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2005年8月28日 「神の招き」(エレミヤ書20章7-9節)

 エレミヤは紀元前7世紀末から6世紀初めにかけてエルサレムで活動した預言者です。聖書
の預言者は文字通り、神の言葉を「預かる者」。「予言者」ではないのです。そしてそれを人々
に告げ知らせる任務があります。預言者はイスラエルの困難な時期に神様からの召し出しを
受け、人々を導いた「神の口」の役割だけでなくイスラエルの宗教を深める役割もしました。

 彼はイザヤと共に、「最大の預言者」と言われています。エレミヤは偉大な王様であるヨシア
の時代に神様の呼びかけを聴きました。そして40年の長きにわたって預言者としての任務を
果たしました。やがて南王国の滅亡に立ち会った預言者です。

 エレミヤ書1章には、エレミヤが預言者として神様の選び(召命)を受ける場面が描かれてい
ます。神様とエレミヤが対話をしながら、場面はすすんでいきます。神様の言葉は圧倒的な力
を持ってエレミヤに臨んできました。その神様はエレミヤが母の胎に造られる以前から知り、
そこから生まれ出る以前に聖別していたと語ります。そして、その職務は預言者、それも諸国
民の預言者であると告げられます。この神様の呼びかけをエレミヤは当初拒否して、「わたし
は語る言葉を知らず、若者にすぎない」と応じます。このエレミヤの言葉を聴く時に私たちは
二つのことを思い浮かべます。一つは神様の御前で謙遜になって、この召し出しに信仰をもっ
て断ると言うことあり、そしてもう一つは本当に知恵も力もない、若僧であることを正直に述べ
ているだけにすぎない。と言うことです。その時の彼の心理状況までを聖書は語っていません。
しかし、一つの手がかりとなることは、ここで使われている「若者」(ヘブライ語でナアル)という
言葉は「男の子」とも訳される言葉でもあり、成人するのが早い古代社会では、二〇歳未満の
青年であると考えられることです。そのような若者に向かって、激動する諸国民の世界の中
で、彼らの将来を見据えながら、彼らと運命を共にせよと神様は命じるのです。それを前にして
エレミヤがひるみ、たじろぐのは言うまでもありません。エレミヤという人はこの書物を読んで
見ますと内向的で、繊細で、感情豊かであったようです。そして何と言っても彼は傷つきやすい
人でした。神様は彼に誰のところにも神様の言葉を携えて、行って、命じることをすべて語れと
言われます。

 このエレミヤに、同胞を助けようとして挫折をしたモーセが同じように神様の呼びかけを拒む
という場面を重ね合わせて見ることが出来ます。しかも、エレミヤはモーセの時と全く同じ言葉
で神様に励まされました。「恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と言う言葉
です。こうして彼は神様から立てられた預言者として押し出されて行きました。
 それがどうでしょう?先ほど読んでいただいた今日の箇所、エレミヤ書20章の7節のところ
で、エレミヤはなぜ自分を神様に〈惑わされた〉者であると言うのでしょうか? この〈惑わす〉と
いう言葉はヘブライ語では元来人が人を誘惑する意味で使われている言葉であります。神様
がエレミヤに与えた使命によって「あなたがわたしを惑わし/わたしは惑わされて/あなたに
捕らえられました」と告白しています。
 ではエレミヤはどうしてこのような気持ちに至ったのでしょうか。神様に誘惑された、うまく言
いくるめられたと衝撃的な告白をするのです。また神様からの召し出しを同じ7節で「あなたの
勝ちです」と言っています。しかしそれは彼が「一日中、笑いものにされ」嘲られることなのでも
ありました。
 エレミヤ書には彼が預言者としての苦悩や不安を率直に神様に告白する場面があります
(11・18-23、12・1-6、15・10-21、17・14-18、18・18-23、20・7-8)。
 エレミヤはその口を開いて、南ユダ王国を始めとする諸国の危機を語るたびに、指導者や有
力者に対して、その不法や暴力を批判せざるを得なかったのです。外敵の攻撃を予言し、告
げ知らせ、国内の不正を批判することは彼に迫害と人々の嘲りの笑いをもたらしました。 9節
に「主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい」とあります。エレミヤが預言者としての
使命を投げ出して神様の言葉をもう語るまいとしても、ますます神様の言葉は彼の心の奥底に
あって消すことのできない火のように燃え上がりました。そして「わたしの負けです」と言うので
す。
 「恐怖が四方から迫る」と言いますのはかつて彼が「北からの災い」を警告するために使った
言葉です。それが実現しなかったために人々は物笑いにして言いました。今やエレミヤが四方
から迫害を受ける立場にありました。
 エレミヤは苦しみの人生のなかに預言者としての任務を全うしました。エレミヤは何度も何度
も神様に嘆きの叫びを上げています。実際にはもっとたくさんの嘆きがあったかもしれません。
彼が何度願っても、神様は一見、迫害者たちから守ってくれるようには、どうしても思えません
でした。ではエレミヤの苦しみの最中、神様はどこにいたのでしょうか?
 神様は思わぬ形で共にいてくださったです――エレミヤが苦しみの嘆きを上げるとき神様も
隣りでいっしょに苦しめられていたのです。何度も何十度も神様は苦しんだのでしょうか? で
すから、エレミヤは遠慮もおそれもなく、神様に嘆き、弱音を吐き、訴えたのであります。

 神様は私たちのことを招いてくださっています。神様は私たちのことをよく知っています。他人
に話したことのないことでも、皆さん一人ひとりのことを神様はよくご存知です。それなのに私た
ちは神様の前でカッコ良く生きようとしていないでしょうか? カッコつけて生きていないでしょう
か? いくら自分の外見をよく見せても、人の目は欺けても、神様の目にはしっかりと本当のあ
なたの姿が映っています。私たちはエレミヤのように正直に嘆くことができるでしょうか。率直
に不満をぶつけられるでしょうか。神様は私たちの親です。私たちはそれぞれの親に本音で話
すことができると思います。小さなときから多くの人がそうしてきたはずです。親の前でカッコつ
けても、親は自分のことをよく知っている。神様の前でも同じです。親だから……私たちのこと
をよく知っていてカッコつけなくていいんです。誰にも知られたくないような私たちの秘密や弱さ
や醜さも全部知っているんです。神様は私たちに無理をさせて聖人君子になるように望んでい
ないのです。あなたが腹を割って、心を開いて神様と常に結ばれていることを望んでいます。だ
からカッコつけて生きていても、何か禁欲的になって立派な信仰者になろうとしても、あなたが
本当の姿で神様にぶつかったり、接したりしない限り、神様はあなたに働いてくださらないので
す。あなたがうその姿でいる限り、神様も真実を示してくださらないのです。

 しかし、私たちがどのようなときにあっても必ずその時々には神様も共に苦しんでいて下さる
のだと信じることができることは幸いです。今日の箇所のあとのところで神様がエレミヤに語っ
てくださいました。神様がエレミヤと人々と「ともにいる」ということを。そこからまた力が与えら
れてきます。

 (中略) 

 神様はどのような人をも上手にご自分の使命のために用いられます。自分の能力や力の限
界、また自分の性格、傾きに思い悩むことは、もはやありません。なぜなら完成させて下さる
のは神様だからです。私たちがいつどのような状況にあっても聖霊を送ってくださり、力
を与え、完成させて下さるのは神様です。神様は私たちを今日もお招きになっています。こ
のお招きに私たちはどのようにお応えするのでしょうか?(黙想)






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