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Update: 2005/4/2

DIARY
仕事が落ち着き、HPでもつくろうかなと思った時からのもの


31 March,2005 (Thu)    最後の大喧嘩
今朝4時までかかって、荷造りして、9時には活動開始して荷物を送りに行く。
郵便局に、ガムテープグルグルにしてダンボール5箱を持っていったのに、すべて開けて一つ一つチェックするという。今、1時間かけて、3つのガムテープを使い果たしてきたのに・・・・  そして、以前は開けられることなく送れたと聞いていたから、抗議抗議。下着まで見られそうな、いやらしい男性が笑いながら開けようとする。ムスリムの国なのに!
 大喧嘩して、泣き叫んで1個開けられてしまったダンボール以外を引き上げる。この1個は女性の人にチェックさせる。と、残りの分はチェックしないから持っておいでと言い始めた。本当か、と念入りに聞いて、タクシーに乗せて待たせていたのに、また郵便局へ持ち込む。その際、タクシーの運ちゃんが痴漢。もう、脱力・・・。
2時間かけて、荷物がようやく送れる。これが最後の嫌な思い出であってほしい・・。

30 March,2005 (Wed)    表敬訪問
今日は、JICA所長と日本大使への表敬訪問。日本大使といえば、この国で一番偉い日本人。アメリカ赴任でも滅多に会える機会のない人。日本人少人数の国だからこそ出会えたような、すっごく偉い人。 と言っても、あまり緊張することなく、オシャレな大使へ帰国報告する。
 その後、お土産買い。夜までかかって買う。これで1箱分のお土産になってしまいました。
 
 今日は、元々パキスタンに住んでいるマスマさんという日本人妻(パキスタン男性と結婚)の方とお会いする予定だった。結局電話でしかお話できなかったのだが、こんな出会いもステキだと思う。パキスタンという共通の話題からお友達になれたことは、すごいこと。ありがとうございました。

26 March,2005 (Sat)    送別会
今日は、こちらで親しくしていただいた方のお宅で送別会を開いてくれた。隊員も集まり、わんやわんやと楽しい会。最後は酔っ払っちゃってお礼を皆様に言えたかわからないけど、本当に感謝しています。ありがとうございました。

25 March,2005 (Fri)    テニス送別会
昨日、JICA提出の報告書を書き終え、ご満悦な今日。
旅行代理店に行き、3月31日にならないと4月1日からの旅券は出せないという恐ろしい対応にも笑顔で答えるほど、ご満悦。
 今日は、テニス同好会で、私の送別会をしてくれた。花を自分で選び、値段交渉をしてもらって中華料理後にウヤウヤしく頂く。 ここでテニスに出会えて、ストレスに負けず、ハゲにもならず、本当に感謝しています。ありがとうございました。

23 March,2005 (Wed)    軍事パレード
今日は、朝早くから席取りに出かけて、わんやわんやと騒動がありながらも、4年ぶりのパキスタン軍事パレードが行われた。
3月23日は、パキスタン建国の父、ジンナーが軍事国になりますと宣言し、ミーナーレーパーキスターンという塔を造った日らしい。
最近は、イラク戦争などがあり、パレードなどのお祝い事を控えていたのだが、今年は4年ぶりに行う。各州の兵隊の行進に始まり、戦車や装甲車、ミサイルなどが行進し、軍用機が色とりどりの煙を出してスゴイ速さで飛ぶなど、日本では見られないものを見た。うーん、こんなところでお金を使っているから患者の薬がないのだ・・・、な〜んて思いながら楽しく見る。最後、パレードが終わったときに群集が押し寄せてきて、触られまくり叫ぶも、それ以外は楽しかった。
 ミサイル、でかかったでっせ〜。 以上が要約した感想である。

19 March,2005 (Sat)    最終日
今日で仕事は最後。一つ一つ丁寧に仕事をしていく。
といっても、なぜか3人に患者が増えており、とてもあわただしい。感情深く仕事をしている場合ではない。
とりあえず、病院中のあいさつ回りをする。今まで天敵であったおいぼれジジイ医師にも挨拶にも行き、仲良くお別れを言う。終わりよければすべてよしではないが、気分が良い。ルンルンの気分のまま病院長のところへ挨拶。と、「今日でお前の訓練(看護師になるための勉強)が終わったのか、お疲れさん」といわれ、ガックリ。私は、日本から、看護を教える為に来ました。何度も病院側と話し合いをしました。なのーに、勉強のために日本から来たと最後まで思われていたことは、ヤハリ・・・という残念な気持ち。挨拶にこなけりゃよかった、と後悔する。
 最後はバタバタしてしまい、涙の別れと言うわけにはいかなかった。
 
 そして、今日は所長宅にてお花見パーティ。少し雨模様で皆パラソルや屋根の下で飲み食いをする。仕事が終わったこともあり、ハイになる。 2次会も参加し、
ハイハイ!

