
![]() 語り部 S.Eさん(77) |
| 吉岡一枝先生 一軒隣の西センさんに誘われ、講社祭に参拝したのが、先生との出会いでした。当時、産後のわずらいで十年近く寝たり起きたりの生活でした。何しろ郵便局の夫の給与の半分近くが病院代に消えるという毎日。今夜夜行でおぢばに帰るという西さんが、おさづけを取り次いで下さった。翌朝不思議と体調が良い。ふとんから起きあがった時刻が、まさに西さんが甘露台にぬかづいてお願いつとめをしていた時刻でした。昭和三十六年四月のことです。それで講社祭に参ったのです。 そこで、吉岡先生から懇々とお諭しをいただきました。「八百万の神があるが、天理王命こそ元の神・実の神」「体が弱いからと元気になることのみを急いでいる。神様が受けてくださったら病気も引き受けてくださる。」胸に染み入るようなお話でした。「親が後家なら子も後家。親が早死になら子も早死に。」との言葉は胸に突き刺すものがありました。夫も私も十代で両親に死に別れ、身体の弱い自分は幼い二人の子どもをかかえている。早死の因縁を自覚した私は、「神様に連れて通っていただこう」と教会に参拝しました。夫は信仰に反対でした。しかし、元気になったら夫のこともできる、と教会に運ばせていただきました。運んでいる内は体調が良い。遠ざかると悪化するという毎日でした。やがて自宅にも先生がお越しくださるようになりました。反対していた夫が、一番最初におぢばかえりをしました。身体の弱い弟が、先生を自転車の後ろに乗せておたすけのお手伝いをするようになりました。 先生の話はじつにきついものでした。「たすけねばならない時に甘いことは言えない」というのが先生の口癖でした。「(人間が)守る世界は小さい。(神に)守られる世界は大きい」 なるほどと得心が出来たら、病気と縁が切れました。 順鎮分教会の神殿ふしんには、瓦代の責任をもたれたのでしょう。「瓦代十枚分」と話がありました。「屋根は親、柱が主人、土台が妻・女、戸障子は子ども」「屋根は雨露をしのぐ、親が頑張れば子どもが中で生活が出来る」と話されました。因縁なら別れなければならない長女が、ちょうど結婚という時機でしたので、そのタネまきという意味から理だてをしました。親と縁が薄いので、親の声を素直に、親に好かれるように通りました。お蔭で孫七人お与えいただき、先生のお声がかりで土地を求め、増築し、結構な境遇になりました。先生は、「分かったやろ。」と一言仰いました。 「こぶしふりあげ説く親の 千に一つも違うことなし」 先生の葬儀の際のわたしの弔辞です。西順陽に手引かれてほんとうに良かったと思っています。 |
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