
吉田屋に居着いてから一か月。久美子は仕事の合間に何度となく亮とデートを重ねた。
「行ってきまーす」
と久美子は父母に言い亮と吉田屋を出た。朝早くから久美子が作ったお弁当の入ったリュックサックを背負って久美子は亮の原付バイクの後ろにまたがった。二人はS町のはずれにあるM山にデートに向かったのだ。M山にはS町を一望できる展望台があり亮はそこへ久美子を連れて行きたかったのだ。亮は黄色いブルゾンにタンガリーシャツ、ジーパンで久美子は美沙子がコーディネートしたピンクの前開きパーカーに青いちびTシャツ、デニムのカプリパンツというかわいい服装であった。亮の原付バイクは吉田屋を出て山の方へ走った。ヘルメットの下から出ている久美子の長い髪が吹き流しのように風になびいた。町を抜け山の方に入る。
「M山の展望台って遠いの?」
「いや、あと15分くらい走ってから散策路を25分くらい歩いたところ」
「そこって景色いいの?」
「S町を一望できる名所だよ」
「わぁーっ、楽しみぃーっ」
と久美子は亮の背中に顔をうずめた。二人の乗った原付バイクはM山への道を走るが行き交う車の姿もなく全くの二人きりの世界であった。久美子はものすごく幸せであった。
展望台入口の駐車場に亮は原付バイクを止めた。他に一台も車は止まっておらず誰も来ていないようだ。久美子は亮と手をつないでるんるん気分で散策路を歩いていく。木々のさざめきと遠くで鳴いているヒバリの声以外何も聞こえなかった。丘の上にある展望台に向かって二人は山道を上って行く。久美子は亮に寄り添うようにして上っていく。亮ははぁはぁと息を切らしているが久美子は全く息を乱さず平気な顔をしていた。久美子は80キロの武器弾薬を背負って3日3晩寝ないで山道を行軍できる体力を持った優秀なテロリストなのだ。この程度の丘は平地を歩いているようなものだ。途中で亮が
「久美ちゃん、ちょっと待って。足が早い」
と言いながら男の亮がぜいぜい言っているのを見ても久美子は信じられなかった。小休止を挟んで山道を上りようやく丘の上の展望台に二人は着いた。やはり誰もここには来ていなかった。
「うわぁーっ、亮。すごーい。大パノラマだよぉ」
と無邪気にはしゃぐ久美子の横で亮はまだぜいぜい言っている。
「うん、そうだろ」
と返事するのがやっとであった。ようやく息が整った亮が
「すごいだろ。S町自慢のビューポイントにして最大のデートスポットなんだ」
「ふーん、ウチはとっちの方?」
「あっちの方」
と亮が指差した方角を久美子は熱心に見ていた。
「双眼鏡を持ってくればよかったね」
「それは気がつかなかったなぁ。今度来るときは持ってこようね」
「写真撮ろう」
と久美子はリュックから取り出した使い捨てカメラを持って腕を伸ばしS町の風景をバックに亮とツーショットを撮った。
「S町にもこんないい所があったんだねぇ」
「そうだろ、観光パンフレットの写真も大抵ここから撮ったS町の写真なんだ」
そこで二人の間に沈黙の天使が通った。「愛し合う二人の間に言葉は不要だよ」と言いながら。二人は見つめ合うだけで何万語にも匹敵するコミュニケーションを一瞬にしてとれるのだ。そして二人は唇を使った非言語コミュニケーションを図った。誰も来ないS町展望台で二人は濃密な時間を過ごした。久美子はここが亮と最初に出会った山の近くであることに気付いた。ハッとして周りに様子に注意を払うがヤマーワの追っ手の気配は全く無いので胸をなで下ろした。久美子は
「亮、なにも聞かずにあたしのこと愛してくれてありがとうね」
と言いながら涙を流した。亮は困惑しつつ
「いきなり何を言っているんだい?」
「ううん、ただなんとなく伝えたかったの」
「変な久美子」
「あたし、ずっとこのまま亮と居られるといいな」
「俺もだよ。二人で旅館をやろう」
「うん」
亮は久美子を抱きしめた。
「あっ見て、きれいな夕焼け」
と久美子が指差す方角を見ると向かいの山の向こうに夕日が沈もうとしていた。
「そろそろ暗くなるから帰ろうか?」
「うん」
二人は手をつないでもと来た山道を原付バイクを止めた駐車場に向かって歩いていった。
ある日の放課後同じクラスの武田勝雄に亮は呼び止められた。二人は気が合うのかよく話をする仲だ。
「じつは吹奏楽部が今度定期演奏会をやるから聴きにきてくれないか?」
「あんまりそういうの興味ないからなぁ」
「頼む! あんまりお客が少ないと格好つかないし先輩から『とにかく客を集めろ』と言われているんだよ」
「わかったよ、しょうがねぇなあ。もうひとり心当たりあるからそいつも連れていくよ」
「すまん、吉田。恩にきる。君のことは生涯忘れないから。必ず来てな」
とうれしそうに武田は亮を見た。
亮は久美子を連れて吹奏楽部定期演奏会を聴きに行くことにした。「もうひとり心当たり」というのが久美子だ。久美子は初めてのことなので亮の予想に反してすごく乗り気で美沙子に当日何を着ていったらいいのか隣の部屋に相談しに行くほどだった。二人は手をつないで近所のS町文化センター大ホールへ出かけた。今日の久美子の服装は美沙子が見立てたTシャツにノースリーブのパーカー、デニムのクロプトパンツにサンダルであった。久美子は音楽会に行くのは始めてなのでかなりわくわくしていて吹奏楽部について亮にあれやこれやと質問責めにした。S町文化センター大ホールに着くと開場10分前でS町とその近郊の中学校・高校の吹奏楽部員が列をなしていた。全部で40人以上いるであろうか。並んでいる他校の制服女子高生を見て久美子はあんなにスカートを短くしたらパンツが見えちゃうのにな。よく恥ずかしくないなぁと思った。横で亮も他校の女子高生に目を走らせている。