18 March,2005 (Fri)    残り2日
今日の患者は1人。昨日からいる患者で、15歳女性で、結核を持ちながら大腸切除による人工肛門造設。すごくやせていて、もともとの体力がない。普通なら乗り切れる手術なのだが、体力がないために結構な重態となっている。うーん、いくらやせていても、体力は必要だね。 と、やせられない自分に語ってみる。
 
明日で、いよいよ私の仕事も終わり。今日はJICA調整員が挨拶に来てくれた。うーん、いよいよこのもどかしくもあり、やり切れない日々から脱出できる。うれしすぎ。 けど、仲良くしてくれた掃除のおばちゃんとは今日が最後なので、ウルウルさせながらのお別れの挨拶。おばちゃんは、「結婚式で飾って」と手作りの花瓶(プラスチック)をくれた。心あたたまるもので、大切に持って帰ろうと思う。 ウルウル。

13 March,2005 (Sun)    写真展INサルゴダ
朝、5時半起きで、今日はサルゴダという同期隊員ツッツーの配属先へ行く。
 パキスタンへの協力隊派遣が10周年を迎えたので、その記念に写真展を各地で行うというもの。その記念すべき第1回をサルゴダのツッツーの職場であるキリスト系の職業訓練学校で行った。
 設置など手間取ったが、ツッツーの働いているところが見られてよかった。サルゴダはピンディよりも南で、暑かった。天気予報では31℃というから4℃差かな。暑いし、蚊にくわれる。
 今後、1年かけて写真展をしていくと言う。私は今回、アシスタントとして参加させてもらったが、これからの写真展、成功させて少しでも協力隊をわかってもらえたらうれしいな、と思う。 頑張ってください。

12 March,2005 (Sat)    チャラチャラ女医
今朝ICUに行くと、一昨日殺人命令が下った患者はまだ生きている。すばらしい生命力だ。今日の患者の付き添い婦人科医師は、顔とかはミスコンにい出られるんじゃないか?と思うほど綺麗な女医。思わず見惚れてしまった。 が、この女医が、このあとね・・・
 いつ心臓が止まってもおかしくない患者を横目にピコピコ携帯でメールを打っている。そして、病院の内線電話で友達とおしゃべり。そして、モニターの音が徐々に間隔があいてきている。それにも気がつかず、ピコピコ。
 声を掛けて、ようやく目を患者に向ける。「あら、ようやく?」と。死ぬのを望んでいるらしい・・・、クッソー! ついに心拍ゼロになっても何もしようとしないから、上の先生を呼ばなくていいの?心臓マッサージは?家族は?誘導尋問で活動開始。まずは、電話。その間私が心臓マッサージ。「しばらくやってて〜」と彼女からの指令。クッソー! ようやく麻酔科の医師と連絡が取れ、麻酔科の医師によって死亡確認がとれた。その後、婦人科の医師を呼ぶ。女医は片手でチョイチョイっと心臓をなでただけなのに、「CPRしました」と自慢気。婦人科の上の医師が帰ったあとも、死亡診断書を書きながらヘラヘラしている。ああ、研修医のうちからこうでは、先が思いやられる・・。 ヤダヤダ・・。

11 March,2005 (Fri)    反抗心
昨日殺人命令が下された患者は、まだ生きていた。が、昨日から血圧も測れず、ここ2日間は尿もでていない。そんな状態なのに心臓は動いている。人はこんなにも強いものだったけかな、と改めて感心する。いや、この人は殺人マダムへの反抗心で生き続けているのかも。マダムは患者の耳元で命令を出したから、患者も知っているもんね。ほんとに殺人マダムにはあきれるわ。
 
 今日は、インド人の人が私の今住んでいる家を見に来た。私が家を出た後に住む人を今探している。スリランカ人も見に来ていたし、今度はインド人。私の家は、オーナーのパキスタン人と2階の住人が南アフリカ人。3階はドイツ人。そして私が日本人。とても多国籍な家。こんどはどんな人が住むのだろう。

