子は茂みから出てくる物の正体を見ていた。はたしてそれは礼奈だった。
礼奈は絵里香の死体を隠した地点から茂みを抜け小道に出るとそれを下り自転車を止めたところに戻り自転車を近くの茂みの裏に倒して小道から見えないようにして手頃な木の枝を2本拾ってから友美子と絵里香の死体の所に戻ったのだ。友美子は顔を真っ青にしていた。
「あぁ、礼奈。いきなり出てくるからびっくりしたじゃないのぉ」
「ごめん。この死体をどう始末するか考えてたから」
「あんまり礼奈が遅いからあたし礼奈が死体を残して一人だけ逃げたんじゃないかと思っちゃった。怖かったよぉ」
「ユミにそんなことするわけないでしょ」
「でも、でもぉ…」
「はいはい、もう一人にしないから」
「うん」
と友美子は泣きだしそう。礼奈は自転車を隠すとすぐに戻ってきたのだが薄暗い雑木林に死体と残された友美子にとっては堪え難いほどの時間だった。礼奈は友美子を優しく抱き締めて背中をなでてやり落ち着かせると
「いまからこの子を埋める穴を掘るから手伝って」
と言う。友美子は礼奈の顔をギョッとした面持ちで見て恐怖に震えながら
「あたしできない。そんなの無理」
と言いながらぷるぷると顔を振った。
「ユミ、この子の死体が発見されて警察が捜査に乗り出したらあたしたちだけでなくS高校吹奏楽部も破滅なの。だから絶対に見つからないよう埋めなきゃいけないの。だからユミも手伝うのよ」
と自転車を隠した場所の近くで拾ってきた枯れ枝を手渡す。恐れおののく友美子は小さくなって受け取ろうとしない。
「人間の女の子だと思うから怖いの。金魚や小鳥が死んだのを埋めると思えば気も楽よ」
と言うけれど友美子は反応しない。礼奈はすごみを効かせ
「すぐに警察に届けず死体を動かした時点でもうあたしたちは引き返せない道に入り込んだの。見て、あたしの手は血まみれよ。ユミもそう。二人が警察に捕まったら今年の吹奏楽コンクールはパー。定期演奏会もきっと中止ね。そうなったら何と言って他の部員のわびればいいの? きっとみんなあたしたちのことを恨むわぁ。もしかしたら吹奏楽部が無期限活動停止や廃部になるかもよ。だからやるしかないの!」
礼奈がそう言い放つと友美子は『血まみれ』という言葉にビクッと反応した。礼奈は友美子にかまわずに一人で絵里香の墓穴を掘り始めた。幸い前夜は雨が降っていたので土は軟らかく女子高生の礼奈でも木の枝で簡単に土を掘ることができたがなにぶんスコップと違い1回に掘れる土の量が少ないのでなかなか絵里香を埋められるだけの穴は掘れない。一人で悪戦苦闘する礼奈を見て友美子も何もしないわけにもいかずおっかなびっくり掘り始めた。
サクッサクッ木の枝が土を掘り返す音だけがする。二人は無言でただただ土を掘り続ける。二人の間に沈黙の天使が通り過ぎたかのように重い沈黙だけが漂っていた。途中から日が落ちてあたりは暗くなったので礼奈が持っていたペンライトの細い明かりだけで掘り続ける。自分たちの影がゆらゆらとうごめくのが絵里香の怨念のように思えて友美子は発狂しそうだったが吹奏楽部のためにこの死体を隠さねばという思いがそれをこらえさせた。夜の雑木林で女子高生が墓穴を掘っているというのは鬼気迫るものがある。おそらく制服姿の女子高生に最も似つかわしくない作業が墓穴掘りである。二人が制服を泥だらけにしながら絵里香を埋められるだけの穴を掘るのにゆうに2時間はかかった。
「ユミ、足持って」
という礼奈の声にもはや抵抗する気力もなくした友美子が無言で絵里香の足を持つ。最初に移動させたときに比べ絵里香の死体の温度が低下してきたようだ。二人で絵里香の死体を持ちどさっと穴の底に落とした。友美子は
「痛そう」
ともらしたが、礼奈が
「死んだら痛くなんてないの。もはやこの子は物でしかないの。早く埋めて帰りましょ。お風呂に入ってこの泥を落としたいわ」
と泥まみれの手を見ながら言う。とっさのことで満足な道具もなくあまり時間をかけるわけにもいかなかったから二人は最低限の大きさの穴しか掘ることができず礼奈は縄文時代の屈葬のように絵里香の手足を折り畳んだので絵里香はかなり窮屈な状態で埋められることになる。二人は掘った土を手ですくって絵里香の上にかけていく。絵里香の顔に土をかけるとき思わず友美子は顔を背け
「ごめんね、ごめんね」
とつぶやいた。二人は手を泥どろにしながら絵里香の墓穴に土をかけようやく絵里香を埋めることができた。礼奈は埋めた穴の上を足踏みして地ならしする。礼奈に言われたように友美子がペンライトを持って近くから枯れ枝をたくさん拾ってきて穴の上に置き土を掘り返したことがわからないようにカモフラージュした。3時間以上かかって絵里香を埋めた礼奈と友美子は制服が泥だらけであった。とりわけ友美子の白いカーディガンは無残にも茶色と化していた。
(つづく)
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