「K高校吹奏楽部ってずいぶん人気あるのね」
「俺も聴きにきたのは初めてだから驚いた」
「武田君の演奏楽しみだねー」
「ずいぶんと他校の生徒も多いよなぁ」
「あっ、亮。あのセーラー服の子に色目使ったぁ」
「色目なんて使ってないよ」
「亮って久美子一筋だと思っていたのにショックだなぁ。帰ったらお母さんに言いつけてやる」
「おーい、久美子ちゃん、君はなにか誤解しているぞー」
「べーっだ」
と久美子は笑顔で舌を出した。
やがて開場され列が動く。二人も受付に差し掛かる。スーツを着たOB・OGが
「こんにちわぁー」
と言いながら笑顔でさわやかにプログラムを手渡してくれた。客席に入り二人は武田から聞いていたチューバの位置する上手の方にすわった。久美子がプログラムを開くとはさんであるたくさんの他校の定期演奏会ビラがばさっと落ちてびっくりした。それらやプログラム読むと
「いろいろな学校の吹奏楽部で定期演奏会をやっているのねぇ」
「そうだよなぁ、吹奏楽部なんて入学式と文化祭・体育祭でしか聴いたことないもんなぁ」
「ほらぁ吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテストにも出たって書いてあるよぉ」
「ほんとだ」
「見て見て、SMAPの世界に一つだけの花をやるんだね」
と二人は見たことのない吹奏楽部定期演奏会に花を咲かせた。
やがて場内暗くなり開演した。I部は紺のブレザーを着た冬服で演奏。今年の県立K高校吹奏楽部は全部で39人いるが5/7は女子生徒だ。<アルヴァマー序曲>で開演。出だしからの金管の力強い旋律に久美子は圧倒される思いだ。パーカッションの女子生徒が顔を指揮者に向けて腕を右に左に動かしてティンパニーをたたいている。武田も大きなチューバを抱えるようにして吹いている。これが吹奏楽かぁと久美子は感動した。久美子が中学校に通っていたらきっと吹奏楽部に入る決意をしただろう。アルヴァマー序曲の後に司会のOGが出てきてあいさつと次の曲名<たなばた>とその来歴を告げた。司会の告げたこの曲の作曲者が好きな先輩を思って作ったというエピソードをきいて久美子は大変ロマンチックな気分になった。曲の後部長が挨拶に出る。この定期演奏会に向けた努力とこれまでの活動について話した。<コッペリア>のマズルカを演奏してI部は終わった。
休憩時、亮は久美子に感想を聞いてみた。
「どう? 楽しい」
「うん、とっても」
「それはよかった」
「あたしこんな素晴らしいの初めて聞いたよ」
「お礼なら武田に言ってよ。あいつが出るから聴きにきたようなものだし」
「そっかぁ、武田君に感謝しなくちゃね」
II部はPOPS STAGEで今年のII部のテーマは「時間旅行」であり赤いブラウスに黒のズボンというカッコいいスタイルでのステージだ。<ユーロビートディズニーメドレー>で白のチビTシャツの女子8名が前で踊る。吹奏楽部で踊りが見られるとは思っていない二人は大変に驚いた。久美子が聴きたかった<世界に一つだけの花>はそれまでとは打って変わってしっとりとした感じに演奏される。亮が横目で久美子を見ると目に涙を溜めていた。そして<エルクンバンチェロ>サンバのリズムで場内に手拍子がわき起こる。久美子もノリノリで手拍子した。<サンチェスの子供達>のカッコいいトランペットソロでPOPS STAGEは終わった。楽しかったのであっという間に終わったという印象だ。
III部は白いブラウスに黒のズボンという衣装で<…そして山の姿はどこにもない>という不協和音の不安で恐ろしげな曲だがなんかカッコいい曲を演奏。次に<吹奏楽のための第二組曲>を演奏する。最後の曲にマーチ<ベスト・フレンド>で終演する。
客席からアンコールを求める手拍子と女子高生の
「アンコール、アンコール…」
という声が聞こえる。指揮者が再びステージに出てきてアンコールに<宝島>と<ラデツキー行進曲>を演奏し客席は手拍子で盛り上がり終演した。
亮と久美子がホワイエに出てくるとホールの出口に吹奏楽部員たちが整列して
「ありがとうございました」
と言いながら観客を見送っている。その中には武田の姿もあり亮は
「おーす、武田。チューバかっこよかったぞ」
「吉田ぁ、聴きにきてくれてあれがとな。その子彼女か?」
「まぁ、そういうところだ」
「うらやましいなぁ。彼女も聴きに来てくれてありがとうね」
と短い言葉を交わして二人はホールを出た。
「『彼女』だって」
久美子は妙に意識して赤くなっている。
「『彼女』だろ?」
亮がぶっきらぼうに言う。久美子は
「そう『彼女』」
と答える。愛し合う二人の間には言葉はいらなかった。なのでこのちぐはぐなやり取りでも十分に通じ合っていた。久美子は握った亮の手をぎゅっと握り締めた。