10 March,2005 (Thu)    殺人命令実行されず
昨日からいる患者で、34歳女性、子宮子癇で死産後、本人も昏睡状態。今は自発呼吸もなく、血圧も低い。昇圧剤を使って、心臓だけが動いているような状態。そこで、婦人科の医師は内科の医師にこの患者を診てもらうように依頼した。
 そこで登場したのが「殺人マダム」。やはり「もう脳は死んでいるから、呼吸器をはずしなさいよ」との見解。婦人科医師は家族の了解を得ようとするも、家族納得せず。今度は、麻酔科の医師に相談した。と、麻酔科の医師は「心臓が動いているのに呼吸器をはずすとはどういうことだ?」とお怒り。そんな中、家族が「呼吸器をはずしてもいいです。」と言ってきた。さて、婦人科の医師はどおするのか?
 
 そんなやり取りをしている中、私の送別会が開かれる。ICUではバタバタしているということで、他の病棟の1室を借りて、仲の良い「タリバン夫婦ナシーム&ジャヴェード」「シャヒーン」が夜勤なのにわざわざ来てくれて、お別れ会をしてくれた。病棟がバタバタしているのだけれど、とてもうれしい時が流れたし、ウルウルきた。が、すぐに会は終了し、皆バタバタ帰っていく。皆忙しいのだ。でも、本当にありがとう。
 
 さて、ICUに帰ると、結論がでており、麻酔科医師の「呼吸器ははずすな」という意見が通った。当たり前の意見です。
 しかし、この意見に対してある人からは「その人の命を長くして、他の人が死んでしまうことになったら?どの命を選ぶかは、誰の権限になるの?」という意見がでた。確かに、その人の心臓は動いているけど、脳は死んでいる。今後話すことはないだろう。確実に死に向かっている人だ。けど、だからって命を絶つような行為を人がしていいのかな?ここに新たな患者が来て、呼吸器をつなげれば助かる人が来たなら、やはりどうするか迷うかもしれないな。どっちの命を選ぶのか、誰が決めていいことなのだろう。
 こんがらがるが、人が人の命をわざと断ち切ってはいけない、そこは合っているのではないかな・・。
 
 ま、そんなんで帰宅して、夕飯を商社のお宅へ訪問し、日本食をご馳走になる。お昼に涙味のパキスタン料理を食べたので、もったいないことにあまり食べられなかった。ジャズを聞きながらカクテルというパキスタンではあり得ない空間があり、ホロっと酔ってしまう。 う〜ん、ご馳走様でした。

8 March,2005 (Tue)    生命力
 犬にかまれた少年は順調な快復をみせ、昨日転棟していった。喰いちぎられた左手も、微かに指先が動くので、リハビリ次第でよくなるだろう。よしよし。
 
 そして、15歳少女が昨日からいるのだが、この少女は虫垂炎。手術は普通に終わり、病棟に帰って、ベットで休んでいたのだが、麻酔が効きすぎたのか嘔吐があったのに仰向けで寝ていて、吐物が気道に入り、窒息状態で、心配停止状態になる。急いで心配蘇生をして、ICUへ運ばれてきたのだが、1台は他の患者に使っていて、最近直ってきた新式の人工呼吸器を動かすことになったらしいが、ここ数日教えた甲斐もなく、使いこなせず、なんだかんだ言っている間に少女が快復して、人工呼吸器がいらないほどになったらしい。すばらしい、よくぞ自力でもどってきた。強い生命力だ。
 最近、心配停止をしてカウンターショックを何回もかけてようやく心肺機能が戻った人が、10分後ぐらいには走っているというドラマを見たものだから、「こんなのウソウソ」とひやかして見ていた。いや、実際あり得るかもね。
 
 にしても、また人工呼吸器の説明のやり直し。同僚はわかってくれたけど(たぶん)、医師がわかっておらず、そこに天敵のもうろくジジイ医者が登場して、「ダメだ、これは壊れているから患者に使うな」と学ぼうともせず、また壊れ物扱いして、600床の病院に対して呼吸器1台という過酷な状況にしようとする。ジジイ、人の話を聞いてください。あなたの部下(医者)は、話を聞いて覚えようとしているのに、上司のジジイが「使うな」と言ったら誰も覚えないし、使えなくなるし、教え込んだ同僚看護師も使えなくなる。誰が使えるんじゃー。 部下医者は私が帰るのを知っているから理解しようと同僚看護師から教わっている。その姿勢、いいね。
 が、もうろくジジイがいる限り、ICUの死亡率は、患者の生命力に頼るしかない。まあ、医療とは本来そういうもので、患者の生命力に少し手助けさせてもらう場なのだな、うん。 手助けさせて〜、ジジイ!

6 March,2005 (Sun)    結婚式
今日は、お友達であるパキスタンに住む日本人同士の結婚式。ハナチャン、カメチャン、おめでとう。
 受付担当なので、ちょこっと早くからお出掛け。出席者全員に会えるという特権を得て、会に出席。人前式で、パキスタン・イスラマバードにいるほとんどの人々の承認を得て、結婚が承認された。う〜、いいね〜。
 お料理も、皆さんの持ち寄りだの何だのですっごく多い。ムスリムの国なのにお酒も贈呈多し!飲めや歌えやの、心温まる式となり、「あー、幸せとはこういうものか」というのを実感する。
 その後、2次会にも参加させていただき、本当にお2人の幸せ振りを受け継ぐ(勝手に)。よし、次は私だ!と1人勢いづくも、相手ナシ。  クォーーーーー
 
そして、母へ、誕生日おめでとう。

5 March,2005 (Sat)    犬に咬まれた少年
今日、仕事に行くと、13歳少年が新患でいて、病名「広範囲への犬咬み」。
 経緯:屋上に犬2頭がおり、屋上への出入りを禁止していたのに、凧あげのため、内緒で屋上に上がって犬2頭に咬まれる。両足大腿と、左上腕を喰いちぎられ、緊急手術。両足はそうでもなのだが、左手が微妙な具合。
 その他は元気だからわがままを言うこともできる。早くよくなるといいね。
 あ、この咬んだ犬は、狂犬病かどうかわからないらしい。なので一応ワクチンは打ったみたいだけど、怖いわ〜
 
 今日は、明日の「カメチャン&ハナチャン結婚式」のリハーサル。ゴスペルの練習を兼ね、受付の打ち合わせを兼ねてのリハ。会場は、すっかり整っていて、後は明日を待つばかり。が、天気が心配。どうか、晴れますように・・

4 March,2005 (Fri)    最後の大使館テニス
最近、通勤に、国営バスが通らなくなり、私営のワゴンが走っていてそれを利用するのだが、今まで30分だったものが、40分、へたすると1時間にも及ぶ。客集めの為時間をとるのだが、乗っている乗客にしたら早く行ってほしいので、運転手とモメる。料金もゴマかすし、そこでケンカ。毎日毎日そんなんで、通勤がイヤになってきた。今日も、帰りは太っちょおばさん2人の助手席に私も座れと言ってきて、ま、混んでいる時間だから仕方なく乗り込むも、助手席の窓から私のお尻がはみ出て出発。こんなムスリムの国で、女性のお尻を出しながら走る車なんて、絶対にご法度。皆して、早く座れ、座れと言うんだけど、おばちゃんの肉で座る場所ないし・・・と、おばちゃんが背中側を空けてくれて、そこへ座れと。え、座れって言っても・・ とりあえず、お尻からその空きスペースに向かってダイブする。と、足がおばちゃんの顔に当たりそう。ごめんね〜。
 
はぁ、早くこのイライラ通勤から逃れたい・・
が、日本の満員電車も、イヤだな・・・
 
今日は、大使館のテニスコートが工事に入る前の最後のテニス。私の任期を考えると、もう大使館でテニスをすることもないだろう。十分に満喫する。
1年半、お世話になりました。

2 March,2005 (Wed)    とりあえず
今日で、新型人工呼吸器強化特訓3日目。私の一番の理解者、シャヒーンは1人で設定から何からできるようになった。が、とにかく経験を積まないと、緊急時に対応できない。が、今日がタイムリミットで、シャヒーンは明日から夜勤になってしまう。となると次の月までは会えない。うーん、大丈夫だろうか?やや心配ながらも、シャヒーンへの特訓は終了。 明日からは別のスタッフを特訓しなければ・・ 彼女は一番最初からやらなければならなくて、すご〜く時間がかかりそう。説明するのって、難しいんだよね〜 ホント


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